2014-11-30

気になる写真のバックアップ4~ドスパラ拡張

インドでの写真のバックアップ

パソコンの師匠の助言通り、
結局、ドスパラに外付けメモリを増設して、使ってみることに。
USB 3.0ポートも搭載されているタブレットの魅力は大きいです。
だって、小さくて安いんだもん。

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ドスパラ「Diginnos DG-D10IW」

Windows 8.1 インストール済み
インテル Celeron プロセッサー(BayTrail-M)搭載
大容量4GBメインメモリ+64GBストレージ搭載(64GBのフラッシュメモリー(eMMC))
((Samsung MCG8GC))
10.1インチマルチタッチ液晶

<10.1型でWindows® 8.1搭載、 ノートPCとしてもタブレットとしても活躍する2in1タイプのモバイルPC>
http://www.dospara.co.jp/5press/2014/0627

<4GBのメモリー、USB3.0ポートを搭載する価格性能比にすぐれた1台
ドスパラ「Diginnos DG-D10IW」

1280×800表示に対応する10.1インチ液晶に、
デュアルコアプロセッサー「Celeron N2807(1.58GHz)」を組み合わせた
オーソドックスなモデル。
しかし、4GBの内蔵メモリーと64GBの内蔵ストレージ、
SDXC対応のmicroSDメモリーカードスロット、
さらにはUSB 3.0ポートも搭載しており、
処理性能や拡張性が高めに設定されている。

特に4GBのメモリーについては、
マルチタスク処理を行う場合に競合機種と比較して強みとなるだろう。
価格も41,018円(直販価格)と安く抑えられており、
価格性能比にもすぐれた1台に仕上がっている。>

「Windows 8.1 with Bing」は、「Windows 8.1」のOEM向けの新しいエディション。
プリインストールされるWebブラウザー「Internet Explorer 11」の検索エンジンに、
マイクロソフトの「Bing」がデフォルトで設定されており、
低価格でライセンスされるのが特徴だ。
なお、検索エンジンに「Bing」以外を設定することも可能。
機能面では標準の「Windows 8.1」となんら変わりはない。

「\」および「_」「ろ」のキーがないため
「訳あり品」という扱いになるカバー一体型のキーボードがプレゼントされる>

http://magazine.kakaku.com/mag/pc/id=1753/?lid=exp_iv_103385_K0000600643
<5万円以内でも豊富に選べるOffice搭載モデル!
セカンドマシンに欲しい! 「Windows 8.1 with Bing」搭載の格安タブレットカタログ>
- 価格.comマガジン

外付けメモリハードディスク中身はこれ

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Crucial MX100 2.5インチ内蔵型SSD 256GB SATAIII CT256MX100SSD1
マイクロンジャパン「Crucial MX100」
~16nm NANDを採用し、最もコストパフォーマンスに優れるSSD
NANDフラッシュメモリチップ
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/hirasawa/20140627_655402.html
http://www.crucial.com/usa/en/storage-ssd-mx100-ja

平澤寿康の周辺機器レビュー
マイクロンジャパン「Crucial MX100」
~16nm NANDを採用し、最もコストパフォーマンスに優れるSSD
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/hirasawa/20140627_655402.html

最新パーツ性能チェック ― 第160回
爆発的人気の「Crucial MX100」は噂通りの“価格破壊者”だった
http://ascii.jp/elem/000/000/907/907488/

最安価なのにミドルレンジとしても性能十分
間違いなく“Crucial m4の再来”級インパクト

マイクロンの低価格&高速SSD「Crucial MX100」が6日から販売
http://ascii.jp/elem/000/000/901/901421/

NAND型フラッシュメモリ 【 NAND-type flash memory 】
<1987年に東芝が開発したフラッシュメモリ技術。
磁気ディスクに代わってデータの保存・運搬などに利用することを主な用途としている。
プログラムを収容するためのNOR型フラッシュメモリとは異なり、
消去や書き込みの速度が速く大容量化に適した仕様となっているが、
ブロック単位での読み書きしかできず、ランダムアクセスが遅いという欠点もある。
メモリカードメディアに広く応用されており、
コンパクトフラッシュ、スマートメディア、SDメモリーカードなどの
記憶素子として利用されている。>
http://e-words.jp/w/NANDE59E8BE38395E383A9E38383E382B7E383A5E383A1E383A2E383AA.html

<NAND型フラッシュメモリ(ナンドがたフラッシュメモリ、NANDフラッシュメモリ)は、
不揮発性記憶素子のフラッシュメモリの一種である。
1987年に東芝に在籍していた舛岡富士雄が発明した。
NOR型フラッシュメモリと比べて回路規模が小さく、安価に大容量化できる。
また書き込みや消去も高速であるが、バイト単位の書き替え動作は不得手である。
従来のフロッピーディスクに代わるPC用のUSBメモリやFlash SSD(SSD)、
デジタルカメラ用のメモリーカード、携帯音楽プレーヤー、
携帯電話などの記憶装置として使用される。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/NAND%E5%9E%8B
%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA

フラッシュメモリ
<記憶セルを接続する構造により
NAND型フラッシュメモリとNOR型(ノアがた)フラッシュメモリなどに分けられ、
ともに舛岡富士雄が東芝在籍時に発明した。
その後インテルの開発により、NOR型が先行して市場に広がった。

NAND型は、高集積化に向いていて、書き込みが高速な利点があるが、
1バイト単位の読み出しはできず、
ランダムアクセスによる読み出しが低速である欠点を持つ。

NOR型は、マイコン応用機器のシステムメモリに適しており、
従来から使用されていたROMを置き換える存在となった。
ROMの交換で行われていたファームウェアの更新も、
製品の筐体を開けることなく容易に行えるようになっている。

NAND型は、データストレージ用に適しており、携帯電話、デジタルカメラ、
デジタルオーディオプレーヤーなどの記憶媒体として広く普及しており、
それによって価格も低下している。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA

******

inateck usb30 hddcase02b.jpg

Inateck USB3.0 2.5インチ HDDケース 厚さ9.5mm /7mm
[SSDに最適化、アルミ合金ケース]
SATA SSD HDDに対応 SATA-I、SATA-II、SATA-III UASPにサポート | フルアルミハウジング
<2.5インチ、厚さ9.5mm/7mmのSATA HDD/SSDを、
外付HDDのように使用でき非常に便利です。
USB3.0インターフェースで、高速で快適なデータ転送を可能にします。
超高速UASPデータ転送モードに対応し、従来のUSB3.0よりも70%高速化。
USB3.0の転送速度は、最大5Gbps、USB2.0/1.1は最大480Mbpsに対応してます。
(USB2.0環境下では、USB2.0で動作)
本製品は、軽量かつ丈夫なアルミニウム合金を素材に使用しております。
工具付属>

inateckhbu3vl2-4b.jpg

Inateck USB3.0 高速ハブ 4ポート USB1.1/2.0互換可 ポータブルバスパワー
<高速のUSB3.0接続により、最大5Gbpsの転送速度を実現。>
<USB1.1/2.0にも互換性がありますので、
古いUSB機器も接続して使用が可能です。
ACアダプタを使用しないバスパワー専用モデルで、
PC本体に接続して気軽に利用できます。>

****

色々と知らないことが沢山あります。
どんどん進化しているんですね。

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2014-11-29

インド17 4日~5日目

3日目のお昼は
外国人観光客向けのカレーと中華のバイキング。
いや、カレーが大変美味しかったです!

夜はホテルの中華で。
かなり油っこかったです。

4日目
予定ではラームバーグとイティマード・アッダウラ廟によって移動。
デリーに着いて、ヒルキーモスク
ドゥグラカーバードとギヤースアッディーン廟の予定でしたが。

朝早く出るつもりが、朝お腹来ましたよ。
観光全部キャンセルして、デリーへの移動のみに変更。

きれいな高速が出来ていて早く着いたけど、高速おりるとひどい渋滞でした。
夜は持ってきた日本食

5日目
予定ではラール・キラーと博物館。

でもまた朝お腹がやられて。
博物館以外はキャンセル。
国立博物館はすごかったです~!
とても全部は見切れないので、ムガール朝時代に絞って、
工芸品と細密画と宝飾品と武器と、
あとアジアだけ見て回りましたが、素晴らしいですね。
これだけで3時間。
合間合間にトイレに行けたのが助かり。力尽きました。

お土産屋に寄るというのを断って、
空港へ。

つい最近まで、インド疲れが尾を引いてました。

2014-11-28

インド16 シカンドラー

お昼も食べられて。
午後はシカンドラーへ。
シカンドラーのアクバル廟(Tomb of Akbar, Sikandra)
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ここは狙っていた肝心の上の階の宮殿部分へは入れませんでした。

シカンドラー(Sikandra) :
アーグラ郊外北西10kmにある城。
1492年、シカンダル・ローディーによって首都宮城として建てられたが、
その後ムガル帝国のアクバルの霊廟だけが残された。
この霊廟は1613年建立。Tomb of Akbar the Great

2014-11-27

インド15 勝利の都

ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri、
(勝利の都シークリー)

3日目
郊外だし、涼しくって楽。
ファテプル・シークリーは面白かったです。
アーグラ城もここも、ヒンドゥー建築とイスラーム建築の融合を試みた建物で、大変面白いです。
特にこちらの方が、奇抜なデザインがあって、可能性を模索した感じがいいですね。

でもモスク地区には行かれませんでした。
広すぎて、体力的に諦めました。
(でも閉鎖していたかも)


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土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされた都市遺跡
アーグラ約40km西
ムガル帝国3代皇帝のアクバルが建てた首都宮城。
14年間あまりここで政事を行った。(1574年~1588年)

2014-11-26

インド14 2日目

アーグラのホテルも冷房効きすぎで寒かったのですが、
部屋はエアコンを切れば、冷風は来なくなりました。
レストランは寒いけど。

最初の予定では、夜明けのタージマハールをアグラ城から見る
~という旅行社お勧めのプランだったのですが、
どうにも朝起きられる自信がなく、体調崩しそうだったので、
10時からにしました。

外に出るといきなり暑くて、
タージマハールに着くとこれまた暑くて、
あれ?昨日はそんなに暑くなかったような気がするんだけどな。

タージマハールまで歩くだけで、けっこう体力消耗。
入口の混雑ぶりがまたすさまじい。
中もすごい。
明らかに大勢の人の熱気でさらに暑くなっている…。

もう何とか墓廟まで行って帰って、
中も何とか入って、一周して、
駐車場まで歩いて戻ったら、
もう脱水症状。

お昼ごはんのお店に行っても、喉がカラカラでなにも食べられない。
連れは美味しいと行って食べていましたが。

ホテルに戻って、2時間休む。
お風呂に入って、温灸して、やっと何とか生き返る。

夕方からアーグラ城へ。
涼しい。
やっぱりタージマハールは特別だったみたいです。

この夜は持ってきた日本食で晩御飯。
アルファ米のおかゆと味噌汁に換装野菜をぶちこむ。

2014-11-25

インド13アーグラ3

夜のタージマハール

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これは嘘つき写真です。
実際はもっと真っ暗です。
カメラの性能が良すぎて、明るくなりすぎてます。

2014-11-24

インド12アーグラ2

アーグラ城塞
「赤い城」(ラール・キラー, Lal Qila)

ヒンドゥー建築っぽいところと、
イスラーム建築風のところとが同居しているのが面白かったです。

一番の見どころの真珠のモスクが閉鎖~!

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2014-11-23

インド11アーグラ1

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タージ・マハル 1654年
フマユーン廟はおそらく最初に建てられたペルシア風建築らしい。
これがタージマハールに結実するのねという過程がわかって面白かったです。
タージマハールはそのシルエットにすべてがかけられたという感じでした。
これはこれで、今までのイスラーム建築ともペルシア建築とも違うところですね。




2014-11-22

インド10 初日

今回、色々と考えて、はじめて日本の飛行機会社。
JALにしました。

なるべく体力の温存をはかって。
直行便で。

最初、羽田発がいいなあと思って調べてもらったのですが、
所要時間が長くて…。

<羽田発着便>
1) シンガポール航空(SQ)
11/05(水)SQ403 羽田/シンガポール  08:50 / 15:15
11/05(水)SQ406 シンガポール/デリー 17:00 / 20:10
11/10(月)SQ403 デリー/シンガポール 22:00 / 06:00+1
11/11(火)SQ632 シンガポール/羽田  08:05 / 15:35

2) タイ航空(TG) 
11/05(水)TG683 羽田/バンコク  10:45 / 15:15
11/05(水)TG315 バンコク/デリー 20:40 / 23:40
11/11(火)TG316 デリー/バンコク 00:55 / 06:20+1
11/11(火)TG660 バンコク/羽田  14:50 / 22:30

直行便を調べてもらったら、この方が時間が短くで楽かなあと。

1)日本航空(JL)

 11/05(水)JL749 成田/デリー 11:50 / 18:20
 11/10(月)JL740デリー/成田 22:20 / 07:20+1

2)全日空(NH) 

11/05(水)NH917 成田/デリー 17:15 / 00:15+1
 11/11(火)NH918デリー/成田 01:25 / 12:50

前泊の成田ビューホテルは
とくかく温泉付きというだけで、助かりました。
風邪っぽかったから。

でもJALの機内の席はむちゃくちゃ寒くて、エコノミーの食事は最悪。
ダウン着て震えてました。
う~ん次回は考え直そう。

無事デリーに着いて、でもひどい渋滞でホテルまで1時間以上。
ホテルはホテルで冷房効きすぎ。
部屋のエアコン切っても、館内空調の冷風ががんがん入ってくる。
これまた寒くてまいりました。

クトゥブミナールとフマユーン廟と見て、
紅茶屋さんに連れていかれて、
鉄道でアーグラへ。

アーグラはデリーから南へ180km
デリーからインドの新幹線「シャダブティ・エクスプレス」で3時間。

列車も冷房効きすぎ。
寒かったです。

これも途中で何度も止まって、
単線なので、ポイントで対抗列車の通過を待つのだそう。
ひとつ遅れると果てし無く遅れる。
3時間の予定が4時間。

車内販売で飲んだスープは大変美味しく、
食事も頼んでおくと席まで運んでくれて、
試しに一人分頼んで、ちょっと味見。
すごく美味しいけど、やはり辛かったです。

とにかくようやくアーグラ到着。

2014-11-21

インド9 デリー5

イサ・カーン廟

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Isa Khan's tomb(1547年)

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13世紀後半から14世紀前半にかけての
イスラームのスーフィーの聖者の墓廟ニザームッディーン廟
Nizamuddin Dargah

2014-11-20

インド8 デリー4

フマユーン廟 1565~72
フマユーン廟はおそらく最初に建てられたペルシア風建築らしい。

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2014-11-19

インド7 デリー3 インド最古のモスク3

後世の増築部分
文様がなかなか美しいです。

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イレトゥミシュ廟 1236年
インド・イスラームの最初の廟建築

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アラーイ門 1311年


2014-11-18

インド6 デリー2 バルマンの鉄柱

『バルマンの鉄柱』です! 香坂智子さんのシルクロードシリーズの!
これが見たかったんですよね~。

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チャンドラヴァルマンの柱
アショーカ王の柱
世界遺産クトゥブ・ミナール内にある錆びない鉄柱
<99.72%という高純度鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれている。
直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トン。
紀元415年に建てられたといわれる。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%89%84%E6%9F%B1

<その基部に刻まれた碑文によれば、この鉄柱は 偉大な王、チャンドラを記念しているという。
それがグプタ朝の チャンドラグプタ2世(在位 375~413頃)のことであるのは間違いない。>

2014-11-17

インド5 デリー1 インド最古のモスクと塔

まず行ったのはここです。
インド最古のミナーレットとのこと。
おお!
アフガンっぽいです!
アフガンのジャームの塔に似ています。

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ミナールと鉄柱

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インド建築技術で作られたモスク
う~ん、ヒンドゥーっぽい!

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デリー
Delhi Qutub Minar「勝利の塔」1200年ごろ
インド最古のモスク
クッワト・アルイスラーム・モスク「イスラームの力」の塔。
Quwwat-ul-Islam Mosque
今もなお、インドで最も高い石造の塔
<地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100mほどの高さがあったという。
直径は、基底部14.3mに対して先端部2.75mであり、文字どおりの尖塔である。
内部には378段の階段があり、以前は先端部まで上ることができた。

<5層の高さは 72.5メートルに達し、基部の直径は 約 15メートルであるが、
最上部は 直径が約3メートルと細くなっている。

落雷で塔の最上部が壊れてから、
トゥグルク朝のスルタン、フィーローズ・シャーが 1368年に第4層を修理し、
その上に5層めを付け足して、白大理石によるドーム屋根を架けた。

しかし、のちに地震でこのドームが壊れたので、
19世紀に後期ムガル様式のドーム屋根がつくられた。

ところが イギリスのスミスという少佐によって付け足されたこの部分は、
建物全体とうまく調和していないという理由から、結局 1848年に取り外され、
境内の芝生の上に 降ろされた


ほぼ同じ頃、スペインのセビーリャのモスクには、これより少し高い塔が建てられた。
のちに「ヒラルダの塔」とよばれることになるミナレットである。
どちらも、中世初期、イスラーム勢力拡大の 東西のシンボルであった。>
<「ユネスコ世界遺産」 デリーの最初のモスクと クトゥブ・ミナール-神谷武夫>
http://www.kamit.jp/02_unesco/11_qutub/qutub.htm

Archaeological Survey of India> Qutb Minar and its Monuments, Delhi
http://asi.nic.in/asi_monu_whs_qutbminar.asp



2014-11-16

インド4

いろいろと驚きました。
やはり牛や動物と共存しているのがすごいですね。
というか、牛、車の喧騒にまったく動じてない。
すごい。

渋滞もすごい。
そして、強引なようでギリギリで譲りあっいている。
その絶妙さがすごい。

10億の人間が共存しているんですよね。
この過酷な気候と環境で。

この状況からブッダが生まれたのが、なんとなく納得。

共存して折り合いを付けるために悟りを開くしかなかった。

10億の人間とそれ以上の動物を、養えるんですよね。
インドの大地は。
それもすごい。

昔から冨を蓄えて、略奪の標的だったというじゃありませんか。
それでいて、周囲と折り合いをつけていく。
なんかやっぱりすごい。

中国は百年単位でモノを考えるけど、
インドは千年単位でモノを考えるという。

う~ん…かなわない。

2014-11-15

インド3



昼間のタージ・マハールは、
もうお伊勢参りか、正倉院展か、大晦日の初詣か、という状態で。
長蛇の列。
押さないで下さい!
立ち止まらないで下さい!
よじ登らないで下さい!
こら!写真撮っちゃダメ!(中)
中、真っ暗です。

池に水はないし。

ただでさえ暑いのに、大混雑の人の熱気がすごくて、
熱中症になりました。

そして満月のタージ・マハールは
がっかりでした。

一時間前に警察へ行って、
ボディチェック、荷物検査。延々待たされて
20人くらいずつ、バスで行き、ライフルもった護衛付き
30分。
ライティングなし。真っ暗。
月は真上。
入れるのは入り口の露台まで。
し~ん…。

2014-11-14

ジーロフト

昨日のニュースを調べていて、ひっかかったつぶやきです。

「イランの古代史、最近のいろいろな発見が概説書等にほとんど反映されていません。
ジーロフト文明や新エラム末期のお宝ざくざく、
パルティア時代でもハマダーンの丘(タッペイェ・ヘグマターネ)などはまだ誰も触れてないと思います。」

ジーロフト?
聞いたことがある。確かケルマーンの遺跡?

実は2007年にイランのケルマーンに行ったとき、
あの辺り、ケルマーンのガイドが、遺跡がいっぱい埋まっているのに、
発掘できない(資金とか人とか、許可とか)って嘆いていたのを思い出しました。

*****

特集追憶のペルシャ
AUGUST 2008
National Geographic
http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0808/feature01/_02.shtml

イランの世界遺産第17件目( NEW )

<"焼失した都市"は、イラン南東部スィースターン・バルーチェスターン州のザーボルから
56キロメートル離れたところにある古代都市の遺跡です。

この都市が建設されたのは、ジーロフト文明の青銅器時代であり、
およそ6000年前に、イラン人はこの都市で暮らしていました。
この都市は、当時、世界で最も発展した町だったと言われています。
"焼失した都市"では、初めて、人工眼が発見されました。>

https://m.google.com/app/basic/stream/z13gctpqokqlctqdu22vxbqi2y3zwjeee?cbp=gxte1dtcyef&sview=27&cid=5&soc-app=115&soc-platform=1&spath=/app/basic/%2BMohammadrezaSharif/posts&sparm=cbp%3D1a1x19im6v7tu%26sview%3D27%26cid%3D5%26soc-app%3D115%26soc-platform%3D1%26stct%3DChYQpMHlsqPWwQIY8IDBybXVwQIgACgEEhQIABDwgMHJtdXBAhjIp5y2tfnAAhgC%26spath%3D/app/basic/stream/z13fvxigttvovzgyh04cftzjbyibwhpq5m00k%26sparm%3Dcbp%253D1i01sg02atp5s%2526sview%253D27%2526cid%253D5%2526soc-app%253D115%2526soc-platform%253D1%2526att%253Dtrue%2526at%2526spath%253D/app/basic/104644977738453878522/posts%2526sparm%253Dcbp%25253Dmn055pcsnave%252526sview%25253D27%252526cid%25253D5%252526soc-app%25253D115%252526soc-platform%25253D1%252526stct%25253DChYQv9eP4PLNwQIY4OqLwfjHwQIgACgEEhQIABDg6ovB-MfBAhiI9M7Y-ufAAhgC%252526spath%25253D/app/basic/101604417572214130931/posts%252526sparm%25253Dcbp%2525253Dpb0np4mzm1vz%25252526sview%2525253D27%25252526cid%2525253D5%25252526soc-app%2525253D115%25252526soc-platform%2525253D1%25252526stct%2525253DEgkI-LPdoqbJwAIo-LuqqvHqwAIwnurg2aHswAI4A0AC%25252526spath%2525253D/app/basic/s/%252525252523%2525252525E7%2525252525A9%2525252525BA/related%25252526sparm%2525253Dcbp%252525253Dm9qbyek07teo%2525252526sview%252525253D27%2525252526cid%252525253D5%2525252526soc-app%252525253D115%2525252526soc-platform%252525253D1%2525252526sri%252525253D0


<ジーロフトはイラン南東部ケルマーン州の小都市であり、世界最古
(これまでの研究では紀元前3000年~紀元前500年とされていたが、
より古いとの見方が強まっている)
のジーロフト文明が存在したことで知られ、
更にここ数年の発掘調査で世界最古とされる文字が発見され、世界的な反響を呼んだ。

現在、少なくとも12カ所での発掘調査が続けられている。
文字の解読やジーロフト文明の詳細な年代等についてはまだ調査の段階である。>

http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20061216_4133.html

<ほぼアレクサンドロス大王の遠征記にしか出てこない伝説の地、カルマニア(Carmania)
カルマニアはギリシア語での呼び方である。他にもケルマーンやジェルマーンといった呼び方がある。>
<カルマニア>Consume Mind
http://seesaawiki.jp/consume_mind/d/%a5%ab%a5%eb%a5%de%a5%cb%a5%a2

<ジーロフト(Jiroft)という町は現在も存在しているが、
ここで述べるジーロフトとは現在のジーロフト近郊にある古代都市の遺跡のことである。
 地元ではシャハレ・ダキアヌス。
ダキアヌスの町と呼ばれている。
ダキアヌスと呼ばれている人物は史上何人かいるが、
ここでは三世紀半ばにキリスト教の弾圧を行ったダキアヌスのことらしい。

 古代都市というのは言い過ぎか。
 都市というには小さすぎるが、古代という言葉にはピッタリである。
なぜならイラン高原にアーリア人の侵攻してきた紀元前1500年代どころか、
紀元前2500年代の遺跡だからである。

都市というより「遺跡が散らばっている一帯」といった感じであるが、
発掘された資料を見ると立派な文明を持っていたことが分かる。>
<ジーロフト:カルマニアの古代都市>
http://seesaawiki.jp/consume_mind/d/%A5%B8%A1%BC%A5%ED%A5%D5%A5%C8%A1%A7%A5%AB%A5%EB%A5%DE%A5%CB%A5%A2%A4%CE%B8%C5%C2%E5%C5%D4%BB%D4

イランの“焼失した都市”の遺跡がユネスコの世界遺産に登録 -IRIBラジオ日本語
http://japanese.irib.ir/news/culture-society/item/46096-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E2%80%9C%E7%84%BC%E5%A4%B1%E3%81%97%E3%81%9F%E9%83%BD%E5%B8%82%E2%80%9D%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%8C%E3%83%A6%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%81%AB%E7%99%BB%E9%8C%B2

http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26810338.html

<2000年、イラン南東部のジーロフト近郊で新たな発見があった。
ハリル川が氾濫して、数千もの古い墓が偶然、地上に姿を現したのだ。
現在、6度目の発掘調査が行われており、興味深い発掘物も見つかっている。
ジーロフトには、メソポタミアと同時代に文明が栄えていたという説もあるため、注目が集まっている。

この発掘調査を指揮しているのが、考古学者のマジシザデー。
専門は紀元前3000年頃で、
ジーロフトは紀元前2700年頃の青銅器時代に存在した幻の国“アラッタ”ではないかと、考えている。
アラッタの優れた工芸品はメソポタミアにまで運ばれたと伝えられるが、
現時点で確証はなく、その存在自体に懐疑的な研究者もいる。>
: http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26801545.html

オルタナティブを考えるブログ
ラピスラズリの道(4) エデンの園とアラッタ王国
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26734520.html
ラピスラズリの道(5) 衝撃のジロフト文明 前編
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26801545.html
ラピスラズリの道(5) 衝撃のジロフト文明 後編
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26810338.html

ピスラズリの道(6)テペ・ヤヒヤ そして海へ
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26869744.html

ラピスラズリの道(7) 古代の資源輸入国と交易 ディルムン
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/26888691.html

ジーロフト遺跡再び  ハムシャフリー
2006-12-13
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20061216_4133.html
3万点のジーロフト遺跡出土品、国外に流出
2007年04月16日付 Iran紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20070418_202757.html

ケルマーンの文明を知ってもらうには責任者全員の信念が必要 ハムシャフリー紙
2006年08月30日付 Hamshahri紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News2006831_3378.html

2014-11-13

終戦直後に爆心地見た元ソ連スパイの死 

帰りの飛行機の中で、読んだ新聞の記事…。

******

終戦直後に爆心地見た元ソ連スパイの死 晩年の証言とは

核と人類取材センター・副島英樹

2014年11月9日

モスクワで今年、101歳の男性が生涯を閉じた。
原爆が投下された直後の広島、長崎へ、米国よりも先に調査に入ったソ連軍(当時)のスパイだった。
同僚は放射線障害で死亡し、自らは生き延びた。
報告書の所在は被爆70年が迫る今も分からないが、元スパイは晩年、親しい友人にその内容を明かしていた。

スパイはミハイル・イワノフ氏。
第2次世界大戦末期は東京のソ連大使館に在籍し、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の一員として活動していた。
戦後も1970年代に武官(軍人外交官)として日本で勤務した。

 「彼が日本人を悪く言うのを聞いたことがない」。
日ロ関係史を研究するアレクセイ・キリチェンコさん(78)は、自宅があるロシアのモスクワでこう振り返った。
かつて旧ソ連国家保安委員会(KGB)第2総局(防諜(ぼうちょう)局日本担当)に勤め、
「知られざる日露の二百年」(現代思潮新社)の著者でもある。

 スパイの諜報活動内容は漏らしてはならないとされるが、
生前のイワノフ氏はキリチェンコさんに対し、
国家の命令で調査した原爆投下直後の広島、長崎での体験を語っていた。
キリチェンコさんはその証言の記録をまとめていた。

■広島「SF世界のような光景」

 米軍は45年8月6日と9日、広島、長崎に原爆を相次いで投下した。
8日に参戦し、日本に宣戦布告したソ連は原爆を開発しておらず、威力の解明を急ぐ必要があった。

 「現地調査を命じる」。
イワノフ氏と同僚のゲルマン・セルゲーエフ氏は上層部から指示され、
終戦翌日の8月16日に広島へ、翌17日に長崎へ入った。
米国が広島で予備調査を始める20日以上も前だった。

 2人は列車で広島駅にたどり着いた。
想像した被害をはるかに超える「SF世界のような光景」に言葉を失った。
「恐ろしい病気がはやっている」。
日本の公安職員から「視察」を控えるよう説得された。

 爆心地を突き止め、爆発でできたくぼみの深さを確認する――。
爆弾の威力を算定するデータとなる状況をつかむことが最大の任務だった。
だが、爆心地で見たのは約1キロ四方の真っ平らな空間。
巨大なローラーで突き固めたようだった。

 異様な色に溶けた石を拾っていた時、吐き気をもよおすような臭いがした。
残留放射線の影響や怖さを知らないイワノフ氏らはそれらを包み、かばんに入れていった。

 長崎では、米国の偵察機が原爆投下前に空からまいたという警告の紙片を見つけた。
生き残った人はがれきを使い、一時しのぎのあばら屋を建てていた。
死体から出る臭い、うめき声、叫び声……。
役所の建物の床で一夜を過ごしたが、一睡もできなかった。

http://www.asahi.com/articles/ASGBN4CX6GBNPTIL009.html

■「最も早い報告書」の行方は?

 イワノフ氏とセルゲーエフ氏は、原爆投下直後の被爆地で残留放射線を浴びていた。
日本で戦後にできた被爆者援護法に照らせば、「入市被爆者」にあたる。
調査後、セルゲーエフ氏は体調を崩して死亡。だが、イワノフ氏は生き延びた。

 イワノフ氏らが作ったとされる「最も早い報告書」はどこにあるのか。
 原爆の投下から62年がたった2007年11月。
95歳になったイワノフ氏はキリチェンコさんに
「調査報告書や回収品、写真は全て最高指導部に上げた」と語ったという。

 だが、調査報告書の所在は今も分かっていない。
イワノフ氏は今年2月に101歳で亡くなり、モスクワの墓地で眠っている。

■生死分けたのはウイスキー?

 イワノフ氏とセルゲーエフ氏の生死を何が分けたのか。ソ連当局は調べた。

 広島と長崎での視察後、イワノフ氏はモスクワの軍事病院に1年間入院させられて、徹底した検査を受けた。
その結果、ある結論が導かれた。

 「命を救ったのはウイスキー」

 イワノフ氏は東京から広島へ向かう列車の中で、サントリーのウイスキーを1人で1本空けた。
セルゲーエフ氏は酒を断っていた。

 その後、ソ連は原子力施設で働く職員に少量のアルコール摂取を義務づけ、
原子力潜水艦では、摂取のための一杯を「イワノフのコップ」と呼ぶようになったという。

 放射線の防御にはアルコールが有効との「伝説」が広がり、
チェルノブイリ原発事故(1986年)や東京電力福島第一原発事故(2011年)の際も、
ロシアでは「ウオツカや赤ワインが効く」という話が流れた。

 独立行政法人「放射線医学総合研究所」によると、
アルコールと放射線をめぐっては、「ビール成分に防護効果を確認した」とする研究成果がある。
一方で、科学的な定説にはなっていないという。

 「伝説」は、広島・長崎の原爆が原点だった。
イワノフ氏の95歳の誕生日を祝った際、キリチェンコさんはサントリー・ウイスキーを贈った。
その機知をくみ取ったイワノフ氏の満足げな表情を、キリチェンコさんは今も覚えているという。

■焦るソ連、現地調査重ねる

 米国の原爆投下で幕が開いた米ソの対立は、核武装を競い合う冷戦へとつながっていった。
「米国がソ連の20都市を核攻撃する」という秘密計画までもたらされたソ連は躍起になり、
1949年に原爆の開発にこぎつけた。

 イワノフ氏の報告書の所在は分かっていないが、
ソ連が45年9月と46年9月に被爆地に送った別の調査団の報告書は
ロシア外務省の外交史料館(モスクワ)で保管されている。
朝日新聞が閲覧を求めたところ、今年に入って認められた。

 「原爆/広島・長崎への原爆使用の結果に関する資料」と題された45年の報告書は、
東京のソ連大使館がスターリンや核開発の最高責任者だったベリヤら5人の幹部にあてて作った。

 46年の報告書は連合国の視察団に加わったソ連情報将校が作成。
長崎の被爆を示す写真が十数枚添付されていた。
だが、広島の写真は添えられていなかった。(核と人類取材センター・副島英樹)

http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/257.html
読売・産経・日経には書けない 朝日の「調査報道記事」(世相を斬る あいば達也)

2014-11-12

インド2

7年ぶりの海外旅行。
インドから帰国しました。
覚悟していたけど、インドは半端なく過酷でした。
体力が落ちてます。
行く前に黄砂?花粉?風邪?の状態で、喉と鼻と寒気。
大気汚染に喉をやられ、
ホテルの冷房にやられ、
何か分からないけど、お腹をやられ、(たぶん油かと)
熱中症になり、
よれよれでふらふらで戻ってまいりました。
体が順応しきれませんでした。

正露丸が効きました。
毎晩温灸して乗り切りました。
(温灸~温めるお灸)
のどぬーるマスクと花粉用と二重のマスクと。

とにかくタージマハールは観てきました。
ぱたり。

2014-11-05

インド1

7年ぶりの海外旅行。
インドです。
タージ・マハールです。
とにかくタージ・マハールだけを観てくるという。
短期決戦です。
お腹の弱い自分は、お腹を壊す前に帰ろうと。

そしてどうせなら満月のタージ・マハールを。

アグラ中2日、前後デリー1泊ずつ。

それにしても、準備、いろいろと忘れてますねぇ。
メモはあるんですが。
ばたばたです。
体力も落ちてるし、不安…。
しかも直前に風邪?

飛行機が朝早いので、
成田で前泊。
早割で温泉が安く取れたので。
(成田ビューホテル)

行ってきます。
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