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2015-04-07

再開・イラク国立博物館

おお!素晴らしい!

「イラク国立博物館が12年ぶり再開、ISの略奪行為に反発」
収蔵品約1万5000点が略奪されたものの、
3分の1近い約4300点を回収し、再開にこぎつけた。
AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3041108
2015年03月01日

2015-04-06

マーシュランドの湿地帯

また少し過去に戻ります。
イラン旅行5日目の
チョガザンビルの遺跡の片隅に建てられつつあった
マーシュランド特有の家。
ちょっと思い出が。

以前『イラク草紙』を書いた時に、
調べた時にあったよなあと思って、
『イラク草紙』をひっくり返したけど、載ってない。
あれ?おかしいな?

あの時は、あまりにもページが増えすぎて
(100ページを越えてしまった)
泣く泣く載せられなかったイラストが、確か沢山あって、
(それだけでも100ページ以上)
このマーシュランドの葦の家も載せようとして、
載せれられなかった一つらしい。

因縁のある家です。

0220Marsh01.jpg

0220Marsh02.jpg

で、ちょっと調べてみたら、色々ありまして。
存亡の危機というか、滅びかけているというではありませんか。

美しすぎる“中東のベニス”が破壊されてしまった…!!
「湿地のアラブ人」が作った絶景パラダイス
OCANA > 海外 > 世界遺産・歴史ミステリー >
http://tocana.jp/2014/12/post_5387_entry.html
http://tocana.jp/2014/12/post_5387_entry_2.html

Marsh Arabs
http://en.wikipedia.org/wiki/Marsh_Arabs

失われた「メソポタミヤ湿原」
イラク特集(マーシュランド・1、2、3、4 )
http://heumonat.plala.jp/kurohime/2004/w9.html
1978

<イラクの水郷地方の光景。
此の水原と草叢から全てを得て暮らしている人々がいる。
家屋は水生草から、その家屋の載って建つ土台すらも
元はと云えば其処に生えている草々から成っているのだと云う。

チグリスとユーフラテスの合流する辺りを中程にして
東西南北それぞれ100kmをゆうに超え、
一辺は国境を越えてイラン領にまで及んでいる此の地方は、
いわゆるマーシュ・アラブ(Marsh Arabs)達の郷土である。

炎熱と砂漠の国でとおるイラク共和国だが
山岳のイラクもある、
それに継いで水際のイラクだ。

イラク」とはそもそも水の狭間を意味する
ギリシャ語「メソポタミヤ」に相当する南アラビア語だと云う、

例の二大河は云うに及ばずイラク領内には大きな湖沼が幾つもあり、
イラクの国土は確か日本の1.1倍くらいながら
湖沼の総面積は多分日本よりもずっと多いだろう。

南イラクの沼沢地(アラビア語で“ハウリン:haurin”英語の marshに相当)は
アマラ、クルナとナシリヤを結んだ三角形を含む
チグリスとユーフラテスの流域に広がっている。
バグダード東南方のクート(Kut)から
バスラ(Basra)北方のチグリス全流域、
その南辺にナシリヤ辺りからユーフラテスが流れ込んで
より水豊かな湖沼地帯と成らしめていると云って良いかも知れない、
公称三万五千平方キロにもなる広大な地域だ。

数千年前には出来上がっていたと云うから
シュメールやバビロンの古代都市国家は
此の沼沢地方の北側で建てられ覇権を競いあっていたことになる、
ウルからバビロンまでの
要するに水没しない水際を選んで、
都市が造られたと云って差し支えないだろう、
諸都市はまさに水辺に支えられていた。

'70年代における沼沢地面積は
英国のウェールズや日本の四国に匹敵する広さ
一万七千から二万平方キロメートルに達していたようである。

しかし1985年からみても、1992年が 57%に、
そして2000年には 16%に減少している。

マーシュランドの衰退は、イラク全土の国土計画や管理の結果そのもの
イラクの水系はサグロス南麓水系の下流にあたり、
広大であり中東最大などと云っても
此のマーシュランドはその最下流にある一隅
(例えばユーフラテスの総延長約 2,300キロのうち 1,200キロ程がイラク領)
にしか過ぎないし、
この水系にイラク全体がすっぽり呑み込まれている、

当然ながら水系の恩恵への要望や欲求はトルコ領にもある
(Turkey's Southeast Anatolia Project: GAPなど)し、
シリヤ領にもイラン領にもあるだろう、
例えば三ヶ国を流れるユーフラテスではトルコが 80%以上、
シリヤも十数%を取水し、
イラクは残りの数%を使えるに過ぎないと云うデータもある。

崩壊したイラク政権のマーシュランド灌漑プロジェクトなどの以前に、
メソポタミヤに達する水は、マーシュランドを浸す前に蒸発等も含めて
上流での利水の結果すでに激減していて、
上流で巨大なダムが出来、その湛水中には、全く水がこなかったと云われるくらいだ。

そうして沼沢地の幾つもの灌漑溝もできあがり、
つまりはイラク全土が近代の巨大土木工事によって制された。
ただ是等の基盤は20世紀の早くから徐々にながら進められて来たものである。
イラクは 1922年のオスマンの終焉から 1958年のイラク共和国成立までは
英国の委任統治下にあった、
つまり 1932年にイラクは王国として独立したが
半世紀にわたって英国人達がイラクを管理した>

そうして、湿地帯の喪失は砂嵐を「濾過」する役目も果たせなくなり、
砂塵がイランにまで及んできている…
ということもあるのでしょうか。
う~ん…壮大すぎる…。
まさか、こんな歴史ドラマみたいな背景があろうとは…。

「イラク」の語源と、
マーシュのアラビア語「ハウリン:haurin」(沼沢地)がわかった
ことも収穫でした。

2009-03-27

イラクに観光客?

中東の様子を知るのには、
やっぱりアルジャジーラのニュースでしょうか。
でもこれは衛星放送でしか、見られません。

「日本語で読む中東メディア」
というのもあるそうです。
東京外国語大学中東イスラーム研究教育プロジェクトというところが、
中東の「いま」を直接、日本に伝えるため、
現地の新聞のインターネット版記事の一部を和訳の上、
紹介しているそうです。

ところで。
23日の朝7時のBSニュースで、
「イラクに観光客が戻った」と速報を伝えてたそうです。

アメリカ人とイギリス人の観光客で、
クテシフォンのホスローアーチを観光する映像が出てたそうです!
銃を持った護衛兵と。

クテシフォンの宮殿が残っている!
それだけで、感激しました。

Ctesiphon02

クテシフォンはバグダードの南にあった
パルティア時代の軍事基地、
そしてサーサーン朝ペルシア時代の都市。

ここに、サーサーン朝時代の宮殿の一部が残っていました。
3世紀の巨大なアーチ建築でした。
(これについては『イラク草紙』にも書きました)

とにかく、まだ残っていて、よかったです!
…はたして、見に行ける日が来るのでしょうか?

この図版は、
19世紀にイラク、イランを旅した女性が記したスケッチです。
Jane Dieulafoy La Perse, la Chaldee et la Susiane
19世紀のこの地域の貴重な図版がいっぱい、載っているお宝本です。

theme : 海外旅行
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