fc2ブログ

ブルキナファソの歴史

ブルギナ・ファソの歴史本があった

そうだ!西アフリカのモシ族を実地調査,無文字社会の歴史と文化を研究なさった
川田順造 先生がこの国に調査で滞在されていたのだった!

mosi76kwd.jpg

川田 順造
無文字社会の歴史―西アフリカ・モシ族の事例を中心に

(岩波書店, 1976年/岩波同時代ライブラリー, 1990年/岩波現代文庫, 2001年)

『1960年代から70年代前半に西アフリカ・モシ族を現地調査し、
太鼓ことばを含む口頭伝承や儀礼などから無文字社会の歴史と構造を鮮やかに分析した』

川田順造
口頭伝承論
 
(河出書房新社, 1992年/平凡社ライブラリー(上・下), 2001年)

『西アフリカのモシ族の調査によって、太鼓言葉による王統譜や、
昔話・歌・ことわざなどの歴史伝承の研究から、文字を必要としない社会のコミュニケーションと文化を考える。 』

Burkina20nko.jpg

中尾 世治
西アフリカ内陸の近代
 国家をもたない社会と国家の歴史人類学
風響社 2020

「近代とは、すなわち、国家の出現であった」
村々の国家に抗するシステムとフランス植民地統治によるその解体、植民地通貨と政党政治による混乱、イスラームの改革主義運動の苦闘……。本書は断片的で偏在する史資料から、アフリカの近代論と新たな歴史人類学を構想した気鋭の論考。
(第33回日本アフリカ学会研究奨励賞受賞)

「本書は、西アフリカ内陸のムフン川湾曲部(現在のブルキナファソ東部から中部にまたがる地域)の近代、
すなわち、19世紀から20世紀半ばまでを叙述することを目的としている。
19世紀末からのフランスによる植民地統治以前、この地域には、小規模の国家と国家をもたない社会が広がっていた。
そうした社会は植民地統治以降、どのように変容していったのだろうか。」

中尾世治(なかお せいじ)
1986年生まれ。
2017年南山大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人類学)。
総合地球環境学研究所特任助教。
専攻は西アフリカ史研究、歴史人類学。
著書として、『生き方としてのフィールドワーク』(東海大学出版部、2020年、共編著)、
『アフリカで学ぶ文化人類学』(昭和堂、2019年、共著)。
論文として、「特集・序――西アフリカ・イスラーム研究の新展開」(『年報人類学研究』11号、2020年)、
「植民地行政のイスラーム認識とその運用――ヴィシー政権期・仏領西アフリカにおけるホテル襲撃事件と事件の捜査・対応の検討から」(『アフリカ研究』90号、2016年)など。
http://www.fukyo.co.jp/book/b525379.html
Burkina22ftis.jpg

二石 昌人
ブルキナファソの歴史――苦難の道を生き抜く西アフリカの内陸国
(世界歴史叢書)
‎ 明石書店 (2022

西アフリカの内陸国、マリ、ニジェール、ベナン、トーゴ、ガーナ、コートジボワールなどに囲まれたブルキナファソ。
著者は2013~2017年の4年3か月、特命全権大使と当地に勤務した経験・見聞を生かして、特色あるブルキナファソの通史を執筆した。

二石昌人(ふたいし・まさと)
1951年鹿児島県生まれ。
立命館大学経済学部卒業後、外務省入省。
元在ブルキナファソ特命全権大使(2013年1月~2017年5月)。
現在、在名古屋ブルキナファソ名誉領事、アフリカ協会特別研究員。
在ハイチ大使館勤務時、他の館員と共に川口賞受賞。在ブルキナファソ大使館勤務時、2つの勲章(OFFICIER DE L’ORDRE NATIONAL、COMMANDEUR DE L’ORDRE DU MERITE DE LA JEUNESSE ET DES SPORTS)を受章。
https://www.akashi.co.jp/book/b615891.html

<参照>
2023-04-22 ブルキナファソ情勢
2023-04-23 ブルキナファソ今昔
スポンサーサイト



スーダン情勢 3 解説

もうひとつ解説みつけた

sudan_nhk03.jpg
NHKより

【スーダン解説】 深刻な対立はどこへ向かうのか
4月28日
『4月15日以降、軍と準軍事組織のRSF=即応支援部隊との間で武力衝突が起きているスーダン。
深刻な対立はどこへ向かうのか。
停戦には何が必要か。
スーダンの近現代史に詳しい千葉大学教授の栗田禎子(くりた・よしこ)さんに話を聞きました。
栗田さん: 2019年に倒れたバシール政権という軍事独裁政権がありました。
今起きていることは、そのバシール政権を支えていた人たちの“最後の悪あがき”という印象があります。

スーダンには、30年間続いた強権的な軍事政権のバシール政権が存在しましたが、
2019年4月に民主化を求める市民のデモによって崩壊しました。
その後、市民と治安を守る意味で、軍が両方参加する形の暫定政権を作り、移行期を運営する合意をしたのですが、
軍が治安上の状況を口実に合意を断ち切る形で急にクーデターを起こして全権を掌握し、
市民を一旦政治から遠ざけてしまう事が起きました。

けれども、市民が諦めず「軍は政治に関わらず、政治は市民の手に戻せ」という形で民主化運動を続け、
去年(2022年)12月にようやく最終合意がなされて、実はこの4月から完全な民政移行するはずでした。

最終的に、国軍にRSFを統合したときに両者の間で権力闘争が激化した、
一つの軍隊になるときにRSFが存在感を守れるか、
ポストを誰がどういうふうに分けていくか、
あるいは中東でもアフリカでも、軍事組織は軍隊と同時に企業活動や自然開発という経済活動もやっているので、
そういう経済的な利権の分け方を巡っても争いが激化していったとは言われます。

民政移行プロセスを一度ストップし、国軍が全権掌握することが願いだとすれば、
そういう状態に持ち込むまでブルハン司令官は戦争を続けるでしょうし、
RSFのダガロ司令官は行動を起こしたからには、何らかのこう着状態に持ち込んで、
その交渉の中の過程で自分の今後の政治生命、あるいは物理的な生命が保障される状態になるまで
やめないということもあると思います。

双方が、今後自分に都合のいい状態で停戦できるところに落ち着くまで戦争を続けようとする。
その間、市民は生活や生命が脅かされる深刻な状況が続くと思います。

よく言われるのは地中海、紅海、インド洋とつながる石油輸送のシーレーンをにらむ位置にある国ということです。
21世紀に入り、中東に代わって資源の面で注目を集め始めたレアメタルを豊富に産出する、
チャドや中央アフリカなどのアフリカ内陸部に、先進国あるいは中国やロシアが入っていこうとする時に
アクセスを握るのがスーダンなんです。

国軍、RSFのどちらかに、どこかの国や組織がついているかもしれないという観測もあります。
ただ、スーダンの国民自身が言っていることですが、非常に不透明で、
国軍もRSFもバシール政権の末期を支えた2つの有力勢力なので、
バシール政権が倒れたあとは、中東諸国もアフリカ諸国も、EUやアメリカもロシアも中国も、
いずれも強く国軍やRSFとうまく付き合おうとしてきた、友好関係を築いてきましたね。

ですので、今回の政変の背景に、どの国が、どの諸国がいるのか見えないところがあって、
スーダン国民からも、「停戦後の最初の課題は、今回の戦争は誰が後ろで手を引いていたのか、
どの国がどちら側を支援して軍事支援や支援資金をしていたのか、
調査委員会を立ち上げろ」とスーダン人自身が言っている例があるほどなので、まったく見えないところだです。

思惑が複雑に絡み合っているからこそ、
一体どの国が本当に中立的公正な仲介ができるのかがなかなか見えにくいと思います。

スーダン市民から「戦争をやめろ」という声が挙がっています。
「この戦争はわれわれの戦争じゃない、将軍たちの戦争だ」と“ジェネラルズウォー”という言い方をされていますが、
国軍、軍事組織トップのブルハン氏とナンバー2のダガロ司令官が、
スーダン市民を置き去りにして突然、首都ハルツームを戦場にして戦争をしているのです。

非常に難しいことですが、「これはわれわれの戦争じゃない、何やってるんだ」と
市民から、国内から「戦争やめろ」という運動を起こしていく。
同時に、いったん止まったかに見えた民主化への移行をそれと同時に進めていく。
反故(ほご)にさせるのでは無く、そういう動きが始まっていることは注目に値します。
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pazJLKX5Xa/

<参考>
2023-04-21 スーダン情勢 1
2023-04-28 スーダン情勢 2

スーダン情勢 2

スーダン情勢 解説見つけた
メモめも

スーダンで軍と準軍事組織が衝突 「RSF」とは
4月18日
おととし(2021年)のクーデターで、軍が統治の実権を握っているアフリカのスーダンで、
軍とその傘下の準軍事組織が首都ハルツームなどで激しく衝突しました。
この衝突により国連職員3人を含む50人以上が死亡しました。
双方は戦闘を続ける構えを崩しておらず、混乱がさらに広がることが懸念されます。
今回、戦闘を行っているのは、軍と準軍事組織のRSFです。

RSFは、もとはアラブ系の民兵組織です。
設立のきっかけは、2003年ごろから起きたダルフール紛争で、当時のバシール政権の支援を受けて、反政府勢力と衝突しました。その後、準軍事組織となり、規模は10万人ほどだとされています。そのトップを務めるのが、ダガロ氏です。

スーダンではおととし(2021年)、クーデターで軍が統治の実権を握り、
民政移管に向けて協議が進められてきましたが、ダガロ氏は暫定政権の統治評議会で副議長を務める実力者です。
協議ではRSFを軍に統合するという案で軍と激しく対立し、今回の衝突に発展したようです。
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pk94ERnMmv/

アフリカで3番目に大きい国土「スーダン」、戦闘と距離の課題を解説
4月24日
スーダンの首都ハルツームなどでは軍と準軍事組織との武力衝突が続くなか、
各国の外交官や国民が退避する動きが進むスーダン。
しかし、そのルートをどう確保するか、危険で難しいオペレーションになっています。
・2003年のダルフール紛争時には、共に反対派を鎮圧していた
スーダン西部のダルフール紛争への関与です。
2003年に西部のアフリカ系の住民が長年の経済格差などへの反発からアラブ系が主体の政府に対して立ち上がると、
政府は徹底した鎮圧に乗り出しました。
この紛争で、ブルハン司令官は軍人として、また、ダガロ司令官は民兵組織「ジャンジャウィード」のメンバーとして、
共に、反対派の鎮圧に乗り出しました。
対立しているのはこの2人、軍のブルハン司令官とRSFのダガロ司令官です。
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pLpvrEORRB/

【スーダン解説】対立深刻化の背景と、地理的懸念
4月25日
軍と準軍事組織の戦闘が続くスーダンでは、大半の市民は水や食料が底をつき、危機的な状況に陥っています。
カタール・アルジャジーラは「首都ハルツーム南部ですべての病院が閉鎖され、
必要な医療を受けられない患者が相次ぐ」などと伝えています。

2人はもともと、独裁的だった前のバシール大統領のもと、西部のダルフール紛争では反対派を弾圧する側にいました。
そのバシール大統領が市民のデモをきっかけに失脚すると、今度は、共に民政移管を進める姿勢も示していました。
ところが、いざ、軍の再編を進める段階になると、治安機関の主導権争いになったと指摘されています。

スーダンでは10年ほど前に大きな金の鉱脈がみつかり、新たなゴールドラッシュが起きています。
ダガロ司令官は武力を背景に鉱山を支配し、採掘だけではなく外国への販売の利権も手にし、
その資金がRSFの活動を支えていると伝えられています。
次に、周辺国を巻き込む懸念ですが、
スーダンは、7つの国と国境を接しています。
スーダンの首都ハルツームでは青ナイルと白ナイルが合流し、一本の大河となって、
北のエジプトに流れていき、エジプトの生命線になっています。
南スーダンは石油資源があり、その収入が国家財政を支えていますが、
パイプラインはスーダン国内を通って紅海につながっています。
さらに、すでに何万人ものスーダンの国民が隣国のチャドなどに逃れています。
スーダンの安定は周辺国にとっても死活的に重要なのです。
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/plNx23awoR/
Sudan-CIA_WFB_Map.jpg
wikiより
【スーダン解説】UAE・エジプト・ロシアが干渉する背景
4月26日
UAE(アラブ首長国連邦)は、スーダンの豊かな国土に強い関心を示してきました。
私は2013年にUAEの企業が開発する、ハルツームの北方に広がる巨大な農園を取材しました。
しかし、そこで生産される農産物は豊かな湾岸諸国に輸出されることからスーダン国内では、
自分たちの土地が外国に利用されているだけだという不満も出ていました。

そのUAEは、RSF(即応支援部隊)のダガロ司令官の後ろ盾になってきたと指摘されています。
ニューヨーク・タイムズは、2018年にUAEが、ダガロ司令官が戦闘員をイエメンに送り込んだ見返りに資金援助したほか、
ダガロ司令官は支配する鉱山から採掘された金をUAEのドバイで売りさばき富を築いたと伝えています。
一方、スーダンの北の隣国エジプトは、スーダン軍のブルハン司令官の後ろ盾になってきました。

2019年以降に民間軍事会社ワグネルが送り込まれ、RSFのダガロ司令官から金の採掘権を得たという報道もあります。

ロシアが関心を寄せているのが、首都ハルツームからおよそ700キロ離れた紅海に面した港湾都市で、
現在は外国人の退避の経由地としても注目されるポートスーダンです。
ことし2月、ロシアのラブロフ外相はスーダンを訪れ、
ポートスーダンにロシア海軍の基地を建設することで合意したと伝えられています。
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pQGEwXALG9/
sudan_portjiji.jpg

<参考>
2023-04-21 スーダン情勢 1

中央アフリカ今昔

中央アフリカ共和国
チャドとコンゴの間、スーダンの隣
この辺りはまだまるで不勉強
とりあえずWiki などを参照してみる
『植民地時代の名称はウバンギ・シャリ (Oubangui-Cha-ri)
川の名前なんですね

CentralAfricanRep_wiki.jpg

『約 10,000 年前、砂漠化により、狩猟採集社会が中央アフリカ北部のサヘル地域に南下し、いくつかのグループが定住した。
農業は新石器時代革命の一環として始まった。
発掘調査で、少なくとも紀元前9千年紀の切り石が発見された

BouarMegaliths_wiki.jpg

国の西部地域にあるブアールの巨石は、新石器時代後期(紀元前 3500 ~ 2700 年頃) にさかのぼる高度なレベルの居住を示している。
鉄工は紀元前 1000 年頃にこの地域で発展した。

西暦 1世紀まで続いた巨石文明 はブアール(西)地域で発展する。
巨石文明に終止符を打ったと思われる鉄冶金の出現である(グバヤのタズヌ文化)。
鉄の冶金は西から東へと広がり、 18世紀 には中央アフリカ地域全体で600 万人に達したと考えられる人口の拡大を伴う。
集団は、アフリカの主要な貿易ルートから隔離されていたため、比較的自給自足の状態で生活していたと思われる。

『最近、バンギとその周辺の考古学研究により、多くの冶金器具や物品を含む少なくとも 26 か所の古代鉄器時代の遺跡が発見され、都市とその周辺地域のヨーロッパ以前の歴史が明らかになった。
考古学的な遺跡は、 2006 年 4 月 11 日にユネスコの世界遺産暫定リストに文化カテゴリーとして追加された。
バンギに最も近い遺跡は、インデペンデンス通りから 800 メートル 離れたペンデレ セングエPendèrè-Senguèで、考古学者と自然保護団体が調査を行っている。
ここは、数千個の陶器、鉄の道具、土器、重さ 9 キログラム (20 ポンド) の鉄のへらの破片が発掘された古冶金遺跡。
ナイジェリアやスーダンの同様の遺跡と比較すると、その年代は紀元前 9 世紀に近い可能性がある。』
https://en.wikipedia.org/wiki/Bangui
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/4005/

考古学的な始まりから植民地化の直前の期間、つまり約 1,700 年間、中央アフリカ共和国が占領した領土の歴史に関するデータはまれであるか、一般大衆が簡単にアクセスできない状況にある。

Africanslavetrade_wiki.jpg
中世におけるアフリカの主要奴隷貿易路Wikiより

16 世紀と 17 世紀に、サハラとナイル川の奴隷ルートの拡大の一環として、奴隷商人がこの地域を襲撃し始めた。
彼らの捕虜は奴隷にされ、地中海沿岸、ヨーロッパ、アラビア、西半球、または西アフリカと北アフリカの奴隷港と工場、またはウバンキ川とコンゴ川沿いの南部に運ばれた。

KanemBornu_wiki.jpg
最盛期のカネム・ボルヌ帝国の版図Wikiより

CentralEastAfrica1750wiki.jpg
1750年のワダイと周辺諸国Wikiより

17世紀以降、チャド湖周辺地域に割拠するカネム・ボルヌ帝国(700年頃 - 1893年)やバギルミ王国(1480/1522–1897)、
その東に広がるワダイ王国(1501–1912)やダルフール王国といった諸国は、
アラブ人の奴隷貿易におけるサブサハラ地域の主要な奴隷供給地であったウバンギ川流域への侵攻を繰り返した。
一方、19世紀にはこれら諸国の隣接地域から、戦闘や奴隷狩りを逃れるため
ウバンギ川流域への人口流入がおこり、北からはバンダ人が、西からはフラニ戦争を逃れたバヤ人が移住して来た。
また、南東部にはアザンデ人が移住してきた。

1885年のベルリン会議でアフリカ大陸内陸部の分割が本格化する中、
1887年にフランスはベルギー王レオポルド2世と協定を結び、ウバンギ川右岸を自国領域と認めさせた。
さらにフランスは1889年に前哨基地(現バンギ)を建設し、1894年、この地域はフランス領ウバンギ・シャリとなった。
1910年にはウバンギ・シャリはフランス領コンゴ、フランス領ガボンとともにフランス領赤道アフリカ(1910年 - 1958年)を構成するようになった。(『世界地理大百科事典2 アフリカ』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
https://fr.wikipedia.org/wiki/R%C3%A9publique_centrafricaine
https://en.wikipedia.org/wiki/Central_African_Republic
FrenchEquatorialAfrica_wiki.jpg
フランス領赤道アフリカ
Ubangi-shari_wiki.jpg

『中央アフリカ最大の都市は首都のバンギである。
バンギはウバンギ川の遡航限界点にあり、政治経済の中心であるほか、大規模な河港が存在して貿易もさかん。
「急流」を意味するボバンギ語から名付けられた。』
https://en.wikipedia.org/wiki/Bangui
https://fr.wikipedia.org/wiki/Bangui

<地理>
国土の大部分が海抜600m程度の緩やかな高原となっており、国土中央部を東西に分水界が走っている。
この分水界の北は広義のチャド盆地に属し、シャリ川水系となっている。
シャリ川は国土中央部に端を発し、北流してチャド湖へと流れ込むほか、この水系に属するロゴーヌ川などいくつかの支流も同様に北流する。
分水界の南側はコンゴ川水系であり、広義のコンゴ盆地に属する。
コンゴ川最大の支流であるウバンギ川はコンゴ民主共和国との国境をなすほか、
バンギまでは大型船舶の遡航が可能であり、重要な交通路となっている。
この両河川は同国にとって非常に重要であり、植民地時代の「ウバンギ・シャリ」という植民地名はこれに由来する。
このほか、西部にはやはりコンゴ川の支流であるサンガ川が流れている。
Chaririver_wiki.jpg

北東部にはボンゴ山地が聳え立つ。
また北西部にも山地が存在し、カメルーン国境に位置するンガウィ山(標高1,410m)は中央アフリカの最高峰となっている。

降水量は緯度にほぼ比例し、南部ほど降水量が多く北に向かうほど乾燥していくが、
国土の大部分はサバナ気候(Aw)となっている。
ただし国土南端のウバンギ川沿いや南西部は一部に熱帯モンスーン気候(Am)の地域があり、
また最も乾燥した北東端はステップ気候(BS)となっている。

植生もこれにほぼ準じ、中部から北部にはサバンナが広がり、南部に全土の8%程度の熱帯雨林がある。
『世界地理大百科事典2 アフリカ』)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
Ubangiriver_wiki.jpg

ウバンギ川は、アフリカ中部にあるコンゴ川支流の河川。ムボム川とウエレ川の合流点に始まり、西に約350km流れた後南東に向きをかえ、中央アフリカ共和国の首都バンギを通り南へさらに500km流れコンゴ川に合流する。

バンギの下流100kmまでは中央アフリカ共和国とコンゴ民主共和国との国境に、
それからはコンゴ共和国とコンゴ民主共和国との国境になっている。

下流域一帯の広大な森林地帯にはカバ、アフリカハゲコウ、ペリカン、アフリカスイギュウ、ボノボ、マルミミゾウ、ヒョウ、ムラサキサギ、ゴリラなどが生息しており、
川にはディスティコドゥス科、コイ科、キタリヌス科、ヒレナマズ科などの魚類が生息している。
一帯にはアブラヤシやカカオの栽培も行われており、漁業とヤシ酒の生産も行われる。
イベンガ川との合流点付近からコンゴ川に流入する川口までの川沿いの広大の地域はラムサール条約に登録されている。

中央アフリカでは道路網の構築が遅れており、ウバンギ川の河川航路が重要な交通手段となっている。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AE%E5%B7%9D

中央アフリカ情勢

中央アフリカも…
全然知らなかった…

「想像力を大切にして見て欲しい」中央アフリカ “忘れ去られた紛争”を写真に
日本人写真家の青木弘さん

中央アフリカは文字通り、アフリカ大陸の真ん中に位置します。
宗教間の対立を背景に激しい内戦が続いてきました。

私は2020年11月に取材しましたが、政府軍のコントロールが及ぶのは首都など一部に限られ、
地方では戦闘が続くなど緊迫した情勢でした。その首都でも多くの住宅が破壊されていました。
 国際的な関心が十分ではなく、「忘れ去られた紛争」と呼ぶ人もいました。

・「ダイヤモンドが採れなかったら、私たちは幸せに暮らせていけたのに」

青木さん:中央アフリカという国では、表向きは宗教紛争と言われていて、
その奥にある背景がダイヤモンドを巡る資源の利権争いだと、現地に行って初めてそれを思い知らされました。
 
青木さん:この現地の人たちを写真撮らせてもらう時に言われたのが、
「ダイヤモンドが採れなかったら、私たちは幸せに暮らせていけたのに」という言葉がずっと残っていて。
ダイヤモンドが採れる国がそんなに苦しまなきゃいけないのは、皮肉ですし。
 
・村を焼かれ家族も殺された“リチャード”は僕だったかもしれない

青木さんが偶然出会ったのが、リチャード・ボザンドさんです。
10年ほど前、住んでいた村を焼かれ家族も殺されたあと、戦闘に参加しました。
しかしその後、憎しみを乗り越えたいと、自ら武器を捨てたといいます。
厳しい現実の中で、平和への道を選んだリチャードさんに青木さんは興味を抱きました。

青木さん:戦っている真っただ中なのに武器を置いたっていう、そんな覚悟を決められるヤツがいるんだって。
彼の話から、村を全部焼き払われたり、家族を全部殺されたり、命からがら自分だけ生き延びてしまったと聞いて、
僕の中で、きっと彼はしょく罪というか大きな十字架を背負っているような人間に思えて。
リチャードさんを追う中で、一度は武器を捨てた仲間が再び戦地に戻ってしまう現実も知りました。

青木さん:「この写真に写っている8割、9割の人間がもういないんだよ」とリチャードから聞かされて。
生きていくために向こう側に戦いに戻る。

僕が会ったリチャードという、リアルな戦争の中で生きている彼は、ただの何にも変わらない人間で、
たまたまこの時代にああいう背景があって武器を持って戦わなくてはならなかった。
もしかしたらリチャードは僕だったかもしれないし。
2023年4月11日
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/p9gl0eBaXW/
Central_African_wiki.jpg
wikiより
Central_African_mofa.jpg
外務省HPより

ジブチ今昔

ソマリアの隣なのね。
スエズ運河がらみでフランスの植民地になったのね

Djibouti
Djibouti_wiki.jpg

『アフリカ北東部、アデン湾(インド洋)と紅海を結ぶバベル・マンデブ海峡西岸に位置する小国。
正称はジブチ共和国République de Djibouti。
南東はソマリア、北はエリトリア、西、南はエチオピアと国境を接する。
旧フランス海外領アファール・イッサで、1977年独立国となった。
住民はソマリ系のイッサ人とエチオピア系のアファール人が国を二分しており、その対立が深刻な問題となっている。

1859年スエズ運河の建設に着工したフランスは、62年スエズ航路の要衝であるこの地に進出し、
タジュラ湾北岸のオボク、タジュラの両港をスルタン藩王から租借した。
1888年にはタジュラ湾南岸に新しくジブチ港を建設し、これらをあわせて97年フランス領ソマリ海岸とよばれる植民地をつくった。
ジブチ港は1869年のスエズ運河の開通とともに石炭補給港として発展、
また、1917年にはジブチからエチオピアのアディス・アベバに達する鉄道が開通し、
以後ジブチはエチオピアの外港の役割を果たすようになった。

第二次世界大戦後の1947年、フランスの海外県となってフランス領ソマリランドと称し、56年には自治政府を樹立した。
イッサ人はソマリ人の統合を図る大ソマリア計画を支持し、フランスからの完全独立を主張したため、
フランスとジブチ港からの鉄道輸送に頼るエチオピアはアファール人の自治政府を支持した。
1958年および67年の住民投票ではフランス領にとどまることが決定され、67年7月にはフランス領アファール・イッサと改称した。
70年代に入り、イッサ人のアフリカ人民独立連合(LPAI)とアファール人の独立民族連合(UNI)をはじめとする5政党が大同団結し、77年5月の住民投票で独立を決定、6月27日ジブチ共和国として独立を達成した』
[赤阪 賢]日本大百科全書(ニッポニカ)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%81-285291

『資源に乏しく,経済は,皮革,塩などを輸出するほか,ジブチ港とエチオピアのアジスアベバを結ぶ鉄道(1917完成)により,エチオピアの中継貿易,港湾業務など外港の役割を果たすことと寄港船舶の物資補給などに依存。 』
ブリタニカ国際大百科事典

『名前の語源は争われている。その起源についてはいくつかの理論と伝説があり、民族によって異なる。
ある理論では、アファール語で「板」を意味するgaboutiに由来し、おそらくこの地域の地理的特徴を指している。
. (The Concise Dictionary of World Place-Names (3 ed.). Oxford Reference.)
別のものは、「高地/台地」を意味するgabooに接続します。
(Boujrada, Zineb (2 March 2018). "How Djibouti Got Its Unique Name".The Culture Trip)
ジブチは、エジプトの月の神にちなみ、「テフティの国」または「トートの国(エジプト語: Djehuti / Djehuty )」を意味することもある.
("Countries Of The World That Are Named After Legendary Figures". Worldatlas. 7 August 2018.)
( N.Y.), Metropolitan Museum of Art (New York (2008).Beyond Babylon: Art, Trade, and Diplomacy in the Second Millennium BC)
https://en.wikipedia.org/wiki/Djibouti


『古代、この領土は、エチオピア、エリトリア、ソマリランドとともに、プントの国の一部でした。
現在ソマリランドにある近くのゼイラは、中世のアダルとイファトのスルタン国の本拠地でした。
19 世紀後半、フランス領ソマリランドの植民地が設立されたのは、
支配するソマリア のスルタンがフランスと条約を結び 、ディレ ダワ(そして後にアディスアベバ)への鉄道がそれを急速に可能にした後です。
エチオピア南部の港としてゼイラに取って代わり、それは 1967 年にフランス領アファールとイッサスに改名されました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Djibouti

DjiboutiPunt_wiki.jpg

プント国 (紀元前 2,500 年)
古代エジプトの貿易相手国の一つ。金、香料、アフリカン・ブラックウッド、コクタン、象牙、奴隷、野生動物などをエジプトに輸出していた[2]。当時、プントは「神の国 (Ta netjer)」と呼ばれていた[3]:1/433。

プント国の正確な位置は不明である。エジプトの南東にあったとする学者が大勢であり、ソマリア、ジブチ、エリトリア、スーダンなどに比定されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%88%E5%9B%BD

アダル王国 (900–1285)
アダル王国(アウダル、アドル、アデルとも) は首都ゼイラを中心としていた。
9世紀初頭に地元のソマリアの部族によって設立されました。ゼイラには世界中から商人が集まり、街の富に貢献しました。
ゼイラは古代都市であり、ヒジュラの直後、世界で最も早くイスラム教を受け入れた都市の 1 つでした。
ゼイラの 2 つのミフラーブであるマスジド アルキブラテインは7 世紀に建てられ、最古のモスク

イファト・スルタン国1285–1403
イファト・スルタン国はアフリカの角にあった中世の王国でした。1285 年にワラシュマ朝によって設立され、中心はゼイラでした。[20] [21]イファトはジブチとソマリランドに拠点を設け、そこから南のアフマル山脈まで拡大した。
イファトは最終的に 1332 年にエチオピア皇帝アムダ・セヨン 1世に敗れ、シェワから撤退した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Djibouti
Djibouti_Adalwiki.jpg

アダル・スルタン国(ソマリ語: Adaal,, 1415年頃 - 1559年頃)
スルターンが統治するイスラーム教徒の王国で、今日のソマリア北部、ジブチ南部、エチオピアのソマリ州、オロミア州、アファール州のあたりにあった。中心都市は今はエチオピアのハラールのあたり[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%9B%BD

オスマン帝国のエジプト領 (1577–1867)
名目上は1577年からオスマン帝国の一部だったが、1821年から1841年にかけて、エジプトのパシャであるモハメド・アリがイエメン、ハラル、ゼイラとベルベラを含むタジュラ湾を支配するようになった。
アブー・ベイカー総督はサガッロのエジプト守備隊にゼイラへ撤退するよう命じた。
巡洋艦セニュレーはエジプト軍が出発した直後にサガッロに到着した。
ゼイラにおける英国とエジプトの権益を守るために軍隊を派遣したアデンの英国代理人フレデリック・マーサー・ハンター少佐の抗議にもかかわらず、フランス軍は砦を占領した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Djibouti

スエズ運河建設
1859年にフェルディナン・ド・レセップスのスエズ運河会社によるスエズ運河の建設が始まると、ヨーロッパへの短絡路として紅海の重要性は増大し、その入り口を扼するタジュラ湾地域にフランスが進出した。
1859年に第二帝政下のフランスはタジュラ湾口のオボック港を租借し、1862年にはダナキル族からオボック港を購入した。
1881年にフランスはオボックにフランス・エチオピア通商会社を設立した。
1884年にイギリスがイギリス領ソマリランドを建設し、1889年にはウッチャリ条約によってエチオピア帝国がイタリア王国へイタリア領エリトリアを割譲したことで、フランスの勢力圏はタジュラ湾周辺の狭い地域に限定されることとなった。
(吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』)
Djibouti-Ethiopiawiki.jpg

フランス領ソマリランド
エチオピア帝国の皇帝メネリク2世は、イタリア離れと軍事力増強のためにフランスに接近を試み、1894年にジブチ市からエチオピアのハラールまでの鉄道敷設権をフランス企業に与えた。(吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社)

1896年にはフランス領ソマリが成立し、同年オボックからタジュラ湾の南側に位置するジブチ市への遷都が行われた。
(東部・南部アフリカ」(ベラン世界地理体系10)/『世界地理大百科事典2 アフリカ』)

上記の鉄道もジブチ・エチオピア鉄道として1894年に着工され、1902年にはディレ・ダワまでが開通し、1917年にアディスアベバまで全通した。(『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著)
オボック時代にはこの植民地はさほどの重要性を持たなかったが、鉄道建設と港湾整備によってジブチ港はエチオピアの海への窓口となり、植民地の重要性は高まった。 』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%81

ジブチの状況

ジブチから?

自衛隊の邦人退避計画で注目されるジブチ 大国の基地を抱える避難民の中継地 日本のNGOが現場に入った
0421 堀潤
『「アフリカ北東部・スーダンで続く軍事衝突を受け、今、「ジブチ共和国」への注目が集まっている。
ここには2011年7月以来、PKO以外の自衛隊唯一の海外拠点があるからだ。

スーダンの在留邦人の国外退避に向け、浜田防衛大臣は、21日午後にも愛知県の小牧基地から
ジブチに向け航空自衛隊の輸送機1機が出発することを明らかにした。

政府によると現地の在留邦人は19日の時点でおよそ60名。
滑走路上での戦闘で旅客機が炎上するなど、首都ハルツームの国際空港の状況は今も安定しておらず、
それぞれの居住地から空港までの退避ルートも確保できていない。

昨年末に岸田政権によって閣議決定された「安保3文書」。
そのうちの一つ、防衛力のあり方を定めた「国家防衛戦略」には
ジブチの拠点を「在外邦人などの保護・輸送」に活用することが、新たに明記されたことをみなさんはご存知だっただろうか。

ジブチに自衛隊の拠点が設置された理由は、ソマリア沖のアデン湾での海賊・海上武装強盗対策だった。
しかし、昨年6月に公表された外務省の資料によると
2022年(第1四半期)のソマリア沖・アデン湾の海賊等事案発生件数は0件。
2011年の237件をピークにその後は激減。
2015年以降、発生件数は0か一桁台が続いているが、拠点としての機能は維持されてきた。

そうした中、新たな「国家防衛戦略」では
「アフリカ諸国等との間でも、グローバルな課題に対応するという観点から、防衛協力を強化する。
特に、海賊対処、在外邦人等の保護・輸送等、
この地域における運用基盤の強化等のため、ジブチとの連携を強化し、
同国において運営している自衛隊の活動拠点を長期的・安定的に活用する」という一文が加えられた。

ジブチにおける自衛隊拠点の役割は「変化」した。

実はジブチには、日本の自衛隊以外にも、アメリカ、フランス、イタリア、そして中国の軍事基地がある。
フランスはかつてジブチを植民地にしていた背景で基地を擁しているが、
アメリカやイタリアは2001年9月の「同時多発テロ」以降に。
中国は2017年から海外唯一の軍事基地を設けている。
アジアから中東、アフリカまで、インド洋に展開する戦略的重要な地理に位置する。
安全保障上の緊張を生み出す場所でもあり、連携を模索できる飛地のような場所でもある。』
https://news.yahoo.co.jp/byline/horijun/20230421-00346516
Djibouti_sankei.jpg

ブルキナファソ今昔

この辺りはマリ王国の周辺というくらいしか知らない

Burkina Faso
元はフランス植民地の一つで、1960年にオートボルタ共和国として独立した。1984年に現国名の「ブルキナファソ」に改称。
「ブルキナ」はモシ語で「高潔な人」、「ファソ」はジュラ語で「祖国」を意味する。
「オートボルタ」とは、「ヴォルタ川上流」を意味

ブルキナファソの北西部には、紀元前 14,000 年から紀元前 5,000 年まで狩猟採集民が住んでいた。
農業集落は、紀元前 3600 年から 2600 年の間に確立された。
ブラ文化は、現代のニジェールの南西部と現代のブルキナファソの南東部を中心とする鉄器時代の 文明である。
製鉄および鍛造における製鉄業道具や武器のために、紀元前1200年までにサブサハラアフリカで開発された.
今日まで、ブルキナファソで発見された鉄製錬の最も古い証拠は、紀元前 800 年から 700 年のものであり、古代鉄冶金世界遺産の一部を形成している。
西暦 3 世紀から 13 世紀にかけて、現在のブルキナファソ南東部とニジェール南西部に鉄器時代の ブラ文化が存在した。
モシ族、フラ族、ディウラ族など、現在のブルキナファソのさまざまな民族グループが、8 世紀から 15 世紀にかけて次々と到来しました。11世紀からモシ族がいくつかの別々の王国を成立させた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Burkina_Faso

ブラ文化 先史時代
ニジェールとブルキナファソのニジェール川下流域にある一連の遺跡
ブラ文化に代表される鉄器時代の文明はニジェールの南西部と現代のブルキナファソの南東部に集中
(ロロペニの遺跡群 )
道具や武器の製錬と鍛造の両方における鉄産業は、紀元前 1200 年までに西アフリカで発展しました。
西アフリカサヘルの最初の千年紀の ブラ アシンダ文化は、西暦 3 世紀に始まり、13 世紀まで続いたとされています。
しかし、この「謎に包まれた」「神秘的な」文明とその文化について正確に理解されているものはほとんどありません。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bura_culture
https://en.wikipedia.org/wiki/Bura_archaeological_site
https://whc-unesco-org.translate.goog/en/tentativelists/5045/?_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=en&_x_tr_hl=ja
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5045/

WestAfrica1530_wiki.jpg

伝説上では11世紀ごろ、この地域にモシ人が侵入してモシ王国を建設した。
モシ王国は実際にはモシ王国群と呼ぶべきもので、
最も強力なワガドゥグー王国を中心に、ヤテンガやテンコドゴなどいくつかの王国からなっていた。
モシ王国は14世紀から16世紀にかけて最盛期を迎え、
マリ帝国やソンガイ帝国といったニジェール川流域帝国と戦争を繰り返した。
その後周辺地域に侵攻を行うことはなくなったものの、モシ王国群はこの地域で結束と独立を保ち続け、
19世紀まで存続した。

1884年から1885年にかけて開催されたベルリン会議 (アフリカ分割)で
ヨーロッパ列強諸国がアフリカ分割の動きを強めると、
西アフリカにはフランスが進出し、1896年にモシ王国の中心であるワガドゥグーがフランスの保護領となった。
1898年には現在のブルキナファソに相当する領域全体がフランス保護下に入り、
1904年に周辺諸国と共にセネガルのダカールを中心とする広大なフランス領西アフリカの一部としてフランス植民地帝国を構成した。
ただしフランスはこの地域では間接統治を行い、モシ王国や旧来の権力構造は残存した。

1919年には仏領オートボルタ植民地が成立し、1932年にいったん周辺植民地に分割されたものの、
地域的なまとまりの強かったこの地は1947年に再び単独の植民地となった。
『世界地理大百科事典2 アフリカ』

国土を北から南へ3本のヴォルタ川の支流が流れ、これがかつての国名である「オート・ボルタ」の由来ともなった。

古代から重要だった金の採掘は現代でも続いている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%8A%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%BD
Volta_River_wiki.jpg

ヴォルタ川はブルキナファソ国内に源を発し、黒ヴォルタ川(ムフン川)、白ヴォルタ川(ナカンベ川)、赤ヴォルタ川(ナジノン川)などが合流して大河となり、ガーナを通過してギニア湾に注ぐ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E5%B7%9D

ボルタ川は、ガーナのポルトガルの金商人によって名付けられた。
voltaはポルトガル語で「ねじれ」または「ターン」を意味します)。[5] 「帰路の川」
(おそらく、船が向きを変えて家に向かう場所だったから)または「曲がった川」。[5] [6]
https://en.wikipedia.org/wiki/Volta_River
Encyclopædia Britannica.
[5]https://www.etymonline.com/search?q=Volta
[6]Wilks,Ivor. Wangara, Akan, and Portuguese in the Fifteenth and Sixteenth Centuries (1997). Bakewell, Peter (ed.). Mines of Silver and Gold in the Americas. Aldershot: Variorum, Ashgate Publishing Limited. p. 15.

<参照>
2023-04-22 ブルキナファソ情勢

ブルキナファソ情勢

え? ブルキナファソも?
何が起きてるの?
メモめも…

ブルキナファソは北朝鮮に接近 西アフリカは武装勢力結集の地に 襲撃相次ぐ
堀潤 4/10

『西アフリカのナイジェリアでは7日、
北西部ザムファラ州で武装勢力が女性や子ども少なくとも80人を拉致する事件が発生。
ブルキナファソでは8日、北部の複数の村が武装勢力に襲われ44人が死亡したと地元当局が明らかにした。
9日、AFP通信が報じた。

今、西アフリカは世界の紛争の火種になりつつある。
紛争地での食糧支援などを手掛ける国連WFPも警鐘を鳴らしている地域だ。

国連WFP西アフリカ地域局の橋本のぞみさんは取材に対し
「元々の脆弱性に加え、貧困や気候変動による農作物減少で食料をめぐる紛争が追い討ちをかけるなど国内情勢が悪化している」と現状への危機感を語った。

西アフリカでは、過去10年間で最も深刻な食糧危機を迎えている。
特に去年6月から8月の不作期には、4300万人の人びとが緊急・危機的レベルの食料不足に直面、
今年はさらに1000万人以上その数が増加するという予測もある。

■サヘル地域で進む脱欧米・親ロシアの動き

先月末、韓国の中央日報はブルキナファソが北朝鮮との外交関係を修復させると報じた。
ブルキナファソ軍事政府外務省が先月30日、報道資料を通じて
閣僚会議で駐ブルキナファソ北朝鮮大使のアグレマンを承認したと発表。
「北朝鮮と軍事装備や鉱業、医療、農業、研究などの分野で集中的に協力する計画だ」と説明した。

ブルキナファソは2017年、北朝鮮の核兵器計画に対する国連安全保障理事会の制裁に歩調を合わせ
北朝鮮との外交関係を断絶していたが、
昨年、イスラム過激派の武装勢力の活動により悪化した治安を回復するとして、2度のクーデターで軍事政権が樹立。

今年1月、軍事政権はフランスと2018年に締結した駐留部隊の地位協定の効力を停止したと発表、フランス軍は撤収した。

さらに、今月2日、旧宗主国フランスのルモンド紙とリベラシオンの記者を国外追放。
先月26日には、アルカイダのリーダーのインタビューを放映したという理由で「フランス24」の放送を全土で停止した。

昨年からブルキナファソでは、ロシアを支持する声が高まっていて、脱植民地旧宗主国化が進んできた。
隣国のマリでは、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」が政府軍と共に
イスラム過激派に対する掃討作戦を実施するなど関係が深まり、クーデターでは親ロシア政権が立ち上がった。
民間人の殺害や拷問など人権侵害も報告され、治安は逆に悪化しているとされる。

そのワグネルが次に狙うのがブルキナファソだと言われてきた。
既に軍事政権がワグネルと接触していると、ガーナのアクフォ・アド大統領が警鐘を鳴らすなど、
アフリカや欧米各国もその動向を注視する状況にある。

■紛争によって避難民が増加、耕作放棄地も広がっている

武装勢力の活発化は、金をはじめとした鉱物資源だけではなく、
水源や耕作地など土地をめぐっての衝突も激しさを増している。
国連WFPの橋本のぞみさんは
「日本では西アフリカでの紛争というのはあまり知られていないと思いますが、
2021年の1年間で、テロ活動の犠牲になった方の数はブルキナファソ・マリ・ニジェールの3カ国で全世界の26%に上ります。
1カ国にはなりますがアフガニスタンよりも多い数字です」
https://news.yahoo.co.jp/byline/horijun/20230410-00344935?s=01
Burkina_Faso_wiki.jpg
wikiより
Burkina_Faso_mofa.jpg
外務省HPより

スーダン情勢

スーダンで何が起こっているの?
メモめも…備忘録

スーダン首都で激しい衝突 空港を占拠 空軍による爆撃 死傷者多数 今何が起きている?現地インタビュー
0416 堀潤
現地で活動しているJICAスーダン事務所長の坂根宏治さん、
JVC・日本国際ボランティアセンター、ハルツーム事務所現地代表の今中航さんに電話やzoomでインタビューした。

RSFというのはどういう組織か?
「本当に不思議というか、とても特徴のある組織だと思います。
堀さん言われたように、バシール政権時代は「ジャンジャウィード」という一つの武装グループでして、
この武装グループがダルフール紛争の時に虐殺行為をしたと言われています。

このジャンジャウィードは、バシール政権時代に「ダルフール方面は任せてくれ」と言って、
バシールの手先となってダルフール紛争を買って出たところがありますので、
バシールに重宝されて、それで首都まで上がってきたグループです。

そのときに「ジャンジャウィード」から名称を変えて「ラピッドサポートフォース(即応支援部隊)」に。
おそらく考えてみると、バシールを守るためにあらゆること即応して対応する、これがRSFです。

このRSFと軍の関係というのは非常に複雑です。
正規軍である「スーダン国軍」の中に幾つかある諜報機関の一部としてRSFが位置づけられてるものの、
RSFは国防軍とはまだ一緒ではないし、
また特殊な動き方をするというそういう複雑な構造を持ってるというのが成り立ちの部分としてあります。

通称「ヘメティ」と呼ばれていますが、モハンマド・ハムダン・ダガロという人物がトップでして、
へメティの個人的なパフォーマンスで動いているところがあります。

非常に機転が利く人物だと言われていて、
これまでにもダルフール等での金採掘権を戦利品として、
これまでの紛争の戦利品として押さえ、自分のプロパティーとして採掘をしてきたと言われているんですね。

それが一つの資金源となって非常に大きな金を所有している。

ちょうど2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻しましたが、
その前日にへメティ氏はロシアに訪問して今後の協力関係を話してるんですね。
恐らくあの当時はロシアに対する包囲網が強くなってくる中で、ルーブルが経済封鎖の影響で使用できなくなる。
要はゴールドですと価値が落とさずに取引ができるので、その中で金を差し出す代わりに支援を得たいという話をしてるんじゃなかろうかなと思います。

また、RSFは傭兵部隊としても活躍をしています。
イエメン紛争ではサウジ軍に協力を申し入れて
サウジ軍側としての尖兵といいますか傭兵として働いていて、サウジアラビアから重宝もされています。

リビア紛争でも傭兵を送っています。
ヘメティ氏は戦争ビジネスに長けてるところがありまして、
西アフリカだとか、周辺国から人をリクルートしてRSFのスタッフとして、
傭兵として雇ってどんどん人を増やしているとも聞いています。

ある意味でまさに「軍事会社」としてその資金源を確保し、その中でどんどん肥大化していってる。
今回もいろんな情報を踏まえながら自分たちの権利を守り、広げようと動いてきたというのが特徴ではないかなと思います。

本当に民主化のプロセスが全く一筋縄ではいかないというのが今のお話を聞いていて、改めて痛感しました。
そして、西アフリカ諸地域では「ワグネル」といったロシアの傭兵組織、民間軍事会社などが
マリを始め、影響力を持ってきたりとか、ロシアや権威主義的な国が今後、
こういう混乱と共にアフリカ地域で、また更なるどういう影響力を持っていくのかというそういうことにもつながってくる。

ワグネルの存在はスーダンでもありまして、RSFとも密接に関わっていると言われています。
ワグネル自身は西アフリカに入るより先にこちら東の方に入ってきてまして、
スーダン、あるいは中央アフリカ共和国、こういうところを拠点にしながらエリアを広げようとしている。

ワグネルはさらに対象エリアを広げようとしており、チャド等にも影響力を伸ばしているように見えます。
ワグネルはアフリカ東部で拠点を拡大する一方、西アフリカでも拠点を開拓しています。
加えて、2020年頃からワグネルだけではなく様々な国がさまざまな利権を求めて関与してくるという情勢になっています。

資金源を提供、軍事技術や傭兵、ドローンなどのIT技術も提供し、あるいは監視機能を強化する。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/horijun/20230416-00345811

堀潤
NPO法人8bitNews代表理事/株式会社GARDEN代表。
2001年NHK入局。「ニュースウォッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスター。
2012年、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で客員研究員。
2013年、NHKを退局しNPO法人「8bitNews」代表に。2016年(株)GARDEN設立。
現在、TOKYO MX「堀潤モーニングFLAG」キャスター

Sudan_wiki01.jpg
wikiより
sudan_nhk03.jpg
NHKより

417
「スーダンは「ホリデーで行きたい国」に選ばれるような国ではないけれど
一度でも来るとスーダン人の底の深い愛情や、穏やかさに感銘を受けて戻ってくる人も多い。
土地も肥沃だし、水があれば食物も育つし、大きな可能性があるのに、平和だけがない。
平和がないというのは、国の土台がないということ。」
https://twitter.com/miomiomiomiomio/status/1647965052530565121

仮面ライダー THE FIRST

出渕裕さんがあまりにもTHE FIRSTの話をするので、
気になって観てみてました。

仮面ライダー THE FIRST 2005年
仮面ライダー THE NEXT 2007年

確かに怪人の造型と特撮、アクションが素晴らしかったです

SHOCKER SIDE

shockerside2304.jpg

『シン・仮面ライダー』で脚本協力 なさったという 山田胡瓜さん原作のショッカーサイドの話
面白かったです~
『真の安らぎはこの世になく -シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』
漫画脚本:山田胡瓜 作画:藤村緋二 原作:石ノ森章太郎
映画『シン・仮面ライダー』脚本:庵野秀明 監修:八手三郎
https://ynjn.jp/title/8177
ai15yamada.jpg

それからこの原案者のマンガ『AIの遺電子』も面白くて
山田胡瓜 2015-
https://ja.wikipedia.org/wiki/AI%E3%81%AE%E9%81%BA%E9%9B%BB%E5%AD%90
https://www.akitashoten.co.jp/comics/4253220967
kamenspirits01.jpg

それから『仮面ライダーSPIRITS』も面白いです~
原作:石ノ森章太郎、漫画:村枝賢一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BCSPIRITS
https://dic.pixiv.net/a/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BCSPIRITS

ローソン バクラワ

baklava2304lsn.jpg
ローソンでバクラワ(風くるみパイ)が売っているという噂を聞いて
買ってきました~!
ちゃんとバクラワの味がしました!
美味しい~!

聘珍樓の月餅

なんと! 近所のスーパーで、
聘珍樓の月餅が売っていた~!
mooncake2304.jpg

小月餅 豆沙(黒あん)
小月餅 栗蓉(栗あん)

美味しいです~!

9種のベーグル

最近お気に入りのパン屋さん♪

morgen2304zopf.jpg
ツオップ

そしてなんと9~10種類のベーグル♪
morgen2304bagel01.jpg

プレーン
くるみ
黒ごま
野沢菜
チーズ
morgen2304bagelbbc.jpg
ブルーベリー

morgen2304bagelrr.jpg
ラムレーズン

morgen2304bagel01mpl.jpg
くるみメープル

morgen2304bagelpp.jpg
カボチャ

アハルテケ

馬もいっぱいいる~!
schleich23akhalteke.jpg

シュライヒ Schleich
13911 [Horse Club アハルテケ馬(オス)]
schleich23andalusianf.jpg

アンダルシア馬(メス)
13793
https://www.schleich-s.com/ja/JP/horse-club/products/andalusian-mare-13793.html
schleich23andalusianm.jpg

13821 アンダルシア馬(オス)]
https://www.schleich-s.com/ja/JP/horse-club/products/andalusian-stallion-13821.html
schleich23puraraza.jpg

プララザエスパニョーラ(オス)
13923
https://www.schleich-s.com/ja/JP/horse-club/pura-raza-espa-ola-stallion-13923.html
schleich23peruvian.jpg

ペルビアンパソ馬(オス)
13952
https://www.schleich-s.com/ja/JP/horse-club/products/peruvian-paso-stallion-13952.html

ホワイトドラゴン

調べてみたらお仲間がいっぱい~!
けっこう面白い子もいましたが
この子が気に入ったので、お迎えしました~
whitedragon2304.jpg

シュライヒ Schleich
ELDRADOR® CREATURES [ホワイトドラゴン]

グリフ ォン

そして何故かグリフォンがいたので、連れて帰ってしまいました~
icegriffin2304.jpg

『シン仮面ライダー』とは関係なくて、でも映画館のグッズ売り場に何故か売っていたのですよ。この子。
てっきり『ダンジョン&ドラゴンズ』か何かのグッズかなあと。
でも一目惚れして連れて帰ってしまいました。
調べてみたら、全然関係なさそうなのに、なんであんな所にいたんだろう?
謎です。

シュライヒ
アイスグリフィン
Schleich Eldrador Creatures Ice Griffin
https://www.schleich-s.com/ja/JP/eldrador.html

『シン・仮面ライダー』

というわけで、行ってきました~!
sinkame2023.jpg

仮面ライダーブラックサンのリベンジ?気分直し?が出来てホッとしてます。
予想.期待した感じとは違ったけど、いい感じにちゃんと仮面ライダーの世界で、
すっご~く真面目で本気で悲しくて、泥臭くてかっこいい仮面ライダーでした。
真剣に原点回帰するとこうなるか~、なるほど、さすが庵野さん!

るり子がかっこよかった
0号チョウオーグ(森山未来さん)がとても綺麗だった
サソリオーグがめちゃ素敵! 一瞬しか出なくて悲しい!
ハチオーグも素敵だった
立花と滝が…

パンフレットも面白かったです~
庵野秀明
- 白倉伸一郎、 紀伊宗之
准監督 - 尾上克郎、副監督 - 轟木一騎
デザイン - 前田真宏、山下いくと、出渕裕
美術 - 林田裕至
脚本協力 - 山田胡瓜
ラインプロデューサー - 森徹、助監督 - 中山権正
アクション監督 - 田渕景也、大庭 功睦
アクションプリヴィズスーパーバイザー - 鬼塚大輔
ビジュアルデベロップメントディレクター - 小林浩康
VFXスーパーバイザー - 佐藤敦紀
ポストプロダクションスーパーバイザー - 上田倫人…


『 シン・仮面ライダー』幕前

「<特別放送>映画『 #シン・仮面ライダー』幕前/第1幕 クモオーグ編
https://www.shin-kamen-rider.jp/news/1066/

観ました~!
おお~う~ん…こんな感じか~
面白そう
やっぱり見たいな~

「シン・仮面ライダー」の舞台裏

ドキュメント「シン・仮面ライダー」~ヒーローアクション 挑戦の舞台裏
https://www.nhk.jp/p/ts/X8334LM5QK/episode/te/NR2PGGWJWJ/

なかなか面白かったです~。
やはり大変ですよね。
皆さまご苦労さまでした。
これはちょっと見に行きたくなりますね~

「可能な限り本人で」
出たー

「ショッカーの皆さんに気概がない」
「合わせることに意識がいって『本郷を殺そう』というのが足りない」
「実写映画の中で本物ができるのは役者だけ」
「僕がやっている仕事はそれを引き出すだけ」
「計算できるもの、あらかじめ頭で考えられるものならアニメかCGで撮る、
実写映画は誰も制御てきない現場の肉体の真実を引き出さねばならないのだ」
「漫画じゃないところが一箇所でもないとお客さんは納得しない。それがこのシーン」
「それでもやっぱり嘘なんだけど、でもお客さんがこれを本物だと錯覚しないとこの映画は失敗する」

池松壮亮さん
>荒いんですよものすごく
あらさと肉体感とそれぞれの戸惑い
ちょっとおや?と
ああいうアクシデントを
アニメーションに勝てるとしたら肉体感と生っぽさしかない
停滞だと思っていた流れの中で見えたような


庵野さんは特に特別なことは言ってなくて、当たり前のことしか言ってないよねって。
真剣さと泥臭さを出したかったのよく分かりました。
綺麗にまとめたくなかったのね。
役者とスタッフの型を壊して、本気を引っ張り出すのって大変だなあ。悪者にもなるわな。

続きを読む

sidetitleプロフィールsidetitle

アシーン

Author:アシーン
FC2ブログへようこそ!

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QRコード