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2021-04-07

メソポタミアとインダスの間

ジーロフトの遺跡はまさに
最近話題になっている「メソポタミアとインダスの間」を繋ぐ存在なんですよねぇ。
テペ・ヤフヤにも近いし、シャフリ・ソフタも関係してそう。

ケルマーンに行ったとき、ガイドさんが、
この辺は遺跡が沢山眠っているとおっしゃっていたのを思い出します。

こちらの紹介がわかりやすいです。

「エラムとインダスの間」
https://55096962.at.webry.info/202103/article_6.html
メソポタミアとインダスの間、知られざる「湾岸文明」の話
https://55096962.at.webry.info/201602/article_16.html

lapilazriroad_kudo.jpg

イラン高原におけるラピスラズリ交易-工藤悠大
筑波大学先史学・考古学研究第 26号 65-80 2015. 研究ノート
TAS_26-65.pdf
https://irdb.nii.ac.jp/00843/0001635059

初期メソポタミア史のなかのディルムン、マガン、メルハ
前川 和也 国士舘大学21世紀アジア学部
森 若葉 総合地球環境学研究所
72743712.pdf
『セム系部族社会の形成
(文部科学省科学研究費補助金「特定領域研究」
Newsletter) No.11 2008年
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-17063006/
総合地球環境学研究所-インダスプロジェクト-報告書-成果報告書 2007
https://chikyu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=297&item_no=1&page_id=34&block_id=108
Newsletter No. 11 - 国士舘大学
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter11.pdf

tepeyahya.jpg

テペ・ヤフヤ(ヤヒヤ) Tepe Yahya
https://en.wikipedia.org/wiki/Tepe_Yahya

transelam01.jpg

忘れへんうちに~ イラン国立博物館 クロライト製品
http://avantdoublier.blogspot.com/2018/02/blog-post_6.html
ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 展図録」 2006年 朝日新聞社・東映

Shahr-e Sukhteh01.jpg

シャフリ・ソフタ
紀元前4千年紀後半~前3千年紀の遺跡
2014年、世界文化遺産に登録
シャフリ・ソフタは2014年に新しく登録された世界遺産で、
シースターン地方,ヘルマンド河畔にある青銅器時代の遺跡。
シャフリ・ソフタとはペルシャ語で『焼失の町』を意味する。
https://世界遺産ハンター.com/worldheritage/iran/

ユネスコのフォトギャラリーからシャフリ・ソフタ遺跡の写真を見る事が出来る。
http://whc.unesco.org/en/list/1456/gallery/

シャフレ・ソフテ/シャフリ・ソフタ Shahr-e Sukhteh wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%86

こもれびの日記 - 世界遺産シャフリソフタ@イラン
https://blog.goo.ne.jp/komorebi_rebi1998/e/8e0dff6b08363cc2bad0dad5047174c3

Panorama Photo Hunter - 中東北部41-3 ケシム島ルート砂漠
https://www.panoramaphotohunter.com/%E7%9B%AE%E6%AC%A1/%E4%B8%AD%E6%9D%B1-%E5%8C%97%E9%83%A8-41-3-%EF%BD%B9%EF%BD%BC%EF%BE%91%E5%B3%B6-%EF%BE%99%EF%BD%B0%EF%BE%84%E7%A0%82%E6%BC%A0/

Jiroft
https://en.wikipedia.org/wiki/Jiroft

Jiroft culture
https://en.wikipedia.org/wiki/Jiroft_culture
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2021-04-06

洪水で発見、イランの未知の文化2

新発見の古代都市文化

< 2003年2月、イランの考古学者ユーセフ・マジシザデー氏が率いるチームが、ジーロフト近郊の発掘調査を開始した。
発掘チームは、主要な共同墓地を特定し、マフトゥタバードと名付けた。
盗掘品の大半はここで見つかったと考えられている。
また発掘チームは、マフトゥタバードから西に1.5キロほど離れた平地にそびえる2つの人工的な塚も調べることにした。

どちらにも大規模な建築物の遺構が埋まっていることが判明し、
北の塚からは礼拝所が、南の塚からは城塞が発掘された。
さらに、塚のふもとの地下数メートルからは、小規模な建物の遺構も見つかった。
今では、この2つの塚は、数キロ四方に広がる1つの都市の一部であったと考えられている。

第1期の発掘調査は2007年まで続き、ジーロフト文化の存在がはっきりした。
マジシザデー氏はチームの調査結果を論文にまとめ、都市の中心部は紀元前5千年紀(紀元前5000年~前4001年)の終わりごろに建設されたと推測した。
氏は論文で、「紀元前3千年紀には、ジーロフトは多くの人が住む主要な都市であった。
その中心はハリル川の谷間にあり、堂々たる建築物、大規模な工芸品生産エリア、居住区に加え、城壁の外には広大な共同墓地があった」と主張している。

考古学者たちが発見した遺物の多くは、
方解石、緑泥石、黒曜石、ラピスラズリなどの半貴石に彫刻を施したもので装飾されていた。
後述するように、この都市の住民は、メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、
今日のイラクとほぼ一致する)の都市と密接な関係を持っていたことがうかがえる。

コナール・サンダル南にあった城塞は堂々たるレンガの壁に囲まれていたうえ、
いくつかの部屋があったことが、綿密な発掘調査からわかっている。
射性炭素年代測定からは、紀元前2500~前2200年に建てられたことも判明した。

ジーロフト遺跡の発掘は7年間中断されていたが、2014年に再開された。
発掘調査にはイランの考古学者のほかにイタリア、フランス、ドイツなどの学者も参加しており、
青銅器時代のジーロフトの人々に関する、より詳細な情報が明らかになってきている。>
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO69833220Q1A310C2000000/

2021-04-05

洪水で発見、イランの未知の文化 

おお!
素晴らしい!
jiroft01.jpg

洪水で発見、イランの未知の文化 歴史書き換える?
2021/3/26
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO69833220Q1A310C2000000/

<2001年、骨董品市場に突然、大量の考古学的遺物が売られはじめた。
独特な宝石や、武器、精巧な作りの陶器、酒器、ゲームボードなど、
いずれも芸術性が非常に高く、カーネリアン(紅玉髄)とラピスラズリの見事な象眼細工が施されていた。

 作品には、動物が象徴的に表現されており、動物どうしや人間との戦いも描かれていたが、
常に人間が勝利していた。
動物たちが広大なヤシの木立の中で草をはむ牧歌的な風景や、寺院や宮殿などを描いた作品もあった。

2002年、イラン警察がその謎を解いた。
数人の密売人を逮捕し、大量の工芸品を押収したのだ。
その大半が、イラン南東部のジーロフトという地方都市から40キロほど南の
ハリル川渓谷で盗掘された遺物
だった。

 盗掘のきっかけは2001年初めの洪水だった。
ハリル川が氾濫して周辺の土地が浸食されたことで、古代の共同墓地の遺跡が露出したのだ。
地元の人々や盗掘者たちは遺物の価値をいち早く見抜き、収集と販売にのり出したというわけである。

考古学者の正式な調査により、この共同墓地は、
今から5000年近く前の青銅器時代にさかのぼる未知の文化のものであることが明らかになった。
盗掘者たちはすでに数千の墓を物色し、遺物を奪っていたが、
考古学者たちは残された部分の調査を行うことにした。
露出した遺跡をできるだけ保全し、
つてこの地にあった古代文化とそこで暮らした人々のことをより詳しく明らかにしようと、
世界各地の大学から考古学者が発掘チームに加わって取り組んでいる。>

2018-02-19

チャリティーバザー@イラン大使館

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イラン西部地震の被災地支援のため、チャリティバザーが開催されました。
友人に誘われて、久しぶりに行ってきました。

gardian1802irane.jpg

どれも美味しく、しっかりテイクアウトも。

gheime1802irane.jpg
ゲイメ・ポロウ(豆のトマトシチューとピラフ)
(隣のシリン・ポロは売り切れでした。)

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ゼレシュク・ポロウ・バーモルグ(バーベリーの混ぜご飯と鶏肉)

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マカロニ(イラン風パスタ)

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バラのシフォンケーキ

バムのデーツ
ニンジンジャム
dets1802irane.jpg

他にもケバブサンドとか、バーベキュー、クビデケバブとか、
ありましたが、もうお腹いっぱいで…残念
それからおすそ分けでいただいた売り切れていたスイーツとか。他にもあったらしい。
奥でチャイを振る舞っていたけど、人がいっぱいで無理とか
あとザクロジュースとか、ジャムとか、…
重くてもう持てないので諦め(笑)

もちろん、絨毯とか、更紗とか、化粧品とか、工芸品とか、写真集とか
いろいろ、色々ありました。

今度はもっと早く行かねば!

2016-10-10

平城京にペルシャ人の役人?

平城京にペルシャ人の役人か 8世紀の木簡に記述 #nhk_news

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161005
https://twitter.com/nhk_news/status/783615726712004608

100 bahram ‏@100bahram 10月5日
「大学寮解 申宿直官人事 員外大属 破斯清通 天平神護元(765)年」
https://twitter.com/100bahram/status/783631450088157185

春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
破斯(<波斯?)がペルシア人を指すとすると、「清通」の方をうまく説明しないといけないが、全く思い付かない(^^;)。

minaba ‏@comoesta178 10月5日
@HarutaSeiro そもそも奈良時代の日本って文脈で、波斯=ペルシアはアリなのか、が知りたい。月氏(支)の例もあるし。

春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
@comoesta178遣唐使の中には当然波斯=ペルシアという知識を持っていたのはいるだろうし、その知識は日本にも伝わってておかしくない。問題は続日本紀736年の波斯人李密翳、日本書紀660年覩貨邏人乾豆波斯達阿だけど、ペルシア人(トハリスタン等東方含む)でも良さそうにみえる。

minaba ‏@comoesta178 10月5日
@HarutaSeiro まあそれだよな。波斯みたいな名前には、地理的、政治的、経済的等々の側面があるわけで(外見的なのも?)、限定的なペルシアと=で結ぶのはやや躊躇われる。康性の人物が敦煌出身とかね。あと本人の名乗りの意図とかも(波斯じゃないんだけど、波斯の方が箔が付く)。
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783593203228286976


100 bahram
‏日本暮らしが長くて、日本風の名を名乗っていたのか?
https://twitter.com/100bahram/status/783637758916997120

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月7日
Tasnim「1人のイラン人が1000年前日本人に数学を教えていた」http://www.tasnimnews.com/fa/news/1395/07/16/1206865/ …
「奈良のペルシア人」について、イラン・メディア記事。「日本とイランは7世紀以降交易関係を持っていたとされるが、新たな調査で両国の関係はより古いことが明らかに」
https://twitter.com/khargush1969/status/784540418327339008

100 bahram ‏@100bahram 10月8日
平城京にペルシャ人の役人がいたことが判明。「破斯清通」ってどんな人? http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/05/nara-heijyou-kyu-persia_n_12349792.html … @HuffPostJapanさんから
渡邉先生は「破斯清道」さんが数学を教えていたなんて本当に言ったんですかね~。ペルシア語通訳では?
https://twitter.com/100bahram/status/784573957567545344

100 bahram ‏@100bahram 10月8日
平城宮にペルシャ人役人 - 名前記した木簡が出土/平城宮跡 8世紀中期 | 考古学 | 奈良新聞WEB http://www.nara-np.co.jp/20161006085811.html … @nara_npさんから
「破斯清通は続紀の李密翳本人か、家族や従者だった可能性がある」と渡辺先生はおっしゃっておられますね。
https://twitter.com/100bahram/status/784577631849222146

100 bahram ‏@100bahram 10月8日
直近に「波斯人李密翳」の例があるだけに、清通の姓を「波斯」ではなく「破斯」と書いたことには何か意味がありそうに思える。
https://twitter.com/100bahram/status/784581007164973056


春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月4日
↓RT 波斯は南海にもあるからなぁ。速断はできない(そっちの方がより不思議か)。
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783445556915871744


春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
とりあえず、杉田英明先生の『日本人の中東発見』第一章「波斯と大食」が基本的概説かな。た
だこれでも古い時代のことはあまり分からない。南海の波斯は唐でも後の方なので、やはりイラ
ンの方?
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783553619295608832

春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
↓RT 「清通」て日本名にみえますよねぇ。そうだとすると、そもそもペルシア人かどうかも怪
しくなってくる。ちなんで名乗っていただけかもしれないし…。まあ2世などの可能性もありま
すけど。
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783644309014781953

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
井本英一(2006)「イラン文化の日本への流入」『イラン研究』2, 1-39.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006177794 …
(相変わらず)奔放、縦横無尽、出典なし(笑)。でも面白い。

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
WATABE RyokoさんがWATABE Ryokoをリツイートしました
https://twitter.com/khargush1969/status/783940925579890688 …
この論文は、こちらに収録されているのかな?「飛鳥のペルシア人」も。
井本英一(2007)『神話と民俗のかたち』東洋書林
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009223589-00 …

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
井本英一(2011)『東西交渉とイラン文化』勉誠出版(アジア遊学 137)
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=22603 …
イラン文化の東への伝播と日本への到達については、こちらも面白いのだ(これも井本先生パワ
ーの賜物だと思う)。
https://twitter.com/khargush1969/status/783940925579890688

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
「破斯清通(はしのきよみち)」さん、もうウィキペディア項目が作られていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E6%96%AF%E6%B8%85%E9%80%9A …
現時点で公開されている木簡の情報が整理されていて、よく作られている感じ。#jawp
https://twitter.com/khargush1969/status/784171015496605696
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