2012-10-30

お笑いコンビ デスぺラード

先日、ホットアジアで面白いものをやっていました。

お笑いコンビ デスぺラード
<日本とイランを両想いに
日本人とイラン人によるお笑いコンビ、デスぺラード。
イランに関するきわどいネタを連発するそのスタイルは、
お笑い界の中でも異彩を放っています。
先ごろには、イランに関する本まで出版!
日本とイランを両想いにしたいという、その思いとは?>

イラン人は面白すぎる! (光文社新書)
エマミ・シュン・サラミ
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E4%BA%BA%E3%81%AF%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%99%E3%81%8E%E3%82%8B-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%9F/dp/product-description/4334036805

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89_%28%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93%29

http://search.yoshimoto.co.jp/#/r/s=i=3185/r=3187

https://twitter.com/takeishimon
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2012-10-29

アフガニスタンの伝統音楽に未来はあるか

アフガニスタンの伝統音楽に未来はあるか
http://www.youtube.com/watch?v=GyoXJQGbwR8
2009年11月のAFPの映像レポート(日本語字幕つき):
アガー・カーン財団が運営する音楽教室(授業料は無料で、優秀な講師を招いて子どもたちや青年たちに直接レッスンを受けさせる)の活動もある、

2012-10-29

アフガニスタン:バルフのメヴラーナの家の修復開始

1】アフガニスタン:バルフのメヴラーナの家の修復開始
  2012年9月26日付
  情報源:TURKISH WEEKLY

 アフガニスタン、バルフにあるメヴラーナの
ジャラール・ウッディーン・ ルーミーの家の修復が始まった。

 25日(火)、トルコ国際協力開発機構(TIKA)の
コーディネーターであるムスタファ・ブトゥン氏は
Anadolu Agencyに対し、
トルコからの特別チームがバルフのメヴラーナの家、
マドラサ(ムスリム神学校)、社会的複合施設の修復を始めたと語った。

 また、事業構想が固まり次第、考古調査が開始されるであろうと加えた。
 さらにブトゥン氏はTIKAは本プロジェクトに加え、
同地域における議事堂、モスク、及び観光地区の建設をも請け負うであろうとも語った。

 メヴラーナの家の修復が完了すれば、
メヴラーナの家はメブラーナ文化センターとしての役割を果たすことになるであろう。

 メヴラーナは1207年9月30日に
バルフのマザーリシャリーフ(現アフガニスタン)で生まれた、
イスラームの偉大な神秘主義的詩人である。
彼の詩や神秘主義的教えはムスリム世界で知られている。

 1273年に亡くなったメヴラーナは、
トルコの中央アナトリア地方のコンヤに埋葬され、彼の聖廟は巡礼地となっている。

詳細については原文(下記URL)をご参照ください
http://www.turkishweekly.net/news/142605/house-of-mawlana-in-afghan-balkh-ci
ty-to-be-restored-.html>


トルコ国外の「トルコ文化財」、リスト化すすむ
2012年01月23日付 Hurriyet紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20120124_074610.html

2012-10-28

シリア:アレッポのアル=ウマイヤモスクが戦災を被る

シリア:アレッポのアル=ウマイヤモスクが戦災を被る
2012年10月15日付 al-Hayat紙

■アル=ウマイヤ大モスク、アレッポ争奪戦の対価を払う
2012年10月15日 月曜日 『アル=ハヤート』

【ダマスカス、テヘラン、アンカラ:本紙、AFP、ロイター】
アレッポでの暴力の日々の中で最悪の一日、
活動家・目撃者らは、アル=ウマイヤ大モスク地区で
政府軍と反体制派との激しい戦闘が発生したと述べた。
これにより、歴史的モスクが大損害を受け、
その一部が破壊され、炎上した。

同モスクは、イスラーム建築芸術の一つとみなされるものである。
政府が昨日(14日)同モスクを奪還したと発表する一方、
政府側と反体制派の両者はモスク破壊の責任は相手側にあると非難し合った。
ビデオ映像は、モスクの一部を燃やした火災の痕跡と、
モスクの内壁が大きく損壊した様を映し出した。

アレッポでの激しい戦闘から数時間の後、
シリア軍は「武装集団」との激しい衝突の末、
軍の部隊が同モスクを制圧したと発表した。
「武装集団」は、同モスクの中に立てこもろうと試みた集団である。

アル=ウマイヤ大モスクはアレッポ最大かつ最古のモスクの一つであり、
別名ザカリヤー・モスクと呼ばれる。
同モスクは東西に105メートル、南北に77.75メートルにわたって広がっている。
モスク建造の歴史はウマイヤ朝時代(西暦716年、ヒジュラ暦96年)に遡る。
史料の多くは、ウマイヤ朝のカリフのスライマーン・ブン・アブドゥルマリクが
このモスクの建築を命じたと述べている。
建築の目的は、スライマーンが兄弟であるアル=ワリード・ブン・アブドゥルマリクが
ダマスカスに大ウマイヤ朝モスクを建設したことに倣うためである。

政府は「モスクを襲撃しその内部を破壊したテロ分子」にモスク破壊の責任を負わせ、
一方で「自由シリア軍」所属の「アッ=タウヒード旅団」は声明を発し、
「アル=ウマイヤ大モスク周辺に駐屯していた諸隊に、
政府軍がモスクから撤退するまで進撃しないよう勧告した。
・・・しかし、政府軍は夕方4時までに撤退を決定し、
モスクに破壊の痕跡を残したのである。」と述べた。
(後略)
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20121015_182537.html#top
世界遺産「アレッポのスーク」で火災 2012.10.1
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121001/mds12100119360001-n1.htm

【シリア】アレッポのスークの広い範囲が焼失と(2012年9月29日、現地時間の報道)
http://matome.naver.jp/odai/2134893550752503401

2012-10-25

オムダーマンの戦い 動画

オムダーマンの戦いの画像を探して、
ググていたら、こんなものを見つけました。

オラービー革命
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17050766
ムハンマド・アリー~アラビア帝国の夢 前編
http://www.youtube.com/watch?v=KE0I1yLwtLo&feature=relmfu
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14291680
http://nicoviewer.net/sm14291680
ムハンマド・アリー~アラビア帝国の夢 後編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14291751
オムダーマンの戦い (若き日のウィンストン・チャーチル)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12476151
http://nicoviewer.net/sm12476151
戦争と冒険』


スエズ ~東洋と西洋を結ぶ地の運命
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12517857
100人の20世紀 『アラブ大統領ナセル
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2153568

2012-10-21

ふたたび『サハラに舞うの羽根』

で、2002年版『サハラに舞うの羽根』をもう一度。
こちらはゴードン将軍を救出に行く軍。1885年。
アブークレアの砦に行く前での戦闘シーン。

ん?アブークレア? んなの、あったっけ?
いやいや!アブクレアの戦い:ありました。

ストレイチーによると、
救援の艦隊に時間と金をかけすぎて、遅れたと。
アブ・クレアですさまじい戦闘があり、
イギリス軍の方陣隊形が破られたと。
(『ヴィクトリア朝偉人伝』)

<…ゴードン救援軍の派遣を決定した。
ウォズレイに率いられた1万2千人の兵は
国境のワジハルファからナイル川を遡行する方法でなく、
バイユダー砂漠を横断することになった。
そしてその本軍とは別に河川艦艇部隊が結成され、
ナイル川を上っていった。
しかしアブクレアでマフディ軍の抵抗に遭遇し
本軍は少しも前進出来なくなった。
艦艇部隊は本軍を尻目に一路ハルツームを目指した。>
(マフディの戦争)
http://ww1.m78.com/topix-2/mahdi1.html
http://ww1.m78.com/topix-2/mahdi2.html

アブクレアの戦い1885年1月wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%
A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Abu_Klea

The Battle Of Abu Klea Full text of the poem, from McGonagall Online.
http://www.mcgonagall-online.org.uk/gems/the-battle-of-abu-klea

Abu Clea Painting by Karl Kopinski
http://cghub.com/images/view/144169/

britishbattles.com-The Battle of Abu Klea
http://www.britishbattles.com/egypt-1882/abu-klea.htm

Mahdist War
http://en.wikipedia.org/wiki/Mahdist_War
マフディー戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%
BC%E6%88%A6%E4%BA%89

Heritage History Mahdist Wars (a.k.a Soudan Campaign)
http://www.heritage-history.com/www/heritage.php?
Dir=wars&FileName=wars_soudan.php

アブーファトマのキャラは原作にもありましたが、完全に現地での補佐役。
それをこの映画では、最強のお助けマンに変身。
得体の知れない、でも必ず助けてくれるスーパーマン。
メイキングで監督はアフリカ人らしいアフリカ人を出したかったと。
まあ、状況としては、こういう現地のお助けマンなくしては
不可能な設定ではありますね。

それから、やはりもとの話や映画があまりにも有名で、
当然、知った上でこれを見るという前提で作られているような。
で、今回は現代的に、被植民地側からアレンジしてみましたって。
だから、説明なしなんですね。
一応、最初に字幕で説明してますけど。白い羽根の意味。

2012-10-20

『四枚の羽根』1939

『四枚の羽根』の話に戻ります。
fourfeathers1939.jpg

1939年度版の『四枚の羽根』
見ました。
こちらの方が分かりやすいです。
従軍はゴードン将軍の仇を取り、
勝利をおさめるキッチナーの軍で(1898年)。
派手に名誉挽回をなし遂げるわけす。

クライマックスはオムドゥルマンの戦い
まさにこの絵の通りの映像が展開して、迫力あります。


オムドゥルマンの戦いBattle of Omdurman
http://www.dnfa.com/webpic/max/434029-2.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Omdurman2.jpg

昔のナイル川流域の風景も大変綺麗で。
これぞ本当にアスワンハイダム建設以前で。 
あれ?もしかして、これって『ジャングル大帝』のネタ元?
アフリカの風景のイメージがすごくダブるんですけど。
アニメのオープニングシーンとか、レオが泳いで帰るシーンとか。
そうですね、手塚さんなら見ていてもおかしくないですね。はい。

2012-10-18

神田明神の甘酒屋

お参りといえば、
まだ、残暑の厳しいころのことでしたが、
甘酒にはまっている友人が、
テレビに出ていたお店行きたいというので、
お供して行って参りました。

kanda120829ex1.jpg

神田明神は2度ほど行ったことがあって、
このお店は気になっていたのですよね。
でも甘酒屋さんだったとは、気がつきませんでした。

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天野屋(あまのや)の「明神甘酒」

なかなかレトロな店内も素敵で、
甘酒も美味しかったです。

kanda120829amazaka.jpg

甘酒って、子供の頃、まずかった記憶しかなかったのですが、
美味しいものもあるんですね。

kanda120829hierbaama.jpg

店内にはアンティークの古時計やランプ、鉄道模型がぎっしり!
なかなか楽しいです。

kanda120829gardin1.jpg

友人に言わせると
色々飲み比べて、「国菊」の甘酒が美味しいんだそうで。

amazake_kunigiku.jpg

試しに買って飲んでみました。
確かに美味しい。

「飲む点滴」と言われるくらい、
栄養たっぷりで、夏バテにいいというので、
ちょっと続けて飲んでいます。

帰りに、亀のお守りを買いに、
斜めお向かいの三河屋綾部商店へ。
ここでも甘酒がありました。
後で調べてみたら、ここのも美味しいそうでて。
次回は試してみたいと思います。

天野屋
http://www.amanoya.jp/

国菊 あまざけ
http://www.shinozaki-shochu.co.jp/category/AMAZAKE/301.html

三河屋綾部商店 ~「ぶらり途中下車の旅」
http://www.ntv.co.jp/burari/990612/info7.html
~ KANDAアーカイブ:百年企業のれん三代記~神田学会
http://www.kandagakkai.org/noren/page.php?no=8


09/12/18 神田明神のカメ
10/01/17 湯島聖堂

2012-10-17

タジン屋とデビッドデリ

お墓参りの後に、ランチをしたタジン屋。
ランチメニューが変わっていて、
タジンコース、クスクスコース、パスタランチ
を選んで、アイスミントティ、
・サラダ バー ・サフランライス
がお代わり自由。
やっぱりタジン美味しいです~♪
ホットのミントティーも♪
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階下にトルコ料理屋ができてました!
4月末にオープンだそうで。
トルコ料理 トゥーラ
Tugra
南青山3-2-3 カトレアビル 1F
http://www.tugradining.com/#!/page_home

午後にもう一カ所、お墓参りしてた後、
お茶したデビッドデリ。
お茶とはいえ、やはりここに来たら食べたいのがケバブ♪
そしてマラビーとミントティー♪
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タジン屋とデビッドデリの近くに
お墓があるのも不思議な縁ですが。

2012-10-16

お墓参り

実はお墓参りといえば、
先月、不思議なことがありました。

お彼岸に実家の墓参りに
家族の都合がつかず、一人で行ったのですが、
何故かお墓が見つからず…。
何故?どうして?
探しても探しても見つからなかったんです。

後日、家族と行ったら、あっさり見つかり…。
おそらく家族を連れてきて欲しかったんでしょうね。

お墓参りの後には、近くのタジン屋でランチ。
午後にもう一カ所、お墓参りして、
またまた近くのデビッドデリでお茶。
いつもは距離がわからず、タクシーでぐるっと回るんですが、
タクシーが捕まらず、歩いて見たら、すっごく近かった!

2012-10-15

稲城の寺3

兎や狸も。
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山門脇にはお掃除する小僧さん。

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お参りの後は、
近くのコメダ珈琲店で集会。

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2012-10-14

稲城の寺2

干支のかわいい小僧さん付きもありました。

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2012-10-13

稲城の寺1

先月、
一昨年亡くなった友人の
お墓参りに行って参りました。
季節はずれではありますが、3回忌ということで。
亡くなったのはバレンタインの頃でしたが
梨園を持っていて、
秋にいつも梨狩りに招待していただいていまして、
その名残ということで、この時期に集まろうということになりました。

このお寺というのが、なかなか楽しいお寺で、
(と言っては不謹慎かもしれませんが)
つい写真をいっぱい撮ってしまいました。
これなら淋しくないですね。 

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山門の龍も立派です。

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2012-10-12

実家の片づけ 人形編

春からストップしていた実家の片づけ。
実は半分残ったレコード17箱(約1500枚)が、
なかなか片づかず、中断したままになっていました。

引き取ってくれる人は見つかったのですが、
先方の都合で、ずっと移動できずに部屋を占領したまま。
これがなくならないと次の作業ができず、
ちょっと困っていました。

でも先日、やっと輸送完了!
ありがとうございました!

さて、お次は
10月末に知り合いの教会のバザーで
人形を引き受けてくれるという話があり、
やっと暑すぎる夏も終わり、動けるようにもなったので、
久しぶりに行ってみて。

表に出ていた人形は、あらかた箱詰めし終わっていたのですが、
寝室の押し入れの上下・天袋にぎっしりまだありそう。

これが大仕事…だと思って覚悟して、
また新たな助っ人をお願いして、はじめてみたら…。

ほとんど空箱でした。
勿論、人形もありましたが。
予想以上に少ししかなく。

あとは大きな備前焼の壺とか大皿とか、
祖父の遺品らしき古書とか、
それから古すぎるストーブと扇風機、
スーツケース、ポータブルレコードプレイヤー、
またレコード!、
茶箱2つの古着が出てきて、
わりとあっさり3時間×2日で終わってしまいました。

送る人形も中小あわせて20箱ほどで、
送り先は都内。昔の古巣の近所。
これなら、うちのタウンエースで運べるじゃん。
ということでこれも先日、無事送り届けてまいりました。
第3部終了。ちょっと疲れました。

今までありがとうね、
良い人に引き取られるんだよ!
可愛がってくれる人のところに行くんだよ!

次はピアノを運び出すか、北の部屋のブツに取りかかるか…。
香水と硯は引き取り手が見つかったので。


2012-10-10

『カーツーム』

『カーツーム/チャールズ・ゴードン』
 Khartoum(1966/英)
マーディ(ローレンス・オリビエ)
ゴードン将軍(チャールトン・ヘストン)

khartoum1966.jpg

見ました!
けっこう面白かったです。
もっとアクション映画なのかと思ったら、
意外とすごく真面目に作ってあって。
ハルツームのゴードンを調べていたから,
事情がよく分かって、面白かったけど、
知らないで見たら、つまんないと思いました。
だって、背景事情、すべて省略して話が進むんですもの。
周知の事実として。

ゴードンがすごくまともじゃないですか!
ローレンス・オリビエのマフディも、だいたいはいい感じです。
ただちょっと、脚色の仕方に無理があるような気が。

ほとんど史実に忠実かと思われますが、
ゴードンがマフディに会うシーンと、副官がロンドンに戻るシーンはフィクションかと。
副官てスパイだったのね。でもだんだん心酔していって、忠実な副官に。
まあこの、副官がスパイという設定の真偽のほどはわかりませんが。
ただ、史実に忠実と言っても、政治家の程度は微妙でした。
特にグラッドストン首相が。
まあでも、こういうふうに思われているのね。という感じでしょうか。

アスワンハイダム以前(というか建設途中)の貴重な風景が美しく、
貴重な資料映像としても見る価値あり。
ダムは1960~1970年に建設。
途中の水没しかけた遺跡が見物。

夕暮れのミナーレットのシルエットがとても綺麗で、
カイロの伝統的な邸宅の中の装飾とか、
マフディ軍のテントの中の絨緞の模様とかも、とても素敵でした。

イギリス人は「カーツーム」と言い、
マフディは「ハルトゥーム」と言う。
わざと使い分けているところが面白いです。

< 聖戦(ジハード)まっただなかのシーンを撮るために、
スーダンの広大な砂漠に作られたセット。
大英帝国の変わり者の将軍、
チャイニーズ・ゴードンことチャールズ・ゴードンが
1884年に北アフリカで体験した(ほぼ)本当の物語を映画化し、
『アラビアのロレンス』(1962)(デヴィッド・リーン監督)のような
すばらしい作品にしようとしたのが『カーツーム』(1966年)である。>
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%A0-DVD-%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%B3/dp/product-description/B0000C16TH/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=561958&s=dvd

カーツーム - 映画の宝庫 【WEB 映画館】
http://ethanedwards.blog51.fc2.com/blog-entry-998.html
カーツーム-映画.com
http://eiga.com/movie/43198/
Khartoum wiki
http://en.wikipedia.org/wiki/Khartoum_%28film%29

かつてはトラファルガー広場に石像まであったそう
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=4088#2
トラファルガー広場のゴードン将軍の像
http://homepage2.nifty.com/shworld/04_strand/gordon_statue/gordon_statue.html
現在は官庁街ホワイトホールの裏手にあたる、
テムズ川河畔のヴィクトリア・エンバンクメントに
設置されているそうです。

『大英帝国衰亡史』によると、
映画のラストシーンに出てくる
像駱駝に乗ったゴードン将軍の像は、
1956年のスーダン独立までは、
首都ハルトゥーム中心部の目抜き通りにそびえ立っていた。
その後、ロンドン近郊のサリー州のある学校の校庭にあるとか。

Gordon's_Last_Joy.jpg

George W. Joy's portrayal of Gordon's death  1893
http://en.wikipedia.org/wiki/File:General_Gordon%27s_Last_Stand.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/George_W._Joy

ゴードン将軍の最後のシーンは
この絵そのままでした。
現物は北部イングランドにあるそうな。

Leeds City Art Gallery
リーズ (Leeds) 。
イングランド北部ウェスト・ヨークシャー地方。
ロンドンから鉄道利用で2時間半。
スコットランド・エディンバラからも3時間程度。

2012-10-04

ハルツームのゴードン4(追記)

それから、『ヴィクトリア朝偉人伝』
( リットン・ストレイチー 中野康司訳 みすず書房 2008)
これが一番詳しく、
スーダン撤退派と帝国主義派とが画策し、
帝国主義派と新聞が画策した可能性と、
アフガニスタン情勢との絡みもあったとか…。

Eminent Victorians_Strachey.jpg

(Lytton Strachey、 Eminent Victorians
: Cardinal Manning, Florence Nightingale, Dr. Arnold, General Gordon (1918)

これは初の完訳だそうで、
マニング枢機卿、ナイチンゲール、
トーマス・アーノルド、チャールズ・ゴードン将軍の4人。

今まで、以下のものが出ていたのみと。
平田禿木訳 『ゴルドン将軍の死』 アルス 1940年
堀大司訳 『ゴードン将軍の最期』 白水社、1941年、詳細な訳注。 
日高直矢訳 『ヴィクトリア朝時代の秀れた人々』 福村書店、1950年
※ゴードン将軍、ナイチンゲールのみ邦訳。

ゴードン将軍、人気ものなんですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B
<本書『ヴィクトリア朝偉人伝』は〈伝記を変えた伝記〉と絶賛され、
久しく伝記文学の古典の位置を占めてきた。
それぞれヴィクトリア朝を代表する偉人たち
――行動的な女性・教育者・軍人・聖職者の人生の軌跡を簡潔かつ辛辣に描いた本書>

(追記)
リットン・ストレイチーによると、
ゴードンの母は,地球の果てまで何度も渡海した貿易商人の末裔。

ゴードンを突然、国民的英雄に押し上げた原動力となったのは、
「ペル・メル紙」だった。
不思議なことに、派遣の前、突然、「ペル・メル紙」の社説と記事が、
ゴードンのハルトゥーム派遣を呼びかけ、
ロンドンの他の新聞も地方紙も、一斉に大合唱を続けたという。

新聞に載ったゴードンのインタビューと手紙は、
スーダン撤退ではなく、奪回を主張した政策だった。
外務大臣はその新聞記事の前後に、
ゴードンのハルトゥーム派遣を打診していた。
そして何故か、エジプト総領事の反対は無視された。

イギリス政府はすでにスーダン撤退の方針を決定していたが、
政府内に、スーダン撤退に反対する一派(帝国主義派)が存在し、
ゴードンとの交渉で、
政府の代理人として仲介役を勤めたのは、
この一派の人間(陸軍軍務局長)で、
ゴードンと会見し、任命を決定した閣僚
(陸軍大臣が率いる少数派)もそうだったという。

首相とエジプト総領事には、
「スーダン撤退に関する報告役」と伝えられたが、
ゴードンがカイロに到着する間に、
外務大臣の指示で、スーダン総督就任へ話がすすんでいた…。

…とまあ続いていき、大変面白いです。

2012-10-03

ハルツームのゴードン3 (追記)

確か、他にも大英帝国本に載っているのではと、
また色々と借りてきました。

『大英帝国衰亡史』によると、
スコットランドのハイランダーの家系の人だったんですね。
(中西輝政 PHP 1997)
当時大論争になっていたアイルランド自治問題ともからんで、
エジプトとスーダンをめぐる「熱狂」が引き起こされたとか。

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『大英帝国という経験』によると、
(井野瀬久美惠 講談社・興亡の世界史16 2007)
ゴードンをスーダンへ運び、ハルツームからエジプト人を非難させ、
ゴードン救出作戦の輸送したのはすべて、トマスクック社だったそうです。

(追記)
すでにナイル川の汽船輸送を独占しており、
さらに「ゴードン将軍追悼の旅」までもハルトゥームに送り出したそうです。

1898年には、ロンドンからハルトゥームまでわずか21日となり、
トマス・クック社はエジプト・中東ツアーに力を入れて行った。

未知への旅の中で、
イギリス人は「野蛮の文明化」「源流」「原点」を求めたようです。
エジプト旅行は文明の源への旅、
中東エルサレムへの旅はキリスト教の原点への旅

インドのマハラジャたちをヨーロッパへ、
エジプトやインドのムスリムに快適なメッカ巡礼の旅を…
すごいですねぇ。
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