2012-09-02
フランス植民地主義の歴史
アルジェリアがどう、特別なのか?
何故、過酷な運命を背負っているのか?
それが前から気になっていました。
この本を見つけたのは、新刊で出た時、
棚に平積みになっているのを偶然見かけて。
アルジェリアの植民地支配についての本か。
でもその時は、そこまで手が回らなくて、
そのうち…と思ってそのままになっていて。
チュニジア絡みで調べていて、そうだそういえば…と記憶を頼りに探して。
図書館で借りてきました。
う~ん、少なくとも、この本によると、本当に運が悪かったとしか言いようがない?

平野千果子
フランス植民地主義の歴史
奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで
人文書院 2002
<語られることのないもう一つのフランスがある。
フランスの歴史の横に並ぶ、もう一つ別の歴史。
本国の歴史と植民地の歴史は別物?
イギリスの「大英帝国」に対して、
フランスの海外領土支配、植民地問題について、不思議と語られない。
植民地は何よりもまず、冨の源泉だった。
「本国の利益のためにのみある」(百科全書)
カリブ海における奴隷労働によるプランテーション~主な商品は砂糖
奴隷制も過酷だが、奴隷を運搬する過程はさらに過酷~とりあえず奴隷貿易の廃止
奴隷制廃止=植民地崩壊という強迫観念
神格化された奴隷制廃止論者シュルシェール
奴隷制を「文明の恥」と攻撃
アルジェ派兵のスローガン
~トルコの軛から解放する、白人奴隷制をやめさせる
廃止運動と並行して、アルジェリア征服戦争を続行
帝国主義の時代にはアフリカなどに残る奴隷制を批判しつつ、
それをやめさせることこそが文明国フランスの責務
奴隷制廃止=「文明化」=植民地化!
征服戦争の続行はフランスの「使命」
形容詞「文明化の」の初出はアルジェ派兵の前後
「文明化」の概念はアルジェリア征服戦争の過程において、
完全に植民地主義のイデオロギーに転化
同化政策の虚像と幻想と偽善
市民権なきままに「県」としてフランスの行政機構に組み込まれ、
形の上でのみ同化されていくアルジェリアの歴史
支配者であるフランス人の意識において、被支配者は不在だった。
(なので土地は強制的に没収され、追い出された)
支配地域には住民は存在せず、不幸な境遇の奴隷だと理解されていた。
アルジェリアでではじめて現地人の問題に直面
同化の困難さに直面したのは
異なる宗教を持つ被支配者200万人を越える
アルジェリアのイスラーム教徒の存在に気づいたとき。
アルジェリアへの同化政策~対象は入植者
同化への道~イスラーム教の棄教が条件
現地人を無視する形で、
入植者は地位向上のための圧力を本国政府にかけてゆく
それでも一度、1936年ブルム=ヴィオレット法案という
一定の条件を満たしたアルジェリアのイスラーム教徒に
市民権を認めようという法案があった。
これは一部の民族運動家達の要求で、
イスラーム教を棄教せずに市民権を得られるように。
政治的独立は求めないが文化的拠り所ば保つ。
しかしアルジェリア出身の議員の反対で廃案。
以後、民族運動が独立へと統一に向かう。
「文明化された人々がすること
つまり力によって、反抗せる部族を保護下におくこと」!
フランス人が入り込んだ地域の人々が抵抗したら、
力をもって制圧することが文明化されたフランスのすべきことである!
しかもそれは優れた民族であるフランスの権利である!
「優れた民族には劣った民族に対する権利がある。
劣った民族を文明化する義務がある」
白人種の優越性、奴隷制の足枷から解放されたフランスが、
「野蛮で」「劣った」民族を「教化する」という「文明化」~植民地拡張
そしてまた、アルジェリアはドイツに奪われたアルザス・ロレーヌの代替え地
「新しいアルザス」だった?
そして長年の敵イギリスにエジプトを奪われた時は
代替え地はインドシナの北部トンキンに求めた!
「トンキンの占領はエジプトをめぐる事件への復讐」
「イギリスへの復讐」
そしてモロッコへの執着は
あたかもフランス領が侵犯されているかのように扱われた
アルザス・ロレーヌを奪ったドイツが介入してきたことによる憎悪?
「フランスの延長」である「アルジェリアの延長」だから特別という感覚?
それから、フランスがドイツに占領され、
ヴィシー政権に対して、ドゴールが「自由フランス」を名乗り、
抵抗運動を展開していく。これがアフリカからなのだ!
フランス領赤道アフリカのコンゴのブラザヴィルが首都
ドゴールはブラックアフリカに最初の拠点を築き、
のちに戦後の体制につながる組織(パリ解放後の臨時政府の母体)を
フランスの延長とされていたアルジェリアに築いた。
ドゴールの抵抗運動において、植民地が不可欠だった。
だが、抵抗運動の基盤に植民地があったことは忘れられている。
そして完全独立を望む「アルジェリアのアルジェリア」
しかしアルジェリアの人口の1割を占める「フランス人」(ヨーロッパ系移民)が
「フランスのアルジェリア」を求め、本国人が呼応していく。
最後にアルジェリアの独立に国民の同意が必要とされた。
国民投票!>
なかなか不思議なことがいっぱいでした。
<セネガル(西アフリカ)~かつて奴隷を集め、送り出す拠点と港があった。
フランス支配の歴史が長く、ブラックアフリカの中でも
かなり協力に同化の運動が進められた。
サン・ルイに多かった「同化した者」
~フランス革命以前から2世紀以上にわたってフランスの文化になじみ、
カトリックでもあり、自らをフランス人と考える者たち。混血も含まれる。
ダカールを中心に貿易や公的機関に勤める「進化した者」~
フランス流の教育を受けたイスラーム教徒
ブレーズ・ディアニュ
~「地の税金」を払うことが完全同化への近道と主張。
イスラーム教徒のまま、アフリカ人初のフランス国民議会員となる。
兵役をフランス人と同格になる手段として、市民と同等の資格を認めさせる。>
ダカール(パリ-ダカールラリーの)!
これも不思議でした。
こんな歴史があったんですね。
こういう背景があって、ラリーが行なわれたんですね。
それから印象的だったのが、
忘れられた反奴隷制の運動家・混血の有色自由人(解放奴隷)ビセット
ナポレオンはフランスの優越性を「文明」と呼んだという話。
だがこれは19世紀の概念とは少し違うとか。
そしてナポレオンはオスマン帝国を排除し、
親フランス的な帝国を建設して、
地中海を「フランスの海」にしたいという構想を持っていたという話。
イスマイル・ユルバン1812-1884。
南米ギアナ出身、奴隷の曾孫、混血、有色自由人。
宗主国フランスと植民地のはざまで苦悩の人生を送る。
カリブ海出身でありながら、後にイスラーム教徒に改宗、
エジプトを旅し、アルジェリアで活躍、
皇帝ナポレオン3世の側近にまでなる。
サン・シモン主義に傾倒。
「オリエンタリズム」と「オクシデンタリズム」の狭間には
深いふかい淵がある?
地理学協会というのが、
大航海時代から地理学上の知見が広がっていくことと
海外領土の拡張は表裏一体だった。
協会は交易の発展も目的だったという話。
言われればそうなんだけど。
同じ著者の書いたものに、こんなのも。

近代フランスの歴史―国民国家形成の彼方に
谷川 稔/渡辺 和行 編著 ミネルヴァ書房 (2006)
<もうひとつの近代フランス~植民地帝国フランス>
セネガル~フランス最大の奴隷送り出し拠点
18年にわたるアルジェリア征服戦争
絶対王政期~アフリカ大陸は奴隷の送り出し拠点だった。
それを面で支配していく端緒となった。
それまでの植民地~先住民はヨーロッパ人が到来した様々な余波で絶滅、
被支配者とは外から導入された奴隷たちだった。
アルジェ以降~何よりもまず先住民がいた。
異なる文化や歴史を持つ人々の存在が最大の問題。
モロッコとチュニジアは、アルジェリアを東西両側から補強
フランスは歴史的に人口の伸びが小さく、
外部への移住が少なかったが、アルジェリアだけは例外だった。
第一次大戦~植民地は人材だけでなく、
資金面、軍需物資や食料の供給、物質面でも戦争を支えた。
<移民と外国人のフランス-渡辺和行>
移民に依存している国。
それから、同じ著者の訳している本にも
ちょっと興味深いことが。
<植民地帝国の喪失、アルジェリアの独立は
フランス国民の自己愛を傷つける事件だったので否定し、忘れようとした。
白人コミュノタリズム
~異なる文化や宗教を許容せずに西洋文化への同化を強いる態度こそ、
他社との接触を恐れ「純粋な」西洋文化を守ろうとする
白人マジョリティの共同体主義だと皮肉を込めて使用される。
コミュノタリズム
~非ヨーロッパ系の人々が文化的差異を主張するようになると、
フランス社会に溶け込もうとせず、
同胞の間で閉じこもる共同体主義だと非難>
<植民地共和国フランス パンセル/ブランシャール/ヴェルジェス 岩波>.
何故、過酷な運命を背負っているのか?
それが前から気になっていました。
この本を見つけたのは、新刊で出た時、
棚に平積みになっているのを偶然見かけて。
アルジェリアの植民地支配についての本か。
でもその時は、そこまで手が回らなくて、
そのうち…と思ってそのままになっていて。
チュニジア絡みで調べていて、そうだそういえば…と記憶を頼りに探して。
図書館で借りてきました。
う~ん、少なくとも、この本によると、本当に運が悪かったとしか言いようがない?

平野千果子
フランス植民地主義の歴史
奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで
人文書院 2002
<語られることのないもう一つのフランスがある。
フランスの歴史の横に並ぶ、もう一つ別の歴史。
本国の歴史と植民地の歴史は別物?
イギリスの「大英帝国」に対して、
フランスの海外領土支配、植民地問題について、不思議と語られない。
植民地は何よりもまず、冨の源泉だった。
「本国の利益のためにのみある」(百科全書)
カリブ海における奴隷労働によるプランテーション~主な商品は砂糖
奴隷制も過酷だが、奴隷を運搬する過程はさらに過酷~とりあえず奴隷貿易の廃止
奴隷制廃止=植民地崩壊という強迫観念
神格化された奴隷制廃止論者シュルシェール
奴隷制を「文明の恥」と攻撃
アルジェ派兵のスローガン
~トルコの軛から解放する、白人奴隷制をやめさせる
廃止運動と並行して、アルジェリア征服戦争を続行
帝国主義の時代にはアフリカなどに残る奴隷制を批判しつつ、
それをやめさせることこそが文明国フランスの責務
奴隷制廃止=「文明化」=植民地化!
征服戦争の続行はフランスの「使命」
形容詞「文明化の」の初出はアルジェ派兵の前後
「文明化」の概念はアルジェリア征服戦争の過程において、
完全に植民地主義のイデオロギーに転化
同化政策の虚像と幻想と偽善
市民権なきままに「県」としてフランスの行政機構に組み込まれ、
形の上でのみ同化されていくアルジェリアの歴史
支配者であるフランス人の意識において、被支配者は不在だった。
(なので土地は強制的に没収され、追い出された)
支配地域には住民は存在せず、不幸な境遇の奴隷だと理解されていた。
アルジェリアでではじめて現地人の問題に直面
同化の困難さに直面したのは
異なる宗教を持つ被支配者200万人を越える
アルジェリアのイスラーム教徒の存在に気づいたとき。
アルジェリアへの同化政策~対象は入植者
同化への道~イスラーム教の棄教が条件
現地人を無視する形で、
入植者は地位向上のための圧力を本国政府にかけてゆく
それでも一度、1936年ブルム=ヴィオレット法案という
一定の条件を満たしたアルジェリアのイスラーム教徒に
市民権を認めようという法案があった。
これは一部の民族運動家達の要求で、
イスラーム教を棄教せずに市民権を得られるように。
政治的独立は求めないが文化的拠り所ば保つ。
しかしアルジェリア出身の議員の反対で廃案。
以後、民族運動が独立へと統一に向かう。
「文明化された人々がすること
つまり力によって、反抗せる部族を保護下におくこと」!
フランス人が入り込んだ地域の人々が抵抗したら、
力をもって制圧することが文明化されたフランスのすべきことである!
しかもそれは優れた民族であるフランスの権利である!
「優れた民族には劣った民族に対する権利がある。
劣った民族を文明化する義務がある」
白人種の優越性、奴隷制の足枷から解放されたフランスが、
「野蛮で」「劣った」民族を「教化する」という「文明化」~植民地拡張
そしてまた、アルジェリアはドイツに奪われたアルザス・ロレーヌの代替え地
「新しいアルザス」だった?
そして長年の敵イギリスにエジプトを奪われた時は
代替え地はインドシナの北部トンキンに求めた!
「トンキンの占領はエジプトをめぐる事件への復讐」
「イギリスへの復讐」
そしてモロッコへの執着は
あたかもフランス領が侵犯されているかのように扱われた
アルザス・ロレーヌを奪ったドイツが介入してきたことによる憎悪?
「フランスの延長」である「アルジェリアの延長」だから特別という感覚?
それから、フランスがドイツに占領され、
ヴィシー政権に対して、ドゴールが「自由フランス」を名乗り、
抵抗運動を展開していく。これがアフリカからなのだ!
フランス領赤道アフリカのコンゴのブラザヴィルが首都
ドゴールはブラックアフリカに最初の拠点を築き、
のちに戦後の体制につながる組織(パリ解放後の臨時政府の母体)を
フランスの延長とされていたアルジェリアに築いた。
ドゴールの抵抗運動において、植民地が不可欠だった。
だが、抵抗運動の基盤に植民地があったことは忘れられている。
そして完全独立を望む「アルジェリアのアルジェリア」
しかしアルジェリアの人口の1割を占める「フランス人」(ヨーロッパ系移民)が
「フランスのアルジェリア」を求め、本国人が呼応していく。
最後にアルジェリアの独立に国民の同意が必要とされた。
国民投票!>
なかなか不思議なことがいっぱいでした。
<セネガル(西アフリカ)~かつて奴隷を集め、送り出す拠点と港があった。
フランス支配の歴史が長く、ブラックアフリカの中でも
かなり協力に同化の運動が進められた。
サン・ルイに多かった「同化した者」
~フランス革命以前から2世紀以上にわたってフランスの文化になじみ、
カトリックでもあり、自らをフランス人と考える者たち。混血も含まれる。
ダカールを中心に貿易や公的機関に勤める「進化した者」~
フランス流の教育を受けたイスラーム教徒
ブレーズ・ディアニュ
~「地の税金」を払うことが完全同化への近道と主張。
イスラーム教徒のまま、アフリカ人初のフランス国民議会員となる。
兵役をフランス人と同格になる手段として、市民と同等の資格を認めさせる。>
ダカール(パリ-ダカールラリーの)!
これも不思議でした。
こんな歴史があったんですね。
こういう背景があって、ラリーが行なわれたんですね。
それから印象的だったのが、
忘れられた反奴隷制の運動家・混血の有色自由人(解放奴隷)ビセット
ナポレオンはフランスの優越性を「文明」と呼んだという話。
だがこれは19世紀の概念とは少し違うとか。
そしてナポレオンはオスマン帝国を排除し、
親フランス的な帝国を建設して、
地中海を「フランスの海」にしたいという構想を持っていたという話。
イスマイル・ユルバン1812-1884。
南米ギアナ出身、奴隷の曾孫、混血、有色自由人。
宗主国フランスと植民地のはざまで苦悩の人生を送る。
カリブ海出身でありながら、後にイスラーム教徒に改宗、
エジプトを旅し、アルジェリアで活躍、
皇帝ナポレオン3世の側近にまでなる。
サン・シモン主義に傾倒。
「オリエンタリズム」と「オクシデンタリズム」の狭間には
深いふかい淵がある?
地理学協会というのが、
大航海時代から地理学上の知見が広がっていくことと
海外領土の拡張は表裏一体だった。
協会は交易の発展も目的だったという話。
言われればそうなんだけど。
同じ著者の書いたものに、こんなのも。

近代フランスの歴史―国民国家形成の彼方に
谷川 稔/渡辺 和行 編著 ミネルヴァ書房 (2006)
<もうひとつの近代フランス~植民地帝国フランス>
セネガル~フランス最大の奴隷送り出し拠点
18年にわたるアルジェリア征服戦争
絶対王政期~アフリカ大陸は奴隷の送り出し拠点だった。
それを面で支配していく端緒となった。
それまでの植民地~先住民はヨーロッパ人が到来した様々な余波で絶滅、
被支配者とは外から導入された奴隷たちだった。
アルジェ以降~何よりもまず先住民がいた。
異なる文化や歴史を持つ人々の存在が最大の問題。
モロッコとチュニジアは、アルジェリアを東西両側から補強
フランスは歴史的に人口の伸びが小さく、
外部への移住が少なかったが、アルジェリアだけは例外だった。
第一次大戦~植民地は人材だけでなく、
資金面、軍需物資や食料の供給、物質面でも戦争を支えた。
<移民と外国人のフランス-渡辺和行>
移民に依存している国。
それから、同じ著者の訳している本にも
ちょっと興味深いことが。
<植民地帝国の喪失、アルジェリアの独立は
フランス国民の自己愛を傷つける事件だったので否定し、忘れようとした。
白人コミュノタリズム
~異なる文化や宗教を許容せずに西洋文化への同化を強いる態度こそ、
他社との接触を恐れ「純粋な」西洋文化を守ろうとする
白人マジョリティの共同体主義だと皮肉を込めて使用される。
コミュノタリズム
~非ヨーロッパ系の人々が文化的差異を主張するようになると、
フランス社会に溶け込もうとせず、
同胞の間で閉じこもる共同体主義だと非難>
<植民地共和国フランス パンセル/ブランシャール/ヴェルジェス 岩波>.
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