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『西郷どん』

なるほど~!色々あったのですね。
めもメモ…

第43回目 「さらば東京」

明治6年政変
<この時期、日本の「隣国」だったハワイ王国は、日本と同じく開国し、近代制度を取り入れようとしたが、流入する欧米資本に経済も土地も軍隊も乗っ取られ、アメリカに「併合」された。当時の日本が独自の産業軍隊を保持する富国強兵策を取るしか、生き残る道がなかったのも事実なのよなぁ。 #西郷どんhttps://twitter.com/sow_LIBRA11/status/1064113404451803136

留守政府派=数年で改革したから今外国と戦争しても勝てる! 岩倉使節団派=欧米を観てきたから今外国と戦争したら勝てない! この対立なんだよなぁ。 #西郷どんhttps://twitter.com/nunonofuku123/status/1064116054664728576

1873明治6年の7年前に朝鮮王朝摂政大院君による、西洋化反対のためフランス人宣教師9名及び8000人のキリスト教徒処刑した丙寅教獄→フランスと朝鮮の戦争丙寅洋擾になり、西郷隆盛が派遣しても殺されるか、生きて帰っても朝鮮と交渉決裂すれば戦争の可能性が十分あった。 #西郷どん
https://twitter.com/nunonofuku123/status/1064111294192615424

大久保利通と対立してたのは、あくまで留守政府の中で征韓論を主張した佐賀の江藤新平や土佐の板垣退助で、西郷隆盛はその中立案である遣韓論であったが、二人を排除するには西郷隆盛もセットにせざるえなかった。#西郷どんhttps://twitter.com/nunonofuku123/status/1064111799807569922

#西郷どん 序盤からこの最終盤まで、この物語が西郷と大久保の、もつれ合う縁の物語だと思えば、その描き方は誠実だったと思いますよ。誰からも『モテる』愛され信任される男と、ただ一人しか信じられない、愛せない男のブロマンスとして至極上質な物語で。
https://twitter.com/kanadorama/status/1064121843487887366

ドラマでは影が薄かったが、政変のフィクサーとなったのが伊藤博文であった。伊藤は外遊中に犬猿の仲となった大久保と木戸の仲を取り持ち、三条実美を自派に取り込んで岩倉具視と連携させ、西郷派遣を粉砕して一気に形勢逆転を謀ろうとした。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1064127968316862464

当時、日本人を憤慨させながらも、我慢してきた外交問題が3点存在した。最初の問題は、朝鮮との国交問題である。新政府は政権が変わったことを朝鮮に伝え、江戸幕府と同等な交際を求めたが、朝鮮はこれを拒否し、急劇に欧化する日本を非難したため、木戸孝允を中心に征韓論が台頭した。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1064122686329090049

さらに、在留邦人への迫害も始まり、こうした朝鮮の無礼な振る舞いを見過ごすことができなくなっていた。次に、台湾征伐に関わる問題である。遭難して台湾に漂着した琉球船の乗組員が、台湾原住民によって殺害された「琉球漂流民殺害事件」について、日本政府は清朝に厳重に抗議した。
https://twitter.com/machi82175302/status/1064122792738619393

しかし、台湾は化外(統治が及ばない)として、清は日本との交渉に応じなかった。そのため、我が国では台湾を打つべしとの征台論が巻き起こっていた。そして、最大の難問がロシアとの樺太国境問題であった。https://twitter.com/machi82175302/status/1064122867455942656

幕末以来、樺太国境の交渉は継続して行われてきたが、合意に達することはできず、両国民の雑居地としたたため、争いは絶えなかった。しかも、明治以降のロシアの南方への侵出は、容認できないレベルに達していた。
https://twitter.com/machi82175302/status/1064122980576284672

そのため、外務卿副島種臣は函館でロシア公使と交渉するなど、解決に向けた努力を重ねていたが、開拓使次官黒田清隆は樺太放棄を主張しており、足並みが乱れていた。しかし、日本人に対する暴行などの迫害行為が頻発しており、待ったなしの険悪な状況となっていた。https://twitter.com/machi82175302/status/1064123076101603333

この中で、西郷は朝鮮問題を取り上げた。その理由は、幕末以来、征韓問題は継続して議論されており、地理的にも近いこと、また、イギリスもアメリカも朝鮮出兵には好意的であったことによる。https://twitter.com/machi82175302/status/1064123647500013568

西郷は自身亡き後の征韓準備に抜かりなく、板垣退助や薩摩藩出身の伊地知正治に派兵計画を立てさせている。また、明治5年(1872)8月、西郷は板垣と相談し、陸軍少佐別府晋介・北村長兵衛を朝鮮に、また、外務省出仕の池上四郎・武市正幹・彭城中平を満州に、それぞれ潜入させた。https://twitter.com/machi82175302/status/1064126863168040960

彼らは朝鮮人に成りすまし、現地での情報収集を行い、社会情勢の把握に努めるとともに、英米仏の動向などにも目を光らせた。池上四郎などは清の奥地まで入り込み、上海経由で帰国している。帰朝後、彼らは復命書を提出し、朝鮮は脆弱であり、派兵すれば簡単に占領できると報告した。
https://twitter.com/machi82175302/status/1064126988707745793

西郷は清国南部や台湾にもスパイを潜入させ、その他係争地における情報探索にも抜かりはなかった。西郷は、殺害された後の事は任せながらも、陸軍のトップとして、道筋だけは付けようと努めていたのだ。想像以上に抜かりのない準備と言えまいか。#西郷どん
https://twitter.com/machi82175302/status/1064127058530336768

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