2016-10-10

平城京にペルシャ人の役人?

平城京にペルシャ人の役人か 8世紀の木簡に記述 #nhk_news

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161005
https://twitter.com/nhk_news/status/783615726712004608

100 bahram ‏@100bahram 10月5日
「大学寮解 申宿直官人事 員外大属 破斯清通 天平神護元(765)年」
https://twitter.com/100bahram/status/783631450088157185

春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
破斯(<波斯?)がペルシア人を指すとすると、「清通」の方をうまく説明しないといけないが、全く思い付かない(^^;)。

minaba ‏@comoesta178 10月5日
@HarutaSeiro そもそも奈良時代の日本って文脈で、波斯=ペルシアはアリなのか、が知りたい。月氏(支)の例もあるし。

春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
@comoesta178遣唐使の中には当然波斯=ペルシアという知識を持っていたのはいるだろうし、その知識は日本にも伝わってておかしくない。問題は続日本紀736年の波斯人李密翳、日本書紀660年覩貨邏人乾豆波斯達阿だけど、ペルシア人(トハリスタン等東方含む)でも良さそうにみえる。

minaba ‏@comoesta178 10月5日
@HarutaSeiro まあそれだよな。波斯みたいな名前には、地理的、政治的、経済的等々の側面があるわけで(外見的なのも?)、限定的なペルシアと=で結ぶのはやや躊躇われる。康性の人物が敦煌出身とかね。あと本人の名乗りの意図とかも(波斯じゃないんだけど、波斯の方が箔が付く)。
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783593203228286976


100 bahram
‏日本暮らしが長くて、日本風の名を名乗っていたのか?
https://twitter.com/100bahram/status/783637758916997120

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月7日
Tasnim「1人のイラン人が1000年前日本人に数学を教えていた」http://www.tasnimnews.com/fa/news/1395/07/16/1206865/ …
「奈良のペルシア人」について、イラン・メディア記事。「日本とイランは7世紀以降交易関係を持っていたとされるが、新たな調査で両国の関係はより古いことが明らかに」
https://twitter.com/khargush1969/status/784540418327339008

100 bahram ‏@100bahram 10月8日
平城京にペルシャ人の役人がいたことが判明。「破斯清通」ってどんな人? http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/05/nara-heijyou-kyu-persia_n_12349792.html … @HuffPostJapanさんから
渡邉先生は「破斯清道」さんが数学を教えていたなんて本当に言ったんですかね~。ペルシア語通訳では?
https://twitter.com/100bahram/status/784573957567545344

100 bahram ‏@100bahram 10月8日
平城宮にペルシャ人役人 - 名前記した木簡が出土/平城宮跡 8世紀中期 | 考古学 | 奈良新聞WEB http://www.nara-np.co.jp/20161006085811.html … @nara_npさんから
「破斯清通は続紀の李密翳本人か、家族や従者だった可能性がある」と渡辺先生はおっしゃっておられますね。
https://twitter.com/100bahram/status/784577631849222146

100 bahram ‏@100bahram 10月8日
直近に「波斯人李密翳」の例があるだけに、清通の姓を「波斯」ではなく「破斯」と書いたことには何か意味がありそうに思える。
https://twitter.com/100bahram/status/784581007164973056


春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月4日
↓RT 波斯は南海にもあるからなぁ。速断はできない(そっちの方がより不思議か)。
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783445556915871744


春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
とりあえず、杉田英明先生の『日本人の中東発見』第一章「波斯と大食」が基本的概説かな。た
だこれでも古い時代のことはあまり分からない。南海の波斯は唐でも後の方なので、やはりイラ
ンの方?
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783553619295608832

春田晴郎 ‏@HarutaSeiro 10月5日
↓RT 「清通」て日本名にみえますよねぇ。そうだとすると、そもそもペルシア人かどうかも怪
しくなってくる。ちなんで名乗っていただけかもしれないし…。まあ2世などの可能性もありま
すけど。
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/783644309014781953

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
井本英一(2006)「イラン文化の日本への流入」『イラン研究』2, 1-39.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006177794 …
(相変わらず)奔放、縦横無尽、出典なし(笑)。でも面白い。

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
WATABE RyokoさんがWATABE Ryokoをリツイートしました
https://twitter.com/khargush1969/status/783940925579890688 …
この論文は、こちらに収録されているのかな?「飛鳥のペルシア人」も。
井本英一(2007)『神話と民俗のかたち』東洋書林
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009223589-00 …

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
井本英一(2011)『東西交渉とイラン文化』勉誠出版(アジア遊学 137)
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=22603 …
イラン文化の東への伝播と日本への到達については、こちらも面白いのだ(これも井本先生パワ
ーの賜物だと思う)。
https://twitter.com/khargush1969/status/783940925579890688

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 10月6日
「破斯清通(はしのきよみち)」さん、もうウィキペディア項目が作られていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E6%96%AF%E6%B8%85%E9%80%9A …
現時点で公開されている木簡の情報が整理されていて、よく作られている感じ。#jawp
https://twitter.com/khargush1969/status/784171015496605696
スポンサーサイト

2016-06-18

イランで犬がブーム?

イランで犬がブームなのは、日本のアニメの影響?
…なんてニュースをやっていましたが、…???

献身的な犬の話の
日本の某アニメの影響で
犬を飼う人が増えているが、
イランでは犬を飼うのがとっても大変なのだそうで。

何のアニメなんだろう?
凄く気になります。

『フランダースの犬』?
『ペリーヌ物語』?
『家なき子』?
『ハイジ』?
いや他にも献身的な犬の出てくるアニメあったような…。

誰か教えて!


2015-10-05

ヘカトンピュロス

ヘカトンピュロスに行くツアー!
すごい!
ダームガーン、イラン最古のモスク・ターリー・ハーネモスクは
行きたいけど、砂漠はいいや。

春田晴郎
‏@HarutaSeiro
おお、
西遊旅行の「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」
1本は催行決定になってる。
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GEIR20/index.html …
めでたい。
写真提供しただけだけど、けっこう気になってた。
キャビール沙漠、今、ヤズドの方から縦断道も舗装されているし、
一度奥深く行ってみたい。
2015年8月12日
https://twitter.com/HarutaSeiro/status/631682055194062848


100 bahram
‏@100bahram
西遊とはいえ、こんなマニアックな企画が通るとは! 
しびれる…
https://twitter.com/100bahram/status/631790069171380224


キャビール砂漠と
失われた都・ヘカトンピュロス
未だ見ぬペルシャへ
<ダームガーン郊外に眠るパルティアの都、ヘカトンピュロスを訪問。
紀元前1世紀に、パルティアが建てた都の跡を探ります。
また、ダームガーンでは、イラン最古のモスク・ターリー・ハーネモスクを訪問。
ペルシャ文化が花開く以前の建築様式で造られたモスクをご覧ください。>

<パルティアの都 ヘカトンピュロス
紀元前3世紀、アレキサンダー大王亡き後に西アジアの領土を引き継いだセレウコス朝。
これを倒し、現在のイランを中心にメソポタミアからインダス川までを領土とした
アルサケス朝パルティアが興りました。

最盛期にはローマ帝国とも対峙したパルティアは、その都を各地に3つ建てます。
一番最初の都はトルクメニスタンのアシガバートに残るニサで、
かつてのミトラダトケルタと言われています。

次に建てた都が、ギリシャ語で「百の柱」と呼ばれるヘカトンピュロスでした。
カスピ海沿岸に建てられたと言われるこの都は、
3つ目の都クテシフォンがユーフラテスに建てられるまで、
パルティアの首都として機能しました。

クテシフォンに遷都した際、ヘカトンピュロスにあった建物は地中に埋められたため、
永らくこの都の跡の場所は謎に包まれたままでした。
近年の調査で、陶片に書かれた文書も発掘されていますが、
荒れ果てたままの広大な遺跡だけが、失われた都のように残っています。 >


2015-10-04

ハーフェズ廟

イランはシーラーズのハーフェズ廟!
ここのドームのタイルも素敵!
なつかしい!

AramgahHafezShiraz.jpg

ArchNet ‏@archnet 9月7日
Aramgah-i Hafez, Shiraz:
the pavilion with eight stone columns supporting an octagonal frieze
http://ow.ly/RTg8y
https://twitter.com/archnet/status/640909655624019968

2015-08-23

南ホラーサーンのモスクと城と墓

ティムール朝時代に、ほぼ11世紀前に建てられた南ホラーサーン、Qaenの古代のモスク
Qaen Mosque in eastern Iran
2015/08/22
The mosque’s portico graced by murals is the distinguishable part of the 1,000-plus-year-old structure.
The ancient mosque of Qaen in South Khorasan Province,
which was built almost 11 centuries ago during the Timurid era,
stills maintains its position as the tallest building of the town.
The mosque has a sundial and magnificent murals grace its portico.
Images of the mosque published online by the Islamic Republic News Agency:
http://iranfrontpage.com/iran-photos/2015/08/qaen-mosque-in-eastern-iran-photos/

Furgシタデルは、すべての近隣の村や道路を見落とす18ラウンドの望楼を持っている。
ネーダーシャー[ペルシャの王(1736年から1747年)]の時代
南ホラーサーンでFurg城塞は1747年に建てられました。

Alamutの城後
ニザール派イスマーイール派の信者のための二番目に重要な砦に使用された。

アフシャール朝とガージャール時代に、
数回改装された。
Furg Citadel in eastern Iran
August 18, 2015
Furg Citadel has 18 round watchtowers which overlook all nearby villages and roads.

Furg Citadel in South Khorasan was built in 1747
when Nader Shah [King of Persia (1736–47)] was in power.

Stones, bricks, stucco, and lime were used in the construction of the fort, which was the second most important training site for the followers of Nizari Ismaili after the Alamut Castle.

Furg has 18 round watchtowers which overlook nearby villages and roads. The interior of the structure shows that it has been renovated a few times to meet the need for more space during the Afsharid and Qajar eras.

The following are images of the citadel released by different websites:
http://iranfrontpage.com/iran-photos/2015/08/furg-citadel-in-eastern-iran-photos/

南ホラーサーン州で大きなペルシャ学者の墓の写真。
Bouzarjomehr Qayeniは
ガズニ【1030から1040へGhaznavid帝国の王]のMas'udの宮廷で仕えていた政治家、学者、神秘的な詩人でした。

The Tomb of Bouzarjomehr Qayeni in eastern Iran
2015/08/23
Photos of the tomb of the great Persian scholar in South Khorasan Province.

Bouzarjomehr Qayeni was a politician, scholar, mystic and poet who served in the royal court of Mas’ud I of Ghazni [a king of the Ghaznavid Empire from 1030 to 1040].
http://iranfrontpage.com/iran-photos/2015/08/the-tomb-of-bouzarjomehr-qayeni-in-eastern-iran-photos/
プロフィール

アシーン

Author:アシーン
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード