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英雄たちの選択~山本覚馬

面白かったです~。
『八重の桜』の世界ですね。
『八重の桜』の影の主人公は山本覚馬なんじゃないかと思っていましたから。

博覧会で京都を救え 〜八重の兄・山本覚馬〜

砲術指南役の家柄
江戸留学
佐久間象山に弟子入り
当代随一の兵学者、積極的に西洋砲術を習得、自ら大砲を製造
砲術こそ最先端の西洋技術
吉田松陰、勝海舟、河井継之助など幕末の英才がこぞって入学
西洋の文明や思想も学ぶ

京都で洋学所を開く
吉海直人・同志社女子大学特任教授
「江戸に行った時に黒船を見ている
外国というものを会津にいた時以上に見ている。すごい危機感を持って、このままだと日本が外国に占領されてしまう。そういう現状を若い人たちに告げなければいけない。若い人の育成が一番早道だと考えた」

同志社大学の設立者
砲術家である。数学と物理。弾道計算。数学で理解する合理的な精神を持っている。会津藩では珍しい。
育ち方が会津藩らしくない
会津藩は朱子学が強くでる
「ならぬものはならぬ」
覚馬は知恵者、型にとらわれない自由な発想があった
江戸留学
佐久間象山の塾~日本中から集まる
黒船ショック
藩にこだわらない

西洋に負けない国作り
最新の武器によって国自体を強くしていかなければ西洋と対峙できない


実は薩摩藩に捕獲された時、大変優遇されていた。「洋学者確保」
考える時間がたっぷりあった。
目がどんどん悪くなると、音声化、言語化していく。思索する、伝える
口述筆記~相手の分かるレベルに合わせて喋る

女子にも教育を
産業を見ているので、日本の外貨が稼げそうな産業は女性がやるものが多い
お茶を選ぶ、糸を作る、機を織る

お母さんが賢夫人だった

妹の八重が砲術をお兄さんから教わっている
女の社会実践が戦争で花咲く

『管見』
具体的
教育と産業振興

よそ者だからこそできた災害復興のモデルケース

朝廷と公家は間違いないなく京都を捨てた。その後ろめたさがある。そこにつけ込んだ。明治天皇からの御下賜金が出る。
朝廷から慰謝料と養育費をもらっていた
それを元にして覚馬の仕事は花開く。

会津が滅亡して吹っ切れて、ひたすら模索して、「こうじゃなきゃいけない」を否定していく。全部壊して再生していく。

井上章一「京都ぎらい」 (朝日新書) 2015
岩下哲典「幕末日本の情報活動」 ‎ 雄山閣 (2008

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蛇行剣特別公開

見に行きたい~!
でも遠い…

奈良 富雄丸山古墳の「蛇行剣」の「つか」 特殊な形とわかる
2024年3月26日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240326/k10014402871000.html

蛇行剣特別公開 奈良市役所 2024年3月26日
https://www.city.nara.lg.jp/site/press-release/201144.html
富雄丸山古墳出土蛇行剣の共同調査研究成果と特別公開について-報道発表資料
奈良県立橿原考古学研究所/奈良市教育委員会
https://www.kashikoken.jp/under_construction/wp-content/uploads/2024/03/dakouken_press.pdf

富雄丸山古墳まとめ情報 奈良市役所
https://www.city.nara.lg.jp/site/press-release/165641.html
富雄丸山古墳発掘調査(第7次調査)について(令和6年3月13日発表)
割竹型木棺の内部を確認。鏡と櫛が出土
https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/3/200024.html


富雄丸山古墳
出土品には、伝出土品として石製品・鍬形石・合子・管玉・銅製品など(京都国立博物館所蔵)や、同じく伝出土品として三角縁神獣鏡3面(天理大学附属天理参考館所蔵)が知られるほか、発掘調査出土品として武器類・鉄製品類・巴形銅器・形象埴輪がある[1]。なお、発掘調査出土品のうち鍬形石片は、京都国立博物館所蔵の鍬形石と一致することが認められている[1]。築造時期は古墳時代前期後半の4世紀後半頃と推定される
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E9%9B%84%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

蛇行剣
蛇行形状の剣・鉾(剣身が短いものは長柄武器と見られる[4])の出土事例は2008年時点で、70本近くあり、本州から37本が出土し(この内、中部地方出土のものは12本)、残りの半数は南部九州地域に集中
大きいものは、奈良県北原古墳出土のものや三重県松阪市天王山1号墳の出土のもので、全長80センチを超える。2023年には奈良県富雄丸山古墳から国内最大となる長さ237センチのものが出土した[5]。静岡県袋井市石ノ形古墳出土のものは鉄素材の分析が行なわれており、通常の剣より炭素分が少ない結果が出ており、蛇行形状を作るため、柔らかい鉄にする工夫とみられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%87%E8%A1%8C%E5%89%A3

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鏡と櫛-富雄丸山古墳

続々と出てきますね~

奈良 富雄丸山古墳 ひつぎ調査 貴重な「三角縁神獣鏡」発見か?
2024年3月13日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240313/k10014389201000.html

富雄丸山古墳発掘調査(第7次調査)について(令和6年3月13日発表)
割竹型木棺の内部を確認。鏡と櫛が出土。

竪櫛が出土

主室の南東端から漆塗の竪櫛が9点出土した。欠損部分も少なくないが、2点は竪櫛の全形をよくとどめている。全長14センチメートル・棟幅2センチメートルの小型品である。竪櫛は髪に付ける装飾具としての機能に加え、葬送儀礼における重要な機能があったと考えられている。
青銅鏡3面が出土

副室2の南西端には、青銅鏡3面が重ねて置かれていた。上から順に1号鏡(直径21.5センチメートル)、2号鏡(直径19.0センチメートル)、3号鏡(直径19.8センチメートル)が確認できる。いずれも鏡面を上に向けており、鏡背面の文様が見えないため現時点では鏡式不明である。3面ともわずかにひび割れているが、緑青の銹は極めて少なく、保存状態は良好である。
https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/3/200024.html


富雄丸山古墳から出土した木棺を公開(第7次発掘調査成果)(令和6年1月31日発表)
https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/3/200011.html

木造六観音菩薩像

これは素敵!観たいですね~

京都 鎌倉時代の「木造六観音菩薩像」などが国宝指定に
03月15日
千本釈迦堂として知られる大報恩寺の「木造六観音菩薩像」と「木造地蔵菩薩立像」が、新たに国宝に指定
「木造六観音菩薩像」は、鎌倉時代の1224年に運慶の一門である肥後定慶と5人の仏師が制作したとみられる仏像で、大きいものは、高さ180センチを超えます。
死後に生まれ変わる6つの世界から人々を導くとされた六観音の姿をあらわしていて、鎌倉時代以前に制作された六体がそろって伝わるのは全国で例がないということです。
丸い頬と、複雑に重なってうねるような衣の表現が美しく、装飾的でありながらもやわらかさを合わせもった作風で、運慶の一門らしい情感に富んだ像になっています。
これらの像は、江戸時代前期に、荒廃した寺院からこの寺に移されてきたことが確認されていて、一緒に移された「木造地蔵菩薩立像」もあわせて国宝に指定
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20240315/2010019713.html

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」2018年
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914

https://butsuzolink.com/senbonshakado/

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」 2018年 読売新聞社

運慶・快慶と慶派の美仏 (エイムック 4166) ムック – 2018/10/10
エイ出版社編集部 (編集)

「仏像 一木にこめられた祈り」展

友達にお借りした図録。
「仏像 一木にこめられた祈り」2006年 東博での特別展。

思いっきり渋くてディープな一冊。
素敵な仏像が載っていました。

重文「十一面観音菩薩立像」(唐時代・7世紀、東京国立博物館蔵)多武峯伝来
「大化改新で有名な藤原鎌足(614~669)の長男・定恵(次男は藤原不比等)が唐から持ち帰った可能性が高い像です。きわめてインド的な風貌。多武峯の開基入唐僧定恵の請来像かもしれない」
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=C304

国宝 菩薩半伽像(宝菩提院願徳寺)
国宝 十一面観音菩薩立像(向源寺)

重文 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀 山形・宝積院蔵
重文 聖観音菩薩立像 奈良~平安時代・8~9世紀 奈良・れんじょう寺蔵
重文 菩薩坐像 奈良~平安時代・8~9世紀 大阪・慶瑞寺蔵
重文 四天王立像(伝持国天・伝広目天) 2躯 平安時代・9世紀 島根・大寺薬師蔵

重文「宝誌和尚立像」 (平安時代・11世紀、京都・西往寺蔵)

「奈良から平安時代初期の檀像、一木彫、鉈彫像と江戸時代の円空・木喰の代表作を通して、日本彫刻の底流に流れる一木彫の伝統をクローズアップします。寺外初公開となる滋賀・渡岸寺観音堂の十一面観音菩薩立像(国宝 向源寺蔵、2006年11月7日~12月3日展示)をはじめ、一木彫の名品が一堂に集います。」

「 インドの伝説では、世界で初めての仏像はインド産の白檀(びゃくだん)で造られたとされています。白檀は木目が緻密で美しく、芳香を放つことから仏像の材として珍重されていました。幹の直径が30cm程度にしかならないため、小さな像しか作れませんが、材の特色を生かして表面に彩色をせず、細かな彫りをするのが特色

中国でも唐時代にインド風の小さな檀像(だんぞう)が流行しましたが、中国では白檀が自生しないため、「栢木(はくぼく)」で代用する考えが出されました。日本では、奈良時代から平安時代初期にかけて、「栢木」をカヤとみなし、カヤによる代用檀像が流行しました。カヤは針葉樹で、木目がつみ、木肌も少し黄味がかった白色で美しく、良い香りがする木

その一方、日本では古来、木は神や霊が宿る依り代(よりしろ)として信仰されてきました。中国からもたらされた檀像と日本古来の木の信仰が融合し、一木彫成立の基盤が形成されたと思われます。

円空(1632-1695)と木喰(1718?-1810)
両者に共通するのは、日本全国を廻って大量の仏像を造ったこと、専門の仏師ではなく、庶民に親しまれる独特の造形を創造」
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=482
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=31

「奈良・平安仏から江戸時代の円空・木喰まで、一木彫の名品。
寺外初公開の滋賀・向源寺(こうげんじ)の国宝十一面観音菩薩立像(渡岸寺(どうがんじ)観音堂所在、国宝4体、重要文化財41体を含む146体が展示されます。日本人がこだわった木で仏像を造ることの意味を考えるとともに、そこで培われた良質な木の文化を通して日本人の心や精神性に触れることができるでしょう。」https://www.tokyoartbeat.com/events/-/2006%2F85E1



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