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2023-09-12

秘境アラビア探検史

では上巻は?
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秘境アラビア探検史 上 法政大学出版局1994
The unveiling of Arabia,Kiernan, Reginald Hugh

「半島を覆う漆黒のヴェールを剥いだ探検家たちの物語。
上巻は,イブン・バットゥータ,アルブケルク,ニーブール,アリー・ベイ,ブルクハルトらの旅を跡づける。」
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-02157-2.html

[目次]
古代世界のアラビア
中世のアラビア人旅行家
ルネサンス期の冒険家
大アフォンソ・ダ・アルブケルク
アラビアを旅した最初のイギリス人
聖都を訪れた最初のイギリス人
デンマーク人の探検旅行
ワッハーブ教徒と一スペイン人
メッカとメディナのヴェールを剥ぐ
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/2421221.html

というわけで改めて一緒に

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秘境アラビア探検史 〈下巻
キールナン,R.H./岩永 博【訳】 りぶらりあ選書 法政大学出版局1994
「本巻では『アラビアン・ナイツ』の翻訳で知られるリチャード・バートンのメッカ、メディナ旅行を皮切りに、
ウェルステッド、マイルス大佐、ウレーデ、ベントの旅、サドリアー大尉、ワリン、ペリー大佐、ダウティ、ブラント夫妻の旅、
さらには20世紀の探検家たちの旅をあとづけ、トマスやフィルビーの空白地帯(南部大砂漠)横断の旅におよぶ、
アラビアの古代史発掘からローレンスとアラブの反乱の調査まで、探検の物語を通して描くアラビアの数奇なる歴史。」
BOOK」データベース
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-02158-9.html

目次]
第11章 一イギリス人が巡礼を行なった
第12章 オマーンとハドラマウトの探険家
第13章 最初のアラビア横断旅行
第14章 小説よりも奇怪な人
第15章 ダウティとブラント夫妻
第16章 二十世紀の探険家たち
第17章 空白地帯(南部大砂漠)横断の旅
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/2442618.html
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2023-09-11

リチャード・バートン

リチャード・フランシス・バートンについて
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藤野幸雄
 『探検家リチャード・バートン』
 新潮社〈新潮選書〉、1985年

「19世紀の英国人探検家リチャード・バートンは、中東、アフリカ、インド、南米など世界各地に足跡を残しただけでなく、36か国語を操り、「アラビアン・ナイト」なども翻訳した。彼の残した膨大な著作は、さまざまな民族の風習、生活ぶりを詳細に伝え、当時の探検家の中では群を抜いている。近年になってその文化人類学的評価は高まっている。
 ただし、彼の型破りの言動は、たくさんの敵をつくった。アラブの一夫多妻制への理解や、好色文学への傾倒など、キリスト教道徳が席巻していたイギリスでは、とうてい受け入れられるものではなかった。
 バートン自身、西欧社会の偽善的な装いへの反発を、著述の中でしばしばあからさまにしている。
 彼の死後、バートンの伝記を著したのが、ゴチゴチのキリス教徒の妻だった。彼が死ぬと急きょ、洗礼を受けさせ、カトリック信者にまつりあげた。
 彼女は長大なバートン伝を完成させると、彼が残した膨大な「いかがわしい」原稿や日記を焼き捨てた。
 その数年後、バートンの妹の娘が新たに伝記を出版、妻版伝記とは対極にあるバートン像を描き出した。
 今でも、バートンの人物像は、妻版と姪版の間で揺れ動いているのだそうだ。
 この本は学者の手によるだけに正確を期したのだろう。両伝記からの引用などが多く、ドラマのような英雄伝に比べると、はじめは読みやすいとは言い難かったが、読み進めるに従って、バートンという稀代の探検家の魅力が伝わってくる。 」
『屯田兵の末裔が行く』 2013年2月25日
https://paraunawa.wordpress.com/2013/02/25/%E8%97%A4%E9%87%8E%E5%B9%B8%E9%9B%84%E8%91%97%E3%80%8C%E6%8E%A2%E6%A4%9C%E5%AE%B6%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%80%8D/

「千夜一夜物語の訳者としてのバートンだけでなく、今は忘れ去られた、ナイル河の源流探索者、
当時異教徒に対して、厳格な鎖国主義をとっていたメッカから生還した数少ない白人等の経験を持つ冒険者、探検家としてのバートンや未開地だった南米、アフリカ諸国の領事としてのバートンが描かれる。」
http://tanizoko2.hp.infoseek.co.jp/burton.html

「『アラビアン・ナイト』の翻訳者リチャード・バートンは19世紀最大の探検家であったが、イギリスはついにこの男を受入れるすべを知らなかった。彼は36の言語を操り、足跡は全世界にわたり、多くの民族と風習を百冊に及ぶ著書に記している。ヴィクトリア朝のモラルを体現していた妻イサベルは、夫の死後「いかがわしい」すべての遺稿と日記を灰にしたが、この人物の魅力はその後の伝記を通じて不死鳥のように蘇ってくる。」
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784106003110

藤野幸雄 1931 - 2014
日本の図書館学者。

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トマス・ジョゼフ・アサド
『アラブに憑かれた男たち バートン、ブラント、ダウティ』
 田隅恒生訳 法政大学出版局、2001年
Thomas Joseph Assad,Three Victorian travellers : Burton, Blunt, Doughty
「大英帝国の全盛期、エクセントリックな個性をもってアラビアと関わった3人の男、バートン、ブラント、ダウティ。その意識と思考と生涯を縦横に分析する。「アラビアのロレンス」に先立つ3つの心性の研究。」

「著者はアラブ系アメリカ人の大学教授で、英文学を専門とする。本書は"Three Victorian Traveller"(1964年)の翻訳です。表題にあるとおり3人のヴィクトリア朝時代のイギリス人の評伝、人物論でした。
これらの人々はアラビア探検の先駆者であり、イギリスにおけるアラブ研究を大いに進め、「アラビアのロレンス」こと、T・E・ロレンスの出現を可能にしました。
しかし、大英帝国に対する態度やアラブ世界への理解は三者三様で、どれも間違っているとは言いにくいところが面白い。
著者の意図も、そうしたアラブがイギリス人に与えた感性への衝撃を、また「オリエンタリズム」の一筋縄でいかない多様性を描くことにありました。

リチャード・フランシス・バートンは、「千夜一夜物語」の翻訳者・解説者として知られます。大場正史の翻訳で角川文庫21冊のなかで見られるバートンの注釈は、マニアックかつ好色なために発表された当時から不評だったのです。
残る2人、ウィルフリド・スコーエン・ブラント、チャールズ・モンタギュー・ダウティは、バートンと同じくアラビア学の古典ともいえる旅行記や研究を発表しているのですが邦訳はなく、その生涯も日本ではあまりに知られていません。
その人生も見解もロマンチックというか、劇的というか。原注もふくめて読まれる価値があります。巻末に索引と年譜あり。」
アマゾンカスタマーレビュー 醒文庵さん
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RUU7ZHO9XRSST/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4588238043

いやいや、邦訳ありますよね。
ダウディは『アラビア・デセルタ』(砂漠のアラビア)の著者。
Travels in Arabia Deserta (1888)
『アラビア砂漠』-世界ノンフィクション全集 第45巻 筑摩書房1968 に収録 ) 
2012-09-21 ウィルフリドとレディ・アン
2012-09-25 『アラビア砂漠』

W・S・ブラント 
『ハルツームのゴードン 同時代人の証言』栗田禎子訳、シリーズ冒険の世界史:リブロポート、1983年
2012-09-20 ハルツームのゴードン

チューリップ狂時代  ウィルフリッド・ブラント
『チューリップ・ブック―イスラームからオランダへ、人々を魅了した花の文化史 』八坂書房 (2002/02)
2012-07-11 チューリップ
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秘境アラビア探検史 〈下巻〉
キールナン,R.H
./岩永 博【訳】 りぶらりあ選書 法政大学出版局1994
Kiernan, Reginald Hugh, The unveiling of Arabia
「本巻では『アラビアン・ナイツ』の翻訳で知られるリチャード・バートンのメッカ、メディナ旅行を皮切りに、ウェルステッド、マイルス大佐、ウレーデ、ベントの旅、サドリアー大尉、ワリン、ペリー大佐、ダウティ、ブラント夫妻の旅、さらには20世紀の探検家たちの旅をあとづけ、トマスやフィルビーの空白地帯(南部大砂漠)横断の旅におよぶ、アラビアの古代史発掘からローレンスとアラブの反乱の調査まで、探検の物語を通して描くアラビアの数奇なる歴史。」
BOOK」データベース
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-02158-9.html

2023-08-19

『燃えつきた橋』

オクロの天然原子炉のWIKIにフィクションへの登場として取り上げられていた作品

ロジャー・ゼラズニイのSF小説『燃えつきた橋』(1976年)で言及されており、この天然原子炉は放射線による突然変異の増加によって地球生物の進化を加速させ、人類の出現を早めるためにある異星種族が意図的に設置したとの設定が説明されている。

豊田有恒のSF小説『進化の鎮魂曲』(1987)において、オクロの天然原子炉が生物進化の初期段階で重要な役割を果たしたことが示唆されている。

星野之宣のSF漫画『ベムハンター・ソード』(1986-)のエピソードにおいて、天然原子炉の熱に依存した生態圏「原子力生命圏」が登場する。作中では、地球にも天然原子炉が存在したことが言及されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%84%B6%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89

なかなか面白そうです。
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ロジャー・ゼラズニイ『燃えつきた橋』
Roger Zelazny, Bridge of Ashes 1976
早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1982年
「遥かな昔、地球に大挙して飛来した異星生命体は、自らの操り人形として人類を想像した。
この酸素に満ちた惑星を、彼らに適した環境、亜硫酸ガスの充満する世界に造り替えるために。
目論見どおり、人類は環境を破壊し、大気を汚染しながら、自らの破滅を目指して運命の道を歩み続けていく…。
しかし、歴史 の陰にこの異星生命体の野望に挑む、永遠の命をもつ謎の男の姿があった。
幾度も傷つき、苦しい戦いを強いられてきた男が、ついに宿敵に対して見いだした恐るべき武器は…! ?」
(裏表紙紹介文)

Bridge_of_Ashes
https://en.wikipedia.org/wiki/Bridge_of_Ashes

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豊田有恒『進化の鎮魂曲』
トクマ・ノベルズ 徳間書店(1987)
「藻類化石専門の古生物学者・桜田は、政情不安定な西アフリカ・ガボン共和国に飛んだ。
17億年前の太古の昔に自然に出来上った天然の原子炉の調査のためである。
原子物理学者たちによる調査は既に進行していたが、化石に関する調査は、全く手つかずの状態だったのである。
日に日に悪くなる政情の中、なんとか調査を開始した桜田だったが、怪し気な記者につきまとわれ…。
進化の謎に挑む科学者を描いた「進化の引金」他、著者得意の進化テーマによる連作7篇を収録。
「大破局」は、本書のための特別書下し。」
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%81%AE%E9%8E%AE%E9%AD%82%E6%9B%B2-%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0-%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BA-%E8%B1%8A%E7%94%B0-%E6%9C%89%E6%81%92/dp/4191535706

レビュー
金原瑞人 朝日新聞 ヤングアダルト招待席 1988
https://www.hico.jp/sakuhinn/3sa/sinnkano.htm
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星野之宣『ベムハンター・ソード』(1986-2015年?)
(FILE 5:HOT SPOT)惑星ロスアラモスに天然の原子炉をエネルギー源とする「原子力生命圏」が発見される。
サンゴがウランの濃縮工場の役割を果たし、体重10トンの『ヘビーメタル・クラブ』が
制御棒の役割を果たすことで安定が保たれていたが・・・。
http://chikyu-to-umi.com/sf/hoshino.htm

二重惑星を巡る長円軌道の惑星。長い寒暖期を繰り返す。核分裂反応によるホットスポット。
天然ウランが堆積で筑西濃縮されて臨界を突破し核反応を起こす。原子力生命圏。大蟹ヘビーメタル・クラブ。
https://honto.jp/ebook/pd-review_0626620705.html

2023-08-18

『17億年前の原子炉』

オクロの天然原子炉についての本
これですね。
凄い人だ~
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黒田和夫
『17億年前の原子炉―核宇宙化学の最前線』

講談社〈ブルーバックス〉、1988年。

「ポール・カズオ・クロダ(1917年4月1日 - 2001年4月16日)は、日系アメリカ人の化学者、核科学者。

彼はアーカンソー大学の名誉教授という尊敬される称号を保持しており、日本から米国に帰化した最初の人物となるという功績を残した先駆的な科学者として広く知られています。

彼は、エンリコ・フェルミが最近発表した原子炉理論を利用して、ウラン235とウラン238の比率が現在値よりも高かった古代のウラン鉱床において、適切な条件下で天然原子炉が形成される可能性を提案した。

さらに、プルトニウム244の核分裂中に放出されたと考えられる隕石から放出されるキセノン含有量を分析することにより、初期太陽系にプルトニウム244が存在することを実証した。彼は64人の博士号を監督しました。学生として活動し、約 400 冊の出版物を執筆または共著しました。

東京帝国大学で学士号と博士号を取得。木村健次郎教授に師事。

彼の最初の論文は 1935 年に発表されました。彼は主に電波と宇宙化学に焦点を当てており、1944 年以前に発表された 40 の論文のほとんどは温泉の化学に関するものでした。
1944 年に最年少で東京帝国大学の教員に就任し、第二次世界大戦後、日本では 放射化学が禁止されていたにもかかわらず、1949 年まで放射化学の研究を続けました。

1949 年に米国に到着すると、彼は核化学者のグレン・シーボーグと会いました。彼は 1952 年にアーカンソー大学の化学助教授となり、1955 年に米国市民になりました。

1956 年に黒田は、自然に自立した核連鎖反応が可能であると初めて提唱しました。
このような原子炉は 1972 年 9 月にガボンのオクロ鉱山で発見されました。

彼は 1979 年に初代エドガー ヴェルトハイム化学特別教授に就任し、1987 年にアーカンソー大学を正式に退職しました。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Kuroda
http://www.omatumr.com/abstracts2005/KurodasWriteupGeochem.pdf
https://news.uark.edu/articles/9632/dr-paul-kazuo-kuroda

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藤井 勲:天然原子炉
(UPアース・サイエンス) 東京大学出版部(1985年)

こちらの記事の人ですね。
日本燃料技術開発(株)の人のようです。

オクロ天然原子炉とその現状 藤井 勲 1985 日本原子力学会誌、27(4),304
「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesj1959/27/4/27_4_304/_pdf/-char/ja

20億年前の天然原子炉 (オクロ鉱床)を訪ねて 藤井 勲 1991
GSJ (地質調査総合センター) 地質ニュース439 1991年3月号
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/91_03_03.pdf

2023-07-07

『はじめは駄馬のごとく』

ナンバー2として成功した人物(北条義時、徳川秀忠、平 時忠、藤原不比等)と
失敗した人物(源義経、明智光秀)
義時はまあ他の本でも読んだけど、徳川秀忠、平 時忠、藤原不比等がこんなに面白そうな人だとは!
そして対談で出てくる藤原道長(『この世をば』)がすごく面白そう!

藤原道長は『この世をば』
藤原不比等は『美貌の女帝』『裸足の皇女(ひめみこ)』に出てくるらしい。
『天風の彩王 藤原不比等』 黒岩 重吾もあるみたい

平 時忠は『波のかたみ―清盛の妻』かな?
徳川秀忠は『乱紋』かな?
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「はじめは駄馬のごとく―ナンバー2の人間学」
永井 路子
日本生産性本部 1985年 のち文春文庫

「歴史をながめてみると、トップの陰で、決して目立たないが充分な実力を持つ、したたかな仕事師がいたことに気づく。
北条義時や徳川秀忠がそれである。
一方で、その陰の役割に徹し切れず、身を滅ぼした源義経や明智光秀の類の連中もいる。
No2の生きがいとは。巻末に城山三郎氏との対談「いま、ナンバー2がなぜもてる」を収録。」
プロフィール

アシーン

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