シルクロードの宗教―古代から15世紀までの通商と文化交流
R.C. フォルツ (著),
教文館 (2003
Religions of the Silk Road: Overland Trade and Cultural Exchange from Antiquity to the
Fifteenth Century 1999
Richard Foltz
<15世紀のイスラーム支配までのシルクロードにおける、
通商・文化・宗教の交流の実態を描いた画期的な書。>
<ソグディアナ・トゥルキスタンの宗教史が存外面白い
投稿者 YRTS 投稿日 2011/4/28
ゾロアスター教、ユダヤ教、仏教、キリスト教(景教)、マニ教、イスラム教。
この全てを相応の熱意でもって受容した稀有な地域、それが中央アジアの地だ。
また立地的に、西方宗教の中国への伝達ルートとしての役割も担っている。
それゆえ、本書のテーマには地域宗教史という枠組みを超えた面白みがある。
個々の教義は概説にとどめているが、その成立と変容の過程はおさえている。
この地で各宗教がいかにして受容され、また時に混淆されたのかについては、
特に大乗仏教の波及に際しては重要な意味を持つので、興味あればご一読を。
周縁部ゆえの緩い拘束・隊商民であるがゆえの媒介性、が本書の基底となる。
最終的にティムール朝により、この地は15世紀頃にイスラム化完了となるが、
それまで、宗教史上における面白い実験場があったことを再確認できる好著。>
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC
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『松岡正剛の千夜千冊 』から。
ここの書評は色々と考えさせてくれます。
<本書ではシルクロードを東西南北に移動しつづけた諸宗教だけを扱った。
ゾロアスター教、東アジア型ユダヤ教、大乗から密教や禅にまで及んだ仏教諸派、
東方ネストリウス派、マニ教、そしてイスラーム各派である。>
イラン宗教とイスラームの専門家
本書の訳者も若い。1973年生まれで、東大の人文社会系研究科を修めたのち、
真宗大谷派の親鸞仏教センター(ここはたいへん精力的な研究とメディア発信をしているところ)や、
東大の博士課程をへて、主に中国における外来宗教思想を研究しているようだ。
ユーラシア宗教史の中の内容はけっこう複雑である。
多神多仏と一神教が交じりあっているのだし、諸言語が入り乱れつつ、
仏教でいうならその諸言語と諸信仰がしだいに漢訳され、
シノワズリーな様相に覆われて、そのまま儒教や道教をともなって日本にやってきたわけである。
そのようなシルクロード諸宗教を欧米人が扱うには、ちょっとした覚悟がいる。
西欧史観を脱いでかからないといけない。
そういう意味では、本書は西欧史観の転倒を試みた
アンドレ・フランクの『リオリエント』(1394夜)などの主旨を受け継ぎ、
それを古代に展開しているものでもあった
ただし、残念ながら仏教にはあまり詳しくない。
のみならず本書は、古代ペルシアに始まってヘレニズムとパルティア王国時代をへた
イラン的信仰は、かなりユダヤ的信仰と共振をおこしていっただろうとしている。
それどころか、ユダヤ教に終末論やメシアの概念や最期の審判の観念が確立にするにあたっては、
イラン的なるものの影響が大きかったのではないかと推測もする。
『ヨブ記』(487夜)に登場する天使と悪魔の概念や
「告発する者」(ha-satan)という言葉も、
イラン信仰におけるアングラ・マインユ(悪霊)やアーリーマン(闇の支配者)の影響だろうというのだ。
アンティオキア派、別名「ネストリウス派」はローマ教会の支配を離れ、
ササン朝ペルシアの首都であった
クテシフォン(現在のバクダード付近)に主座をおくことになる。
これが「東方教会」の始まりである。
ネストリウス派はすぐさまソグド人のあいだに広まった。
ソグド人はシルクロードの実際的な“動く主人公”で、
ソグド語はシルクロードのリンガ・フランカ(共通語)であったから、
ネストリウス派キリスト教はたちまち拡張し、いくつもの拠点をもつようになった。
ソグディアナの中心都市サマルカンドに総主教座ができ、カシュガルにもその出店ができた。
シル河(オクサス)の東側だけでも20ものネストリウス派の司教区があったという。
とくにウイグル人はマニ教を好み、
突厥第二帝国のあとのウイグル帝国(740年代から840年代まで)では国教にされた。
マニ教を国教にしたのは世界史上ウイグルだけである。
マニ教の特徴はそのヘレニズムっぽいグノーシス的な折衷力にあるが、
マニが啓示を受けて最初に向かったのがクシャーン(クシャーナ)朝であったことを考えると、
マニの教義には多分に仏教の影響がまじっただろうと推測できる。
マニは知識や言葉を尊んだので、
クシャーン朝(カニシカ王時代)に勢いをもっていた仏教の魅力にも寛容であったのだと思われる。
こうして、ソグド人とウイグル人と仏教徒によって、
マニ教はシルクロードをなんなく東漸していったのである。
中国では「明教」(光の宗教)と名付けられ、その教団の拠点を築いていった。
シルクロード仏教といっても、一筋縄ではない。
ガンダーラの仏教、アショーカ王の仏教、カニシカ王の仏教、
マトゥラーの仏像、コータンなどの西域南道の仏教、
鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)を生んだクチャの西域北道の仏教、
トルファンの仏教、浄土思想にめざめた敦煌の仏教、
ウイグルの仏教、五胡十六国の仏教、北魏に流入していった仏教、イスラームと交じった仏教‥
‥いろいろなのである。
ただし本書はさきほども指摘しておいたように、仏教についてはあまり詳しくはない。>
http://1000ya.isis.ne.jp/1428.html

http://1000ya.isis.ne.jp/1394.html
アンドレ・グンダー・フランク
リオリエントアジア時代のグローバル・エコノミー
藤原書店 2000
Andre Gunder Frank
ReORIENT 1998
[訳]山下範久
<アジア時代のグローバル・エコノミー
第1点、なぜ中世近世のアジア経済は未曾有の活性力に富んでいたのか。
第2点、なぜそのアジア経済が19世紀に退嬰し、ヨーロッパ経済が世界を席巻できたのか。
第3点、以上の背景と理由を 経済史や経済学が見過ごしてきたのかはなぜか。
たったこれだけだ。
本書によって世界史上の訂正すべき問題の大半が 1400年から1800年のあいだにおこった
ことにあることは如実になった。
つまりは全アジア的危機を いかにしてさらにつくりだしていくかということが、
欧米列強の資本主義的な戦略になったのだ。
というわけで、アフラジアな経済圏は リージョナルな力をことごとく分断されて、
欧米列強の軍門に下ることになったのである。
軍門に下っただけではない。
アフラジアな各地は新たな欧米資本主義のロジックとイノベーションによって
“別種の繁栄”を督促されていった。
これはガンディーのように
シンガーミシン以外の工場型機械を拒否するというならともかくも、
それ以外の方法ではとうてい抵抗できなかったものだった。>