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2021-05-11

南アの洞窟

実は南アフリカの洞窟には人類の謎が沢山あるらしい

人類最古の“絵の具工房”、南アの洞窟
ブロンボス洞窟
-内側に鮮紅色(せんこうしょく)の粉末が付着した10万年前のアワビの貝殻2枚が発見
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5030/

南ア洞窟から顔料入り貝殻、石器時代の「工房」か
https://www.afpbb.com/articles/-/2834949

先史時代の「ハッシュタグ(#)」 世界最古の描画か 研究
https://www.afpbb.com/articles/-/3189451
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/pr-highlights/12685
s-africa-Blombos_Cave.jpg

ブロンボス洞窟 - Blombos Cave
https://ja.wikiqube.net/wiki/Blombos_Cave

古代の祖先の足跡を歩く 人類のゆりかご(世界遺産)
<人類の進化研究に豊富な化石をもたらした、石灰岩の地下洞窟の穴が点在>
http://south-africa.jp/meetsouthafrica_lists/2761/

マロティ‐ドラケンスバーグ公園
<<南アフリカ共和国のオカシュランバ・ドラケンスバーグには、
一帯に約8千年前から定住していたサン人が動物や人間を描いた、
およそ3千年前に製作されたと思われる壁画がある>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E5%A3%81%E7%94%BB
whc.unesco.org/ja/list/985

南アフリカの人類化石遺跡群
<500種類以上ものヒト科哺乳類の化石が発見されており、アウストラロピテクスの世界一の化石発掘量を誇ります。>
https://worldheritagesite.xyz/south-africa/

<スタークフォンテン渓谷にある多数の洞穴から、350万年以上前の人類進化の様相、
彼らの生活様式、彼らと共生していた動物などのおびただしい科学的情報がもたらされた。
この人類がオーストラロピテクス・ロブトゥスとオーストラロピテクス・アフリカヌスである。
現在も先史時代の景観の多くの特徴を保っている。
その後、タング・スカル化石遺跡を加え拡大登録。
遺跡内のマカパン渓谷には、考古学的に重要な多くの洞窟があり、
約330万年前に遡る人類の居住や進化が刻まれている。
ここで発見された化石群によって、初期原人の標本の鑑定や、
180万~100万年前に人類が火を獲得した証拠の検証が可能となった。 >
http://whc.unesco.org/ja/list/915

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8C%96%E7%9F%B3%E9%81%BA%E8%B7%A1%E7%BE%A4

heritagemap_s-africa.jpg
https://the-world-heritage.com/2020/02/basic-info-s-africa/

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2021-05-03

ナイル川の水資源

ナイル川の水はほとんどエジプトに辿り着かない。
途中で蒸発するか使われてる。という話

https://55096962.at.webry.info/202103/article_21.html

ナイル川はとても長くて、
上流で降った雨のじつに95%がエジプトの手前で蒸発霧散してしまい、
そもそもエジプトに辿り着かないらしい。


国際河川ナイル川の水資源(1) - AgriKnowledge
小林三樹
著 · 2003
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010683052.pdf

国際河川を巡る争い “ナイル川は誰のものか” -
グローバル・ウォーター・ナビ 29 下水道情報1852号
吉村和就
2017
http://gwaterjapan.com/writings/171010-gesui.pdf

River_Nile_route.jpg

2021-04-29

古代ガーナ王国

ガーナ王国、ちょっと調べてみました
現在のガーナ共和国とは別です。
Ghana_reich_karte.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ghana_reich_karte.png

Ghana_Trans-Saharan_Trade_11c.JPG
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kingdam_of_Ghana_%26_Trans-Saharan_Trade_about_11th_century.JPG

<首都:クンビ=サレー
西アフリカの貿易国家群のなかで,9~12世紀にかけて最も繁栄した最初の黒人王国。
サハラ砂漠とセネガル,ニジェール両川の上流にはさまれた地域に位置し,現ガーナ共和国とは異なる場所にあった。

住民の主体はマンデ語を話すソニンケ族 (→マンデ諸族 ) で,
北方のアラブ人やベルベル人の交易商人と南方の金や象牙の産地とを結ぶ仲介者の地位を占めた。

16~17世紀頃の年代記によると
最初の王は黒人ではなく,建国は 300年頃であったとされている。

8世紀のアラブ人の地理学者がこの国に言及しているが,
最盛期については 1067~68年にアル・バクリーが詳しく記録している。
その頃にはすでに黒人が支配していた。
正式の国名はワガドゥー Wagaduであったが,通称のガーナは王の称号に由来する。
国は部族連合から成っており,その他いくつかのガーナの名をもつ都市もあった。
首都は一定せず,その1つとしてクンビ・サレーが知られる。
11世紀になると,サハラ砂漠のベルベル系イスラム諸部族の攻撃を受け,
1076年にはモロッコのムラービト朝により首都が陥落した。
その支配は数年で終ったが,交易活動と農業は大きな打撃を受け,帝国は衰退した。
1203年には反乱を起したスス族が首都を占領し,
さらに 40年マリンケ族のスンディアタによって首都は破壊され,マリ帝国に併合された。>
ブリタニカ国際大百科事典


<8~11世紀に栄えたガーナ王国は,現在のモーリタニアの南東部に都があったと推定される。
当時まだこの地方までひろがっていた内陸水系
(その後乾燥化に伴って縮小し,ニジェール川の一部として,大湾曲部を形成したと考えられる)
に接していたと推定されるが,
この地帯が砂漠化したこと,
1077年にムラービト朝の聖戦によって都が破壊されたことなどから王国は急速に衰微した。>
世界大百科事典

<3世紀ごろスーダン語系のサラコレ族が建てたワガドゥグー王朝に始まるといわれる。
鉄器を使用し,南方の金産地と北方の塩産地を結ぶ貿易路に当たり,
ある程度中央集権的国家体制をとっていたとみられる。
最盛期には西アフリカの大半を領有したが,
11世紀急速にイスラム化し,北方のベルベル人の侵入で衰退,マリ帝国に継承された。
王国末期の首都クンビ・サレー(マリのバマコ北方約330km)は
1939年以来の発掘により最盛期には約3万人の人口を擁したイスラム都市であったことが判明した。>
平凡社百科事典マイペディア

<現在のモーリタニア南東部を中心に,マリ,アルジェリアの一部にかけてがその版図だった。>
平凡社世界大百科事典 第2版

wikiによる参考文献
グレアム=コナー著、近藤義郎・河合信和訳 
『熱帯アフリカの都市化と国家形成』 河出書房新社、1993年。
(原著)Connah,Graham, African Civilization, Cambridge University Press, 1986,

Oliver,Roland&Brian M.Fagan,
Africa in the Iron Age -c.500B.C.to A.D.1400-,

Cambridge University Press, 1975 (reprinted by 1999)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E7%8E%8B%E5%9B%BD

2021-03-07

トンブクトゥ写本

トンブクトゥ写本 - Timbuktu Manuscripts って何?

<13世紀から17世紀にかけて、特にマリ帝国とそれに続く王国の時期、
莫大な富に裏打ちされたトンブクトゥはイスラム文化の学術の中心地になっていた。
文学や数学、医学、法学など、イスラム世界の高度な知識が集まり、膨大な数の写本が作られた。
( 土造りの町、世界遺産トンブクトゥに迫る2つの危機 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト )

トンブクトゥ写本は多数あり、現存する写本も多く、
アフリカ史を研究するうえで貴重な資料となっている。
そのほとんどは個人の手に渡り、倉庫・洞窟・地下などに長らく大切に保管されてきた。
しかし、トンブクトゥはニジェール川の近くにあり、湿気やシロアリによる被害が進んでいた。

20世紀後半になって外国の文化基金やヨーロッパの大学の協力もあり、
組織的な収集が行われてきて、
国内のアーメド・ババ研究所(Ahmed Baba Institute)、
ママ・ハイダラ記念図書館(Mamma Haidara Commemorative Library)などへ、
またイスラム文化に関連した世界の大学・研究所への寄贈が行われている。

2012~13年のマリ北部紛争の終盤に、
こうした公共施設に保管されていた写本のほとんどが焼却されたと一部で報道されたが、
紛争中にひそかに首都のバマコへ搬出されて、安全に保管されていることが分かった。
(ジョシュア・ハマー(Joshua Hammer)著『アルカイダから古文書を守った図書館員』 )>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E5%86%99%E6%9C%AC
https://nipponkaigi.net/wiki/Timbuktu_Manuscripts

土造りの町、世界遺産トンブクトゥに迫る2つの危機
西アフリカの宗教と学術の中心地として栄えた町がおかれた今

2018.08.06
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/080300346/

歴史的手稿をアルカイダから救った勇敢な司書たち
トンブクトゥが誇る貴重な手稿はいかにして守られたのか

2016.06.16
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/061500217/

2021-03-05

「禁じられた歌声」の背景

映画『ティンブクトゥ』その時代背景

「トンブクトゥのウッドストック」のその後の世界だよね。

<主人公キダーンは青いターバンを巻いている。すなわちトゥアレグ族の設定だ。
トゥアレグ族は有史において、彼らが「アザワド」と呼ぶこの地に古くから棲み、放牧と交易を営んで生計とした。

その後、西洋が侵入しこの地一帯を植民地化。
1960年のアフリカ諸国の独立とともに、アザワドの地は国境線で5つの国に分割された。
マリやその周辺国の独立の歓喜は、トゥアレグにとっては強制分裂の悲哀を意味した。
(マリ北部、アルジェリア南部、ニジェール、ブルキナファソ北部、リビア南部)

彼らの多くはイスラム教徒であるが、それ以前に「ケル・タマシェク」(タマシェク語を話す人々)としての
独自の文化と生活規範を持っていた。
イスラム法典の規定以前に、女系社会の伝統を引き継ぎ、歌や踊りを大切にした。

映画の舞台背景の前夜となる2011年ころから、サヘル地域では目まぐるしくパワーポリティクスが動いた。

2011年、リビアのカダフィ体制が崩壊。
トリポリに渡っていた たくさんのトゥアレグがマリ北東部を中心としたアザワドの地に帰還した。
トゥアレグは傭兵に従事していたものが多く、武器と金とともに戻ってきた。
貧弱なマリ国軍との戦力の不均衡の中、バマコの中央政権とトゥアレグとの間の古傷が再燃。

2012年初から、散発的な紛争が起こると、マリ北部は徐々に内戦状態に突入していく。
さらに、2012年3月にバマコでクーデターが発生、国家機能や秩序は事実上崩壊する。

このような状況下でトゥアレグの攻勢が進んだ。
ただしトゥアレグ勢力の強硬派は武器をとって権利を主張したが、
急進派でさえ主張は無宗教であり、その他の住民に敵対する行動はとらなかった。

混乱に乗じてこの地に侵入し、勢力を広げたのが暴力的過激主義を擁するイスラム武装勢力だった。
主要な勢力はマグレブのアルカイダ(AQMI)、アンサール・ディーン、MUJAOの三つであった。

この中にはその後、2013年1月のアルジェリア・イナメナスガス田襲撃・人質事件を首謀する
モクタール・ベルモクタールも含まれていた。

これらのイスラム武装勢力は、当初はトゥアレグ勢力と共闘して支配地域を拡大するが、
その後はトゥアレグ勢力を凌駕し、マリ北部を占領・実効支配する。

そしてイスラム法典の極解を住民に強要し、非人道的な支配と恐怖の政治を押し付けた。
この彼らこそが、映画に描かれるイスラム武装勢力であり、
そしてこの映画の時代背景もちょうどこの時期なのである。>

ぶらぶら★アフリック
https://blog.goo.ne.jp/nbote/e/fb3203d3e0ea57af188e8a00abbf73eb
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