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2017-11-08

マラーゲの天文台

マラーゲの天文台跡!
2008年に行きました!

marage2008observatory.jpg

ナスィールッディーン・トゥースィー!
<ペルシャ人 の神学者である。
またイブン・スィーナーら系譜に連なる逍遥学派の中興の祖と目される哲学者であり、
数学者、天文学者であり、13世紀のイスラーム世界を代表する偉大な学者である。
トゥースィーはイランのホラーサーン地方のトゥース生まれの人物を示す呼称>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC

marage2008observatory02.jpg

マラーゲの天文台!
(ラサド・ハーネ・イェ・マラーゲ Raṣad Khāne-ye Marāghe)
1259 年に設立
< マラーゲ天文台は組織化された天文台で、 1259 年に設立され、
この設立には イルハン朝の フレグ (Hulagu) の庇護と
イランの科学者で天文学者である トゥースィーの指揮があった。
イランの 東アゼルバイジャン州のマラーゲの西の丘の上に位置し、
かっては世界で最も権威のある天文台であった。

資金は ワクフ (waqf) によって賄われ、
創設者の死後も運営することが可能であり、50 年以上も活動した。
天文台は後世の天文台のモデルとなり、
これには 15 世紀のサマルカンドの ウルグ・ベク天文台、
16 世紀のタキ・アルジンの イスタンブール天文台、
ジャイプル (Jaipur) にある 18 世紀のジャイ・スィン天文台 (Jai Singh observatory) がある。

基礎部分の多くが遺跡に残されている。
340 m × 135 m の砦のような場所に、 4 階建の直径 28 m の円形の石造りの建物が立っていた。
星と惑星の位置を観測するための壁面四分儀は子午線の向きにそろえられていた。
この子午線は イルハン天文表 (Zij-i Ilkhani) の 本初子午線 (Prime meridian) の役割を果たし、
現在グリニッジ天文台を通る子午線の役割を果たしていた。

マラーゲ天文台は当時は最も大きな天文台で、
幾つかの建物から構成され、 幅が 150 m で長さが 350 m の場所を占有していた。

これらの建物の一つにドームがあり、 これは太陽の光が通過するように作られていた。
また図書館もあり、40000 冊の蔵書を収納していた。
これらの蔵書はモンゴル帝国がペルシャ、シリア、メソポタミアを侵略した時に略奪したものである。
ペルシャ、シリア、 アナトリア、 更には中国からの天文学者が天文台に集められた。
天文台で仕事をした天文学者の名前は少なくとも 20 名が知られている。
何人かの中国の天文学者が天文台で働き、 中国式の計算法が導入されたと思われている。
マラーゲ天文台には トゥースィーの下で学ぶ 100 名の学生がいたことも 報告されており、
ワクフ (waqf) の基金からの収益で賄われた最初の天文台であった。

後に天文台の遺跡を訪れたウルグ・ベクは刺激されて、
サマルカンドに自分自身の大きな天文台を建設し、
マラーゲ天文台における天文学の研究を継続しようとした。

フレグ (Hulagu) は彼の軍事的な成功の多くが、
天文学者 (同時に占星術師でもある)、とりわけトゥースィーの忠告によるものと信じた。
そのためトゥースィーが彼の天文表が時代遅れのものとなったとこぼした時に、
フレグはトゥースィーが選んだ場所に新しい天文台を建設する許可を与えた。
何冊かの本 (Jam-e-ttavarikhe rashidi, saf-e-elhofreh, favat-o-lvafiyyat) によれば、
rasad khanch [訳注:天文台のあった場所] における建物の建設は 1259 年 ( ヒジュラ暦 657 年) に開始した。
天文台の図書館は 40000 冊の本を収容し、 多くの分野の本があり、
占星術/天文学に関連するものから、それ以外の本もあった。
バル・ヘブライオス (Bar Hebraeus) は晩年に天文台の近くに住み、研究のために図書館を利用した。
彼は天文台のことを記述している>
http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/eclipse2/maragheh_observatory.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B2
(ウルグ・ベク天文台は1420 年代に建設)


ナスィーロッディーン・トゥースィー
http://japanese.irib.ir/component/k2/item/52961-%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC
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2014-02-01

マラーガからサマルカンドへ

先日、こんなつぶやきを発見しまして。

Yuki Nakanishi ‏@getoiletten
1月29日
ブログ更新。マラーガからサマルカンドへ、
そしてサマルカンドからアナトリアへ。
13 世紀後半から15 世紀後半における
数学的・天文学的・神学的知の伝播と受容のアウトラインが描かれます。
「ファズルオール「サマルカンド学派の数学・天文学」」http://bit.ly/1fboZpJ
https://twitter.com/getoiletten/status/428454726154207233

えっ?なになに?これは?
と辿ったら。

ファズルオール「サマルカンド学派の数学・天文学」
Fazlıoğlu, İ (2008): “The Samarqand Mathematical-Astronomical School: A Basis for Ottoman Philosophy and Science”, Journal for the History of Arabic Science 14, 3-68.
http://toiletteslipperinblues.blogspot.de/2014/01/blog-post.html

論文のアウトラインを紹介していて、

イルハン朝下の1259 年、マラーガには
当時最先端の天文台が建設されました。
さまざまな哲学者・科学者たちが集い、
この地を中心として自然科学・自然哲学研究が大いに振興されました。
マラーガで生み出された知が、サマルカンドまで伝播した。

ティームール朝第4 代君主ウルグ・ベク(1449 年没)が天文台を建設し(1420 年頃)、
あつい学芸保護を行ったことは広く知られています。
彼を中心として形成されたサマルカンド学派は数学・天文学の分野で多くの成果を残しました。

彼らの業績は、じつは中央アジアの一都市にとどまることなく、
15 世紀後半以降、遠く離れたアナトリアにも(そしてさらには西欧世界にも)受け継がれていたのだと、

やっぱりね~…。
そういうことがやっと日の目を見るようになったのですね…。
マラーガは北西イラン。
2008年に訪れた地。
天文台跡も行きました!
サマルカンドの天文台跡も行きましたよ!
なつかしい…。

中西悠喜先生という方で、
<専門は中世アラビア語圏の神学・哲学・神秘主義の歴史。
現在はアヴィセンナ以後の神学・哲学思想と、
イスラムの知的神秘主義を代表する
存在一性論との歴史的な関係性をテーマに、博士論文を準備中。>
とのことでした。

2009-03-20

羽田と関空

気がついたら帰国の話をしていませんでしたね。

無事に関空に着いて、羽田へ。
いやあ、ほんと近くて楽です!
成田は遠かった…。

ところで、
行きの話なんですが、

実は私はまだフィルムカメラも使っています。
ところが、
手持ちのフィルムシールドが古くてもう、
破れているんです。
行く前に買いに行ったら、売り切れで、
どこにも売っていませんでした。

空港ならあるだろうとタカをくくっていたら、
羽田だから、ないんです~!

おろおろしていたら、案内のお姉さんが声を掛けてきてくれて、
聞いてくれましたが、やはり置いてません。
でも。
関空ならあるかもしれないと、電話してくれたんです!
そして、発見!ありました!

閉店時間ギリギリ!走りましたよ。
なんとか、滑り込みセーフ!
無事確保!

でもやはり探していたのとは、違ってはいたんですけどね。
でももう、しようがないです。

探していた20本入りではなく、
ヨドバシカメラにもあった10本入りでした。
とにかくこの時は、これしかなかったみたいです。

羽田空港のお姉さん、ありがとうございました!
関空の写真屋さん、ありがとうございました!

2009-03-18

戦利品1

2008年ペルシアで買ったお土産。

2008plata

ザンジャーンのスルターニエ廟の前の店で買った銀糸細工。
自分用ではありません。お土産用。

2008porch

これも人の土産用。
アルダビールのシェイフサフィー廟のそばの土産物屋で買ったポーチ。

あとはローズオイルと以前、紹介したドライレモン(08/11/03)と
ローズティ(08/11/03)。

今回は少ない…。

2009-03-17

ドバイ

テヘラーンからドバイへ飛んで、乗り換え。
ここから関空へ。

caballo

感激したのは、馬の壁画。

camel

それから、ドバイの免税店は進化してました。
本屋もできていました。
民芸品も、前年は買いたいものがなかったのですが、
今回は色々買い込みました。
民族衣装も…。

animesong

機内の音楽番組にアニメがあって、
その選曲も何やら面白かったのですが、
画面がまた…。全46曲も入ってました。

theme : 海外旅行
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