2014-04-30

トトロのシュークリーム

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http://www.shiro-hige.com/cream_puffs/
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2014-04-29

ハガードの世界10

『ソロモン王の洞窟』で、
クォーターメンが昔、
トランスヴァール州のライデンバーグ地方で
金の採掘場を発見したという話について。

ライデンバーグという地名も見つけました!
北東部、プレトリアの東、オリファント川の近く。

そこは固い岩を切り開いた広い立派な馬車道があって、
地下道が採掘場まで通じている。
地下道には砕くばかりになった金鉱石の山がいくつもあったと。

これは後半に出てくるソロモン街道や、
ソロモンの洞窟と同じ設定ですが。

2014-04-28

ハガードの世界9

 色々と発見があります。

お宝の地図を残したポルトガル人ホセ・ダ・シルヴェストラのモデル?

ザンベジ川渓谷には「アフリカ化」したポルトカル人の集団が割拠し、
通商、地域政治に影響力を行使していた。
 シルベイラ神父はジンバブウェでの熱心な布教のあまり、
王の家族、宮廷の要人達を改宗させたが、
激しい反感をかい、殺された。1561年。 
(『グレートジンバブウェ』)

これも大変興味深いです。

 シャカの前に、シャカのような人物がいた。
ジンバブウェの最後の王国を建てたチャンガミレ。
ジンバブウェを乗っ取って、好き放題にしていたポルトカル人を追い払った。
(『グレートジンバブウェ』)

2014-04-27

ハガードの世界8

 次にズールー族よりもずっと立派で体も大きい種族について。

 ナイル系の人々がどうもこれに当たるらしい。
身長が他の黒人よりずっと高く、足が長い。 
今日のスーダン南東部からケニアとウガンダ、タンザニア北部から
ルワンダ、ブルンジの一部にかけて住んでいるという。(全史)(新書) 


2014-04-26

ハガードの世界7

ハガードが、本当のソロモン王の鉱山があったところと想定した場所。
 コンゴ共和国(ザイール?)の南東端の辺りについて
 
 さらに面白いのは、もう少し北へ行くと、
「駆け込み寺」ならぬ「かけこみの森」ともいえる社会が
ザイール川中流域のキサンガニ(「川の中」・旧スタンレーヴィル)周辺にあったらしいことだ。

この辺りは最後まで「地理的発見」の行われない地図の作られぬ未知の世界だった。
1877年にスタンレーによる「アフリカ最後の探検」で
ザイール川の全容が明るみになるまで、
「最後の暗黒の地」として「残された地」がヨーロッパ人の前に立ちはだかっていたという。

 植民地時代前夜には、
西から東から北から南から、様々な小民族集団が集まってきたという。
下流からはコンゴ王国を媒介とした奴隷の徴集を逃れて、
東部からはイスラーム化の波に抵抗して、
北からはアザンデ人の支配を逃れて、
森の中に入って棲み分けながら居住圏を獲得し、
小民族社会が林立する特徴的な焼き畑農耕社会を形成してきたという。 

 ザイール川水界の世界は、この森を抱くことによって、
王国の支配の及ばない「自由の場」を確保して、
広汎で強大な国家の成立を抑制してきたのかもしれないとのこと。
(杉村和彦『新書アフリカ史』)

 ザイール 
「すべての川を呑み込む川」古代コンゴ語「ンザンディ」「ンゼレ」を
ポルトカル人が誤って発音
(杉村和彦『新書アフリカ史』)




2014-04-25

あずきづくし 3

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2014-04-24

ハガードの世界6

ハガードが、本当のソロモン王の鉱山があったところと想定した場所。
 コンゴ共和国(ザイール?)の南東端の辺り

 その当たりは、バンツー語族の二番目の故郷と想定されている地域でもあるそうだ。

中央アフリカの密林のさらに北のサバンナに
最初のバンツー語族の故郷があったとされている。

そこから西と東に密林を迂回して、密林の南のサバンナに至り、
そこから各地に拡散したと言われている。

 これらの研究は1862年に、
ケープ州総督付司書だったブリークという人が
バンツー語族をひとつのまとまった語群として『バントゥ』と命名したことから始まったらしい。
(これらの言語で人間を表す言葉の複数形。単数形は『ムントゥ』)

 とはいえ、すでに十六世紀から、
ポルトカル人等によってアフリカ南部の大西洋側と
インド洋側の言語に共通性があることは知られていたという。

 ただバンツー語族の最初の故郷、
バンツー諸語の前身「前(プレ)バンツー語」の故地の研究については戦後の話になるらしい。

 カタンガ地方周辺(密林の南)はコンゴ盆地と呼ばれる広大な湿潤サバンナが広がっている。
その南にはカラハリ砂漠と砂漠を囲む乾燥サバンナが帯状に広がっている。
 湿潤サバンナ一帯では十六~十七世紀にルバ・ルンダ王国群、
そこから派生分化した諸王国の存在がみとめられる。
ルバ王国の前身は七世紀頃から定住していて、
インド洋沿岸との長距離交易を支配下におくことでルバ王国が成立したと考えられているらしい。
(渡辺公三『世界各国史・アフリカ史』川田順造編)
(『新書アフリカ史』)
(『熱帯アフリカの都市化と国家形成』)

2014-04-23

ハガードの世界5

ハガードが、本当のソロモン王の鉱山があったところと想定した場所。
 コンゴ共和国(ザイール?)の南東端の辺りというのを探ってみよう。

その辺りは、カタンガ(旧シャバ)地方といって、
ザイール川源流地域、ルアラバ川上流の湖沼地帯、天然資源の宝庫のようだ。
 
1890年頃、ザンベジ川以北ではカタンガ周辺に巨大な銅鉱脈の存在が知られていたという。
1868年にすでにリヴィングストンが
カタンガから東方に向かう荷物の中に総計五トンの精銅が含まれていたのを見たとの報告もあったという。
(星晃『アフリカ現代史1』)

2014-04-22

ズールー戦争の従軍記者

『ズールー戦争~野望の大陸 ZULU DAWN 1979』
に出てくる従軍貴社について。

 この従軍記者は英語版のウィキで名前がわかりました。
ノリス・ニューマン。
Charles L W C Norris-Newman "Noggs
『スタンダード』の記者。
皮肉屋、で、チェムスフォードの戦術的誤りを批判したりします。
 
彼はイサンドルワナの戦い、その後のギンギンドロフの戦い、
エショワ・ウルンディの戦いにも従軍しました。
それから第一次ボーア戦争、

 それ以前は普仏戦争でのプロイセン軍によるパリ包囲(1870-71)の中で
スペインのドン・カルロスと供にいたり、
スーダンのゴードン将軍のもとにいたり、
マダガスカル、バストランド、マタベレランド、ザンジバル、中央アフリカ…。

ズールー戦争後は20年アフリカで暮らし、
その後ロシア、スリランカ、マレー半島、中国、日本、フィリピンを旅行し、
1920年天津で亡くなったそうです。

http://www.1879zuluwar.com/t7005-charles-l-w-c-norris-newman-noggs

2014-04-21

『野蛮』の捏造

 岡倉登志氏によると、
「帝国主義時代にアフリカで活躍し、アフリカ人からは民族の英雄と讃えられている人物を、
ヨーロッパ人はしばしば 残忍・野蛮あるいは狂人・好色漢に仕立て上げた」のだそうです。
『四枚の羽根』のマフディもその典型とか。

 そしてヴィクトリア朝後期の英国では、
大衆演劇や音楽ホールでしばしばアフリカが素材に取り上げられていたそうだ。
ひとつは『ハルツームのゴードンもの』や『ボーア戦争も の』など英国国民の帝国意識の高揚を喚起するもの。
ひとつは『暗黒のアフリカ『野蛮なアフリカ』を刻みつけるもの。
ズールー王国やジンバブウェを題材にしたもの。
南部アフリカでの大英帝国の軍事行動と支配に国民の合意を取り付けるため。

 ズールー族長テセワヨが捕らえられ、国事犯として幽閉されている時、
1882年に『ズールー族長』『最後のケチュワヨ』が上演され、
野蛮で残忍なアフリカの指導者に仕立て上げられたそうだ。
その人気に、10万ドル払うから彼を五年間「展示したい」という興行主が現れたほどだという。

 また1899年の大英博覧会でも
「アフリカの野生生活のリアルで真に迫る野蛮な南アフリカ」というイベントが催され、
模擬「南アフリカ村」よは一七四人の先住民が連れてこられ、展示されていたという。

これは1877年以降フランスで催された「民族博」と全く同じで、
1811年以来、英国がアフリカの「野蛮」を示すのに用いる「伝統」の一つになっていたという。
(『「野蛮」の発見』) 

 デマと宣伝は戦争の前にも広められた。
ズールー族が侵略的で危険な勢力で、セテワヨは血に飢えた暴君だと。
当初ナタールの原住民問題担当官だったが、
開戦前に英国が併合したトランスヴァールの行政官となったシェプストンと
英国の南アフリカ高等弁務官フレアによって。(『ユネスコ アフリカの歴史』)

 イサンドルワナの戦いはズールー軍およそ三万が一万二〇〇〇人の英国軍相手に、
「近代兵器の量と質の不利をものともせずに」白昼の戦闘で大勝利をおさめたのだ。

 彼によると、とにかく英国軍のイサンドルワナの戦いの敗北のショックは相当なもので、
「裸足の野蛮人に虐殺される」というイメージが広められ、
有名な諷刺誌『パンチ』でも報じられ、幻灯機を活用した大衆教育も盛んだったという。
「日本でも上映された『ズールー戦争』では、
ズールー族は西部劇に登場するアメリカ・インディアンのように獰猛な集団として扱われている」とのこと。
(岡倉『アフリカの歴史』)

2014-04-20

チョコ~いただきもの

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2014-04-19

「ロスト・キングダム スルタンの暦」

映画で楽しむ世界史

「ロスト・キングダム スルタンの暦」
2010-12-26 11:06:38 | 舞台は中央アジア・インド

http://blog.goo.ne.jp/ys386kyam/e/8fe8e9fae6d7fe34f909237c00b82ae7

ロスト・キングダム/スルタンの暦<未>(2005)
THE KEEPER: THE LEGEND OF OMAR KHAYYAM
メディア 映画
上映時間 81分
製作国 アメリカ
公開情報 劇場未公開
ジャンル アドベンチャー/ミステリー/歴史劇
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=332954
https://www.youtube.com/watch?v=NFtpuUyDdcc
https://www.youtube.com/watch?v=vunMeV-K9nU
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Keeper:_The_Legend_of_Omar_Khayyam
http://www.imdb.com/title/tt0294806/
http://iranian.com/DariusKadivar/2004/June/Khayyam/index.html
KEEPER_Omar Khayyam2005.jpg


ロスト・キングダム/スルタンの暦 [DVD]
ブルーノ・ラストラ (出演), ラデ・シェルベッジア (出演), カイバン・マサイーク (監督) | 形式: DVD
広大な大地と天空の星を手に入れた偉大なる王、スルタンの野望。
時空を超え、魔の暦に隠された謎が明らかになる!

11世紀のペルシアから現代のアメリカへ…。一人の勇者の辿る数奇な運命を描いたミステリー・アドベンチャー。

◆ペルシア・ゴールデン・ライオネス賞 監督賞受賞、衣裳デザイン賞受賞

天文学者にして数学者、そして酔いどれの詩人として知られるオマル。その愛と戦いの物語を伝承する少年と時空を超えた冒険奇談を描いたミステリーアドベンチャー!オマルは幼くして数学と天文学の才能を発揮、時の王スルタンの側近となり新しい暦の作成を依頼される。しかし時の王朝を倒そうとする集団、その首領はオマルの幼なじみハサンだった。数奇な歴史物語の伝承を担う少年カムランは失われた歴史のページを見つけ出し物語の伝承に挑むために故郷のペルシアを目指す…

監督・脚本・製作:カイバン・マサイーク/脚本・製作:ベル・エイヴァリー/撮影:デュシャン・ヤシモビッチ/製作:セップ・リアヒ/音楽:エルトン・アヒ

ブルーノ・ラストラ/ラデ・シェルベッジア/モーリッツ・ブライブトロイ/C・トーマス・ハウエル/ヴァネッサ・レッドグレーブ
内容(「Oricon」データベースより)
一人の勇者の辿る数奇な運命を描いたミステリー・アドベンチャー。ブルーノ・ラストラ、ラデ・シェルベッジア、モーリッツ・ブライブトロイほか出演。


ブハラ、サマルカンドでロケしてます。
それなりに面白いです。

2014-04-18

『ソロモン王の洞窟』の映画化

 実は『ソロモン王の洞窟』の映画化は少なくとも6回、関連シリーズまで加えるとさらに7本もあるという!

King Solomon's Mines (1937 film), 英 
『キング・ソロモン』(1937)
King Solomon's Mines (1950 film), 米
『キング・ソロモン』(1950)デボラ・カー
King Solomon's Treasure (1979), 英・カナダ低予算版
King Solomon's Mines (1985 film), 米 ジンバブウェで撮影 
『ロマンシング・アドベンチャー キング・ソロモンの秘宝』シャロン・ストーン
King Solomon's Mines (1986 telemovie),オーストラリア・アニメ
King Solomon's Mines (2004 film), 米TVミニシリーズ
『キング・ソロモンの秘宝』(

Allan Quatermain (film), 1919 film
Watusi, 1959 sequel to the 1950 film
『ソロモン王の宝庫』(
Allan Quatermain and the Lost City of Gold, 1987 film with Richard Chamberlain 
『キング・ソロモンの秘宝2 幻の黄金都市を求めて』ロマンシング・アドベンチャーの続編
The Search For King Solomon's Mines (2002 documentary), ナショナル・ジオグラフィック&英チャンネル4制作 ドキュメンタリー
The League of Extraordinary Gentlemen (film), 2003 film with Allan Quatermain portrayed by Sean Connery 『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』ショーン・コネリー
The Librarian: Return to King Solomon's Mines, 2006 TNT television film
『ライブラリアン キング・ソロモンの呪文』
Allan Quatermain and the Temple of Skulls, 2008 film
『キング・ソロモン 呪われし王の秘宝』

http://en.wikipedia.org/wiki/King_Solomon%27s_Mines_%28film%29

 このうち、ビデオ、DVDが日本で出ていて見られるものは、
1937年版、1950年版、1985年版、2004年版、
関連シリーズの1987年版、2003年版、2006年版、2008年版。
『ソロモン王の宝庫』(1959)は一応日本でも劇場公開はしたらしく、
『キング・ソロモン』 (1950)の続編だそうで、クォーターメンの息子が主人公だとか。      
『ライブラリアン キング・ソロモンの呪文』は考古学オタクの図書館司書シリーズの二作目だそう。ケニアロケ。
The Search For King Solomon's Mines (2002 documentary)はエチオピアが舞台らしいです。

2014-04-17

アフガニスタンの伝統音楽

Afghan music at Shiraz Arts Festival, tambur & dilruba solos
http://www.youtube.com/watch?v=rQ5bySQggXc&feature=player_embedded
In 1974, Afghan master musicians at the suggestion of Lloyd Miller appeared in Shiraz during the Shiraz Arts Festival
2008/09/28

アフガニスタンの伝統音楽に未来はあるか
http://www.youtube.com/watch?v=GyoXJQGbwR8
2009年11月のAFPの映像レポート(日本語字幕つき):
アガー・カーン財団が運営する音楽教室(授業料は無料で、優秀な講師を招いて子どもたちや青年たちに直接レッスンを受けさせる)の活動もある、

2014-04-16

気になる本~ カザフ

露清帝国とカザフ=ハン国
野田 仁 東京大学出版会 (2011)

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< ロシアと清朝という大帝国のはざまに位置したカザフ=ハン国が
中央ユーラシアのなかでくりひろげたせめぎ合いと、
もたらされた秩序を描く国際関係史。
多言語史料を総合的に分析しながら、
辺境統治における二つの帝国の領域意識をさぐり、中央ユーラシア史の見直しをはかる。>
https://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-026139-5.html

<18〜19世紀におけるカザフ=ハン国の状況を
帝政ロシアと清朝との関係の中でどうであったのかを読み解く一冊。
前に見た映画「レッド・ウォリアー」の地域と時代を扱ったものです。>

<かなり興味深い話が多かったです。
カザフ=ハン国が大中小の3つの部族「ジュズ」に分かれた状況や、
清朝とロマノフ朝の政策の意図や、カザフ側と帝国との関係性の認識の齟齬のこと、
交易品のこと、ロシアがペルシアへの進出を指向しつづけていたこと、
清朝側の国境線の認識のこと、シベリア総督になったスペランスキーと啓蒙主義の影響について、
露土戦争と馬の輸出について、北京にいた正教の伝道団が外交使節的な役割を持っていたこと、などなど。
ロシア関連じゃないとこも面白く読めました。>
http://xwablog.blog20.fc2.com/blog-entry-1393.html


小説 遊牧民
イリヤス エセンベルリン , Ilyas Yesenberlin , 加藤 九祚 (翻訳)
東海大学出版会 (2012)

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<キプチャク大草原に繰り広げられるカザフ建国の一大叙事詩。>

<カザフ現代文学の最高峰とされる『遊牧民』より、第一部「呪力の剣」を全訳する。
金帳ハン国の崩壊により、混乱を極めるキプチャク大草原の中から、
遊牧国家カザフが建国されるまでの一大叙事詩。>
http://www.press.tokai.ac.jp/bookdetail.jsp?isbn_code=ISBN978-4-486-03729

<カザフスタンの一大叙事詩が翻訳された.
著者イリヤス・エセンベリンは孤児院からたたき上げた彼の国の大作家である.
かつてこの地を舞台に,チンギス=ハンやチムールを初めとする英雄たちの血が混じり合いながら沸騰していた.
強力な部族社会の大草原で繰り広げられる戦国時代.
島国日本の農耕・漁労民族の尺度では測りきれない物語展開もある.
この流れはあるいは現代にまで通じているのかもしれない.
訳者の加藤九祚氏は長年にわたって活躍されている.
加藤氏の諸著作から,シベリアに,そして中央アジアについて刮目した思いの読者も多いだろう.
本書は十分なボリュームがあるが,300年にわたる歴史を記した三部作の第一部らしい.
続巻が待たれる.
現代のカザフスタンや元朝~モンゴルの歴史に興味のある方,
シルクロードのファン,「蒼き狼」「モンゴル大紀行」「乙嫁語り」の読者にもお薦めの一冊か.
後半に掲載されたスルタノフの論文「中世カザフ(人)の社会・経済・生活」も理解に大いに役立つ.>
http://www.amazon.co.jp/review/R2RKHBNBCDVNTV/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4486037294&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

2014-04-15

果実園

目黒駅ビルにあった、フルーツパーラー。
駅ビル改修工事で閉店してしまうとの
常連の友人の知らせを聞き、
久しぶりに会った友人と行ってきました。
相変わらず、これでもかという大盛りと良心的なお値段
堪能してまいりました。

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新店舗は
目黒駅西口から徒歩約5分、権之助坂にすでにオープンしているそうです。

2014-04-14

もうひとつのシャカ・ズールー6

 ヨーロッパ人の侵略がようやく激しくなろうとする頃、
その危機に触発されるかのように、シャカは強大な一大帝国を築いた。
北はボンゴラ河・デラコア湾から南はトゥゲラ河まで、
東はインド洋沿岸から西はブラッド河に至るまで、ズールーランド全土を。

 1824年にポートナタールを経て二人の英国人が貿易交渉にやってきた時、
白人についても知っていた。
何の驚きも戸惑いもなく謁見したという。

 王専属の通訳はヤコブという英国人だった。
ヤコブは以前ソールズベリー号の乗組員だったが、
船が座礁してズールーの都辺やってきたという。
彼を通じてケープ植民地の情報も得ていた。

 この英国人の一人フィンも、
ヤコブと同様しばらく臨時助言者の役をやらされることになった。
白人の植民地と交易関係を結ぼうとして使節団を派遣したりした。

 シャカは異母弟に殺されが、白人の侵略を予言したという。

「おまえたちはこの国を支配したいのか。
私が死んだら、とても支配できはしまい。
そう『つばめ』はそこまできているのだから」

『つばめ』というのは泥を使った煉瓦の家を建てる白人のこと。

 シャカの死後、1838年ボーア人がナタールにも侵入、
有名な「血の川(ブラッドリバー)の戦い」でディンガネ軍は敗北した。
(山口昌男「世界の歴史6 黒い大陸の栄光と悲惨」(講談社、1977年))

 1824年にはポートナタール(現ダーバン)の英国人とは友好関係をむすび、
英国人を通して鉄砲を入手した。

 「ムフェカネ(衝突)」の時代は大きな波紋を投げかけた。
生き残ったものたちは四散して周辺の部族に合流し、または移動して新たな集団を形成した。

 シャカの死後、ディンガネはナタールの英国人とは友好関係をむすんだが、
新天地を求めて移動してきたボーア人とは衝突した。
(林晃史『アフリカ現代史1』山川出版社 1978年)

2012-09-18 黒い大陸の栄光と悲惨

2013-02-01 ズールー戦争2

山口 昌男wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%98%8C%E7%94%B7
文化人類学者
元・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長
アジア・アフリカ・南アメリカなど世界各地でフィールドワークを行い、
両性具有・トリックスターをテーマとした著作で
「中心と周縁の理論」を発表し評価が高い

2014-04-13

もうひとつのシャカ・ズールー5

 クネーネの本には映画化が進んでいると書かれている。
 もしかしてTVシリーズの「シャカズールー」のこと?
でもこちらは英語版のウィキによると、英国の商人の著作が土台とのこと。
これはおそらく、フィンともう一人ナサニエル・アイザックスという人のものらしい。
 でもエピソードとしては、クネーネの叙事詩のものがけっこう入っている。

 TVシリーズの「シャカズールー」は
南アフリカ放送協会制作。
 ヘンリー・セレはサッカー選手で、ゴールキーパーだったそう。
亡くなるまで南アフリカのプロサッカークラブを指導していた。(英語版のウィキ)

 ハガードもシャカにまつわる小説を書いていました。翻訳なし。 

 ナサニエル・アイザックスはクネーネの叙事詩にも出てくる。
アイザックスとフィン、ファラウェルは実在の人物らしく、英語版のウィキに項目がある。
アイザックスは『東アフリカの旅と冒険』(1836年)という本を書き、
Nathaniel Isaacs (1836). Travels and Adventures in Eastern Africa – Vol I

フィンはかれの日記が後に『ヘンリー・フランシス・フィンの日記』
(スチュアート&マルコム編集・1950年代)として出版された。
James Stuart and D. McK. Malcolm (eds.).
The Diary of Henry Francis Fynn Pietermaritzburg:
 ファラウェルは『探検家・ナタールの創設者フランシス・ジョージ・ファラウェルの真実の物語』
(ワット・1962年)が出ているらしい。
Watt, Elizabeth Paris,
Febana The true Story of Francis George Farewell,
Explorer, Pioneer and founder of Natal

 ファラウェルはナタール港植民地の創設者で、
ケープ総督の下、シャカと連絡を取り、
象牙交易を確立するためにナタールへ向かったとある。
その船にフィンとアイザックスも同乗していた。
フィンとアイザックスはシャカに関する貴重な記録を残した。

http://en.wikipedia.org/wiki/Shaka_Zulu_%28TV_series%29
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Cele

http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Farewell
http://en.wikipedia.org/wiki/Nathaniel_Isaacs
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Francis_Fynn

2014-04-12

『偉大なる帝王シャカ』

シャカについての話に戻ります。
シャカについて書かれた本があるそうです。

ソト語で書かれたトーマス・モコプ・モフォロの有名な小説『シャカ』や
マジシ・クネーネの叙事詩『偉大なる帝王シャカ』においては、
シャカの名はアフリカ文学と現代アフリカ人の意識の中で、
アフリカ人のヒロイズムと力の象徴として受け継がれているそうです。

モフォロの『シャカ』(1911)は、白人が好戦的な野蛮人としたシャカを英雄視し、
ズールーの古い生活様式や価値観を肯定したため、当初刊行を拒否されたという。

マジシ・クネーネはダーバン生まれのズールー人。
(トンプソン『南アフリカの歴史』 明石書店; 新版 (1998))

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 邦訳があるというので探してみました。(岩波書店)
マジシ・クネーネ, Mazisi Kunene.
『偉大なる帝王シャカ』 Emperor Shaka the Great. Two Volumes;
(翻訳)土屋哲(Tsuchiya Satoru)
(岩波現代選書)1979

 シャカに関する伝記は口承以外にはフィンの日記(1950)しかなく、
毀誉褒貶の落差の激しい扱われ方しているという。

クネーネはズールー族の口誦伝承を文字化して、
シャカを戦国の乱世を統一して近代国家を造り上げ、
民に平和をもたらした英明な啓蒙君主、
家族共同体倫理を基盤とするアフリカ的価値観の権化、
部族の伝統的英知の忠実な体現者として描いたそうです。

 モフォロの『シャカ』が大幅にカットされ、
修正を加えられて出版されたという経緯があり、
歪められたシャカの虚像を復元させるという使命感がクネーネを駆り立てた。
 シャカを主題にした文学作品は17を数えるといいます。(解説・土屋哲)
****

 白人がやってきて、シャカの暗殺が失敗してシャカの傷を治して、
その代わりに土地を要求する。
シャカは土地を与え、監視下におき、白人を研究する。
というエピソードはクネーネの叙事詩にもあります。

 シャカの父は女性好きで、母は気性が激しく、不仲だったそう。
シャカの母の部族と父の部族とは、六代前に決裂して以来、
宿怨があり、婚姻はタブー視されていたらしい。

 ズールーとは『天・空・稲妻』の意味。
さらに『雨・雷雨・無限の力・永遠』の意味もあるそう。

 ズールー族の先祖は南部バンツー系のングニ族。
彼らは北方からトランスヴァール西北部に南下して、
それが二派に分かれ、トランスヴァール東南部と東部海岸へ移動した。
1400年頃、さらに分かれてズールーランドとナタール地方に移住。
ナタール・ングニ族、後のズールー族。
この大移動は1600年頃までに落ち着いたそう。

 ズールーの始祖、ングニ族のマランデーラ(十六世紀)は
自分の息子にその名を付けた。

 シャカの外交政策は
白人の脅威と危険にいかに対処するかに全力を注いでいた。
白人の監視役には「怪物どもの看視人たち」という名を付けていたという。

 ジョージ四世に二度にわたって使節団を派遣したが、
ケープ植民地の白人行政官の妨害にあい、実をむすばなかったそうです。(土屋哲)

http://en.wikipedia.org/wiki/Mazisi_Kunene
http://en.wikipedia.org/wiki/Emperor_Shaka_the_Great
ズールーの英雄叙事詩

土屋 哲(つちや さとる、1923年9月19日 - 2007年3月25日)
アフリカ文学・カリブ海文学研究者、明治大学・ナイロビ大学名誉教授。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%93%B2

2014-04-11

WXPとW7の間2

さて。残るは
ファイヤーフォックスとサンダーバードの移行。
簡単だと思ったら、これがよく分からない…。
できない。
どうして?
う~ん…。

ファイヤーフォックスのヘルプから
ダウンロードとインストール、データの移行
https://support.mozilla.org/ja/products/firefox/download-and-install

設定情報のバックアップ
Firefox は、あなたのブックマークやパスワード、拡張機能など、
すべての個人設定をプログラム本体とは別のプロファイルフォルダに格納しています。
Firefox プロファイルフォルダの既定の場所は %APPDATA%\Mozilla\Firefox\Profiles\xxxxxxxx.default\ です。

https://support.mozilla.org/ja/kb/back-and-restore-information-firefox-profiles


古いプロファイルから必要な情報を復旧する
https://support.mozilla.org/ja/kb/Recovering%20important%20data%20from%20an%20old%20profile

このとおりにやったのに、うまくいかない。おかしい。

結局、またS氏に出動要請をお願いしてしまい。
ファイルの書き換えがうまくいかなかったようでした。
強引に書き換えたら、あっさり、始動しました!
サンダーバードも同じようにやって、無事復旧!
ふう。

あ!そうだ。
ホームページビルダーも移行せねば!
データを移せばいいと思ったら、それが簡単にはいかなくて。
これもけっこう大変でした。
http://support.justsystems.com/faq/1032/app/servlet/qadoc?QID=048902
http://www.just-hpb.jp/about/a_backup/

あれ?
ユーザー登録ってしてなかったっけ?
だめだ見つからない。
登録しなおして。

やっと
ホームページ・ビルダー 安心バックアップ・移行ツール
をダウンロードできて。

これで終わりと思ったら、
「システムイメージの作成」というのをやった方がいいとのこと。

これで終わりかな?
終わりだよね?

2014-04-10

ハガードの世界4

続いて 
シタンダ発見!
 ローデシアの英語版のウィキに載っていた1911年のブリタニカ百科の地図に。
Sitanda と。

Rhodesia_map_EB1911.jpg
http://en.wikisource.org/wiki/File:Rhodesia_map_EB1911.png
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Rhodesia_map_EB1911.png

 1880年のコンゴの地図にも。
http://www.rare-maps.com/MAPS_PIC/POCKET-1887-CONGO.JPG

Federation of the Free States of Africa> Berlin Conference of 1884-1885 to Divide Africa
http://www.africafederation.net/Berlin_1885.htm

imperialism in the congo>1) Historial Congo
http://imperialisminthecongo.wikispaces.com/1%29+Historial+Congo

ルカンガ湿地帯の南。
現在の地図にもその辺りに Chitanda という地名がある。(ザンビア地図)

マシュクルンベ州について。
 旧北ローデシアへの入植時、南西部でバトカ族、マシュクルンブェ族の土地を入手したとある。(現代史)

 マシュクルンベ発見!
 マタベレ国の英語版のウィキに載っていた1887年の地図の端っこにそれらしき地名が。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Matabeleland.png
http://en.wikipedia.org/wiki/Matabeleland

 古地図のサイトで『アンドレの地図帳』1899年版の南部アフリカの地図に。
Maschikulumbe と。

 いや。これについては、先日の記述の中東の地図サイトに飛んでみたら、
そこにアフリカの地図もあって、古地図もあって。
その辺のリンクか何かで、あちこち調べていたら!

 カフェ河がシタンダからザンベジ川へ大きく南西に蛇行する辺り。

Maschikulumbe

Andrees Allgemeiner Handatlas, 1899 ► Africa
Africa 1899 Southern Africa
Publisher: Verlag Von Velhagen & Klasing
Map Types: Continent Map
Original Map Size: 22.25" x 17.75"
Map ID: 9776
Collection:WardMaps LLC

http://www.wardmaps.com/viewasset.php?aid=9776

現物が国立国会図書館にあるみたい!
見、見たい!
見てこようかな~…。


2014-04-09

ハガードの世界3

映画『キング・ソロモン』の原作

『ソロモン王の洞窟』に戻ります。

 ハガードの原作では、
クォーターメンが30年前に、原住民の伝説を集めている白人から聞いた話として、ある廃都を発見した話を聞く。

彼は聖書に出てくるオウファ(オフィール?)だと信じ込んでいた。
マニカ州の年老いたイサヌシ(女呪術史)から聞いた話として、
マシュクルンベ州の北西部にあるサリマン山脈に、本当のソロモン王の鉱山があったところだと。
サリマンはソロモンの訛り。サリマンとソロモンと同義のアラビア語。(編者注)

 その山脈の向こうに、ズールー族の一種族でズールー族よりもずっと立派で体も大きい種族が住んでいる。
そこにかつて全世界が暗黒だった頃白人から習ったという偉大な魔法使いがいる。
そいつらがすばらしい『輝く石』の鉱山の秘密を握っていると。

 その20年後に、またそこにまつわる話を聞いた。
マニカ州の向こうのシタンダ聚落で。

デラコアのポルトカル人で自分の300年前の先祖の
ホセ・ダ・シルヴェストラが残した文書と地図。

 そして二年前にベチュアナ出のカフィール人を連れて、
マタベレ州の一番奥の交易地インヤチまで行ったネヴィル氏。
そのカフィール人のジムはサリマン山から子供をつれてナタールへきた女を知っていた。 

 ルカンガ河までは、マニカ州を越えて一カ月もかかるとある。
 シタンダ聚落はルカンガ河とカルクエ河が合流する辺りにあり、ダーバンからは千マイル以上。
最後の300マイルは、ツェツェ蠅の多い地域を通るので徒歩で進まなければならなかった。
 ロベングラ(大悪党)王の支配下にあるマタベレ州の辺境の交易地インヤチで牛車と別れた。
この地に住んでいるスコットランド人の宣教師に管理を依頼。
 水と森の国を通り、キリンを撃ち、象を狩り、九頭の象を仕留めた。
 シタンダ聚落は肥沃な草原の終点で、そこからは砂漠が広がり、
はるか彼方に青い稜線。雪をいただくサリマン山。

さて。

マタベレ州はジンバブウェの南西部。
http://en.wikipedia.org/wiki/Matabeleland
マニカ州はジンバブウェの東部。
http://en.wikipedia.org/wiki/Manicaland_Province

そして、マタベレ州の辺境の交易地インヤチ発見!

ブラワヨの北東にイニャティ Inyati という地名あり。
ロンドン伝導教会の拠点あり。
ザンベジ川とリンポポ川の間です。
(『ダイナミック・アフリカ』・南部アフリカ地図)
mapaafrica1890.jpg
『ダイナミック・アフリカ』古今書院 41p 

 ローベングラはンベデレ王国の最後の王。
南アフリカから進撃してきたセシル・ローズの軍隊に抵抗した。
(アフリカを知る事典・アフリカ全史)
http://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9
http://en.wikipedia.org/wiki/Lobengula
 
ベチュアナは現ボツワナ共和国。南アフリカの北。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

カフィール(Kaffir)とは、英国統治下の南アフリカにおいて英語に輸入された言葉で、
現地の先住民(すなわち黒人)を指す蔑称・差別用語。
もとは、アラビア語で、通常は「不信心者」「信じない」、または「 異端者 」。

http://en.wikipedia.org/wiki/Kaffir_%28racial_term%29

2014-04-08

中東・イスラーム世界歴史地図~!

【地図】シカゴ大学中東研究所ー中東地図
https://cmes.uchicago.edu/page/maps-middle-east …
同研究所が中東の歴史・文化教育の教材用として一般公開している地図画像。
イスラーム以前から現代までの中東・イスラーム史の歴史地図が中心。

WATABE Ryoko ‏@khargush1969
https://twitter.com/khargush1969/status/451900646187204608

【地図】ペリー・カスタネーダ図書館地図コレクションー中東
http://www.lib.utexas.edu/maps/historical/history_middle_east.html …
テキサス大オースティン挍の人文社会系図書館の有名なオンライン地図コレクション。
古い文献からスキャンした20世期前半の国・都市の地図が主。
その他の地図サイトへのリンク集も充実。
2014年4月4日
WATABE Ryoko ‏@khargush1969 4月4日
https://twitter.com/khargush1969/status/451903638919593984

【地図】http://zonu.com ー中東地図
http://www.zonu.com/Middle-East/index_en.html …
世界各地の地図・衛星写真のデータベース。
歴史地図、政治地図、自然地図、テーマ別地図、衛星地図に分類された地図多数。

WATABE Ryoko ‏@khargush1969 4月4日
https://twitter.com/khargush1969/status/451928269793677312


【地図】http://edmaps.com ー中東・イスラーム世界歴史地図
http://www.edmaps.com/html/middle_east_and_islamic_world.html …
教材用のフリー地図画像コレクションサイト。
https://twitter.com/khargush1969/status/451925960854478848

2014-04-07

アメリカから見た世界

少し前、友人のつやぶきで見つけた地図…
う~ん…

mundodeusa.jpg

Map Of The World According To Americans
http://alphadesigner.com/blog/world-according-united-states/

中国=巨大マーケット
ロシア=共産党
インド=カレー
アフリカ大陸=エイズ
イラン=悪魔
モンゴル=野蛮
Italy=Godfathers, Romania=Dracula, Turkey=Thanksgiving Dinner.

Asia

Syria – Rogue State
Lebanon – Mess
Israel and Palestine – Pals
Jordan, Saudi Arabia, Kuwait – Uncle Allah
Yemen – Thugs
Oman, U.A.E., Qatar – Flying Carpets
Iraq – Fuck Yeah
Iran – Satan
Turkmenistan – Kwpzsfrstan
Uzbekistan – Szwrkstan
Tajikistan – …stan
Kyrgyzstan – Wtfstan
Mongolia – Savages
Kazakhstan – Borat
Afghanistan – Vietnam 2.0
Pakistan – Cambodia 2.0
India – Curry
Bangladesh – Hunger
Sri Lanka – Tigers
Nepal – Alpinists
Bhutan – Meh
Mianmar (Burma) – Rascals
Thailand – Brothel
Laos – Nixon’s Bitches
Cambodia – Skulls
Vietnam – Cemetery
Malaysia – Two Skyscrapers & Stuff
Indonesia – Mesoindia
The Philippines – Rice Dolls
Japan – Toyota
South Korea – Samsung
North Korea – Dr. Evil
Australia & Oceania

Australia – Aussiebums
Papua New Guinea – Guinea Pigs
New Zealand – Kiwis

http://alphadesigner.com/mapping-stereotypes/

2014-04-06

東郷寺の桜2014-3

4月1日
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2014-04-05

大國魂神社のしだれ桜 2014

4月1日

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2014-04-04

東郷寺の桜2014-2

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3月31日夜1時過ぎ

2014-04-03

ハガードの世界2

 英語版のウィキによると、
原作のククアナ王国は
ザンベジ川の支流カフェ川にある現在のザンビアのルカンガ湿地帯の北、
コンゴ共和国(ザイール?)の南東端の辺りだとされているらしい。
ククアナ王国の文化はズールー族のそれっぽい。
http://en.wikipedia.org/wiki/King_Solomon%27s_Mines

原作では、
 一行はダーバンを出発する。
従者はウンボパとズールー人とホッテントット。

 ルカンガ河が実在するとなると、カルクエ河というのはカフェ河のことだろうか。
確かにここは現ザンビア・旧北ローデシア。
その北は旧ベルギー領コンゴ。

 想定するに、ダーバン(旧ポートナタール)を出発して北へ行くとなると、
トランスヴァールを突っ切って、リンポポ川を越えてローデシアに入り、
ザンベジ川も越えて旧ベルギー領コンゴへ行く。

 だが、実際にはその辺りに砂漠はない。
砂漠はもっと手前の西方にある。カラハリ砂漠だ。

 そして雪をいただく山といえば、もっと北方のキリマンジャロ山だろうか。

そして彼らが通りすぎるリンポポ川とザンベジ川の間にはジンバブウェがある。 

 イメージとして、カラハリ砂漠を越えて、キリマンジャロ山を越えて、
高原へたどり着くという感じだろうか。

 そして山の彼方にはローマ街道のような立派な道が続いている。
それがソロモン街道なのだそうだ。
しかもそれを古代エジプト人が作ったらしいことになっている。

 お宝の山の麓の巨像はフェニキア人が作ったらしいことになっていて。
ソロモンが掘り出したであろうダイヤモンド鉱山の穴まである。

 いやあ、なかなか興味深いです。

 『ソロモン王の洞窟』が書かれたのは1885年? 
ええっ? ちょっと待って!
 ベルリン会議でアフリカ分割が勝手に決められた年ではないですか!

 そうなると、その頃にはまだローデシアもベルギー領コンゴもまだなくて、
あの辺りはアフリカ人の王国が乱立していたような。
たしかリンポポ川の北にはマタベレ王国とやらが。
 まだ探検家達があちこち踏破している最中で、内陸部はまだまだ未知の世界だった頃ですね。 

2014-04-02

アフリカのハガード

 ハガード自身、南アフリカにいたんですって!  
学業不振で落ちこぼれた彼は、ナタール総督の秘書として南アフリカに行くことに。
1875年。19歳。
ナタール総督はヘンリーブルワー。
1876年にシェプストンのスタッフに移された。
1877年トランスヴァール併合のためにプレトリアにシェプストンに同行していた。
その後トランスヴァール高等法院で職を得た。
1882年英国に戻った。
とすると、ちょうどズールー戦争の当時。
ボーア戦争が始まる前。
 アフリカにいる時、いつかアフリカを舞台にした小説を書くために、
彼は熱心に土地の言葉を習い、好んで奥地の聚落へ出かけて起居を共にして、
その歴史、風俗、習慣、伝説、口碑、迷信などをつぶさに研究していたという。(ソロモン王の洞窟あとがき)

KingSolomonsMines.jpg


 彼はアフリカで会った冒険家達(フレデリック・セルー、フレデリック・ラッセルバーナム)や、
アフリカで発見された偉大で豊富な鉱山、ジンバブウェのような失われた文明の遺跡などの影響を受けて、
アラン・クォーターメンの冒険を造り上げたという。(英語版のウィキ)
http://en.wikipedia.org/wiki/H._Rider_Haggard
http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Selous
http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Russell_Burnham

グッドのモデルもいた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Thomson_%28explorer%29

 彼は他にもズールー三部作とか、書いていた。
未訳だが。(Marie (1912), Child of Storm (1913) and Finished (1917),)
クォーターメンの若き日の話で、かれの妻と子供の話。
1835年のコーサ族との戦争の時代、ボーア人の農家の娘に恋して、
ボーア人の大移動、ズールーの族長ディンガネやセテワヨも出てきて、ズールー戦争も。
http://en.wikipedia.org/wiki/Marie_%28novel%29
http://en.wikipedia.org/wiki/Child_of_Storm
http://en.wikipedia.org/wiki/Finished
http://en.wikipedia.org/wiki/Allan_Quatermain

 それからシャカの私生児の話とかもあるらしい。(Nada the Lily)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nada_the_Lily

 ジンバブウェは、最近になるまで、
あの遺跡は白人が、ソロモン王由来で、フェニキア人由来と思い込まれていたそう。
そしてあの辺りに黄金があるはずだと思われていたという。
 なのでセシル・ローズが躍起になって、あの辺りまで占領しようとしていたという話も。
ジンバブウェは最近の考古学調査によって、地元の先住民が作ったものだと証明された。
 ズールー族の属するバントゥー族という黒人の種族が、
中央アフリカ、いや西アフリカから移動してきたという説も最近定説となっているらしい。

2014-04-01

ハガードの世界1

ハガードの世界

『ソロモン王の洞窟』 
原作はどうなっているのか? 気になって見てみました。
 まず序文でシャカのことに触れているのだが、訳がチャカになっている。(コーサ語読み)

 なんと、クォーターメンとウンボパはイサンドルワナの戦いの前夜、会っていた!
 クォーターメンははズールー戦争時のチェムスフォードの案内人の一人という設定で、
 ウンポパは原住民の予備軍の小部隊を指揮していたとか。
 二人とも前日に戦線を離れていたって!  

 ウンボパはズールー人の間で暮らしていたがズールー人じゃない。
 自分の故郷はずっと北だと。
 一千年前、ズールー人が移動した時、残った。
 シャカが支配するずっと以前。
 何年も放浪してきた。
 セテワヨの部下だったこともある。
 ズールーから逃げてナタールへきた。
 戦争の時はセテワヨの敵に回った。
 その後もナタールで働いていたがまた北へ行きたくなったという。

KingSolomonsMines.jpg

プロフィール

アシーン

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