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2011-07-31

拍手、ありがとうございました~♪

嬉しいです!
いつもいつも、エネルギーをいただいています。

07/03 金比羅さん<06-01>
07/04 金比羅さん9<2011-06-09>
07/13 パオ<2011-06-21>
07/27 イラン考古学セミナー(2011年)1/北信濃の蓮寺へ
07/28 イラン考古学セミナー(2011年)1

コメント
11/07/03 rococoさん
2008-09-29ペルシアのお菓子へのコメント、ありがとうございました♪
ちょっとクセはあるけど、ホント、美味しいです!
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2011-07-28

関越のケバブ屋さん

nagano110723kebab.jpg

高速バスの休憩所で、行きも帰りも見かけたケバブ屋台。
ここまで、ポピュラーになっていたとは知らず、
ちょっとびっくりしました。

2011-07-27

信濃のそば

またも蕎麦三昧でございました。

馬曲温泉のおそばです。
http://www.maguseonsen.jp/

nagano110723spamagusesoba01.jpg
馬曲定食
笹寿司、手打ちそば、季節の天ぷら、
手作り冷奴が付いたお得な定食

nagano110723spamagusesoba02.jpg

名水火口そば
木島平村有機の里で育った「地元産のそば粉」。
平成の名水百選に選ばれた内山地区の「龍興寺清水」。
長野県北信地方のみで、そばのつなぎに使われる「雄山火口」を使った手打ちそば
(す、すみません…。撮る前に食べてしまいました…)
http://www.kijimadaira.jp/pdf/200909/0924sobapanfu.pdf

前にも書きましたが、
ここで自分はお蕎麦の美味しさに目覚めました。
やっぱり美味しいです。

そして
帰りには、また長野駅前の油やでそばを食べて。

nagano110723aburaya01.jpg

ええと、確か、じゃこ天とおくら天と、
長芋サラダ

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nagano110723aburaya03.jpg

鴨せいろだったと…。
http://www.n-aburaya.com/

ほんとは一昨年従兄弟に教えてもらって、去年も行った
「大久保西の茶屋」
http://ookubonisinochaya.jp/index.html
に行きたかったのですが、
あまり時間がなく、断念。
来年は行こうっと。

2011-07-26

北信濃-龍興寺清水

nagano110723mineral.jpg

そばにも使われている清水
平成の名水百選に選ばれた内山地区の「龍興寺清水」
ここにも、ちょっと寄ってもらいました。

サイトによると、
<龍興寺清水は木島平村内山地区の公民館の横(穂高1282‐4)に湧き出る清水で、
かつてこの地にあったお寺の名から、
龍興寺清水と呼ばれ周囲の住民達により大切に守られてきました。
寛文元年(1661年)萩原喜右エ門が
この清水を利用し紙すきをはじめ、
「内山和紙」として広く知られるようになりました。>とのこと。

nagano110723nobotoke.jpg

側に祠と弁財天さまがいるなあと思ったら、
龍興寺清水縁起によると、
 <龍興寺は治承年間に虎室と見竜によって
南隣泉家敷に創建された古刹である。
 正応2年、明窓寒(撤)住職が
撤通大禅師を招いて座禅供養会を催したとき、
1人の美女が来て
「某にも戒法を授けたまえ。我は居多ヶ浜人なり。」
と名のり、戒行に加わる。

 7日の戒行を終えて、美女の云うに
「某は居多明神なり、戒法を授けていただいたお礼に霊泉を献ずる。」
と告げいずれかに立ち去った。
姿が消えるとこの地に冷水が湧き出でた。
 村人はこれぞ霊徳と感じ「龍興寺清水」と名づけ大切に守り続けて来た。(伝承)

 その後、大干魃のときにも涸れることなく湧き続ける清水に
村人は居多明神の霊徳を感じ、
明治33年夏、泉の辺りに居多明神と弁財天の両尊を勧請して祠を建立した。>
のだそうです。

http://www.kijimadaira.jp/modules/category/index.php/public_html/guide/simizu.htm

2011-07-25

北信濃の温泉-馬曲(まぐせ)

今回は池袋発の高速バスで。
nagano110723bas.jpg
http://www.nagadenbus.co.jp/highway_ex/ikebukuro.html

実は去年、このチラシを見つけて、もらって帰っていました。
すっかり忘れていたのですが、
去年の資料をひっぱり出したら、これが出てきて。
調べてみたら、
この高速バス、なんと義妹宅のある練馬経由!
しかもバス停が徒歩5分! 前泊させてもらい。
長野まで3時間15分。

東京駅までいくことを思えば、すごく楽でした。
ただ、関越ってあんなに道路が悪かったんですかね。
ずうっとガタガタで振動が酷くて、腰痛持ちの身にはかなり辛かったです。
それともバスのクッションのせい?

長野からは飯山線で飯山まで。
今までは長野で車を借りていたのですが、
飯山に日産レンタカーがオープンしたので
長野~飯山は電車で移動。
カエル色のマーチでした。

nagano110723nissanmarch.jpg

宿はスキー場の
パノラマランド木島平 
kijimahmap.jpg
(http://panoramaland.info/index.htmlより)
温泉あり、プールあり、自分にとっては理想です!
【泉質】
含鉄(ii)ナトリウムカルシウム /
塩化物温泉(中性高張性温泉)

高速バスの疲れも癒されました。

nagano110723spamaguse.jpg

法事の後はいつものように、
馬曲(まぐせ)温泉でゆっくりして、
美味しいお蕎麦とソフトクリームを堪能。
http://www.maguseonsen.jp/

nagano110723map.jpg

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nagano110723magusemap.jpg
<木島平村観光協会パンフより>

2011-07-24

北信濃の蓮寺へ

nagano110723hasu01.jpg

この週末に、長野に法事に行ってきました。

nagano110723hasu02.jpg

蓮寺の蓮は一番の見頃でした。

nagano110723hasu03.jpg

いつもこの時期には行かれないので、はじめてでした。
ほんとうに見事でした。

nagano110723hasu04.jpg

去年満開がった彼岸花はまだ面影も無く、
鮮やかな紅のサルビアとカンナが沿道を彩り、
青々とした稲穂が広がり、蓮が満開。
わずか一と月で、こんなにも違うんですね。

nagano110723hasu05.jpg

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木島平村 稲泉寺
http://www.kijimadaira.jp/modules/category/index.php/public_html/guide/o-gahasu.htm
(木島平村公式ウェブサイト-自然劇場木島平)
http://www.yu-raku.ne.jp/institution_info.php?it_id=78
(北信州の観光情報~遊楽ながの)

nagano110723tosenjimap.jpg
<木島平村観光協会パンフより>
http://www.kanko-kijimadaira.com/

http://www.kijimadaira.jp/public_html/kan_info/map.html

2011-07-20

遠野の河童?

kappa1107.jpg

時々、食べに行く遠野出身のご主人の和食やさんに
カッパがいました。

遠野の地酒、上閉伊酒造の
<遠野カッパ>だそうです。
遠野はかつてカッパが多く住み、人々を驚かしたという伝説が残るまち
遠野のお酒をかわいいカッパの形をした陶器に詰めたもの。
中味は遠野三山のひとつ、六角牛山麓の伏流水で仕込み
綺麗に爽やかに仕上がっているお酒だそうです。

2011-07-18

イラン考古学セミナー(2011年)3

3つ目。
「ペルシア湾岸考古学の視点」
 後藤 健(東京国立博物館特任研究員)

メソポタミア文明は最古の文明、
しかし、実は農産物以外、何もなかった。
他のものはすべて、イラン高原から取り寄せていた。
その集荷センターがスーサだった。
ラピスラズリロードと言われている交易路がそれ。
その代価が農産物。
プロトエラムと言われる時代。

もう一つの物資輸送路がディルムン~ペルシア湾

ある時キシュがスーサを攻撃して滅ぼした。
エラムは遠くに首都を移転。
それがケルマーン郊外のシャーハダート
トランスエラム文明期
いよいよインダス文明の誕生

さらにクロライトという鉱石の製品工場を、
ケルマーン郊外のテペ・ヤフヤ
とペルシア湾をはさんで対岸に設けた。
サウジのタールート島(カティーフ)

さらに対岸にどんどん拠点ができる。
交易路は次第に海に移って行き、陸路は衰退。
やがてマガン、そしてディルムンが起こる。

やがてネットワークの返還がおこる
陸から海へ
マガン-アブダビの島
トランスエラム文明の首都移転
ウンム・アン・ナール文明の成立
インダスからメソポタミアまで、海上のネットワークができる

マガンによる湾奥への植民
バハレーンに植民
バールバール文明の成立
よりイラク寄りに首都移転(バハレーン)-ディルムン

いやあ、大変面白かったです。
家島先生の海のネットワークの起源辺りの話ですよね。
海は偉大ですね。

2011-07-17

イラン考古学セミナー(2011年)2

2つ目。
「弔いの諸相からみたイランの古代社会」
有松 唯(広島大学文学研究科・日本学術振興会特別研究員(PD))

鉄器時代前半、墓の副葬品は多く、墓も丁寧に作られていた。
しかし後半になるとどんどん簡素になる。
その時期とメディア、アケメネス成立時期が一致する。
ゾロアスター教の布教の影響も?

2011-07-16

イラン考古学セミナー(2011年)1

久しぶりのイラン大使館でのセミナー。
この日も炎天下で、出歩くだけで疲れましたが。
会場の冷房がいつも効き過ぎて、寒すぎなのが困りますが、
あと自分にとっては朝早いので、眠気との戦いも…。
それでも、とても面白かったです~!
公邸のランチももちろん!
チキンケバブとレンズ豆のシチュー!

第11回 イラン考古学セミナー(2011年)
< これまでに日本の調査隊がイランで行った考古学調査や
その後の研究成果を紹介する目的で、セミナーを開催>
イラン・イスラム共和国大使館( 東京都港区 麻布)のご協力とご厚意により、
大使館セミナー・ルームを当日会場、
当日の昼食として
イラン料理の馳走が大使公邸にて振舞われました。>
まずは挨拶 
アッバス・アラグチ閣下
駐日イラン・イスラム共和国特命全権大使)のご挨拶。
 
他の大使館が閉鎖する中、
イラン大使館は一日も休まず業務を続け、日本に留まり続けたとのこと。
被災地でのイラン料理の焚き出しを2度行ったとのこと。
イラン赤新月社の援助のこと。
ありがとうございます。

さて1つ目。
「パルティア地方の地理:アルサケス朝初期の都の比定をめぐって」 
春田 晴郎(東海大学教授)

パルティアは240B.C.~224A.D.
他国をほとんど滅ぼしたことのない国だそうです。
セレウコス朝シリアを押しやるだけ。
または属国にする。
例外はメディア・アトロパテネ(アザルバイジャン)とか。
 
ギリシア・ローマの資料のパルティアは、過大評価されすぎていたのではないか?
ローマの「敵」として、強大な敵に扱われている。
しかし、ローマとパルティアの領土を比較すると、比べ物にならない。
ローマの情報操作?
よく滅びずにいたくらい。
サーサーン朝になると、どっこいどっこい。

イラン高原北部の交通路も、よく理解できていなかったらしい。
領土の範囲も違うよう。
実際の本拠地も、もっと奥地だったと思われる。

あー、やっぱり。
トルクメン国境付近ですね。
この辺は、ちょっと調べたことがあるので、何とか、ついて行けました。
そのうち行ってみたいところです。



2011-07-10

アメリカのお菓子

tartaamericano.jpg

アメリカ土産のお菓子をいただきました。
なかなか凄い色です。
味は以外と普通でした。
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Author:アシーン
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