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2012-09-30

『四枚の羽根』原作

ついでに、どの戦闘シーンが部隊になっているのか、気になって、
『サハラに舞う羽根』の原作を読んでみたのですが、
特定の史実の戦闘とは関係なかったです。
彼らがエジプトに行っている間に
ゴードンは死んだことになっていました。

アブーファトマのキャラも、
完全に現地での補佐役。

不名誉挽回の話に英雄の殉死がからんでいて、
もしかして、これはイギリスの忠臣蔵みたいな話なのかなと。

親友の方がかっこよくて、こちらが本当の主人公みたいです。

fourfeathers_mason.jpg

角川文庫を借りてみたら、解説がない!
創元文庫を借りたら、ちゃんと解説と地図が載っている!

どうりで、角川文庫は書庫に入っていたのに、
創元文庫は開架の棚にあったのね。
ここで6回の映画化の件もちゃんと解説が。
ただ、時代背景については…。

1915 Four Feathers USA J. Searle Dawley
1921 The Four Feathers UK Rene Plaissetty
1929 The Four Feathers USA Merian C. Cooper,Lothar Mendes
Ernest B. Schoedsack
1939 The Four Feathers UK Zoltan Korda
1955 Storm Over the Nile UK Terence Young, Zoltan Korda
1977 The Four Feathers UK Don Sharp
2002 The Four Feathers USA Shekhar Kapur

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Four_Feathers

うち、3本のみ現在もみられるようです。
四枚の羽根 [DVD] (1939)
ナイルを襲う嵐【字幕版】 [VHS] 1955年


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2012-09-28

『ヘブンズ・コマンド』

「ハルツームのゴードン」
これはもしかして当然、大英帝国側からの資料もあるはずと、
図書館で探してみました。

ありましたよ!
『パックス・ブリタニカ』第一部
『ヘブンズ・コマンド』下巻によると、
当時の首相がなかなか救援を送らなかったので、
「白い羽根」の付いた彼の名前のカードが出たという。

Morris_Heaven's Command02.jpg

(ジャン・モリスのパックス・ブリタニカ(Pax Britannica)三部作の第1段)
<世界支配を「天命(ヘブンズ・コマンド)」とした帝国の知略と人々の確信
英国の国民的歴史作家モリスの最高傑作>,

ヘブンズ・コマンド―大英帝国の興隆(下)
ジャン・モリス , 椋田 直子 (翻訳) 講談社 (2008/9/11)
Jan Morris

(ヘブンズ・コマンド―大英帝国の興隆
Heaven's Command:An Imperial Progress
パックス・ブリタニカーー大英帝国最盛期の群像
Pax Britannica:The Climax of an Empire
帝国の落日
Ferewell the Trumpets:An Imperial Retreat )

「天命」ですか!…

実は先日、英文学が専門で
ロンドンに住んでいたこともあるという
知り合いに会ったので、話してみたら、
「白い羽根を渡す=臆病者と烙印を押す」というのは、
イギリスではわりと普通によくあるという話を聞きました。
いわゆる、良心的戦争忌避者などが
白い羽根でいじめられるのだそうです。
そうだったのか…。

大変興味深いレビューを見つけたので。
<著者は英国では有名な旅行作家で、
…もともとこの作品は、3部作で、
かなりの時間(出版の時期を見ると10年以上)をかけて、
世界中の英国帝国主義ゆかりの場所
(その中には有名な場所から、
ほとんど聞いたこともない場所まで含まれます)を
実際に訪問して書かれた作品です。

確かにイギリス人なりの公平感を持って、
英国帝国主義の影の側面も取り上げられています。

しかし基調はkiplingのwhite men's burden
といっても過言ではないでしょう。

究極的には失敗するよう運命付けられた使命にもかかわらず、
それを天命(heaven's command)として受け止め、
その使命を遂行した多数の有名無名のイギリス人の
”悲しさ”が淡々と描かれます。

…そして私たち日本人は、この面の皮の厚さと、
反省なるものとは無縁の普遍的な自信に驚かされるだけです。
日本人にはこのような筆致で
自分たちの”ささやかな”植民地の歴史を振り返ることはできないのです。」 >
http://www.amazon.co.jp/review/R1Q4G3V3IIIKUF/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=406213263X&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

ジャン・モリス
 http://www.kanshin.com/keyword/728960

<ジャン・モリスは言ってみれば、「イギリスの司馬遼太郎」>
と言ったのは、立花隆氏だそうで。

「帝国の落日」 ジャン・モリス著 講談社  
立花隆・私の読書日記 週刊文春 [2010年10月7日号]
http://chez.tachibanaseminar.org/keisai/images/2010/h-84.pdf

『帝国の落日』(上)(下)
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/konoichi/1103/07.html

こちらではアラビアのロレンスやガンジーも登場するそうです。
読んでみたいです。

2012-09-26

ハルツームのゴードン2 

引き続き、映画『 サハラに舞う羽根』の背景について、
というか、すでに『ハルツームのゴードン』の背景についてというか…。

『ハルツームのゴードン』の解説もけっこう詳しく。
板垣雄三氏です。
これはピンポイントで面白かったのですが…。

gordonatkhartoum_blunt1983.jpg

それでもまだ、
「ハルトゥームのゴードン」にいたる
事情がよくわからず、色々読んでみました。

イギリスがどこから、エジプトに手を出してきたのか?
結局、ナポレオンのエジプト遠征から、
イギリスがエジプトに関心を持つようになったスエズ運河、
そしてスーダンのマフディの辺りまでの
エジプト史についてという感じ。

まず、前述の中公の『世界の歴史24 アフリカの民族と社会』が面白く、
マフディの抵抗・反乱が、この時スーダンでいきなり起こったわけではなく、
その前から、広義のスーダン(サハラ以南の西スーダン~東スーダン一帯)に
広く広まっていた状況だったとか。

もう少し詳しくと思ったけど、
『アフリカ現代史』にはエジプトはなく、
『中東現代史』の2巻目が未刊で、
新版『世界各国史』の『アフリカ史』にもなく、
『西アジア史』にあったけど、簡単すぎて満足できず、
手持ちの『旧版の西アジア史』
(旧版世界各国史11 前嶋信次編 新版 山川出版社1972)
を引っぱり出したら、
これが一番ちょうどよく詳しく、よく分かりました。
これも板垣雄三氏と前嶋先生でした。
実はこの旧版が非常によくまとまっていて、
面白く、役に立つんですよね。古いけど。
執筆者が秀逸のせい?

maejima_historiaasiaoeste_.jpg

(一応、『エジプト近現代史』も借りてきましたが。)
( 新版 エジプト近現代史
―ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで―
(世界歴史叢書)山口 直彦 明石書店 (2011)

yamaguchi_historiaegyptmoderna.jpg

それから『ハルツームのゴードン』は、
『イギリスのエジプト占領秘史』の続編なのだそうです。
残念ながら未訳ですが。
解説には、マフディの前のオーラビー革命の
オーラビーに日本人が流刑先の
スリランカまで会いに行っている話も
載っていて、大変興味深いです。
この時代のエジプトは当時の日本の知識人?から
注目されていたんですね。
大英帝国の植民地支配の実態として。

この辺の話は、
中公の『近代イスラームの挑戦』にも載っていて、
(山内昌之 世界の歴史20 1996)
あと講談社の『アラブの覚醒』を見つけて、
(護雅夫・牟田口義郎 世界の歴史22 1978)
ようやく、マフディの反乱の前までの状況がわかりました。

mutaguchi_despertardearabe.jpg

いやあ、大英帝国の恐ろしさがよくわかりました。はい。

2012-09-25

『アラビア砂漠』

『アラビア砂漠』-
世界ノンフィクション全集 第45巻 筑摩書房1968

古本屋で見つけました!
前嶋先生が解説を書かれています!

マジェランの世界一周 .L.ペイヤール[著] ; 高田勇訳 .
アラビア砂漠 . C.ダウティ[著] ; 小野寺健訳 .
トランス・ヒマラヤ S.ヘディン[著] ; 勝藤猛訳
(世界ノンフィクション全集 45/ 中野好夫[ほか]編, )
筑摩書房, 1968
daudi_desiertaarabe.jpg

<ロレンスが若い頃、夢中になり、
これがロレンスをして『知恵の七柱』を書かせた潜在的な動機になっている
これに匹敵するものを書きたかったという>モノだそうです。
(松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1160.html
Charles Montagu Doughty
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Montagu_Doughty


2012-09-21

ウィルフリドとレディ・アン

で、ブラントの奥さんの本が見つかりました。
(うちの本棚から)

apilgrimagetonejd_bluntanne1998.jpg

レディ・アン ブラントは
詩人バイロンの孫娘でもあり、
『遍歴のアラビア―ベドウィン揺籃の地を訪ねて』
A pilgrimage to Nejd,the cradle of the Arab race
: a visit to the court of the Arab emir and "our Persian campaign"
田隅 恒生 (翻訳)
(りぶらりあ選書)法政大学出版局 (1998)
の著者だったんですね。

Lady Anne Blunt
http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Blunt,_15th_Baroness_Wentworth

ダンナのウィルフリド氏については,
こんな本が見つかりました。
(これもうちの本棚から)

threevictoriantravellers_assad2001.jpg

アラブに憑かれた男たち―バートン、プラント、ダウティ
トマス・ジョセフ アサド , Thomas Joseph Assad , 田隅 恒生 (翻訳)
(イスラーム文化叢書) 法政大学出版局 (2001)
Three Victorian travellers : Burton, Blunt, Doughty

<大英帝国の全盛期、
強烈な個性をもって〈アラビアのロレンス〉を先取りした三人の男たち。
その膨大な著作を通して,アラブの文化が
ヴィクトリア朝英国人の感性に与えた衝撃を語る。>

以前古本屋で見つけて、
そのまま本棚に埋もれていました。

バートンは『アラビアン・ナイト』の翻訳で有名な人ですが、
ダウディは『アラビア・デセルタ』(砂漠のアラビア)の著者。
Travels in Arabia Deserta (1888)
(『アラビア砂漠』-世界ノンフィクション全集 第45巻 
筑摩書房1968 に収録 ) 
自分も知りませんでした。


2012-09-20

ハルツームのゴードン 

映画『 サハラに舞う羽根 (2002) THE FOUR FEATHERS 』の背景2

<アフリカ北東部のスーダンでは、
イギリスの帝国主義を加速させるエポック・メイキングな事件がおきている。
1885年、首都ハルツームでイギリスの国民的英雄であったゴードン将軍
Charles George Gordon ( 1833-1885 )が、
援軍が到着する2日前に、
過激なイスラム原理主義のマフディー軍に殺されたのだ。

1896 年にイギリスは2万5千の軍隊と共にキッチナー将軍
Horatio Herbert Kitchener ( 1850-1916 )をスーダンに派遣し、
2年かかってハルツームを陥落する。
アフリカ横断政策をとるフランスとファショダで対峙するも、
外交交渉でイギリスの縦断政策は勝利し、
1899 年スーダンはイギリスの支配下におかれた。

原作者A・E・W・メイソンが、
映画『 サハラに舞う羽根 』の原作
「四枚の羽根 The Four Feathers 」を出版したのは
1902年である。
このイギリスの愛国的小説から、
当時のイギリス国民感情が読み取れるような気がする。

ハリーが着せられた不名誉は、
ゴードン将軍を失った当時のイギリス国民には
自らの不名誉のように感じたと思う。

ゴードン将軍の代わりに、
もしくは、彼の仇を撃つように、
スーダンで活躍をするハリーに、
イギリス人は胸のすくような思いをしたにちがいない。
そして現実でも、スーダンを手にいれ、
大英帝国は帝国主義を拡大していく>
徳永の戦争映画日記
http://d.hatena.ne.jp/george_smith_patton/20110321/1300666365
http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/THE_FOUR_FEATHERS.htm

マフディの戦争 『第1次大戦と20世紀』
http://ww1.m78.com/topix-2/mahdi1.html
http://ww1.m78.com/topix-2/mahdi2.html

W・S・ブラント 
『ハルツームのゴードン 同時代人の証言』
Gordon at Khartoum
Blunt, Wilfrid Scawen,
栗田禎子訳、シリーズ冒険の世界史:
リブロポート、1983年
gordonatkhartoum_blunt1983.jpg

この本は
「アラブから見た十字軍」「アラブから見たアラビアのロレンス」と
同じシリーズだったので、存在は知っていたのですが。
イマイチ、ピンとこなくて、スルーしていました。
著者は、エジプト遠征のオラービー(ウラービー)革命を支援し、
イギリス政府の政策に反対したイギリス人外交官だったんですね。
著名なアラビストでもあったそうです。

チャールズ・ゴードン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3
日々の妄言荘
http://bazandgap.blog77.fc2.com/blog-entry-951.html
Wilfrid Scawen Blunt
http://en.wikipedia.org/wiki/Wilfrid_Scawen_Blunt

映画もあるんですね。
『カーツーム/チャールズ・ゴードン』(1966/英)
Khartoum
khartoum1966.jpg

マーディ(ローレンス・オリビエ)
ゴードン将軍(チャールトン・ヘストン)

う~ん、すごいキャスティング !
ちょっと待って?
カーツームって何?
もしかして、ハルツームのことですか?

<ゴードンを見捨てた言訳映画>なのだそうです。
徳永の戦争映画日記http://d.hatena.ne.jp/george_smith_patton/20110220/1298177548

2012-09-19

『 サハラに舞う羽根 』の背景1

考えて見ると、
自分にとってのアフリカの関心て、
子供の頃は古代エジプトでした。
それとタッシリナジェール。
その後マグリブ諸国のイスラーム建築でしょ、
それからトンブクトゥーでしょ。
それからいきなり古代のジンバブエの遺跡。
最近では東アフリカのイスラーム建築だったのですが。

友人が『サハラに舞う羽根』(原題:The Four Feathers)2002年-を見て、
スーダンの舞台となったマフディーの反乱について知りたいと言われ、
映画のDVDをハイライトで見せてもらい、
かっこいい謎の遊牧民?Abou Fatma が本当にかっこよかったです。(笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%81%AB%E8%88%9E%E3%81%86%E7%BE%BD%E6%A0%B9
fourfeathers2002.jpg

演じたのは、ジャイモン・フンスー(Djimon Hounsou、1964年4月24日 - )、
西アフリカのベナン・コトヌー出身の
アメリカ合衆国のダンサー、ファッションモデル、俳優。
なのだそうで。

で、ベナンてどこ?
ベナンは1894年に征服され、
この一帯はフランスの植民地だったところでした。

ウィキを見てみたら、日本との関わりがあって…。
<北野武の付き人でタレントのゾマホン・ルフィンにより、
たけし小学校や、アフリカではまだ珍しい
日本語学校であるたけし日本語学校が設立されている(2003年9月)。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8A%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%9E%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3

世界遺産もありました。
「アボメー王宮」
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/invitation/archives/archive100821.html
http://www.dososhin.com/dictionary/BJ.html

2012-09-18

黒い大陸の栄光と悲惨

各社の「世界の歴史」シリーズで、
最初にアフリカを一巻で取り上げたものだそうです。
図書館で借りてきました。
あとがきが面白いです。
(本文はこれから)

世界の歴史 6
黒い大陸の栄光と悲惨
山口昌男
講談社 1977

africa1977kodanshahistiry6.jpg

「以前、よくアフリカで聞かれたものである。
日本ではアフリカ史の講義を持っている大学があるかと。
その度毎に大変恥ずかしい思いをした。
アフリカ史どころかアフリカ研究の講義すらないと、
その都度答えなければならなかった。

また日本でアフリカ史の本が出ているかと、聞かれる。
出ている。
日本人の書いたものかと。
英・米・仏人の書いたものの翻訳だというと、
日本人は後進国だなと笑われた。

不思議なことに、これまで、日本で、
翻訳でないアフリカ通史は刊行されたことがなかった。

今回の「世界の歴史」は、
アフリカ史に一巻をあてるという、
真に知的冒険といえる試みに乗り出した野心に、筆者はうたれた。

アフリカの歴史を今日、学ぶときに、
心しなければならないのは、
アフリカをヨーロッパスタイルの
歴史研究の植民地にしてはならないということ。

まず、偏見を捨てて、
アフリカにはアフリカ人でなくては生きることのできない、
独自の時間・空間内の存在様式がある
という事実を容認しなければならない。

筆者は歴史記述の専門家として、
本書を編んだのではない。
しかし、アフリカ史を
きたるべき知的パラダイムに組み込むために、
どのような点に焦点を当てることが
必要かという視点は失わなかったつもりである。

この一点をはずさずに、
本邦初の試行錯誤に満ちたアフリカ通史に
接していただきたい」

編集後記にも、
「かつてアフリカは『暗黒大陸』『歴史のない国』とされ、
アフリカ史とは『アフリカ植民史』にすぎなかった。
『アフリカが人類史の中で持つユニークな位置』
を追求する著者によって、
ブラックアフリカが秘めている多彩で豊穣な歴史が、
あますところなく叙述されております。

本巻は、最近注目を集めつつある
『人類学的歴史学』による最初の試みです。」
とあります。

なるほど~!
これがこちらにつながっていくんですね!

世界の歴史〈24〉―アフリカの民族と社会
福井 勝義 (著), 大塚 和夫 (著), 赤阪 賢 (著)
中央公論社 (1999/01 (中公文庫)(2010/02)
<12/09/07 アフリカの民族と社会>

2012-09-12

アベンジャーズ

avengers20120910.jpg

アベンジャーズ
友人に付き合って見てきました。
IMAXシアターで。
いやあ、ものすごい破壊力のパワーで、楽しめました。
ちょっと色々と悩んで落ち込んでいる友人を
元気づけに無理やり連れて行ったのですが、
見事に強引にリセットしてくれました。
素晴らしい!
本当に何もかも吹っ飛びますね。

以前から誘われていて、
余り期待していなかったのですが…
いや、私が悪うございました。はい。

個人的にはブラックウィドウのお姉さんと
ホークアイのお兄さんと
マリアヒルのお姉さんが気に入りました。
ハルクになるブルース・バナーのおじさまも。

映画『アベンジャーズ』 - 最新予告編 (日本語字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=oNta26U3dn8
映画『アベンジャーズ』 - オリジナル予告編 (日本語字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=VHeO0AAidRM&feature=relmfu

2012-09-11

聖なる銀

seinarugin20120822.jpg

聖なる銀 アジアの装身具 展

こらちも何とか、終わる前に行ってきました。
よく行くイナックスの本屋の2階。
しばらく見ぬ間に、すっかり新しくなってました。

狭いスペースにびっしりと、
東アジアから東南アジア・中央アジア・南アジア・西アジアまでの
銀の装飾品がずらり。
なかなか素敵でした。

中国の触ると壊れそうな見事な簪、
韓国の色鮮やかな髪飾り、
ブータンの繊細な飾り留め、
トルクメニスタンのカーネリアンを嵌め込んだ飾りもの、
タジク、ウズベク、アフガン、イエメン、イラクなどの
繊細で見事な装飾品…。
もうため息がでるものばかりでした。

ギャラリー1(東京): 2012年6月7日(木)~8月25日(土) 
■名古屋展INAX ギャラリー名古屋
会期:2012年3月9日(金)~5月24日(木)
ギャラリー大阪: 2011年12月8日(木)~2012年2月23日(木) 
東京都中央区京橋 3-6-18 LIXIL:GINZA 2F
TEL : 03-5250-6530
http://www.youtube.com/watch?v=kViqBgxsR2Q
http://www1.lixil.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_002005.html
http://www1.lixil.co.jp/gallery/exhibition/user_images/2011_12seinarugin.pdf
http://www1.lixil.co.jp/publish/book/detail/d_858.html

<日本宝飾クラフト学院の協力を得て、
同学院が長年にわたって収集・研究してきた
近・現代の貴重なアジアの装身具270点を展示>

聖なる銀 アジアの装身具
INAX BOOKLET 2011
<アジアの近・現代に見られる装身具より
特徴的な約100点を披露>

2012-09-10

契丹展

先日、車内広告を見つけて、
行こうと思っていた矢先に、
タダ券があるから行きましょうと友人に誘われて、行ってきました。

意匠がかわいかった~♪。おちゃめ。活き活きして。
鳳凰が粋のいい鶏みたいで、それがまた何ともかわいくって。
毘沙門天みたいな護身神の目が、まんまるでかわいくって。
植物文様が、様式から溢れだして躍動していて。
鳥とか獅子とか魚とかが、元気よく、飛び回っています。
羽のある魚がかわいくって。
革袋をかたどった陶器の曲線が、妙に生々しくて。
仏像までも、妙に艶かしい。少女マンガのような愛らしさが。

白塔の美しいこと!
かなうことなら、見に行きたいと思ってしまいました。

kittan20120821.jpg

「草原の王朝 契丹 ― 美しき3人のプリンセス ―」
2012年7月12日(木)~9月17日(月・祝)
東京藝術大学大学美術館(東京・上野公園)
http://kittan.jp/

2011年9月27日(火)~2011年11月27日(日)九州国立博物館
2011年12月17日(土)~2012年3月4日(日)静岡県立美術館
2012年4月10日(火)~2012年6月10日(日)大阪市立美術館
2012年7月12日(木)~9月17日(月・祝) 東京藝術大学大学美術館

<本展は九州国立博物館が開館前から
6年の歳月をかけて準備をすすめてきた大型特別展。
内蒙古博物院と共同修復事業を行い
トルキ山の彩色木棺の保存修復と科学的調査を実施
中国の国宝である一級文物に対して、
日中の技術者が一致協力して保存にあたるという画期的な事業

いまからおよそ1000年前、唐王朝の滅亡によって
アジアは新たな時代を迎え、
北アジアの草原地帯には大契丹国が生まれました。
巧みな騎馬戦術と唐を継承する高い工芸技術は、
彼らを美の世紀へといざないます。
その名は世界を駆け巡り、
ロシア語の「Китай(キタイ)」、
英語の「Cathay(キャセイ)」のように、
中国大陸を指す言葉として「契丹」の名はいまに息づいています。

 仏塔に納められた極彩色の品々、
異国の香りただようガラス細工、
貴人を飾った宝飾品の数々。
長くユーラシアの一角に埋もれていた、
あまりにも清らかで典雅な文化芸術>

http://www.youtube.com/watch?v=IPLvNdkvQM8
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s25.html
http://www.youtube.com/watch?v=EtLvi79miqc&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=TOUCauzCAAo&feature=player_embedded#!

biwa20120821.jpg

ミュージアムショップで、こんなものを見つけました♪
ピンズです。
そうか、芸大作品か。

2012-09-09

大英帝国歴史地図

atlasbritishempire_bayly1994.jpg

イギリス帝国歴史地図
クリストファー ベイリ、
Christopher Alan Bayly、
中村 英勝、 藤井 信行
東京書籍 1994

atlasbritishoverseas_porter1996.jpg

大英帝国歴史地図
―イギリスの海外進出の軌跡 1480年~現代
アンドリュー・N. ポーター、
Andrew N. Porter、
横井 勝彦、 山本 正
東洋書林 1996

図書館で見つけて借りてきました。
いやあ、やっぱり面白いです。

歴史地図を見つけると、無視できない自分。
誘惑に勝てないです。
でも、両方とも、説明文が長くて、
特にベイリ氏の方が、大きくて、読み物風で、
地図の方が圧倒的に少ない!何故?
当時の様子を伝える絵も満載…はいいんですが、
でも読み物なら、この大きさはいらない。
大きすぎて、持てない!
うちだと床に置いて、かがんで読めと!
勘弁してください…。

ポーター氏の方は雑誌サイズB5版、モノクロ。
ベイリ氏の方はもう一回り大きくて、A4?、カラー。

2012-09-08

人類はどこへ行くのか

人類はどこへ行くのか (興亡の世界史20)
杉山 正明 (著), 大塚 柳太郎 (著), 福井 憲彦 (著)
講談社 (2009/4/25)

koubouhistory20.jpg

講談社の新しい世界史にアフリカがない-という話を聞き、
ちょっと見てみたら、最後の巻にまとめるように載っているらしい。
で、どんなもんか、こちらもついでに図書館で借りてみました。

五章:「アフリカ」から何がみえるか 松田素二
京大教授(アフリカ地域研究)

問題点が実にコンパクトに凝縮されていて、面白いです。
部族対立や部族社会自体、
実は植民地時代に欧米が作り上げた規定だったとか。
ヨーロッパが自由・平等と言って、
市民社会を押し進めていた裏で、
人間と認めないことでアフリカで人と冨を収奪して、
蓄積して冨でヨーロッパは力をつけたとか。
未だに紛争の種を振りまいているとか。

本来、流動的で柔軟性をもったアフリカ社会が、
その本来の力を使って再生をはかろうとしているとか。
アパルトヘイトを認めて、許す-というやり方など。

2012-09-07

アフリカの民族と社会

友人がアフリカ史を読みたいと言っていたので、
とりあえず「アフリカ全史」を貸したのですが、
そういえば…

世界史のシリーズにアフリカは実に少ないですよね。
言われて調べてみんと本当に少ない。
その中で、ほとんど唯一?
世界の歴史 6 黒い大陸の栄光と悲惨
山口昌男
講談社 (1977/04)がありました。)

africa1999_chukouhistiry24.jpg

世界の歴史〈24〉―アフリカの民族と社会
福井 勝義 (著), 大塚 和夫 (著), 赤阪 賢 (著)

中央公論社 (1999/01 (中公文庫)(2010/02)
<民族学、王国史、イスラム教の3つの視点からアフリカをとらえる。>

大変面白いです!
ちょっと断片をかじって拾い読みしている段階ですが、面白いです!
文字のない社会でどう歴史が語られているか。
口承歴史の面白さ。

ヨーロッパともアジアとも違う価値観、倫理観、世界観、常識。
萩尾望都さんの「マージナル」の世界の一端を垣間見た気が…。
大変面白いです!

2012-09-06

チュニジア本7

それからそれから。
カルタゴについて、ちょっと調べてみたら、
最近はずいぶん色々と本が出ていてびっくりしましたが、
(昔はたしか、アラン ロイドの 河出書房新社版 (1983)しかなかったような…)
一番びっくりしたのがこの人の本。
さらに驚いたのが東ゴートの本。
そしてもっと驚いたのがヴァンダルの本!
こんなマイナーな本を書いている人がいるなんて…!
聞いたことある名前だな~と思っていたのですが、
知る人ぞ知るペリーローダンシリーズの訳者さんでした!

matutani_cartago vandal.jpg

松谷健二
1991年 『カルタゴ興亡史 ある国家の一生』(白水社)のち中公文庫 
1994年 『東ゴート興亡史 東西ローマのはざまにて』(白水社)のち中公文庫 
1995年 『ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢』(白水社)のち中公文庫

matutani_ostrogoths.jpg


ヴァンダル族wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E6%97%8F

もうひとつ。
最近見つけたのがこれ。
チュニジアについての記述が、妙に説得力がありました。

momoi_anotherwestafrica2004.jpg

桃井 和馬 
『観光コースでないアフリカ大陸西海岸』
高文研、2004年

<チュニジア人にとってのアルジェリア
 西海岸10カ国の取材はチュニジアから。
女性のスカーフや男性のひげ、白いアラブ服はほとんど目にしない。

桃井氏はその理由を街で出会った老人のセリフを通じて読み解く。
 「私たちはこの国をアルジェリアのようにしたくない」
 宗主国フランスと歩調を合わせたアルジェリア政府は、
1991年民主的な選挙で勝利したイスラム原理主義政党に対し、
軍部の力を背景に徹底的な弾圧を行った。
以降、原理主義者も暴力的な手段で応酬、
1999年までに国内で10万人が両者合わせて
約10万人が殺害されたとされている。

「ローマ時代から大国に翻弄され続け、
国家がつぶされた過去を持つチュニジア人にとって、
アルジェリアの情勢は、過去の苦難の歴史を思い出させた。
・・・どんなことがあってもヨーロッパは刺激したくない。
それがチュニジア人の身体奥深くに刻まれた記憶だった」

 ちなみにチュニジア人男性にとって人生に大切なものは
「アッラーと家族とサッカーチーム」の3つであるらしい。>
: http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/22772275.html

2012-09-05

チュニジア本6

追加です。

mori_arabyberber1992 zinnai_ciudad2002.jpg

地中海のイスラム空間
―アラブとベルベル集落への旅 (建築探訪14)
森 俊偉 丸善 1992

<北アフリカのイスラム世界。
「陽の沈む国」マグレブとその一国チュニジア。
そこにはアラブの香りと、
それに加わる先住の民ベルベルの土着の匂いが共存同化し、
地中海的特徴を示すイスラム世界を現出している。

「陽の沈む国」マグリブは
アラブ人が持ちこんだイスラムの香りが色濃く漂っている。
本書は、マグリブへの旅の記録を基に、
事例としてチュニジアの街と集落をとりあげ、
イスラムの住まいと集落の成り立ちと特徴について語る。 >

この本はなんとなく知っていたのに、
チュニジアの本だと気づかなくて…。
アラブの住まい~チュニス、スース、ケロアン、シディ・ブ・サイド、ハマメット
ベルベルの住まい~タクルーナ、マトマタ、シェニニ、クサール・ウレド、デバブ
が載っています。

イスラーム世界の都市空間
陣内 秀信 , 新井 勇治 (編集)
法政大学出版局 (2002/11)

もう一冊。
シリア、チュニジア、モロッコ、
トルコ、イラン、中国西域の諸都市を紹介
チュニジアはチュニス、スース、カイラワーン、スファックスが紹介されてます。


ifriqiya_northafrica.jpg

Ifriqiya
Thirteen Centuries of Art and Architecture in Tunisia
Islamic Art in the Mediterranean
(Museum With No Frontiers International Exhibition Cycle)
2002

これもありましたね。
確か、どこか、中東帰りの乗り換えのパリで見つけたような…。
このシリーズは色々出ているんですが、
なかなか手に入らなくて。
アルジェリアとか、シシリアとか、パレスチナとか、シリアとか。

North Africa
Antony Hutt
Scorpion Publi.1977

こちらはモロッコ、アルジェリア、
チュニジア、リビアまで網羅した写真集。
都内の古本屋で発見。

miyachi_magrib2008.jpg

宮治一雄・宮治美江子編
『マグリブへの招待―北アフリカの社会と文化』
大学図書出版 2008

<わが国の第一線で活躍する研究者陣による本格的なマグリブ入門書!
モロッコ、アルジェリア、チュニジアの三か国を中心として
マグリブの歴史、環境と資源、人々の暮らしと文化、
イスラームと人々の生き方、グローバル化の現在までを
幅広く捉えて本格的なマグリブ入門書>

先史時代、
知られざる先住民族ベルベル人(自称アマジク)の伝統、生活、状況について、
知ることができます。

tunisia60.jpg

チュニジアを知るための60章 (エリア・スタディーズ81)
鷹木 恵子 (編集  明石書店 (2010

こちらは広く浅く、知ることができるようです。

2012-09-04

フラクシネトゥム

先日近所の図書館で、改めて歴史地図を探してみました。
すると『朝日=タイムズ世界歴史地図』に
探していたジェノヴァ軍のチュニジア攻撃の図が載っていました!
やった~!
う~ん、侮れない!と反省したのですが、

さらに解説に…
<950年の地中海はほぼ完全に”イスラーム教徒の湖”だった。…(略)
西地中海の交易はサラセン人が地中海諸島を掌握し、
リギュリア海岸のフラクシネトゥムに基地をおいていた間は変わらなかった。
972年のこの基地の奪還は大事件だった。
これ以降、ヨーロッパは徐々に地中海北岸を奪回していく。>

え?え?
フラクシネトゥム?
何それ?どこ?

ググッてみたら、ある論文の概要が見つかって、
<十世紀にイスラム海賊の巣窟として悪名を馳せた。
フラクシネトゥムは一本道の隘路の山城。
フラクシネトゥムを陥落させたのが、
ビザンツ海軍とオットー一世との連合軍>
(竹部 隆昌 九-十世紀イスラム脅威下のビザンツ=西方関係)
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/16520449.en.html 
(県立長崎シーボルト大学教授-中​世​南​イ​タ​リ​ア​に​お​け​る​西​欧​、​ビ​ザ​ン​ツ​、​イ​ス​ラ​ム​間​の​交​渉​史​研​究)

え?え?ええ~?

<10世紀の西欧世界において,イスラームは「略奪者」として捉えられていた。
彼らは,地中海沿岸のみならず,内陸にまで進出し,略奪を行なった。
…オットー大帝のもとに,後ウマイヤ朝第8代アミール,
後ウマイヤ朝を最盛期に導いたアブドゥッラフマーン3世が
使節を派遣した。この使節の目的は,
仏サン=トロペ湾のフラクシネトゥムFlaxinetum-la garde freinetを根城とし,
交易を阻害するサラセン人海賊の討伐に関わることであったと思われる>
(矢内義顕  ゴルツェのヨハンネスとイスラーム )
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/31843/1/BunkaRonsyu_29_00_001_Yauchi.pdf
(早稲田大学教授-ヨーロッパ中世の哲学・中世神学、修道院神学 )

で、やっと現在の地名が判明。

<9世紀になると、西からはイスラーム教徒が
シチリアや南イタリアを襲撃して、200年間定住し続け、
またプロバンスのラ・ギャルド・フレネ(フラクシネトゥム)に略奪拠点をおく。>
(西ヨーロッパを揺さぶるヴァイキング~海上交易の世界と歴史
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi3/page016.html) 

南仏のラ・ガルド・フレネla garde freinet
ニースとマルセイユの間、カンヌの西。サン・トロペ湾の奥。

<889年アル・アンダルス出身のベルベル人・サラセン海賊が、
プロヴァンスのサン・トロペ湾に上陸すると、
近郊のフラクシネートゥム(ラガルド-フレネ)に基地を築き、
以後80余年に渡ってプロヴァンスばかりでなく北西イタリアの内陸部深く侵入し、
アルプス山脈の要衝(グラン・サン・ベルナール峠)を縄張りとした。>
(№916(2009/05/05) 中世プロヴァンス物語 2
http://www.geocities.jp/baseball_wind21/wind10/wind916.html)

<711年、イベリア半島の西ゴート王国を征服したサラセン帝国(ウマイア朝)が
ピレネー山脈を超え、フランク王国内に侵入。
732年トゥール・ポワティエ間の戦いで
フランク王国宮宰カール・マルテル(688-741)がこれを撃破。
この敗戦によりサラセン人はフランス南東部まで撤退。
サントロペ近郊のラ=ガルド=フレネに立てこもり、
プロヴァンスを2世紀わたり蹂躙した。
そのため土地の者たちは、エズやヴァンスといった、
攻めにくく守りやすい山岳部頂上付近に、
「鷹の巣村(VILLAGES PERCHES)」をつくり、堅固な塀で囲んで要塞化した。

972年ボゾン家のアルル伯ギョームが
プロヴァンス(ラ=ガルド=フレネ)のサラセン人を駆逐し、解放伯とよばれた。
ギョームはプロヴァンス伯の始祖される。
サラセンの脅威が去った西地中海沿岸の北イタリアと南フランスで交易が復活していく。>
(№832(2008/04/12) オクシタニア十字
http://www.geocities.jp/baseball_wind21/wind9/wind832.html) 

<北イタリアのピサやジェノヴァは、
南イタリアのビザンツ系都市にくらべれば、その発展は遅かった。
それは中世にはイベリア半島を支配下に置いたサラセン勢力が
西地中海に進出しており、ティレニア海北部は
プロヴァンスのラ=ガルド=フレネ(サントロペ近郊)を拠点とした
サラセンの脅威にさらされていたからであった。

972年プロヴァンス伯ギョームがサラセンを駆逐すると、
ピサの海洋進出が始まった。
手始めは1015年頃にサラセン勢力のサルデーニャ島進出に対抗した時であり、
この時はジェノヴァと同盟して島からサラセン勢力を駆逐し、
ピサは島の北部をジェノヴァは中部と東部を保護領とした。

アフリカでは、1034年にアルジェリアのボナ(現アンナバ)、
1087年にチュニジアのマーディーア、
ついでバレアレス諸島(マジョルカ島)を強襲して、勝利を収める。
これらの遠征によって、ピサは西地中海の制海権を確保する。>
(№831(2008/04/11) ピサ共和国
http://www.geocities.jp/baseball_wind21/wind9/wind831.html)

<888年ヴェルフ家のルドルフ1世が
ジュラ山脈以北の上ブルグントにブルグント王国(ユーラ・ブルグント王国)を建国、
子のルドルフ2世のとき、933年にキスユラ・ブルグント王国に侵攻し、
これを併合、「ブルグント王国」を統一、
首都をアルルに置いたためアルル王国と呼ばれた。

972年ボゾー家のアルル伯ギョームが
プロヴァンス(ラ=ガルド=フレネ)のサラセン人(イスラム教徒)を駆逐し、
解放伯とよばれた。ギョームはプロヴァンス伯の始祖される。>
 (№899(2009/01/10) オランジュ公国 その2
http://www.geocities.jp/baseball_wind21/wind9/wind899.html)

そして地図が!
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Karte_Hoch_und_Niederburgund_EN.png
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Map_Kingdom_Arelat_EN.png?uselang=ja

Kingdom of Arles(Second Kingdom of Burgundy)
http://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Arles
アルル王国http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%AB%E7%8E%8B%E5%9B%BD
ブルグント王国http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD
この辺はまだ未踏の地でした。

もう一度、他の地図を探してみたら、
「大陸別ヨーロッパ」にも載っていました! 
気がつかないって恐ろしい! 
これだから、地図は怖いんです。
見る目によって、本当に色々な情報が隠れている!

<8世紀初めに北アフリカからイベリア半島まで征服していた
イスラーム勢力は地中海へい進出を続け、
シチリアを827年までに征服(ここまでは知っていました)、
チュニジアのアグラブ王朝はバレアレス諸島、
サルディーニャ、コルシカ、イタリア南部にも拠点を築き、
(これも最近、チュニジアを調べて知りました)
コルドバ、またはアグラブ朝が送った一部隊は
ヨーロッパ南部の内陸を攻略する基地として、
プロヴァンスのフラクシネトゥムを使っていた。
イスラーム勢力は、ローマを含むイタリアの諸都市や修道院を
襲っては略奪や身代金の要求を行い、
アグラブ朝の艦隊は地中海中部に君臨した。>
(火と剣-異教徒との戦い~大陸別世界歴史地図1 ヨーロッパ大陸歴史地図 東洋書林 (2001)

2012-09-03

美しきアルジェリア(追記あり)

なかなかないアルジェリアの本、
いつのまにかこんな本が出てました。

美しきアルジェリア 
7つの世界遺産を巡る旅
(地球の歩き方GEM STONE)
ダイヤモンド・ビッグ社 2011

ootuka_algeria2011genstone.jpg

コンパクトで、とても綺麗な写真集です。
自分はローマ遺跡はあまり興味がないのですが、
アルジェの中央郵便局の天井は、
まさにアンダルシア様式の素晴らしいものです。
ただ、一番興味を引かれたベニ・ハマッドはたった3ページ。
写真も2枚だけというのが残念でした。


algeria_heritage59.jpg

週刊 世界遺産59 
アルジェリア アルジェのカスバ
講談社 2002年/2005年再版

そう言えば、以前、こんなのも出ていましたね。
改訂版?が出直しているようです。
これも写真、綺麗です。
大版だし。
アルジェのモスクの写真は、こちらの方がちゃんと載っていますね。

しかも、リビアまで載っていました!
実は、アルジェリアとリビアの世界遺産の巻だったんですね~!
(中東だからと買って、そのまま…。知りませんでしたよ!)
でも表紙にも目次にも、
リビアの文字が一言も載っていないなんて…
不思議な本ですね~!

〔アルジェリア〕
アルジェのカスバ
ムザブの谷
ティムガッドの考古遺跡
ティパサの考古遺跡
要塞都市ベニ・ハマッド
ジェミラの考古遺跡
タッシリ・ナジェール

〔リビア〕
レプティス・マグナの考古遺跡
サブラタの考古遺跡
ガダーミスの旧市街
キレーネの考古遺跡
タドラート・アカクスの岩面画

最新版 週刊 世界遺産(96)
アルジェのカスバとムザブの谷(アルジェリア)
2012
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=0459623

2012-09-02

フランス植民地主義の歴史

アルジェリアがどう、特別なのか?
何故、過酷な運命を背負っているのか?
それが前から気になっていました。
この本を見つけたのは、新刊で出た時、
棚に平積みになっているのを偶然見かけて。
アルジェリアの植民地支配についての本か。

でもその時は、そこまで手が回らなくて、
そのうち…と思ってそのままになっていて。
チュニジア絡みで調べていて、そうだそういえば…と記憶を頼りに探して。
図書館で借りてきました。
う~ん、少なくとも、この本によると、本当に運が悪かったとしか言いようがない?

hirano_historiafranceshokuminchi2002.jpg

平野千果子
フランス植民地主義の歴史
奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで
人文書院 2002

<語られることのないもう一つのフランスがある。
フランスの歴史の横に並ぶ、もう一つ別の歴史。
本国の歴史と植民地の歴史は別物?

イギリスの「大英帝国」に対して、
フランスの海外領土支配、植民地問題について、不思議と語られない。

植民地は何よりもまず、冨の源泉だった。
「本国の利益のためにのみある」(百科全書)

カリブ海における奴隷労働によるプランテーション~主な商品は砂糖
奴隷制も過酷だが、奴隷を運搬する過程はさらに過酷~とりあえず奴隷貿易の廃止
奴隷制廃止=植民地崩壊という強迫観念

神格化された奴隷制廃止論者シュルシェール
奴隷制を「文明の恥」と攻撃
アルジェ派兵のスローガン
~トルコの軛から解放する、白人奴隷制をやめさせる

廃止運動と並行して、アルジェリア征服戦争を続行
帝国主義の時代にはアフリカなどに残る奴隷制を批判しつつ、
それをやめさせることこそが文明国フランスの責務

奴隷制廃止=「文明化」=植民地化!
征服戦争の続行はフランスの「使命」
形容詞「文明化の」の初出はアルジェ派兵の前後
「文明化」の概念はアルジェリア征服戦争の過程において、
完全に植民地主義のイデオロギーに転化

同化政策の虚像と幻想と偽善
市民権なきままに「県」としてフランスの行政機構に組み込まれ、
形の上でのみ同化されていくアルジェリアの歴史

支配者であるフランス人の意識において、被支配者は不在だった。
(なので土地は強制的に没収され、追い出された)
支配地域には住民は存在せず、不幸な境遇の奴隷だと理解されていた。
アルジェリアでではじめて現地人の問題に直面
同化の困難さに直面したのは
異なる宗教を持つ被支配者200万人を越える
アルジェリアのイスラーム教徒の存在に気づいたとき。

アルジェリアへの同化政策~対象は入植者
同化への道~イスラーム教の棄教が条件
現地人を無視する形で、
入植者は地位向上のための圧力を本国政府にかけてゆく

それでも一度、1936年ブルム=ヴィオレット法案という
一定の条件を満たしたアルジェリアのイスラーム教徒に
市民権を認めようという法案があった。
これは一部の民族運動家達の要求で、
イスラーム教を棄教せずに市民権を得られるように。
政治的独立は求めないが文化的拠り所ば保つ。
しかしアルジェリア出身の議員の反対で廃案。
以後、民族運動が独立へと統一に向かう。

「文明化された人々がすること
つまり力によって、反抗せる部族を保護下におくこと」!

フランス人が入り込んだ地域の人々が抵抗したら、
力をもって制圧することが文明化されたフランスのすべきことである!
しかもそれは優れた民族であるフランスの権利である!

「優れた民族には劣った民族に対する権利がある。
劣った民族を文明化する義務がある」
白人種の優越性、奴隷制の足枷から解放されたフランスが、
「野蛮で」「劣った」民族を「教化する」という「文明化」~植民地拡張

そしてまた、アルジェリアはドイツに奪われたアルザス・ロレーヌの代替え地
「新しいアルザス」だった?
そして長年の敵イギリスにエジプトを奪われた時は
代替え地はインドシナの北部トンキンに求めた!
「トンキンの占領はエジプトをめぐる事件への復讐」
「イギリスへの復讐」

そしてモロッコへの執着は
あたかもフランス領が侵犯されているかのように扱われた
アルザス・ロレーヌを奪ったドイツが介入してきたことによる憎悪?
「フランスの延長」である「アルジェリアの延長」だから特別という感覚?

それから、フランスがドイツに占領され、
ヴィシー政権に対して、ドゴールが「自由フランス」を名乗り、
抵抗運動を展開していく。これがアフリカからなのだ!

フランス領赤道アフリカのコンゴのブラザヴィルが首都
ドゴールはブラックアフリカに最初の拠点を築き、
のちに戦後の体制につながる組織(パリ解放後の臨時政府の母体)を
フランスの延長とされていたアルジェリアに築いた。

ドゴールの抵抗運動において、植民地が不可欠だった。
だが、抵抗運動の基盤に植民地があったことは忘れられている。

そして完全独立を望む「アルジェリアのアルジェリア」
しかしアルジェリアの人口の1割を占める「フランス人」(ヨーロッパ系移民)が
「フランスのアルジェリア」を求め、本国人が呼応していく。
最後にアルジェリアの独立に国民の同意が必要とされた。
国民投票!>

なかなか不思議なことがいっぱいでした。

<セネガル(西アフリカ)~かつて奴隷を集め、送り出す拠点と港があった。
フランス支配の歴史が長く、ブラックアフリカの中でも
かなり協力に同化の運動が進められた。

サン・ルイに多かった「同化した者」
~フランス革命以前から2世紀以上にわたってフランスの文化になじみ、
カトリックでもあり、自らをフランス人と考える者たち。混血も含まれる。

ダカールを中心に貿易や公的機関に勤める「進化した者」~
フランス流の教育を受けたイスラーム教徒

ブレーズ・ディアニュ
~「地の税金」を払うことが完全同化への近道と主張。
イスラーム教徒のまま、アフリカ人初のフランス国民議会員となる。
兵役をフランス人と同格になる手段として、市民と同等の資格を認めさせる。> 

ダカール(パリ-ダカールラリーの)!
これも不思議でした。
こんな歴史があったんですね。
こういう背景があって、ラリーが行なわれたんですね。

それから印象的だったのが、
忘れられた反奴隷制の運動家・混血の有色自由人(解放奴隷)ビセット

ナポレオンはフランスの優越性を「文明」と呼んだという話。
だがこれは19世紀の概念とは少し違うとか。
そしてナポレオンはオスマン帝国を排除し、
親フランス的な帝国を建設して、
地中海を「フランスの海」にしたいという構想を持っていたという話。

イスマイル・ユルバン1812-1884。
南米ギアナ出身、奴隷の曾孫、混血、有色自由人。
宗主国フランスと植民地のはざまで苦悩の人生を送る。
カリブ海出身でありながら、後にイスラーム教徒に改宗、
エジプトを旅し、アルジェリアで活躍、
皇帝ナポレオン3世の側近にまでなる。
サン・シモン主義に傾倒。

「オリエンタリズム」と「オクシデンタリズム」の狭間には
深いふかい淵がある?

地理学協会というのが、
大航海時代から地理学上の知見が広がっていくことと
海外領土の拡張は表裏一体だった。
協会は交易の発展も目的だったという話。
言われればそうなんだけど。

同じ著者の書いたものに、こんなのも。

bancel_republiquecoloniale2012.jpg

近代フランスの歴史―国民国家形成の彼方に
谷川 稔/渡辺 和行 編著 ミネルヴァ書房 (2006)
<もうひとつの近代フランス~植民地帝国フランス>
セネガル~フランス最大の奴隷送り出し拠点
18年にわたるアルジェリア征服戦争

絶対王政期~アフリカ大陸は奴隷の送り出し拠点だった。
それを面で支配していく端緒となった。

それまでの植民地~先住民はヨーロッパ人が到来した様々な余波で絶滅、
被支配者とは外から導入された奴隷たちだった。

アルジェ以降~何よりもまず先住民がいた。
異なる文化や歴史を持つ人々の存在が最大の問題。

モロッコとチュニジアは、アルジェリアを東西両側から補強

フランスは歴史的に人口の伸びが小さく、
外部への移住が少なかったが、アルジェリアだけは例外だった。

第一次大戦~植民地は人材だけでなく、
資金面、軍需物資や食料の供給、物質面でも戦争を支えた。

<移民と外国人のフランス-渡辺和行>
移民に依存している国。


それから、同じ著者の訳している本にも
ちょっと興味深いことが。

<植民地帝国の喪失、アルジェリアの独立は
フランス国民の自己愛を傷つける事件だったので否定し、忘れようとした。

白人コミュノタリズム
~異なる文化や宗教を許容せずに西洋文化への同化を強いる態度こそ、
他社との接触を恐れ「純粋な」西洋文化を守ろうとする
白人マジョリティの共同体主義だと皮肉を込めて使用される。

コミュノタリズム
~非ヨーロッパ系の人々が文化的差異を主張するようになると、
フランス社会に溶け込もうとせず、
同胞の間で閉じこもる共同体主義だと非難>

<植民地共和国フランス パンセル/ブランシャール/ヴェルジェス 岩波>.

2012-09-01

拍手:ありがとうございます~♪

いつも応援してくださっている方々、
本当にありがとうごさいます。
とても嬉しいです。

06/06 阿佐ヶ谷のジャーメジャム8<2012-04-12>
06/17 資料世界史<2009-12-20>
07/08 「イスラーム美術」<2009-04-08>
08/11 チュニジア遊記のイラスト♪<2012-08-09>
08/28 仔猫のお誕生会♪<2012-08-19>
08/30 ジョン・タリスの世界地図<2009-12-24>
08/31 黄金の番人<2011-11-21>
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