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2018-07-31

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2018-07-30

『西郷どん』

(第28回) ―西郷の対長州政策の転換―

<第一次長州征討における西郷の働きは、彼の生涯の中においても、最も輝かしい功績の一つであり、また、西郷の存在感を世に知らしめた、まさに西郷の真骨頂を発揮したものであったと言えます。

禁門の変後の長州藩内は、俗に「薩賊会奸(さつぞくかいかん)」という言葉で表現されるように、薩摩藩や会津藩を憎むこと甚だしかったと言えます。

少しさかのぼると、文久3(1863)年12月24日、下関海峡を通航していた薩摩藩の商船・長崎丸が、長州藩から砲撃を加えられ、焼失する事件が生じるなど、八月十八日の政変をきっかけとした薩長両藩の確執は、とても根深いものがありました。
このような状況下の最中、西郷は第一次長州征討の談判のために、周囲の反対を押し切って、奇兵隊をはじめとする長州諸隊の幹部連中と会うため、小倉から長州の下関へと渡りました。
勝田孫弥『西郷隆盛伝』には、「馬關の海峡は薩人の為めには正に三途の川なり」と、征長副総督らが西郷の身を危ぶんだとあるほど、それは非常に危険な行動であったのです。

西郷が下関に渡ったのは、征長軍の解兵条件の一つであった、三条実美以下五卿の動座(移転)を実現するため、それに反対している諸隊の幹部連中に直接会い、彼らを説得するためでした。
西郷の行動は、まさに「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」という故事を実践するかのような、死を賭した大胆なものであったと言えます。

しかしながら、西郷は「薩摩憎し」で凝り固まっていた諸隊の幹部連中を説得することに成功し、五卿動座を承諾させ、第一次長州征討を平和的な解決へと導いたのです。>
粒山 樹氏
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-138.html

町田 明広先生のつぶやきより

<本日は勝海舟・坂本龍馬との出会い、勝に感化される西郷、西郷最大の功績・第1次長州征伐が描かれました。
西郷と慶喜の絡みは緊迫感ある展開でしたが、ドラマとして面白かったですね(^^)
https://twitter.com/machi82175302/status/1023536806141222912

元治元年(1864)7月に勃発した禁門の変直後の長州藩に対する薩摩藩の方針は、小松帯刀を中心に西郷隆盛・吉井友実・伊地知正治の在京要路の認識に基づいており、将軍家茂の進発を前提とした強硬論であり、実際の戦闘を体験している在京藩士が即時征討を唱えるのは当然であろう。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023537004359835649

西郷らの強硬論は当たり前であり、中央政局の雰囲気そのものであった。しかし、将軍進発は宣言されたものの、容易に実現する気配はなく、征討総督の人選も二転三転して難航したが、総督に前尾張藩主徳川慶勝、副将に越前藩主松平茂昭が指名された。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023537069669343232

西郷・勝会談は、勝が西郷に幕府の内情を暴露したと同時に、その後の薩摩藩の国事周旋への示唆を与えたことに重要性があり、だからこそ西郷は勝を甚だ深く信頼したのだ。ところで、西郷と龍馬の初対面はいつだったのか?恐らく、西郷・勝会談前の8月中旬頃らしいが詳細は実は不明。。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023538394033315841

なお、安政5年(1858)3月15日、確かに島津斉彬は勝と鹿児島で対面している。横にいる久光を「博聞強記(何でも知っていて、記憶力が抜群)で志操方正(強靱な意志、端正な性格)なところには、とても及ばない」と勝に紹介している。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023538886021079040

西郷にはぶれがなく強硬路線で一定していたが、小松上京を契機に薩摩藩の長州征伐の方針は変化する。実は、小松の帰藩中にその後の薩摩藩の政治的スタンスを規定する大きな方針の決定があった。その契機は黒田清綱の建言であり、幕府が忌み疑うところは薩長二藩が強盛になることと主張した
https://twitter.com/machi82175302/status/1023539464696606720

黒田清綱は続けて、以前より薩長両雄を戦わせる施策は往々にして見られたが、今回は薩摩藩を先鋒として使役させ、藩の勢威を削ぎ落す底意である。長州藩の恨みを薩摩藩に及ぼそうとの魂胆であることは疑いなく、今回の長州征伐では先鋒を辞退した上で戦功を立てることを主張した。
https://twitter.com/machi82175302/status/1023539601795776512

黒田清綱は幕府の奸計によって藩の勢威が損なわれ、滅亡に追い込まれる危惧を示して至急の対応を求めたが、もともと、久光には甚大な戦費の調達による疲弊は回避すべきとの認識があり、それ以上に幕府の奸計によって、長州征伐の次は薩摩征伐が実行される可能性を強く意識していた
https://twitter.com/machi82175302/status/1023539720398094336

久光は藩地に割拠して富国強兵を図り、諸藩連合を模索するという藩是に大きく修正し、禁闕守衛を最優先としてきた薩摩藩が、長州征伐を機に中央政局から撤退し、薩摩藩自体の富国強兵を企図して割拠する強い志向を打ち出し、しかも、小松・西郷ら要路の帰藩という思いきった方針示された。
https://twitter.com/machi82175302/status/1023539971309748224



西郷は吉井らを伴って12月11日夜に下関に渡海し、翌日に諸隊幹部赤禰武人・中岡慎太郎、五卿従士水野丹後らと会談、西郷が解兵後の五卿動座を了解したため、諸隊との合意が成立した。西郷の殺されかねない状況下で敵陣に飛び込み、談判に持ち込むこのスタイルは、ここでは成功を収めた。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023545356489912320

西郷は、現状を殊の外心配する慶勝に意見を尋ねられ、長州藩内の内乱は度外視すべきであるとの見解を示した。そして、従軍諸藩が解兵は近いことを期待しており、この上虚しく滞陣を続けた場合、諸藩の中から幕命を待たずに、兵を引き揚げる藩も出ることは否定できないと慶勝に迫った。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023545865707839490

西郷は万が一そのようなことになれば、総督府の威厳を損なうことは計り知れず、五卿の扱いは九州諸藩に命じたので、解兵以前に動座が叶わずとも決して不都合ではないとして切に解兵を要望した。慶勝は西郷の建言を受け入れて解兵を宣言しており、西郷の尽力なくして、実現は不可能であった。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023546021643579393

薩摩藩が長州藩とともに薩長とくくられて、容保に警戒されていることは見逃せない。征討を受けた長州藩同様に、薩摩藩が幕府勢力から危険視され始めていた。こうして幕府の不満をよそに、第一次長州征伐は一回の交戦もなく、官軍の撤兵となった。その最大の功労者は間違いなく西郷であった。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023546785413750784

西郷は慶勝の信任の下、早期解兵に向けた周旋を事実上一人で実行し成し遂げた。安政期の西郷は、斉彬の威を借りての活動であったが、今回は薩摩藩がバックにあるとは言え、西郷の才覚でなし得たものである。西郷がなければ、長州藩は滅んでいた。西郷は名実ともに、幕末のヒーローとなった。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1023546915508518918

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2018-07-29

フレデリック・レイトン

日本語の画集が出てました。
leighton_tanita1995.jpg

フレデリック・レイトン
フレデリック・レイトン 谷田 博幸
トレヴィル (1995
<19世紀イギリスの偉大なる画家レイトン卿。洗練されたギリシャ様式美と豊かな装飾性に彩られたレイトンの珠玉の絵画48点をフルカラーで収録。詳細な解説を施した日本初のレイトン画集。>

谷田 博幸先生の解説が大変濃密で素晴らしい!

http://bookscloisonne.com/blog/books20160418/

Frederick Leighton
フレデリック・レイトン
イギリス スカーバラ出身
1830-1896
ラファエル前派
http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/leighton/leighton.html

2018-07-28

トルコ釉の器

また買ってしまいました

tuku1807.jpg

京都の陶芸家・宮本秀樹氏作、トルコ釉の器

前から小皿というか、中皿タイプが欲しいと言っていたら、
作ってくれたのですよ!
夏祭りの原稿ですぐに行けなかったのですが、お取り置きしておいてくれて、
やっと行ったら、なんと新作が届いたばかりという!
葉っぱ型のも素敵で、実は定番なのだそうですが、
今まですぐ売り切れていたらしく、初めて出会いました。
それから波模様?のどんぶりがまた素敵で…



2018-07-27

シリアの今

写真展行ってきました

田村公祐写真展 「私が見たシリアの今」

今年の3月から4月にかけて、18日間滞在した際の写真
銀座のアラブ料理店mishmishで。

レバノン、アルメニア、アッシリアのワイン輸入をしている方。
古代のキリスト教や伝統宗教に興味があるそうで、主にトルコ、シリア、イラク、イラン、コーカサスで写真を撮っているとか。

色々と無事なのと、修復も進んでいると聞いて嬉しくなりました。

https://twitter.com/kosuketamura
http://ancient-w.com/

2018-07-26

面白そうな新刊

陰謀の日本中世史、呉座 勇一 角川新書 2018年
<俗説、一蹴! 『応仁の乱』の著者が史上有名な陰謀を分析、陰謀論を論破!>
https://www.kadokawa.co.jp/product/321609000109/
呉座勇一『陰謀の日本中世史』が学会の大物から在野の研究者まで撫で斬りにしている件
http://saavedra.hatenablog.com/entry/2018/03/21/210006
はびこる陰謀論を若手歴史学者が論破した快著
https://blog.goo.ne.jp/miltran_alex800/e/08b3378c7070ef8883bd5179f069dfdf

戦国日本と大航海時代、平川新(ひらかわ・あらた)  中公新書
<15世紀以来、スペインやポルトガルはキリスト教布教と一体化した「世界征服事業」を展開。16世紀にはアジアに勢力を広げた。本書は史料を通じて、戦国日本とヨーロッパ列強による虚々実々の駆け引きを描きだす。豊臣秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか、徳川家康はなぜ鎖国へ転じたのか、伊達政宗が遣欧使節を送った狙いとは。そして日本が植民地化されなかった理由は――。日本史と世界史の接点に着目し、数々の謎を解明する。>
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2018/04/102481.html
『戦国日本と大航海時代』/平川新インタビュー
http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/110087.html

海賊の日本史、山内 譲(ヤマウチ ユズル) 講談社現代新書
<藤原純友、松浦党、倭寇、村上水軍。海に囲まれた日本列島は、古来、「海賊」と呼ばれる人びとの活動の舞台だった。様々な地域で活躍した様々な「海賊」たちの存在を通して日本の歴史を読み直す、ユニークな日本史の試み。 >
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000309993

物語アラビアの歴史、蔀 勇造(しとみ ゆうぞう、中公新書
<アラブについて記された最初の石碑は紀元前九世紀に遡る。メソポタミア・エジプト両文明の影響を受けた地に誕生した諸国家は交易と遊牧と農業で栄え、互いにしのぎを削り、エチオピアやインドとも交渉を持った。西暦七世紀にはこの地にイスラームが誕生し、世界史に大きな影響を与える。二十世紀以降は石油資源をもとに近代化を進めるが、政治的安定からはほど遠い。古代文明から現代まで、中東の核心地帯の三千年を追う。>
蔀 勇造 専攻・アラビア古代史、東西海上交流史。東京大学名誉教授。

2018-07-25

幕末本

『江戸無血開城: 本当の功労者は誰か? 』
岩下哲典

(歴史文化ライブラリー) 吉川弘文館、2018/6
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b361063.html
iwasita2018edo.jpg

知られざる「江戸無血開城」
勝海舟を凌ぐ幕末ヒーローはこの人だ!
岩下哲典
<「江戸無血開城」の幕府側の最大の功労者は、海舟では断じてない。
山岡鉄舟である。
そして二番目の功労者は、鉄舟の義兄、高橋泥舟である。
海舟は三番手である。
むろん、西郷は新政府側の最大の功労者であることは変わりがない。
あえて言えば「江戸無血開城」の功労者は西郷と鉄舟・泥舟である。
海舟は、徳川家の表向きの代表者として追認したにすぎない。

鉄舟・泥舟は、「上様さえわかってくれればそれでよい」と考えていたと思われる。
それでも鉄舟が「談判筆記」(『最後のサムライ 山岡鉄舟』)を残し、
泥舟が「高橋泥舟翁事歴」(『高邁なる幕臣 高橋泥舟』)を語って残してくれたことで、
真実が後世に辛うじて伝わることになった。>
https://ironna.jp/article/8610?p=1
iwasita2012deishu.jpg

岩下哲典『高邁なる幕臣 高橋泥舟』
教育評論社 (2012
<江戸無血開城と将軍慶喜のために、己を捨てて奔走した至誠の幕臣、高橋泥舟。
幕末の三舟の一人でありながら謎に包まれたその生涯と思想を
知られざる文献、そして新発見史料を手がかりに明らかにする。 >
maruhira2007teshu.jpg

圓山 牧田, 平井 正修 『最後のサムライ 山岡鉄舟』
教育評論社 (2007
<幕末から明治を駆け抜けた、剣、禅、書の達人、山岡鐵舟の正伝。
全生庵に寄贈された遺品、資料等をもとに
大正7(1918)年に刊行された「鐵舟居士乃真面目」の現代語訳版。>

全生庵三世 圓山 牧田(ぜんしょうあんさんせい まるやまぼくでん)(編)
全生庵七世 平井 正修(ぜんしょうあんななせい ひらいしょうしゅう)(編)
nakamura2011ikedaya.jpg

池田屋事件の研究
中村 武生

講談社現代新書 2011
<池田屋事件については、屋内で9人が犠牲とナレーションがあったが、典拠は何かな?
しこが気になった(^^ゞ なお、中村武生さんの『池田屋事件の研究』(講談社現代新書、2011年11月)を参照のこと。
本事件の最高峰です!>
町田 明広

2018-07-24

『西郷どん』

『西郷どん』感想&小解説(第27回) ―西郷書簡から見た禁門の変―

<確かに、西郷と大久保の二人が薩摩藩の明治維新の原動力となったことは間違いありません。そして、彼らの残した功績は偉大であると言えます。
しかしながら、最近の研究において、島津久光や小松帯刀といった、西郷と大久保の二人を導き、そして支えた存在がいかに大きく、そして重要であったのかが明らかになってきているように、西郷と大久保の活躍だけで歴史を動かせたわけがなく、彼らを取り巻く様々な人物の協力や支援があってこそ、二人は縦横無尽に活躍でき、幕末という大きな歴史を動かせたと言えます。

当時の西郷は小松の判断なしに、独断で事を進められる状態にはなく、当時京に居た薩摩藩要人の中心人物は、西郷ではなく、小松であったことが分かります。

町田明広「元治元年前半の薩摩藩の諸問題:小松帯刀の動向を中心に」(神田外語大学日本研究所紀要7巻、2015年)には、

「通説では、薩摩藩は西郷・大久保に率いられ、久光は利用されたのみの存在とされてきたが、実際には「久光―小松体制」の下で西郷・大久保は活躍していたのであり、この点は看過してはならない」

当時の久光は薩摩藩内では絶対的な存在です。
久光を動かさずして、薩摩藩は動きませんので、西郷は自らの本懐を遂げ、そして斉彬の大恩に報いるためには、個人的な感情をもって久光に接するべきでは無いということを深く心に刻んだのだと思います。

当時の薩摩藩にとって、慶喜は最も警戒すべき存在であったと思われます。>
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-137.html

(第26回) ―西郷の赦免と上京―

<どのようにして久光の怒りが解け、西郷が鹿児島に呼び戻されることになったのか

正風は斉彬を引き合いに出し、「斉彬公が西郷を認められたのに、それを久光公が認めないということは、斉彬公の目が節穴であったということですね」と、逆に責めたわけです。

西郷の最大の強みは、薩摩では神格化されていた斉彬に登用されたことであり、そしてそれは同時に、久光のウィークポイントともなったと言えるかもしれません。

西郷が京に着いたこの日は、久光の朝議参予の辞任が聴許された日でもありました。
、「参予会議(制度)」は、久光が公武融和策の大きな柱として構想し、そして力強く推進した、いわば「一丁目一番地」の政策であり、久光が情熱を込めて、その実現に尽力したものでした。
それがこの日に完全に瓦解したわけですから、久光の失意は想像するに余りあります。

やり切れないのは久光です。
当時の久光は、幕府を軽んじたり、また敵視したりするどころか、日本のために統治機構としての幕府は必要な存在であることを認め、朝廷と幕府を融和させた政治を実現するため、懸命にその間を周旋しようと手を尽くしていました。
そこには後年のような幕府否定論は全くなく、幕府のためを思えばこその周旋であったのですが、当事者の幕府は、その久光を毛嫌い、そして信用・信頼せず、常に猜疑心を持って接していたため、幕府は最終的に参予会議を壊す方向に舵を切ったのです。

その参予会議が崩壊したことにより、諸藩の幕府離れは一層加速され、久光の心は反幕へと傾いていきます。
そう考えると、幕府は自分で自分の首を絞めたとも言えます。
参予会議は、幕府にとっても、そして薩摩藩にとっても、非常に重要なターニングポイントだったと言えましょう。

政治とは、挫折と改革を繰り返して成熟していくものであり、その不断の努力によって結実したのが明治維新であったと言えますが、当時の久光は根気よく政治活動を続け、参予会議の発足と運営に力を尽くしました。

そのような日本の将来を見据えての久光の奮闘が全く描かれなかったのはとても残念です。>
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-136.html
粒山 樹氏のブログより

2018-07-23

薩摩・西郷関係本

<万次郎と同じく土佐の出身で、船で米を運搬中に万次郎と同じく遭難し、
後に漂流生活を送った野村長平という人がいます。
長平の漂流は、万次郎の漂流より60年ほど前の話になりますが、
この長平の漂流生活をリアルに描いたのが、吉村昭の小説『漂流』です。

当時の漂流生活がいかに過酷なものであったのかと
長平の凄まじいばかりの強靭な精神力を知ることが出来ますので、
ご興味のある方は是非読んでみてください。オススメの小説です。>
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
粒山 樹氏のブログより

****

粒山樹著
『維新を創った男 西郷隆盛の実像』
(扶桑社)

町田 明広
『西郷隆盛 その伝説と実像』
(NHK出版)

家近良樹
西郷隆盛:人を相手にせず、天を相手にせよ

(ミネルヴァ日本評伝選)(ミネルヴァ書房) 2017

<西郷隆盛の真の姿を究明したいという著者の執念が籠もっている。
その思いが580ページという本書の厚さに繋がったのだが、
その願いは十分に達せられている。
歴史の真実に迫ろうとするとき、一次史料が鍵を握ることが多いのだが、
著者の一次史料に対する丹念な取り組みは敬服に値する。
管見だが、西郷に関する通説を根底から覆す、
類書の追随を許さぬ最高の研究書と考えている。

一次史料から明らかになったことはいろいろあるが、
とりわけ私の目が吸い付けられたのは、
●西郷の性格、
●盟友とされる西郷と大久保利通との仲、
●西郷の西南戦争に対する考え方――の3つである。>


先崎彰容
『未完の西郷隆盛』
(新潮選書)。
<さまざまな思想家が西郷をどう論じてきたかを通し、
思想家が日本の近代化をどう捉えていたかを浮き彫りにする。
「西郷は近世を終わらせ新しいものを創ろうとしたが、
政争に敗れてなし得なかった。
しかし、本来向かうべきだった日本の姿が
西郷路線にあると主張する人は当時から少なくない」という。>

*****

<今回の『西郷どん』においても、
「将軍継嗣問題(家定の跡目相続を巡る問題)」との関係で、
島津斉彬がヒー様こと一橋慶喜を将軍継嗣に据えるため
、篤姫を将軍御台所に送り込んだという形で描かれていますが、
現在それは完全否定されており、もはや通説とは呼べないレベルの話になっています。>

芳即正『島津斉彬』(吉川弘文館)

町田 明広
島津久光=幕末政治の焦点 (講談社選書メチエ)

磯田 道史(いそだ みちふみ)
素顔の西郷隆盛 (新潮新書)

2018-07-22

『西郷どん』

西郷に関しては勉強不足なので、知らなさ過ぎ。
詳しい解説を見つけたのでメモメモ…

(第6回) ―薩摩藩とジョン万次郎―
<万次郎と同じく土佐の出身で、船で米を運搬中に万次郎と同じく遭難し、
後に漂流生活を送った野村長平という人がいます。
長平の漂流は、万次郎の漂流より60年ほど前の話になりますが、
この長平の漂流生活をリアルに描いたのが、吉村昭の小説『漂流』です。

当時の漂流生活がいかに過酷なものであったのかと
長平の凄まじいばかりの強靭な精神力を知ることが出来ますので、
ご興味のある方は是非読んでみてください。オススメの小説です。>
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
粒山 樹氏のブログより

****

粒山樹著
『維新を創った男 西郷隆盛の実像』
(扶桑社)

町田 明広
『西郷隆盛 その伝説と実像』
(NHK出版)

家近良樹
西郷隆盛:人を相手にせず、天を相手にせよ

(ミネルヴァ日本評伝選)(ミネルヴァ書房) 2017

<西郷隆盛の真の姿を究明したいという著者の執念が籠もっている。
その思いが580ページという本書の厚さに繋がったのだが、
その願いは十分に達せられている。
歴史の真実に迫ろうとするとき、一次史料が鍵を握ることが多いのだが、
著者の一次史料に対する丹念な取り組みは敬服に値する。
管見だが、西郷に関する通説を根底から覆す、
類書の追随を許さぬ最高の研究書と考えている。

一次史料から明らかになったことはいろいろあるが、
とりわけ私の目が吸い付けられたのは、
●西郷の性格、
●盟友とされる西郷と大久保利通との仲、
●西郷の西南戦争に対する考え方――の3つである。>


先崎彰容
『未完の西郷隆盛』
(新潮選書)。
<さまざまな思想家が西郷をどう論じてきたかを通し、
思想家が日本の近代化をどう捉えていたかを浮き彫りにする。
「西郷は近世を終わらせ新しいものを創ろうとしたが、
政争に敗れてなし得なかった。
しかし、本来向かうべきだった日本の姿が
西郷路線にあると主張する人は当時から少なくない」という。>

*****
第10回) ―篤姫と左内―
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-117.html

<今回の『西郷どん』においても、
「将軍継嗣問題(家定の跡目相続を巡る問題)」との関係で、
島津斉彬がヒー様こと一橋慶喜を将軍継嗣に据えるため
、篤姫を将軍御台所に送り込んだという形で描かれていますが、
現在それは完全否定されており、もはや通説とは呼べないレベルの話になっています。>

芳即正『島津斉彬』(吉川弘文館)


第19回) ―砂糖地獄―
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-129.html

<のちに西郷が沖永良部島に遠島された際、
同島の間切横目の職にあった土持政照に対し、
「与人役大躰(よひとやくだいたい)」(『西郷隆盛全集』一)という、
役人の心がけを記した文書を手渡していますが、その中に次のような一節があります。
(拙著の現代語訳版から引用します)
「百姓は力を労して天意に報いるのが職分であり、
役人は心を労して天意に報いるのが職分です。
力を労するとは、農作業に勤しみ、年貢を滞納せず、
あるいは課役を勤めるということです。
また、心を労するとは、百姓の頼りになるように諸事取り扱い、
凶作のための対策をし、農作業の時節を失うことがないよう配慮してやることです」(P46)

この一文には、西郷の理想が語られています。
つまり、「農民とは、農作業や課役に励み、藩ひいては国のために尽くすのが本分であり、
役人とは、私利私欲を一切絶ち、そんな農民たちを慈しんで、
彼らが働きやすい環境を整えてあげる」ということです。
西郷はそれが「天意に報いる行為である」と規定していますが、
この一節にあるとおり、西郷の理想とは、農民たちの解放ではありません。

民は国のために働き、
そして役人(つまり武士階級)は民に思いやりをもって配慮してあげる、ということに過ぎないのです。

ブログ 敬天愛人
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-128.html

『西郷どん』感想&小解説(第17回) ―月照の薩摩入りと西郷の入水―
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-127.html

第16回) ―斉彬の死と西郷と久光―
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-126.html

第15回) ―斉彬の率兵上京計画―
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-125.html

(第14回) ―斉彬書簡から見た将軍継嗣問
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-124.html

第13回) ―安政4年の西郷と大久保の考察
http://keitenaijin924.blog.fc2.com/blog-entry-122.html

2018-07-21

バムのなつめ椰子の実

これで、修羅場を乗り切りました~!

Date1806bam.jpg

イラン食材店ダルヴィッシュのフレッシュデーツです
http://darvishshop.com/

<デーツはイラクやアラブ諸国、西は北アフリカのモロッコまでの広い地域で、古くから重要な食物となっている。イスラム諸国では、デーツと牛乳は伝統的にラマダーン期間中の日没後に最初に取る食事である。また、長期保存ができ、砂漠のような雨が少ないところでも育つため、デーツは乾燥地帯に住むサハラ砂漠の遊牧民やオアシスに住む人たちにとっても大切な食料となっている。果物としてはカロリーも高いため、主食として主たる炭水化物源食物とすることも容易であり、遊牧生活を送るアラブ人であるベドウィンは、伝統的に乾燥させたデーツと乳製品を主食としている。

新鮮なデーツには豊富なビタミンCが含まれ、100グラムあたり230kcalのカロリーがある。乾燥したものは100グラム当り3グラムの食物繊維と270kcalのカロリーがある。 >
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%A1%E3%83%A4%E3%82%B7

2018-07-20

入稿しました~!

ノンブルと微調整
名所のアラビア語名 無理。諦める
PDFに変換して 入稿!
印刷屋さんで
表紙の紙、遊び紙を決める

とりあえず終わった!

2018-07-19

追い込み

先週の状況

名所のアラビア語名を載せたくて、ピックアップする
(結局時間切れで挫折)
キャプション 各個別にトリミング
キャプション直し

クリスタ触ってみる
キャプション 本文ページに挿入-全部
 写真ページにも挿入 8~16まで

亜神さん、 表紙のロゴの回りの汚れを修正してくれる

再び クリスタ 挑戦
キャプション挿入 続き 2~7
目次と奥付のカット挿入
写真の調整、差し替え

疲れてはかどらない

レイトンの説明 作る
原稿直し部分作って 差し替え
名所のアラビア語名 トリミング 途中までやるがもう無理

疲れた

あとノンブルと微調整だけはやらないと


2018-07-17

地図原稿届く

mapa01syria.jpg

mapa02damasout.jpg

mapa03damasold.jpg

素晴らしいです~!!
ありがとうございます~!!
これはもう、特殊技能ですよ!

2018-07-16

新刊進行状況 9

先週の状況メモ

クリップスタジオで写真ページの編成 9pまで
本文の直し。-ルカイヤ廟、ファラジ門、
書式を34×24に変更して10pに収める
(前は32×23だった)
名所解説の直し シタデル、ハリドアゼム

写真ページの編成用の写真取り出し
本文解説色々直し。-シタデル-パラペット、クウェートモスク、シャルキ
門、ファラジ門
ティンギス(最初に城砦を作ったというセルジューク朝の武将 、この辺がまた、面白そう!)、
挿絵、図面スキャン

クリップスタジオで写真ページの編成 続き
本文挿絵、図面ページの編成
本文・解説 印刷、スキャン、編成に組み込む
版下作成

ところが!
試しにコンビニでテスト印刷してみたら、モアレがひどくて、全然使い物にならない

キャノンのスキャンがおかしい?
設定がアバウトすぎて使えない?
設定がカラー写真だったことが敗因
だってJPGは写真しかないんだよ?
文書は勝手にPDFになるし。
じゃあどうすれば?
HP、捨てなければよかった。
呆然となる どっと疲れた


その夜はスキャンが駄目だったらどうしよう?
やっぱりアナログで版下作るしかないか、と眠れなかった

翌日
キャノンのスキャンの設定調べ直す
なんだ。文書でもJPG.保存できるじゃないか
でもモノクロはできない、カラーとグレースケールだけ。
色々微調整とか全然できない!
もう訳わかんない!
カラー写真しか使わないという設定みたい。
不便すぎる!

つくづくHPのプリンター取っとけばよかったと後悔!

とにかくグレースケールの文書でスキャンしてみる。
もう一台のエプソンのスキャンも試してみる
まだ新しいパソコンにインストールしてなかったので、
あわててインストール。
エプソンはモノクロJPGできる。
低画質・高画質、色々、試してみる。そしてコンビニで印刷してみて比べる。
普通に出る。使える!よかった!
文章はエプソンのモノクロの方がいい
図面と挿絵はキャノンのグレースケール 低画質
手分けしてスキャンし直す

版下作成し直す

コンビニで印刷
大丈夫 使える よかった!
疲れた

キャプション 直し 版下コピーにメモ
本文の直し
目次 直し
奥付 直し

表紙 ロゴ、番号直し
版下 直し

キャプション 印刷してスキャン
版下に編成

中原さんから地図原稿届く

2018-07-15

キャノンのスキャンが~!

なにこれ?
キャノンのスキャン
手抜きの設定?なに?
カラー写真しか相手にしてないの?
こんなにひどいとは思わなかった。

今回、クリップスタジオでデータ入稿に挑戦
そのために原稿をすべてスキャンして
版下を作成したのだけど…

挿絵、図面スキャン
本文・解説 印刷、スキャン、編成に組み込む
版下作成

試しにコンビニでテスト印刷してみたら、モアレがひどくて、全然使い物にならない
ええ?どうして?
前のプリンターHPではこんなことなかったんだけど!

キャノンのスキャンがおかしい
チェックしてみたら
設定がカラー写真だったことがたぶん敗因を思われ

だってJPGは写真しかないんだよ?
文書は買ってにPDFになる。
じゃあどうすれば?

HP、捨てなければよかった。
呆然となる どっと疲れた

その夜はスキャンが駄目だったらどうしよう?
やっぱりアナログで版下作るしかないか、と眠れなかった

翌日、キャノンのスキャンの設定調べ直す
絶対手動設定できるはず。
よくよく調べてみると、文書でもJPG.保存できるじゃないか
でもモノクロはできない、カラーとグレースケールだけ。
ええ?なにそれ?
もう、訳わかんない!

とにかくHPはむちゃくちゃ細かい設定ができたのに~!
キャノンのバカ~!

…とにかくグレースケールの文書でスキャンしてみる。
それから、家族が持っている
もう一台のエプソンのスキャンも試してみる

これもまだ
新しいパソコンにインストールしてなかったので、あわててインストール。

おお!エプソンはモノクロJPGできる。えらい!

低画質・高画質、色々、試してみる。
そしてコンビニでもう一度テスト印刷してみて比べる。

普通に出る。使える!よかった!
文章はエプソンのモノクロの方がいい

図面と挿絵はキャノンのグレースケール 低画質
手分けしてスキャンし直す

そしてもう一度、版下作成し直す
いやあ もう、疲れたよ~!!

2018-07-11

新刊進行状況 8

今週の状況メモ

資料調べ アブラク
ちょっとうまくまとまらないので挫折、次回に回す
ダマスカス小史、バラダ川上流次回に回す
旧市街も全部入れようとしたけど,無理。次回に回す
とにかく本文11Pに収まる分だけにする。
それでも名所解説4P
図版・イラスト・地図 6P
扉・目次・奥付で  計24P
写真ページ16Pに減らす

目次作る

奥付作る
扉作る 

キャプション作る
ページの入れ換え

亜神さん
表紙の色換えを試みる。
もうちょっと濃い黄色にしたかったけど、うまくいかなくて挫折

それからロゴ入れ。
何とかインストールできてたクリップスタジオでやろうと思ったら、うまくいかない。
元データがフォトショにあるから。
何とかフォトショをインストールする。
データを移動させて、クリップスタジオで何とかできた。
ふう。

2018-07-08

ハードディスクが壊れた(泣笑)

翌日。
私が難航した部分と同じということがわかり、その時のメモを取り出す
その手順でやったら、無事、動いた。キーボード使えるようになる。
が、w10用のソフトが出ていたということがわかり、注文。
とりあえず使えるようになる。

クリップスタジオ入れる。

フォトショを入れる前にHHDの入れ換え
HHDを繋ぐ電源コードが合わない。買いに行く。
HHDを全部繋ぎ直した。4こ うち1こ認識しなかった
その段階でW10が何か悪さをした。
あちこち繋いで見たけど駄目。もう中味が見れなくなってしまっていた。
諦める。

今日はここまで。

2018-07-07

ディスプレイが壊れた(泣笑)

新しいパソコンが来た。
まず立ち上げる。
ウィンドウズのナンバー書いてあるシールが貼ってない。
電話で聞くと、シール張らないタイプとのこと。
立ち上げればわかると。
まずオフラインで立ち上げる
繋いで立ち上げてみるとIDナンバーが出てくる。
メモして、マカフィーを消して、再起動

ウィルスバスター、オアシス、、フォトショ、クリップスタジオ用意して、
メールのバックアップ

置くのディスプレイに繋いでみたら、付かない。
ケーブルを換えたり、いろいろしたが、駄目。ディスプレイが死んでいる。

急遽、買いに行く。

何とか繋いで無事、付く。
外していたハードディスクを繋いでみるが、
ちょっと接触不良で、うまく付かなかったが。
挿し直したら、繋がった。

まずウィルスバスターを入れる

次、メールの移行。
ウィンドウズliveのメールを移行するのに苦労する
サンダーバード、アウトルックに移行を試みるが、駄目。
フォルダーから読めるので、諦める。

オアシス入れる
ここで難航する。使えない。この日はここまで。

2018-07-06

新刊進行状況 7

今週の状況メモ

とにかく現時点でのテスト版作る
台割り作る
版下用の原稿を印刷
そこに図版を張り込む
本文 24ページ

ドレのサラディンの銅版画見つける
そうそう。そういえば、うちにもあったはず。ありました!
追加決定

写真ページ、編集し直し。行った順番に変更。
博物館とタキーエの写真外す。-2ページ減る

この間追加したのが、入る。
サラディン廟の写真 2000年のから追加
カラー図版(オリエンタリズム)と
写真集からの転載(クウェートモスク・アゼム宮・ダマスカスホール内部)→24ページ
アゼム宮とかの内部が写真撮影禁止だったので、
中のがなくて、何とか内部の様子を載せたいんだけどなぁ

本文、加筆-1ページ
序の部分、2段組で詰めて、1ページにまとめてみる
説明追加-ゼイナブ廟、クウェートモスク

原稿直し
写真 サラディン廟追加分、レイアウト変更

やはりちょっと気になっていた
フレデリック・レイトン 調べる
カラー図版(オリエンタリズム絵画)の作者

原稿直し。
ラスト3ページ切る。それでも11ページ。
行数23→24に増やして、ページ調整
本文10ページ
+序 1ページ 
23ページになる 1ページ分、空く

冨金原さんに地図の修正を連絡

シタデル資料読む メモおこし 
 ハリドアゼム、ヌーレッディン、カリフの墓

追加を仮版下に差し替え
サラディン廟解説~シリア3からコピー
イラスト ビマリスタン、ザヒリーヤ、アディリーェ、マドラサ・ヌーリ 
平面図 サラディン廟・ザヒリーヤ 
コピーしてページ差し替える テスト版改訂

2018-07-05

亜神さんのイラスト 5

madAdiliyya02.jpg
マドラサ・アラディリーヤ
玄関

bimarnuri02.jpg
ビマリスタン・ヌールッディン
玄関

すごい!
素敵です~!

2018-07-03

亜神さんのイラスト 4

亜神さんのイラスト 

madnuri02.jpg

マドラサ・ヌーリ
おお~!すごい!
流石です!

2018-07-01

亜神さんのイラスト 3

亜神さんのイラスト

壊れかけたパソコンをだましだまし動かして…

madzahi02.jpg

マドラサ・アッザヒリーヤ 玄関のムカルナス
うわぁ~!
めっちゃ 素敵です!
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