2023-01-01
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします。

今年は新作が間に合わず、
アフリカ本1の扉絵、
スーダンのウンム・ドゥルマーンのマフディ廟です。

ちょっと説明します
この馴染みのない名の町ウンム・ドゥルマーンは
(オムドゥルマン(オムダーマン、英語:Omdurman)
スーダンの都ハルトゥームとはナイル川を挟んで西岸に位置します。
古都であり商業が盛んな都市
当時マフディ軍の司令部がおかれていて、一時はマフディー国家の首都だったということです。

またこの場所は、ウガンダから流れる白ナイルと、エチオピアから流れる青ナイルの合流地点の南岸に位置します。
アフリカ本1のテーマとなった映画
『サハラに舞う羽根』『カーツーム』の舞台となった場所で、
霊廟の主マフディはイギリス軍の敵でした。
『カーツーム』はハルトゥームのこと

19世紀半ばからエジプトの支配下(エジプトはイギリスの半植民地)にあったスーダンが
1881年反乱を起こして1885年ハルトゥームに立てこもるゴードン将軍率いるエジプト連合守備隊を全滅させた。
それをキッチナーが1898年に反乱軍を打ち破り、ゴードンの仇を討ったという。これはイギリス側の見方。
その後スーダンはイギリスの支配下となった。
ハルトゥームも1898 年にイギリス軍によって再占領され、1956 年まで英エジプトスーダン政府の本拠地でした
その反乱軍がイスラーム神秘主義スーフィー教団デルヴィーシュで、
自ら「救世主」(マフディ)と名乗るムハンマド・アフマドが率いた軍だったのです。
スーダン側からすると殉教した英雄ですね。

くわしくは『アフリカの誘惑 (映画で旅するアフリカの歴史)1 エジプトとスーダン』をご覧ください。
http://hisuirou.web.fc2.com/sinkan02.htm
http://hisuirou.blog87.fc2.com/blog-entry-1246.html

このつづきも中断したまま…
そのうち書きます~。
参考
オムドゥルマン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3
ムハンマド・アフマド・アル=マフディー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC
マフディー戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89
ハルツーム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%A0
今年もよろしくお願いいたします。

今年は新作が間に合わず、
アフリカ本1の扉絵、
スーダンのウンム・ドゥルマーンのマフディ廟です。

ちょっと説明します
この馴染みのない名の町ウンム・ドゥルマーンは
(オムドゥルマン(オムダーマン、英語:Omdurman)
スーダンの都ハルトゥームとはナイル川を挟んで西岸に位置します。
古都であり商業が盛んな都市
当時マフディ軍の司令部がおかれていて、一時はマフディー国家の首都だったということです。

またこの場所は、ウガンダから流れる白ナイルと、エチオピアから流れる青ナイルの合流地点の南岸に位置します。
アフリカ本1のテーマとなった映画
『サハラに舞う羽根』『カーツーム』の舞台となった場所で、
霊廟の主マフディはイギリス軍の敵でした。
『カーツーム』はハルトゥームのこと

19世紀半ばからエジプトの支配下(エジプトはイギリスの半植民地)にあったスーダンが
1881年反乱を起こして1885年ハルトゥームに立てこもるゴードン将軍率いるエジプト連合守備隊を全滅させた。
それをキッチナーが1898年に反乱軍を打ち破り、ゴードンの仇を討ったという。これはイギリス側の見方。
その後スーダンはイギリスの支配下となった。
ハルトゥームも1898 年にイギリス軍によって再占領され、1956 年まで英エジプトスーダン政府の本拠地でした
その反乱軍がイスラーム神秘主義スーフィー教団デルヴィーシュで、
自ら「救世主」(マフディ)と名乗るムハンマド・アフマドが率いた軍だったのです。
スーダン側からすると殉教した英雄ですね。

くわしくは『アフリカの誘惑 (映画で旅するアフリカの歴史)1 エジプトとスーダン』をご覧ください。
http://hisuirou.web.fc2.com/sinkan02.htm
http://hisuirou.blog87.fc2.com/blog-entry-1246.html

このつづきも中断したまま…
そのうち書きます~。
参考
オムドゥルマン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3
ムハンマド・アフマド・アル=マフディー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC
マフディー戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89
ハルツーム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%A0
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