2016-08-26

山田寅次郎の研究会

ちょっと面白そう。

山田寅次郎研究会

<日本とトルコの交流の始まりと言われている「エルトゥールル号遭難事故」から125年が経ちます。
この事故が起きたとき、義援金を集めてトルコの届けた日本人がいます。
それは 山田寅次郎 です。
山田寅次郎の研究会がワタリウム美術館(最寄り駅:外苑前駅)にて開催されます。
専門家を招いての、全4回開催。
現在もトルコで有名な日本人の 山田寅次郎 を知ることができる研究会です。
→ワタリウム美術館ホームページ
http://www.watarium.co.jp/lec_trajirou/index.html

山田寅次郎研究会2016
トルコに渡り民間交流を深めた、幕末生まれの茶人、山田寅次郎の研究会が昨年に引続き今年も開催されます。
8/23(火)「山田寅次郎の横浜時代」 一木一郎
9/30(金)「実業家としての山田寅次郎の軌跡」 坂本 勉
11/4(金)「エルトゥールル号事件とトルコの山田寅次郎」 山田邦紀・坂本俊夫
12/16(金)「山田寅次郎著『土耳古画観』の再考」 ヤマンラール水野美奈子
2017年 1/20(金)「山田寅次郎、伊東忠太、そして私たちにとっての「世界」」 倉方俊輔>
http://watarium.co.jp/lec_trajirou/Torajiro2016-SideAB_outline.pdf
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2016-06-29

中央アジアの文化遺産5

シルクロード:長安-天山回廊の交易路網 - (2014年)

<2014年の第38回世界遺産委員会でUNESCOの世界遺産リストに登録された文化遺産の一つであり、
ユーラシア大陸の東西交流史において重要な位置を占めたシルクロードの遺跡群のうち、
中華人民共和国(中国)、カザフスタン、キルギスの3か国33資産で構成されている。
ここに含まれるのは中国22件、カザフスタン8件、キルギス3件の構成資産である。>.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89_(%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3)

<長安-天山回廊の交易路網は、ローマからアジア各地、日本までを相互に結び、
文明発展の一端を担った「シルクロード」の一部。
中国の洛陽や長安から河西回廊を抜け、
天山山脈の南北を通り中央アジアのタラス渓谷へと至る、
総延長距離約8700㎞に及ぶ交易路網である。
登録された33の構成資産は、交易路沿いに点在する宮殿跡、交易拠点、石窟寺院や要塞跡などで、
長安-天山回廊の交易路網が紀元前2世紀から後16世紀にかけて、
文化と人の交流、宗教の伝播に多大な影響力を持っていたことを示している。 >
http://whc.unesco.org/ja/list/1442

キルギス
砕葉城(アクベシム)、
バラサグン(ブラナ)、
ネヴァケト(クラスナヤ・レーチカ)、

カザフ
カヤリク Site of Kayalyk アルマトイ州
タルガル Site of Talgar アルマトイ州
アクトベ Site of Aktobe ジャンブール州
クラン Site of Kulan ジャンブール州
オルネク Site of Ornek ジャンブール州
アクルタス Site of Akyrtas ジャンブール州
コストベ Site of Kostobe ジャンブール州
カラメルゲン Site of Karamergenアルマトイ州

ウズベキスタンの世界遺産
チャン・カラ ウズベキスタン 1990年
ブハラ歴史地区 ウズベキスタン 1993年
サマルカンド - 文化交差路 ウズベキスタン 2001年
シャフリサブス歴史地区  2000年

トルクメニスタンの世界遺産
国立歴史文化公園“古代メルフ” - (1999年)
クフナ・ウルゲンチ - (2005年)
ニサのパルティア王国時代の城塞群 - (2007年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3

カザフスタンのその他の世界遺産
ホージャ・アフマド・ヤサヴィー廟 - (2003年)
タムガリの考古的景観にある岩絵群 - (2004年)

ジキスタンの世界遺産
サラズムの原始都市(2010年)Proto-urban Site of Sarazm
「紀元前4000年~3000年の中央アジアにおける、集落発展の証拠となる考古遺跡」
タジキスタン北西部の古代都市である。サラズムはソグド州のパンジャケント地区に位置する
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%A0

キルギスのその他の世界遺産
聖なる山スライマン=トー - (2009年)Sulaiman-Too Sacred Mountain
キルギス第二の都市オシ近郊にある山である。山の名前は「スライマーンの山」の意味で、預言者のスライマーン(ソロモン)が逗留したとされる伝説に従って18世紀に名づけられたものである[1]。
スライマン=トーについては、石器時代から青銅器時代にかけての遺跡、線刻画群、礼拝所、参詣道、イスラーム建築、博物館の6つの要素が評価されている
かつては、イスラーム伝播以前からの伝統的な信仰にとっても、ムスリムにとっても重要な巡礼地となっていた。この山はいまなお地元のムスリムたちの崇拝の対象となっており、モスクのある最高峰への階段が設置されている。そのモスクは1510年に建設されたもので、20世紀に大規模な修復をほどこされたものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%88%E3%83%BC

2016-06-28

中央アジアの文化遺産4

午後の講演のメモ 追加

キルギス

<敦煌で南北に分かれた「シルクロード」は喀什で合流後、再び南北に分かれる。
南の道はタジキスタンに向かうが、北の道はキルギスの南部を通過する。
首都ビシュケク近郊のトクマムの町には、バラサグン遺跡が残る。
ここには砂漠を進む商隊の灯台として使われたと推定されているブラナの塔が残る。
また周囲にはキルギス各地から集められた石人があり有名。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%B9

<キルギス共和国はシルクロードの中心地で、
パミール~アライルートのほか北と南にそれぞれ1本ずつ、合計3本のルートが通っています。

キルギス共和国にはシルクロード沿いに多くの歴史的な建築物があります。
例えば、マナスグンボス(墓)、タシュラバット(隊商の宿泊施設)、ブラナタワー、サイマル・タッシュの岩絵、
スライマン・トゥ考古学博物館、ウズゲンの建造物、シャッフ・ファジル霊廟などがあります。
中央アジアの古代都市オッシュにあるスライマン・トゥ山は国内や外国の巡礼者にとって神聖な場所とされていました。
そして現在も巡礼者や観光客にとって神聖視されています。
シルクロードは東西貿易の発展だけでなく、キルギス人と諸外国との文化的交流に大きな貢献を果たしました。>
http://www.rotobo.or.jp/events/kyrgyzbis/tourinfo.htm


アクベシム遺跡
<6~12世紀の都市遺跡で、7世紀に玄奘三蔵が訪れた西突厥の都、
素葉水城(スイヤーブ)の跡であることが近年明らかになりました。>
http://4travel.jp/travelogue/10828903

クラスナヤレチカ(サカ族の遺跡)
ビシュケク(Бишкек;Bishkek)郊外のクラスナヤレチカ(Красная Речка;Krasnaya Rechka)で高さ1.5mの仏像。8~10世紀。
ネヴァケトCity of Nevaket


ブラナの塔
<10~13世紀のカラハン朝の都の、ひとつがバラサグンでした。
そのバラサグンの入口に立っていたのがブラナの塔です。
かっては、45mの高さがあったが、地震などで現在は24mです。
シルクロードを旅するキャラバン達の灯台の役割を果たしていたといいます。
また、野外博物館として、キルギス各地から集められた、、「石人」が並んでいます。
この「石人」は、突厥(6~8世紀)の戦士の墓だといわれています。>
http://4travel.jp/travelogue/10828903


<アクベシム遺跡はソグド人都市を前身とする[36]、7世紀の都城遺跡である。
当時この地を支配していたのは西突厥で、玄奘もこの地で西突厥の可汗を訪ねている[63]。
しかし、唐は7世紀半ばにこれを滅ぼし、砕葉城を置いたのである[64]。

バラサグンはカラハン朝の首都、
ついで西遼の首都となった遺跡で[65]、高さ24 m の円錐塔「ブラナの塔」が残る[66]。

クラスナヤ・レーチカはチュー渓谷、タラス渓谷を含むセミレチエ地方で最大とされる遺跡で、
全体は21世紀初頭の時点でも発掘しきれていない[67]。時期は7世紀から9世紀とされる[68]。>
長澤和俊編 『シルクロードを知る事典』 東京堂出版、2002年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89_(%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3)

Uzgen Archaeological-Architectural Museum Complex (ウズゲン)

スイアブ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%96

ベラサグン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%B3

Krasnaya Rechka
https://en.wikipedia.org/wiki/Krasnorechenskoye

シルクロード:長安-天山回廊の交易路網 - (2014年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89_(%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3)

2016-06-27

中央アジアの文化遺産3

午後の講演のメモ 追加

カザフスタン

北部のボタイ遺跡
<馬の骨が大量に発掘された遺跡
ボタイ遺跡は銅石器時代の集落址で、
1970年代から1980年代にかけての15シーズンにわたる調査で
30万点(10万トン)にのぼる骨の資料が出土し、そのうち99.9パーセントが馬の骨であった。
(この遺跡の)補正された年代は、5500~5000年前とされている。
その後馬の骨の放射性炭素による年代測定で、
馬の頭骨は前790~前520年、歯は前410~前200年とわかり、
この馬に関しては後世のスキタイ時代の埋納と訂正せざるを得なくなってしまった。>
「スキタイと匈奴 遊牧の文明」林俊雄 講談社
デレイフカ遺跡とボタイ遺跡/馬の騎乗はいつからか? 11/02/24
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=246216


<カザフスタンのボタイ遺跡からは紀元前3500年頃の馬遺体が多数出土している[6]。
ボタイ遺跡の馬遺体は後述のデレイフカ遺跡の事例と同様に馬の頭骨埋納とみられる出土事例があり、
馬を制御するための馬具である銜(はみ)痕が確認される[7]。
さらに出土した土器から馬乳に由来する脂肪酸が検出されていることから
家畜化が進行していた可能性が考えられている[8]。>
『甲斐の黒駒-歴史を動かした馬たち-』山梨県立博物館、2014年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%AB%E9%81%BA%E8%B7%A1

<カザフスタンのバクタルマ (Bukhtarma) 谷にあるベレル (Berel) 墓地の11号墳 (クルガン) には、
紀元前300年頃の墓が1998年に発掘調査された。
この墓には、12体の殉葬された馬が皮膚や体毛や轡などの馬具、
そして完全な形の鞍がつけられた状態で確認された。
これらの馬は、盗掘で荒らされた二体のスキタイ貴族の遺体のある玄室の隣に、
白樺樹皮の「ベッド」に隣り合わせに並べて葬られていた。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3

<アルマティ カザフスタン国立中央博物館 「黄金人間」
アルマトイ近郊のイッシク古墳から出土したもののレプリカ
紀元前4~前3世紀ころのサカ族の王子と考えられます。>
http://www.isekineko.jp/kazakhstan-almaty.html
Issyk kurgan
https://en.wikipedia.org/wiki/Issyk_kurgan

<カザフスタン南部のアルアマタの東方約50kmに位置するイシク=クルガン (Issyk kurgan) では、
女性と思われる遺体が葬られていることが1996年の調査で確認された。
カザフスタンの婚姻に用いられる庇付き帽子状の冠を含めた4000個体もの黄金製品が副葬品として確認された。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3

L.I.アルバウム、B.ブレンチェス(大林太良監訳 樋口大介、高浜秀訳)  
   『黄金の番人-古代の中部アジア-』泰流社(1983)

<サルマタイの名が初めて登場するのは紀元前4世紀のギリシアの著作である。
それ以前はヘロドトスなどに記されたように、サウロマタイという名前のよく似た民族が登場していた。
サウロマタイはサルマタイの直接の祖先とされ、
考古学的にはドン川から西カザフスタンにいたるまでの
地域における紀元前7世紀から紀元前4世紀の文化をサウロマタイ文化とし、
それに続く文化をサルマタイ文化(紀元前4世紀 - 紀元前2世紀)としている。>
護・岡田編 1990:『中央ユーラシアの世界』 護雅夫・岡田英弘、山川出版社〈民族の世界史 4〉、1990年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4

タムガリは、カザフスタンのアルマトイ州にある峡谷である。
<最大都市アルマトイからは北西に約180 km のところにある。
一帯には紀元前14世紀以降に描かれた5000点にのぼる岩絵(線刻画)群が残されており、
周辺に残る住居跡や祭祀場跡と推測されている遺跡群とともに、
中央アジアにおける傑出した文化的景観を形成している。
2004年には、中央アジアに残る岩絵群の中で、初めてユネスコの世界遺産リストに登録された。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A0%E3%82%AC%E3%83%AA
https://en.wikipedia.org/wiki/Tamgaly

サウラン遺跡
Sauran
Сауран
https://kk.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D0%B0%D1%83%D1%80%D0%B0%D0%BD
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D0%B0%D1%83%D1%80%D0%B0%D0%BD

カザフスタン南部の都市サウランの最新調査と新発見
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/24944/1/AA12423175-67-19-26.pdf

<モンゴル帝国時代の遺跡がある。保存状態がとてもよく当時の門や通路、城壁などが残っている。>
The intimate ruins of Sauran, Kazakhstan
http://caravanistan.com/places/sauran/

オトラル
<オトラル (Otrar) は、中央アジアの歴史的都市遺跡。
シル川中流の右岸、支流アリス川との合流点近く(現カザフスタン南部南カザフスタン州)に位置する。
旧称はバーラーブ(Bārāb/Fārāb)[1]。>

<13世紀にモンゴル帝国により攻略され、徹底的な破壊を受けた。
その後復興して数百年にわたって栄えたが、のちに衰亡し、現在は内城の廃墟が残るのみである。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB

<1218年、チンギス・ハーンはホラズム王国の町オトラルに使節団を送ります。
しかしオトラルの城主は使節団を皆殺しにしたため、翌年チンギス・ハーンは報復のためオトラルの町を攻め落とします。
この「オトラル事件」を機に、チンギス・ハーンの西方遠征が始まり、遠くヨーロッパまで遠征することになります。
また、オトラルは1405年、中国遠征の途中でチムールが没した場所でもあり、歴史上とても意義深い町です。 >
http://www.saiyu.co.jp/special/central_asia/midokoro/kazakhstan/

2016-06-26

中央アジアの文化遺産2

第二部
カザフは文化資源の話。
カザフスタン北部のボタイ遺跡
ベレル (Berel) 墓地
タムガリ遺跡
サウラン遺跡 オトラル遺跡…などなど

キルギスは文化財の保護の話。
シルクロードの中心地で、パミール~アライルートのほか
北と南にそれぞれ1本ずつ、合計3本のルートが通っているとのこと。
アクベシム遺跡
クラスナヤレチカ
ブラナの塔


山内先生は世界遺産委員会、シルクロードの世界遺産の話。
2014年に登録された
シルクロード:長安-天山回廊の交易路網
について

タジクはアレキサンドリア、独立以前の文字文化の保護、教育・学校の普及、文字資料の収集、アーカイブのデジタル化の話。

トルクメニスタンは5つめの古代文明の話(古代マルギアナ~ゴヌールテペ)。修復、保護のための法の整備。

ウズベクはサマルカンド・ブハラ・ヒワ・シャフリサブスを元に復元するという話。
    他にも王女と建築家の悲恋の遺跡(墓)。
    エルミタージュ美術館で中国の花瓶が発見されたが、実は日本のものだったという話などなど…。
無茶苦茶盛りだくさんで、消化が追いつかない一日でした。


第2セッション: 「文化資源の未来」
ファシリテーター  河東哲夫(元駐ウズベキスタン大使)
Khankeldy Abzhanov(カザフスタン歴史民族学研究所長)
Bakyt Amanbaeva(キルギス科学アカデミー歴史・文化遺産研究所文化遺産課長)
山内和也(帝京大学文化財研究所教授、前・東京文化財研究所地域環境研究室長)
Lola Dodkhudoeva(タジキスタン科学アカデミー言語学・文学・東洋学・文字資料研究所主任研究員)
Muhametdurdy Mamedov(トルクメニスタン歴史文化記念物保護研究修復局長)
Bakhtiyar Babadjanov(国立東洋学大学・アル=ビールーニー東洋写本研究センター首席研究員)


それから強く印象に残ったのは、河東哲夫氏の補足説明が大変面白く、
ファンになってしまいました。
ウズベキスタン・タジキスタン大使などを歴任なさった方だとか。
大変事情をよくご存じで、要領よくまとめて補足説明をしてくれて、
すごく助かりました。
著書もあるとか。読んで見ようかな。


『ソ連社会は変わるか』(サイマル出版会、嵯峨冽名義)
『ソ連の試練』(サイマル出版会、嵯峨冽名義)
『ロシアにかける橋』(サイマル出版会)
『遙かなる大地』(ヴァグリウス社、草思社、熊野洋名義)
『意味の解体する世界へ』(草思社、2004年)
『外交官の仕事』(草思社、2005年)
『ロシアにかける橋―モスクワ広報・文化交流ノート』(かまくら春秋社、2006年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%9D%B1%E5%93%B2%E5%A4%AB

バクトリア・マルギアナ複合(オクサス文明)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E8%A4%87%E5%90%88

マルグッシュ遺跡(ゴヌール・テペ)
https://en.wikipedia.org/wiki/Gonur_Tepe
http://ntooffice.blog21.fc2.com/blog-entry-994.html?sp
http://blog.livedoor.jp/saiyutravel-silkroad/archives/51875827.html
http://www.lait.jp/serial/serial_asiaseye415.html
http://blog.goo.ne.jp/sekai-kikoh-2007/e/8e513298c14ac69d07b23c84ee7e46b6

トルクメニスタン政府観光局~世界遺産
http://turkmenistan-japan.com/unesco/
プロフィール

アシーン

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