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中東で熱波

0809
イラン南部で、70℃を観測。
え、70℃…!?
ドバイの対岸のケシュム島の辺りですよね。
https://twitter.com/mokosamurai777/status/1689105791561998336

The temperature in Bandar-Abbas, Iran, on August 8, 2023, was recorded as a daytime high of 39°C (102°F).
https://www.timeanddate.com/weather/iran/bandar-abbas/historic?hd=20230808

These temperatures have produced heat index ("feels like") temperatures in Bandar-Abbas of up to 54°C (129°F).
https://www.theweathernetwork.com/ir/last-24-hours/hormozgan/bandar-abbas

こちら、観測温度ではなく、heat index=暑さ指数=体感温度ですね。
https://twitter.com/mokosamurai777/status/1689129605557587969

Bandar AbbasのWether recordを参照してみましたところ、気温40度以上に加えて
『湿度50〜60%』

実際にNOAAウェブサイトのHeat Index計算機に8/7付近の最高気温42度、湿度60%を入れてみたところ、確かにHeat Indexが70℃相当となりました。非常に厳しい環境です‥
https://twitter.com/SHIMASHObio/status/1689258441657769984
https://www.wpc.ncep.noaa.gov/html/heatindex.shtml

0810
中東で熱波が発生してるのは確かなようです。
イラクの北部、キルクークでは、最低気温37℃、最高気温51度という状況。
最低気温37℃、熱帯夜とか言うレベルではない…。
トルコでも48.4℃を観測。
コーカサスから中東が真っ赤になっています。
https://twitter.com/mokosamurai777/status/1689379035154153475


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ノウルーズのお飾り

haftsin

イランの新年は春分の日で
ノウルーズといい、「新しい日」という意味で
そのお飾りがいつも素敵なのですが、
今年はもう、過ぎてしまって、診られないと諦めていたら
ボルボルでまだ飾られていました。
haftsin22d.jpg
金魚は狭くてかわいそうだからと、奥の水槽に引っ越していました。

haftsin22c.jpg
伝説の杯

haftsin22b.jpg

メソポタミアとインダスの間

ジーロフトの遺跡はまさに
最近話題になっている「メソポタミアとインダスの間」を繋ぐ存在なんですよねぇ。
テペ・ヤフヤにも近いし、シャフリ・ソフタも関係してそう。

ケルマーンに行ったとき、ガイドさんが、
この辺は遺跡が沢山眠っているとおっしゃっていたのを思い出します。

こちらの紹介がわかりやすいです。

「エラムとインダスの間」
https://55096962.at.webry.info/202103/article_6.html
メソポタミアとインダスの間、知られざる「湾岸文明」の話
https://55096962.at.webry.info/201602/article_16.html

lapilazriroad_kudo.jpg

イラン高原におけるラピスラズリ交易-工藤悠大
筑波大学先史学・考古学研究第 26号 65-80 2015. 研究ノート
TAS_26-65.pdf
https://irdb.nii.ac.jp/00843/0001635059

初期メソポタミア史のなかのディルムン、マガン、メルハ
前川 和也 国士舘大学21世紀アジア学部
森 若葉 総合地球環境学研究所
72743712.pdf
『セム系部族社会の形成
(文部科学省科学研究費補助金「特定領域研究」
Newsletter) No.11 2008年
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-17063006/
総合地球環境学研究所-インダスプロジェクト-報告書-成果報告書 2007
https://chikyu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=297&item_no=1&page_id=34&block_id=108
Newsletter No. 11 - 国士舘大学
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter11.pdf

tepeyahya.jpg

テペ・ヤフヤ(ヤヒヤ) Tepe Yahya
https://en.wikipedia.org/wiki/Tepe_Yahya

transelam01.jpg

忘れへんうちに~ イラン国立博物館 クロライト製品
http://avantdoublier.blogspot.com/2018/02/blog-post_6.html
ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 展図録」 2006年 朝日新聞社・東映

Shahr-e Sukhteh01.jpg

シャフリ・ソフタ
紀元前4千年紀後半~前3千年紀の遺跡
2014年、世界文化遺産に登録
シャフリ・ソフタは2014年に新しく登録された世界遺産で、
シースターン地方,ヘルマンド河畔にある青銅器時代の遺跡。
シャフリ・ソフタとはペルシャ語で『焼失の町』を意味する。
https://世界遺産ハンター.com/worldheritage/iran/

ユネスコのフォトギャラリーからシャフリ・ソフタ遺跡の写真を見る事が出来る。
http://whc.unesco.org/en/list/1456/gallery/

シャフレ・ソフテ/シャフリ・ソフタ Shahr-e Sukhteh wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%86

こもれびの日記 - 世界遺産シャフリソフタ@イラン
https://blog.goo.ne.jp/komorebi_rebi1998/e/8e0dff6b08363cc2bad0dad5047174c3

Panorama Photo Hunter - 中東北部41-3 ケシム島ルート砂漠
https://www.panoramaphotohunter.com/%E7%9B%AE%E6%AC%A1/%E4%B8%AD%E6%9D%B1-%E5%8C%97%E9%83%A8-41-3-%EF%BD%B9%EF%BD%BC%EF%BE%91%E5%B3%B6-%EF%BE%99%EF%BD%B0%EF%BE%84%E7%A0%82%E6%BC%A0/

Jiroft
https://en.wikipedia.org/wiki/Jiroft

Jiroft culture
https://en.wikipedia.org/wiki/Jiroft_culture

洪水で発見、イランの未知の文化2

新発見の古代都市文化

< 2003年2月、イランの考古学者ユーセフ・マジシザデー氏が率いるチームが、ジーロフト近郊の発掘調査を開始した。
発掘チームは、主要な共同墓地を特定し、マフトゥタバードと名付けた。
盗掘品の大半はここで見つかったと考えられている。
また発掘チームは、マフトゥタバードから西に1.5キロほど離れた平地にそびえる2つの人工的な塚も調べることにした。

どちらにも大規模な建築物の遺構が埋まっていることが判明し、
北の塚からは礼拝所が、南の塚からは城塞が発掘された。
さらに、塚のふもとの地下数メートルからは、小規模な建物の遺構も見つかった。
今では、この2つの塚は、数キロ四方に広がる1つの都市の一部であったと考えられている。

第1期の発掘調査は2007年まで続き、ジーロフト文化の存在がはっきりした。
マジシザデー氏はチームの調査結果を論文にまとめ、都市の中心部は紀元前5千年紀(紀元前5000年~前4001年)の終わりごろに建設されたと推測した。
氏は論文で、「紀元前3千年紀には、ジーロフトは多くの人が住む主要な都市であった。
その中心はハリル川の谷間にあり、堂々たる建築物、大規模な工芸品生産エリア、居住区に加え、城壁の外には広大な共同墓地があった」と主張している。

考古学者たちが発見した遺物の多くは、
方解石、緑泥石、黒曜石、ラピスラズリなどの半貴石に彫刻を施したもので装飾されていた。
後述するように、この都市の住民は、メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、
今日のイラクとほぼ一致する)の都市と密接な関係を持っていたことがうかがえる。

コナール・サンダル南にあった城塞は堂々たるレンガの壁に囲まれていたうえ、
いくつかの部屋があったことが、綿密な発掘調査からわかっている。
射性炭素年代測定からは、紀元前2500~前2200年に建てられたことも判明した。

ジーロフト遺跡の発掘は7年間中断されていたが、2014年に再開された。
発掘調査にはイランの考古学者のほかにイタリア、フランス、ドイツなどの学者も参加しており、
青銅器時代のジーロフトの人々に関する、より詳細な情報が明らかになってきている。>
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO69833220Q1A310C2000000/

洪水で発見、イランの未知の文化 

おお!
素晴らしい!
jiroft01.jpg

洪水で発見、イランの未知の文化 歴史書き換える?
2021/3/26
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO69833220Q1A310C2000000/

<2001年、骨董品市場に突然、大量の考古学的遺物が売られはじめた。
独特な宝石や、武器、精巧な作りの陶器、酒器、ゲームボードなど、
いずれも芸術性が非常に高く、カーネリアン(紅玉髄)とラピスラズリの見事な象眼細工が施されていた。

 作品には、動物が象徴的に表現されており、動物どうしや人間との戦いも描かれていたが、
常に人間が勝利していた。
動物たちが広大なヤシの木立の中で草をはむ牧歌的な風景や、寺院や宮殿などを描いた作品もあった。

2002年、イラン警察がその謎を解いた。
数人の密売人を逮捕し、大量の工芸品を押収したのだ。
その大半が、イラン南東部のジーロフトという地方都市から40キロほど南の
ハリル川渓谷で盗掘された遺物
だった。

 盗掘のきっかけは2001年初めの洪水だった。
ハリル川が氾濫して周辺の土地が浸食されたことで、古代の共同墓地の遺跡が露出したのだ。
地元の人々や盗掘者たちは遺物の価値をいち早く見抜き、収集と販売にのり出したというわけである。

考古学者の正式な調査により、この共同墓地は、
今から5000年近く前の青銅器時代にさかのぼる未知の文化のものであることが明らかになった。
盗掘者たちはすでに数千の墓を物色し、遺物を奪っていたが、
考古学者たちは残された部分の調査を行うことにした。
露出した遺跡をできるだけ保全し、
つてこの地にあった古代文化とそこで暮らした人々のことをより詳しく明らかにしようと、
世界各地の大学から考古学者が発掘チームに加わって取り組んでいる。>

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アシーン

Author:アシーン
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