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『つわものの賦』

すごく面白いです
現代の社会や会社組織などに例えて、時代背景がよくわかる
西国と東国、都人と板東者、本国と植民地のようなもの、そしてもう一つ、半独立の奥州藤原氏の「奥州国家」
東国武士の素顔、東国の論理
「頼朝の旗揚げ」ではなく「東国武士団の旗揚げ」だった。
三浦氏の重要性、鎌倉の価値、
東国ピラミッドの形成
後白河法皇は風流廃れ皇子
曽我の仇討ちにひそむもの
比企の乱をめぐって
雪の日の惨劇 三浦義村の場合
承久の嵐 北条義時の場合

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つわものの賦 (文春学藝ライブラリー 歴史 42) – 2021
(初出-文藝春秋1978年 のち文庫、新版・文春学藝ライブラリー)
永井 路子

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『鎌倉時代 その光と影』  

大変面白いです~!
ちょっと古い本なのですが、もともと自分の予備知識が少ないので色々と目から鱗でした。
なるほど~。こういう前提があっての新説・最新研究なんですね。

後白河法皇の背景、平家と源氏の台頭の経緯とか、頼朝の背景として母方の実家熱田大宮司家の影響力、
頼朝の優れた政治性とか
後白河法皇を手玉にとった点とか、いや頼朝のすごさがヤバイ、どんだけ裏で工作し交渉・駆け引き・暗躍していたの
天皇制の本質を知り尽くして、とことん有効利用したという

ある時は尊重し、ある時は天狗と罵り、罠を仕掛け、漁夫の利を得、ある時は無視するという変幻自在さ
そうして義仲、平氏、義経、奥州藤原氏を葬り、実に巧妙に守護地頭の設置、東国の支配権を認めさせたという
上総介が葬られたのは、頼朝の東国の独立の放棄に反対したからだと

そして、3人の京都での味方を作る
一条能保(いちじょう よしやす)-源頼朝の同母妹(または同母姉)の婿
九条 兼実(くじょう かねざね)-頼朝が摂政に推す・息子が能保の娘と結婚・慈円は弟
西園寺 公経(さいおんじ きんつね)-能保の娘婿
すごい!その子孫が三寅なのだから!

さらに
時政の後妻・牧の方もやり手だった!
実朝の奥方になった坊門家にも娘を嫁がせていた!
(坊門信清の息子・忠清-実朝の奥方の兄?)
そして実朝の奥方の姉は藤原兼子の養女で、姉と後鳥羽上皇との間に生まれた頼仁親王を兼子が養育していたという。
なので牧の方と兼子は接触していたという
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上横手 雅敬 (うわよこて まさたか)
鎌倉時代 その光と影   
歴史文化セレクション 吉川弘文館 2006 (1994初

『謎多い鎌倉時代を、公武関係を中心に、後白河法皇と頼朝、承久の乱、執権政治、得宗専制、人物論、
幕府の滅亡等々に焦点を当て、史実のベールを次々と剥いでゆく。
鋭い指摘と新見解がちりばめられた興趣あふれる好著。』

上横手 雅敬 『北条泰時』
吉川弘文館〈人物叢書〉、1958年

『レイリ』

滅びる武田側のマンガで、岩明均さん原作で、面白いよと勧められて。
それなら間違いないなと読み始めて。

最初は辛いシーンから始まったのですが、
さすが岩明均さん、一気に引き込まれて、あれよあれよと…一気読み。良い話でした。

レイリもよかったけど、岡部丹波守も土屋惣三も武田信勝も凛々しかった~!
高天神城陥落における撤退戦と脱出編のクライマックスが凄かった
そして家康と光秀…
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[室井大資×岩明均] 『レイリ』 全6巻 2015-2018

『孤児となった少女・レイリが、武田軍の家臣の岡部丹波守に育てられ、武田信玄の孫である武田信勝の影武者として暗躍する

原作の岩明は2001年から2002年ごろからこの作品を構想をはじめ、『ヒストリエ』の連載を抱えながら2013年暮れまでの約12年間の時間をかけてシナリオを作成した。
岩明は当初、「負け組にいたけどそれなりに出世した人物」と、それを調べていたら出てきた「負け組にいたけどもっと出世した人物」を主人公として考えていたが、何か違うと考えた結果、両者の間に位置する「実在する女性」に自由度を与えた上で主人公・レイリを仮託した。当初主人公として考えていた2人は脇役として残した、と単行本1巻の巻末コメントで語っている。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AA

『里見八犬伝』

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里見八犬伝 1983年
監督 - 深作欣二

千葉真一、志穂美悦子、真田広之さんのアクションが素晴らしいというので、観てみました~。
いや、ホント凄かった~!
ジャパンアクションクラブオールスターなんですね!
しかも京本政樹さん
敵役の夏木マリさん
悪役の萩原流行さんも素晴らしいです!

WIKIを読むと紆余曲折ぶりが、なかなか大変だったんですね。
「1984年配収邦画1位の23億2000万円を記録」http://www.eiren.org/toukei/1984.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E5%85%AB%E7%8A%AC%E4%BC%9D_(1983%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)

南極大陸ドキュメンタリー

南極大陸ドキュメンタリー『「地球最後の秘境 南極大陸」観測隊が見た神秘の世界』

けっこう面白かった。
水中ドローンでの氷の下の海の映像
自立海中ロボットの活躍
ヘリコプターの活躍
雪上車の活躍
コックさんの活躍

映画誕生秘話『南極で映画を撮るんだ!超特大ヒット映画「南極物語」をつくった人たち』
こっちは見損なった。知らなかった。

『南極物語』

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南極物語 1983年
有名な高倉健さんの『南極物語』をテレビでやるというので、観てみました。
興味があったんですよね。
話には聞いていたけど、どんな映画なのか。

犬のシーンがすごくよかったです。
人間ドラマの部分は少しだけなんですね。
思ったよりあっさりしていました。
メインは取り残された犬の話なんですね。
けっこう一気に観てしまいました。

WIKIを読むと、色々ととても大変だったんですね。

監督の蔵原惟繕さんはもともと取り残された犬の話の映画を撮りたかったそうで。
なるほど。犬のシーンは大変よかったです。

制作秘話が本当に興味深い
『映画監督の蔵原惟繕と弟の蔵原惟二プロデューサーが長年温めていた企画。
しかし製作費が莫大かかることが予想され製作は進まなかった。 』
『いくらかかるかわかりませんから、どこも相手にしてくれなかった。
当時、東映の社長だった岡田茂さんには「犬がウロウロするだけの映画に客が来るか」と一刀両断されました(笑)。』

『実際の南極観測に同行したのは樺太犬だが、制作当時には既に希少犬種となっていたため、映画では北極圏のイヌイットが飼うエスキモー犬を使った。
エスキモー犬は当時、南極観測に多く用いられていた。
蔵原惟二とドッグトレーナーが北極圏中を探し回り、約800頭と面接し、タロとジロに似た犬を見つけた。
合計22頭の犬を調達し、一頭一頭の性格を見極め、映画に出演する15頭を厳選した。
演技の調教は一切やらず。犬の自由な動きをカメラに収め、編集で芝居を作ろうというのが蔵原監督の方針。
このため犬たちの撮影だけで120時間くらいカメラを回した』

『毎年、南極に入れる人数は国ごとに決まっていて、誰でも行けるわけではなく、南極で撮影ができるのかどうかも分からなかった。
本撮影の前に夏の間だけニュージーランドと南極を往復する観光船に蔵原監督とカメラマン2名の3人が乗船し、風景だけ先に撮影してくることになった。
この撮影で海が猛烈に荒れて南極まで辿り着けず引き返した。船内で転倒した蔵原監督は、肋骨を3本も折る大けがをした。
この後、ニュージーランド空軍の協力を得られ、飛行機に乗せてもらい、南極の素晴らしい映像が撮れ、製作陣のモチベーションも上がった。

南極ロケは約2ヶ月。キャストの中では高倉だけ南極ロケに参加。

撮影隊はリアルな映像を求めて各地へ飛び、南極~北極圏~京都~北海道稚内~南極~東京~北海道紋別~北極圏と飛行距離は約14万キロ。地球を3周半した勘定。 』

『メインのロケ地である北極圏のカナダ・レゾリュート
泊まれる人数は限られており、最小限の俳優とスタッフでロケに臨んだ。
昭和基地のセットは現地で製作したが、極力人数を絞っていたため、通常セットを作る美術の大道具を連れて行ってなく、そこで、撮影助手、照明助手から俳優まで、全員総出でイチから手作りした。温は連日マイナス40度超えで、柱は芯まで鉄のように凍って釘を打ち込めず、無理して打ち込むと釘の方が曲がった。この苦闘により撮影スタッフの心が一つになった。』
健さんは絶句、監督は骨折…映画『南極物語』のヤバすぎる撮影秘話
『週刊現代』2022年8月6日号、講談社 アーカイブ
https://gendai.media/articles/-/98066

『日本国内では1200万人を動員して61億円の配給収入を挙げた。
1980年公開の黒澤明監督の『影武者』の記録を塗り替えて当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録し、この記録は1997年公開の宮崎駿監督のアニメ映画『もののけ姫』まで、あるいは実写映画としては2003年公開の『踊る大捜査線2』に抜かれるまで破られなかった』
角谷優『映画の神さまありがとう テレビ局映画開拓史』扶桑社 2012年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%A5%B5%E7%89%A9%E8%AA%9E

現在も邦画実写映画で歴代興行収入2位

『日本史サイエンス』

面白かったです~!
蒙古襲来を実際の造船、必要な木材量、時間的制約から検証していく
蒙古船の復元までやって検証
それから海流、季節風、博多湾の水深、具体的な上陸の限界を検証
武器と戦闘法の検証

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日本史サイエンス
蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る
播田 安弘

(ブルーバックス) 講談社 – 2020

『蒙古は上陸に失敗していた! 
秀吉には奇想天外な戦略があった! 
大和には活躍できない理由があった!
日本史の3大ミステリーに、映画『アルキメデスの大戦』で戦艦の図面をすべて描いた船舶設計のプロが挑む。』
https://bookclub.kodansha.co.jp/title?code=1000037791

『著者の播田安弘さんは1941年生まれ。父は造船所経営、母の実家は江戸時代から続く船大工の棟梁。
三井造船(当時)に入社し、大型船から特殊船までの基本計画を担当した。
半潜水型水中展望船、流氷砕氷船「ガリンコ号2」、東京商船大学(当時)のハイテク観測交通艇などを開発。
2008年には日本初の水陸両用バス「LEGEND零ONE号」の船舶部分を設計した。
定年後は船の3Dイラストレーションを製作する「SHIP 3D Design 播磨屋」を主宰し、19年公開の映画『アルキメデスの大戦』では製図監修を担当、戦艦の図面をすべて手描きで作成』
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000344914

『第一章で、①必要な木材量から史書に記載されたような短期間での大舟300隻の造船はあり得ないこと、
②博多湾の水深から蒙古船団は博多湾の西側にしか停泊できないこと、
③上陸用の小舟の収容人員から一日で全将兵が上陸したことはあり得ないことを順次論証していく。 
 そして、①秋という季節から台風は考え難いこと、
②最近流行の威力偵察論も軍事的合理性からあり得ないことが結論付けられる。
 蒙古軍団が撤収したのは、対馬海峡には荒天の季節が迫っていて、航行不能になることを避けるためだったとのことである。』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RF7MZSIUS2X2I/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4065209579

『秀吉の中国大返しは、兵站の考察が面白かった、どこから物資をかき集めたのか?その準備時間は?ってのを考えると確かに面白いかもしれない。』
https://bookpass.auone.jp/titles/BT000084709800100101/reviews

『炎環』

読みました~!
面白かったです~!
頼朝がうすら寒くて怖い
全成のキャラが興味深い
梶原景時がむちゃくちゃかっこいい
政子の妹が怖い
義時と義村の密やかな戦いが迫力

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『炎環』永井路子
『阿野全成(頼朝の異母弟)、
梶原景時、
北条保子(北条政子の妹)、
北条義時(北条政子の弟)がそれぞれの短編の主人公

源頼朝の伊豆挙兵を頭にして、鎌倉幕府の成立を軸に、連作短編の形を採っている。
「悪禅師」では阿野全成(頼朝の弟)、「黒雪賦」では梶原景時、「いもうと」では北条保子(北条政子の妹、全成の妻)、「覇樹」では北条義時をそれぞれ主人公としている。
源実朝暗殺事件の黒幕を三浦義村として描いたが、「義村黒幕説」はその後歴史学界にも影響を与えた。
NHK大河ドラマ『草燃える』の原作の一つ』
1964年 のち文春文庫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8E%E7%92%B0

『頼朝と義時』

こちらも最新研究の解説ということで読みました~!
個々の事件、問題点の解説が詳しく、なるほど~
東国の軍事政権 の確立の意味、
義経の鵯越の真相、義経の勝因、頼朝と義経の確執の件、
頼朝と後白河の交渉、頼朝が得た権限、征夷大将軍の意味と価値、
奥州藤原氏の存在感の驚異、奥州合戦の目的と意味
頼朝の到達点と限界、義時の存在価値…なかなか面白いです

「自らが抱える全国的な御家人集団を国家的な軍事警察機能の担い手として朝廷に公認させた。これが鎌倉幕府。
絶対的な権力を握った晩年の頼朝だが、振る舞いは抑制的だった。朝廷に過剰に譲歩しているかのよう。
彼にとって朝廷の後ろ楯は不要だが、後継者・若い頼家には朝廷の権威が必要。それが頼朝の限界。
朝廷と幕府の力関係を転換させるには義時が必要だった。

実朝死後の幕府は後鳥羽上皇に従順ではなかった。
義時は非協力的で、御家人たちの権利を擁護する態度を示した。

承久の乱での幕府軍の圧勝によって、公武関係は劇的に転換した。
高い身分の摂家将軍(後には親王将軍)を擁立することで、朝廷に譲歩する必要はなくなった。
北条氏による執権色の世襲は承久の乱の勝利などの実績によって正当化された。

義時とその後継者たちが隔絶した高い身分を求めなかったのは、御家人の利益団体という幕府の性格を維持・アピール。
傲慢になって失脚した時政の失敗に学び、義時は自己抑制に努めた。泰時はその姿勢をより徹底した。
時代を経るごとに北条氏の専制は強まったが、このタテマエを残すことで御家人たちの不満はある程度抑止された。
その路線が鎌倉幕府を一世紀にわたって存続させた」

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呉座 勇一
『頼朝と義時
武家政権の誕生』
講談社現代新書 2021
(最新研究の内容とのこと)

『日本史を変えた「鎌倉殿」と「執権」という、2人の政治家――。
源平合戦から承久の乱まで、武士中心の社会は、いかにして生まれたか?
朝廷と幕府の関係が劇的に転換する日本史上の画期を描き出す!』
『貴族的であるがゆえに頼朝には限界もあった。
朝廷に仕える「王家の侍大将」という自己認識が強く、朝廷と大きな軋轢を起こしてまで武士たちの権利を擁護するという意識は希薄だった。
結果、鎌倉幕府成立後も、公家が武家に優越する体制は続いた。この体制を覆したのが承久の乱であり、その勝者が義時である。
東国武士として生まれ、かつ義兄頼朝の政治(と権謀術数)を学んだ義時という人物が、頼朝の後継者として必要だった。
武士一般の利益を代弁する組織としての鎌倉幕府が成立するには、頼朝と義時という二人の政治家が不可欠だった。
どちらか一人だけでは不十分なのだ。本書が武家政治の創始者として、頼朝と義時の二人を取り上げる所以である。』
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000358414

『本書では基本的に他説も引き合いに出した上で、著者の見解を併記している
有名な例を挙げると、承久の乱の追討対象に関して、本郷氏は従来定説通り「倒幕」であり、坂井氏は「義時個人」、呉座氏は「結果的には倒幕」という解説をしている。
一方で、実朝暗殺に関しては、本郷氏は「北条氏黒幕説」、坂井氏は「公暁単独犯」、著者呉座氏は「北条氏黒幕は考えにくい」というもの』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R801IL9IFZR0V/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4065261058

『武家政権とは別の言葉でいえば軍事政権です。建武の新政という短い期間を例外として、日本ではこれが数百年も継続しましたが、こんなことは世界にもほとんど類例がありません。それはなぜだったのか。
少なくとも、誰かがそうしようと思ってそうなった(陰謀論)のではなく、そうならざるを得ない事情があったからそうなったと考えるべきでしょう。』草野真一 https://news.kodansha.co.jp/9106

『鎌倉殿と執権北条氏』

最新研究の解説ということで読みました~!
面白かったです~!
伊豆の伊東家と北条家の関係とか、曽我物語の背景とか、要所要所でのさまざまな見解とか
八重姫伝説の件とか、2代頼家は「暗君」ではなかった、3代実朝も「傀儡」でもなく、 義時と不仲でもなかったと
唐船建造は宋との貿易が目的だった…など

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坂井孝一
『鎌倉殿と執権北条氏
義時はいかに朝廷を乗り越えたか』
(NHK出版、2021年

『伊豆の地方豪族だった北条氏は、いかに流人時代の頼朝と出会い、源平合戦、幕府草創期を経て、熾烈な権力闘争の末に承久の乱を制したのか。
源氏、朝廷側からだけでは見えてこない幕府内の駆け引きや争いの一部始終、複雑極まりない人間関係を、常にその中心にいた時政・政子・義時を軸に生き生きと描きだす。
鎌倉殿はなぜ北条氏を重用し続けたのか、宿老十三人による合議制の内実とは、
実朝暗殺事件の犯人と狙いは、なぜ義時は将軍にならなかったのか――。
第一人者が通説を検証し、この時代をめぐる疑問の数々に答える』
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000886612021.html

『「承久の乱」の坂井孝一氏の筆による三部作の3冊目。
旧著が後鳥羽院の視点で書かれたものに対し、本著は北条氏。中でも主に義時の視点で書かれている。
第一章第二章は、流人時代の頼朝やそれを巡る北条氏と伊東氏、伊豆国内における北条氏の立ち位置や北条氏と伊東氏の関係、伊東氏内部の争いや悪人とされた伊東祐親の人物像まで掘り下げてなかなか興味深い。』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R11191PUZWGOMP/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4140886617

『承久の乱』(中公2018)『源氏将軍断絶』(PHP2020)に続く、坂井孝一氏の平安末期・鎌倉初期新書本
『承久の乱』は朝廷・源氏の視点、特に後鳥羽上皇の視点に重点を置いており、
『源氏将軍断絶』は源氏将軍の視点に重点を置いていた。
本書は北条氏、特に時政・政子・義時の視点から考察しており、三作合わせて三部作になる』

コリン M.ターンブル

とりあえず図書館で借りてきて、中身を確認

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森の民 コンゴ・ピグミーとの三年間』
(1976年) (筑摩叢書) コリン・M.ターンブル (著), 藤川 玄人 (翻訳)
(抄訳版-『ピグミー森の猟人―アフリカ秘境の小人族の記録』講談社1963)
(原題 "The Forest People")1961
『森という豊かな自然と一体化して生きる伝統的狩猟民の世界を、彼らを熟知した人類学者が、人間的共感をもって、生き生きと描く。熱いヒューマンドキュメント。』https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480012340/
『それまでジャングル奥地に住む未開のコビト人種としてしか認識されていなかったピグミーが、いかに才能に恵まれた(特に音楽分野で)魅力ある人々であるかを世界に知らしめることになります。』
https://jack4afric.exblog.jp/14179099/
『1954年、57~59年にかけてムブティ族のピグミー調査を行い、その調査をもとに書いた』
(「異文化への適応」訳者あとがき)

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ローンリー・アフリカン (1975年)
-The Lonely African 1962
C.M.ターンブル (著), 佐藤 佐智子 (翻訳) 白日社
『三度にわたるコンゴのイツリの森でのフィールドワークを通して知り合ったイツリの森周辺に住むバンツー族の黒人が、伝統的な部族的価値観と、新しく彼らの生活に侵入してきた西欧的価値観の間で引き裂かれ、苦しむ様子が生々しく描かれています。
ターンブルは完全にアフリカの黒人の視点に立って、白人の行政官や宣教師が、いかに無神経なやり方で土着の黒人文化を破壊したかを抑えた筆致ながら厳しく告発しています。
ターンブルが、アフリカの黒人の心情をこれほど深く理解できたのは、彼がホモセクシュアルであったことと無関係ではないと思います。』
https://jack4afric.exblog.jp/14179099/

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アフリカの部族生活―伝統と変化 (1972年) (現代教養文庫)
著者 : コリン・M.ターンブル 松園万亀雄 松園典子
Tradition and Change in African Tribal Life. 1966
『アフリカの「ムブティ・ピグミー」・「イク族」・「ンダカ族」・「クン・ブッシュマン」の民族誌を紹介』

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ブリンジ・ヌガグ―食うものをくれ (1974年)
-原題は『THE MOUNTAIN PEOPLE』1972
コリン・M.ターンブル (著), 幾野 宏 (翻訳)筑摩書房
『コリン・ターンブルのアフリカでの研究対象はピグミーだけではなく、ウガンダの高地に住む狩猟民イク族の村にも滞在してフィールドワークを行っています。
このときの体験記が1972年に出版されたThe Mountain People(邦訳『ブリンジ・ヌガグ』筑摩書房=絶版)ですが、村を襲った飢餓によって、村のコミュ二ティーが崩壊していく様を淡々とした筆致で冷静に描いた(ターンブルは大変な名文家です)この本は大きな反響を呼び、賛否両論を巻き起こしました。』

『イク族は狩猟採集部族で、現在はウガンダ、ケニア、スーダンの3つの国境にまたがっているため、
季節を通じて祖先の土地を移動することをやめざるを得なくなった。
ウガンダで定住を余儀なくされ、そのような状況下で生き残るための知識基盤や文化がなかったため、飢餓と死に至るまで繁栄することができなかった。』Wikiより
『コンゴが政情不安でムブティ族の調査ができず、1964~67年にかけてイク族の調査を行った。』
(「異文化への適応」訳者あとがき)

科学者の本棚――『鉄腕アトム』から『ユークリッド原論』まで
「科学」編集部 (岩波書店 – 2011
でも紹介されているそうです。

ぶんじんのおはなしさんのレビュー
https://bunjin.blog.ss-blog.jp/2010-09-19
千の天使がバスケットボールするさんのレビュー
https://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/1b20d980c45f3c42e210e716f0c276ae
アマゾンカスタマーレビュー
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1JXJFC19CZPY6/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B000J9GLQ4

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アフリカ人間誌 Man in Africa 1976
コリン・M・ターンブル 著 /幾野宏 訳 草思社 1979年
『「伝統的部族社会に生きる人びとの姿を通じて自分たちの社会を見直す」という視点から、暮らしと風土とのかかわりを具体的に述べた格好のアフリカ入門書。 』草思社hp
https://www.soshisha.com/book_search/detail/1_105.html

『ニューヨーク国立自然史博物館に設けられた「Man in Africa(アフリカの人間)」という
アフリカ全体をひとつの展示場に圧縮しようと試みた展示ホールから生まれた産物。
その博物館のアフリカ民族学科の副主任だった彼が、何人もの学者や研究者の協力のもと設営。
原始時代から現代まで、アフリカ大陸で人間はどんなふうに生きてきたか。
伝統的な部族社会とはいえ、実に多種多様。古代エジプト、コンゴ川流域、ニジェール川流域で発達した帝国・王国群、今なお生活している狩猟・採集民、小規模で流動的な部族社会、、牧畜民、濃厚民、漁猟民…。
その底に古代から一貫して流れる安定性を保ち続けてきた伝統的な部族社会を
奴隷貿易というものがいかに残酷に破壊し、荒廃させたか、
植民地化や近代化がその荒廃にどんない追い打ちをかけたか、
さらにかつて奴隷として南北アメリカ大陸へ連れ去られた人々の子孫である"黒いアメリカ人"についても』
(あとがき、訳者付記より)

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豚と精霊―ライフ・サイクルの人類学 – The Human Cycle. 1983
コリン・M. ターンブル , 太田 至 (翻訳) どうぶつ社 (1993
半自伝的作品
『人間の一生を、子供時代、思春期、青年期、老年期の5つの段階に分け、ピグミー族やヒンドゥーのひとびとと西欧近代社会との比較を社会人類学的な立場から行うことをとおして、近代を批判する。 』 どうぶつ社 hp
『ターンブルは本書で「小規模な社会」と言い換えている未開社会をある意味理想化したうえで、人が全的成長を遂げて精霊として生きるには小規模な社会が必要であるということを暗示している。
すなわち大規模な社会である現代西洋社会では、人の生が管理され、母親との触れ合い、性的成熟の喜びと社会化、黄金の老年時代などが実現されず、豚のように競争に明け暮れることになると指摘しているのである。』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2MXONZ1P02LPS/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4886222730

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異文化への適応―アフリカの変革期とムブティ・ピグミー The Mbuti Pygmies : Change and Adaptation 1983
コリン M.ターンブル (著), 田中 二郎 (翻訳), 丹野 正 (翻訳) CBS – 1985
『ザイールのイトゥリの森に、前石器時代の文化をそのまま保ち続けていたムブティ・ピグミー。
しかし、ベルギーの植民地統治、ザイールの独立とそれに引き続く内乱、外部世界の激しい波を受ける間に、
異なった考え方や慣習・制度はいやおうなく、頻繁に流れ込んできた。異文化との接触は彼らと周辺の村人との関係や価値観、生活に重大な影響を及ぼすことになった。
植民地時代から現在までの変化し適応する様子を克明に描いた』(カバー紹介文)

『1960年旧ベルギー領コンゴがコンゴ民主共和国として独立、コンゴ動乱が発生、政情不安が続いて、なかなか調査が再開めてきなかったが、ようやくコンゴ動乱の余波がおさまって1970~72年に再びイトゥリの森を訪れ、調査を再開。
そのときの調査体験に基づいて書かれたもの。その間にコンゴはザイール共和国へと改称した。
かつてあれほど彼を魅了したムブティ・ピグミーたちとイトゥリの森が、外界からの圧力の波に抗しがたく変化していくさまが克明に描かれている』(訳者あとがき)


ピグミーを愛した男 <ジャックの談話室
https://jack4afric.exblog.jp/14179099/

コリン・マクミラン・ターンブル

アフリカ関係の本をさがしていたら、
大変興味深い人がいた。
ベルギー領コンゴ時代にあの地に行って、ピグミーを研究した人

コリン・マクミラン・ターンブル(Colin Macmillan Turnbull、1924年11月23日 – 1994年7月28日)
イギリス系アメリカ人の人類学者で、人気のある本『森の人々』(ザイールのムブティ・ ピグミーについて)と『山の人々』 (ウガンダのイク族について)で世間の注目を集めた。民族音楽学の分野で活動した最初の人類学者の一人。

生い立ち
ターンブルはロンドンで生まれ、ウェストミンスター・スクールとオックスフォードのマグダレン・カレッジで教育を受け、そこで政治と哲学を学びました。
第二次世界大戦中、彼は英国海軍志願予備役に所属し、その後インドのバナーラス・ヒンズー大学インド宗教哲学学部で2年間の助成金を獲得し、インド宗教哲学の修士号を取得して卒業しました。 。

経歴
1951年、バナーラス大学を卒業した後、ターンブルはインドで出会ったオハイオ州出身の学校教師ニュートン・ビールとともにベルギー領コンゴ(現在のコンゴ民主共和国)へ旅行した。
ターンブルとビールはこの時期に初めてムブティ族のピグミーを研究したが、それは旅の目的ではなかった。

このときターンブルがアフリカ滞在中に見つけた「奇妙な仕事」は、
ハリウッドのプロデューサー、サム・シュピーゲルの下で働いていた。
シュピーゲルはターンブルを雇って、映画に必要なボートの建設と輸送を手伝ってもらいました。
このボートはアフリカン クイーン号で、長編映画『アフリカン クイーン』 (ハンフリー ボガートとキャサリン ヘプバーン主演、1951 年) に使用されました。
ターンブルは初めてアフリカを訪れた後、ノースウェスト準州のイエローナイフに行き、そこで1 年間地質学者および金鉱夫として働いた後[2] 、再度学位を取得するために学校に戻りました。

1954 年にオックスフォードに戻ると、ターンブルはアフリカ人類学を専門に始めました。
彼はオックスフォードに 2 年間滞在し、その後アフリカへの再調査旅行を行い、最終的にベルギー領コンゴ (1957 ~ 1958 年) とウガンダに焦点を当てました。
長年のフィールドワークを経て、1964 年にオックスフォードで人類学の博士号を取得しました。

ターンブルは、1959年にアメリカ自然史博物館のアフリカ民族学を担当する学芸員となるためにニューヨーク市に移った後、1965年にアメリカに帰化した。
バージニア州リッチモンドのバージニア・コモンウェルス大学社会人類学部。
王立中央アフリカ博物館の対応会員や英国王立人類学研究所のフェローシップが含まれます。彼は最初にThe Forest People (1961)、ムブティ族の研究の著書で有名になった。

1972 年、イク族が経験した困難の説明と解決策を考えるよう依頼されて、物議を醸した『山の民』が出版されました。
イク族は狩猟採集部族で、現在はウガンダ、ケニア、スーダンの3つの国境にまたがっているため、
季節を通じて祖先の土地を移動することをやめざるを得なくなった。
ウガンダで定住を余儀なくされ、そのような状況下で生き残るための知識基盤や文化がなかったため、飢餓と死に至るまで繁栄することができなかった。

音楽への貢献
ターンブルによるムブティ音楽の録音の一部は商業的にリリースされ、彼の作品はシンハ・アロムやマウロ・カンパニョーリの研究など、他の民族音楽学的研究に影響を与えた。
1961 年に録音された彼の「熱帯雨林のピグミーの音楽」の録音は、リリコード ディスク社から CD でリリースされました。
ザイールのピグミーの少女たちの入門ソングの彼の録音は、ボイジャー ゴールデン レコードで使用されました。

1989年、ターンブルはインディアナ州ブルーミントンに移り、友人でダライ・ラマ14世の兄トゥプテン・ジグメ・ノルブとともにチベット文化センターの建設に参加した。
その後、ターンブルはインドのダラムサラに移り、そこでダライ・ラマから与えられたチベット仏教の僧侶の誓いを立てました。』
https://en.wikipedia.org/wiki/Colin_Turnbull
Grinker, Roy R. In the Arms of Africa: The Life of Colin M. Turnbull, Chicago: University of Chicago Press, 2001.
Smithsonian Institution: Review of In the Arms of Africa, AnthroNotes, Vol. 22, No. 1, Fall 2000.

コンゴ関係

中央アフリカのことを調べていて、こんな本を見つけてしまった。

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資源問題の正義―コンゴの紛争資源問題と消費者の責任
華井 和代 (著)東信堂 (2016/

『紛争原因となる資源流通の世界的制御は可能か?
タンタルは携帯電話やパソコン製造に不可欠の資源だ。そして他の希少メタルと共に、長期にわたりコンゴ紛争諸武装勢力の重要な資金源となっている。つまり携帯を使う私たちは意図せざる紛争加担者であり、紛争犠牲者の間接的加害者なのだ。本書は、日本など先進国と紛争地をつなぐ複雑な資源流通メカニズムの検証を通じて、先進国消費者に対し加担責任の自覚を促し、コンゴを典型とする紛争解決へ向け、私たちができる方策を多角的に追求した、渾身の労作である。』
https://www.toshindo-pub.com/book/91385/

『華井/和代
1975年東京都生まれ。2000年筑波大学大学院教育研究科修士課程修了(教育学)。
成城学園中学校高等学校教諭を経て、2011年東京大学公共政策大学院専門職学位課程修了(公共政策学)。
2015年東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了(国際協力学)。
2015年4月より東京大学公共政策大学院特任助教。
主要業績「紛争解決への取り組みを学ぶ国際平和学習―リビア紛争に対する国際連合の取り組みを事例として」日本社会科教育学会『社会科教育研究』No.118、15‐27頁、2013年。
コンゴの紛争資源問題と日本の消費者市民社会のつながりを研究。
2019年にNPO法人RITA-Congoを設立し、共同代表に就任した。』https://ifi.u-tokyo.ac.jp/people/hanai-kazuyo/

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コンゴ・森と河をつなぐ―人類学者と地域住民がめざす開発と保全の両立
松浦 直毅/山口 亮太/高村 伸吾/木村 大治【編著】明石書店(2020/

『戦争でインフラが破壊され、流通が損なわれたままのコンゴの森林の村。
そこを調査の拠点とする人類学者たちが、地域住民とともに河川舟運による新たな流通手段の開設に乗り出した。
はたして商品は無事にコンゴ河沿いの都市に届くのか? 波瀾万丈のプロジェクトの記録。』
https://www.akashi.co.jp/book/b507395.html
『コンゴ・森と河をつなぐ』 若き人類学者たちが挑んだ夢のプロジェクトの記録(じんぶん堂)
https://book.asahi.com/jinbun/article/13274940
松浦 直毅(まつうら なおき)
静岡県立大学国際関係学部助教。博士(理学)。
『現代の〈森の民〉―中部アフリカ、バボンゴ・ピグミーの民族誌』(2012年、昭和堂)
山口 亮太(やまぐち りょうた)
日本学術振興会特別研究員(RPD)/静岡県立大学国際関係学部。博士(地域研究)。
『妖術と共にあること-カメルーンの農耕民バクウェレの民族誌』2022
高村/伸吾
ベルギー・ブリュッセル自由大学ポスドク研究員。博士(地域研究)
木村 大治(きむら だいじ)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。理学博士。
『共在感覚――アフリカの二つの社会における言語的相互行為から』(2003年、京都大学学術出版会)、
編著書に『森棲みの生態誌――アフリカ熱帯林の人・自然・歴史 Ⅰ』(2010年、京都大学学術出版会)、
『森棲みの社会誌――アフリカ熱帯林の人・自然・歴史 Ⅱ』(2010年、京都大学学術出版会)。

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森に生きる人 アフリカ熱帯雨林とピグミー  自然とともに 
寺嶋 秀明 ‎ 小峰書店 (2002/

『 森の中に住み、今も狩猟と採集の生活をしている人たちピグミー。森の生活、子どもの一日、驚異の方向感覚、狩猟と採集のエコロジー、家族と社会など、自然と共生するピグミーの人々を詳しく紹介。

寺嶋/秀明
1951年、北海道札幌市に生まれる。京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科博士課程修了。生態人類学・文化人類学専攻、理学博士。福井大学教育学部助教授をへて、1992年から神戸学院大学人文学部教授。1973年以来、沖縄諸島、アフリカ(コンゴ民主共和国、カメルーン)、中国海南島などでフィールドワーク。人と自然とのかかわりを中心に研究』

『本書がピグミーに関する最初の本であった場合、子どもが本書を読んでピグミーの暮らしにどこまで魅了されるのかという問題はあります。
その意味では、コリン・M・ターンブルの『森の猟人ピグミー』のほうが優れていると思われます。ただし、子ども向けではありません。
一方、本書には、ピグミーの狩猟と採集の生活、一年を通じた食べ物の変化、家族と集団のあり方など、生活のおおまかな全体像を知ることができるという利点があります。
本書を通じてピグミーの生活を知ることは、『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』と同様、新しい視点から人類の歴史を見直すために多いに役立つと思われます。』
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RZGP6IHPC9I2Z/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4338186011

この本のレビューでコリン M.ターンブル氏のことを知った。

「デザート・フラワー」

続き~
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「デザート・フラワー」(Desert Flower)
『数々の一流ファッション誌の表紙を飾った世界的トップモデル、ワリス・ディリーの自伝「砂漠の女ディリー」をワリス本人による監修のもと映画化。
ソマリアの遊牧民家庭に生まれ、貧しい少女時代を送ったワリス。
やがて故郷を飛び出し、大都会ロンドンでトップモデルへと転身を遂げるが、その胸中には衝撃的な過去が秘められていた。
エチオピア出身の現役トップモデル、リヤ・ケベデが主人公を熱演する。
製作:2009年 ドイツ
監督:シェリー・ホーマン 
出演:ジュリエット・スティーヴンソン ティモシー・スポール サリー・ホーキンス リヤ・ケベデ 』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC
https://mihocinema.com/desert-flower-38648

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女を修理する男(2015年)
L'homme qui répare les femmes: la colère d'Hippocrate/The Man who Mends Women
製作国: ベルギーコンゴアメリカ
『⼀⼈の医師の勇気ある⾏動が世界を動かし4万⼈以上の性暴⼒被害⼥性を治療した──
コンゴ⼈婦⼈科医デニ・ムクウェゲ医師の命がけの治療を追ったドキュメンタリー。
コンゴ⺠主共和国で性的被害にあった⼥性達を治療するデニ・ムクウェゲ医師は、2012年に脅迫を受け⼀時は海外へ。
しかし翌年には命の危険を冒して再びコンゴに戻る。そして命がけの治療を再開する──』
https://unitedpeople.jp/archives/2407
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E3%82%92%E4%BF%AE%E7%90%86%E3%81%99%E3%82%8B%E7%94%B7

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「ツォツィ」(Tsotsi)
『アパルトヘイト廃止後も続く南アフリカの厳しい現状をリアルに描き、
アフリカ映画として初のアカデミー賞外国語映画賞に輝いた感動の人間ドラマ。
ヨハネスブルクのスラム街で暮らす少年ツォツィは、仲間たちと窃盗やカージャックを繰り返す日々を送っていた。
そんなある日、彼は奪った車の中に生後間もない赤ん坊を発見する。
仕方なく赤ん坊を育て始めたツォツィだったが、やがて命の価値に気づき、人間性を取り戻していく。
製作:2005年 南アフリカ
監督:ギャヴィン・フッド 
出演:モツスィ・マッハーノ ケネス・ンコースィ テリー・フェト プレスリー・チュエニヤハエ 』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%84%E3%82%A3
https://filmarks.com/movies/16374

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「輝く夜明けに向かって」CATCH A FIRE
『 アパルトヘイト政策下の南アフリカで民衆から“自由の戦士”と英雄視された実在のテロリスト、パトリック・チャムーソの半生を、「今そこにある危機」の名匠フィリップ・ノイス監督が映画化した社会派サスペンス。
普通の男から反逆の英雄へと変貌していくチャムーソを「きみの帰る場所/アントワン・フィッシャー」で注目を集めたデレク・ルークが熱演。彼を追う捜査官に「ミスティック・リバー」のティム・ロビンスが扮する。
製作:2006年 フランス
種類:アフリカ舞台 実話 
監督:フィリップ・ノイス 
出演:ムンセディシ・シャバング ボニー・ヘナ デレク・ルーク ティム・ロビンス 』
https://cinema-rank.net/movie/6442
『セクンダ石油製油所で働くパトリック(デレク・ルーク)は、
アフリカ民族会議の起こした爆破事件の犯人として無実の罪を着せられてしまう。
アパルトヘイト状況下の黒人としては豊かな暮らしを送り、政治に関わることを避けていたパトリックだったが、
この一件を機に彼はアフリカ民族会議の工作員となる。
1980年代の南アフリカを舞台に、過酷なアパルトヘイトの現実を描き出した社会派ドラマ。』
https://movies.yahoo.co.jp/movie/326511/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%A4%9C%E6%98%8E%E3%81%91%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6

2023-05-09 第9地区

『第9地区』

アフリカ映画を探してみたら、色々見つかった。
観てみたい映画。

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第9地区 District 9 (2009年)
『南アフリカ出身の新鋭ニール・ブロムカンプ監督が、05年製作の自作短編「Alive in Joburg」を長編として作り直したSFアクションドラマ。1982年、南アフリカ上空に突如UFOが飛来。
政府は不気味な容姿をした異星人を難民として受け入れるが、やがて彼らの特別居住区「第9地区」はスラムと化す。
2010年、難民のさらなる人口増加を懸念した超国家機関MNUは難民を「第10地区」に移動させる計画を立てる。
製作は「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン。』
製作:2009年 アメリカ
監督:ニール・ブロンカンプ 
出演:ヴァネッサ・ハイウッド ジェイソン・コープ デヴィッド・ジェームズ シャールト・コプリー 
https://cinema-rank.net/movie/919
『解説: 『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソンが製作を担当し、アメリカでスマッシュヒットを記録したSFムービー。突然地球に難民として降り立った正体不明の“彼ら”と共に暮らすことになる人間の困惑と、マイノリティーとして生きる“彼ら”とのドラマをしっかりと見せる。本作で監督と脚本を担当し、デビューを飾ったのは新人のニール・ブロンカンプ。俳優たちも無名ながらも迫真の演技を披露する。そのオリジナリティーあふれる物語と、摩訶(まか)不思議な“彼ら”の造形に目を奪われる。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC9%E5%9C%B0%E5%8C%BA

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「カミーユ(2019)/CAMILLE」
製作国: フランス:90分
監督:ボリス・ロジキン
主演:ニナ・ミュリス、フィアクル・バンダラ、ブリュノ・トデスキーニ、グレゴワール・コラン
『フランス報道写真家のカミーユ・ルパージュの2013-2014年中央アフリカ共和国における内戦の取材を描く。
理想に燃える若きフォトジャーナリストのカミーユは、内戦前夜の中央アフリカへと向かう。
そこで目にしたものが彼女の運命を大きく変えていく…。
命果てるまで紛争地や戦地の現状を世界に伝え続けた実在の報道写真家、カミーユ・ルパージュの生きざまに光を当てた作品。主演を務めたニナ・ムリスの力強くも繊細な演技が胸に迫る。ロカルノ国際映画祭観客賞受賞作品。』
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema2102061430/

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バトル・オブ・バンガス :Tourist
2021年/99分/ロシア
https://inter-film.com/post-1125/
監督:アンドレイ・シェルビニン
『誰もが真実を知るわけではない、目撃者だけがそれを知っている。
中央アフリカ共和国― 虐殺渦巻く孤立無援の大激戦を描く、非情の戦争アクション!!
政情不安定なアフリカの生々しい真実! ロシアが巻き込まれた中央アフリカ共和国で起きた内戦を映像化! !
中央アフリカ共和国では、現地政府の要請を受けたロシアが軍隊と兵器を送り、現地の軍人に戦闘方法を教えるなど現政権を支えている。
一方、現地では大統領選挙と議会選挙に向けて国の内戦状況は悪化し続けていた。
大統領への返り咲きを狙うフランソワ・ボジゼ元大統領は、自身が選挙へ参加することを許されなかったことなどもあり、
クーデターを画策、国内の反政府武装集団を集結させ、さらには隣国チャドに兵士の派遣を依頼する。
現地の国軍兵士に基本訓練を行うためにロシアから送り込まれた本作の主人公グリーシャ(ツーリスト)は、
軍事活動に参加した経験のない元警察官の27歳。
今回の任務に複雑なことは何もない、極めて単純な仕事だと思っていたグリーシャだったが、
思いもよらぬ大規模な内戦に巻き込まれ、さらにはクーデターを起こした元大統領軍に自身の部隊ごとターゲットにされる。
目の当たりにする内戦の苛酷さと虐殺行為。果たして彼らはこの地獄の状況から生き延びることは出来るのか―! ?』

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マシンガン・プリーチャー(2011年)
MACHINE GUN PREACHER

製作国: アメリカ 上映時間:129分
『「チョコレート」「君のためなら千回でも」のマーク・フォースター監督が、
アフリカの紛争地で少年兵を救う活動に従事する実在のアメリカ人活動家サム・チルダースの姿を描いたドラマ。
麻薬とアルコールに溺れる生活を送っていたサムは、ある事件をきっかけに改心し、
アフリカ各地で内戦に巻き込まれている子どもたちのために教会と孤児院を建設することを決意。
LRA(神の抵抗軍)の執拗な攻撃を受け、やむなく銃をとったサムは、
その姿から「マシンガン・プリーチャー(銃をもった天使)」と呼ばれるようになる。
主演はジェラルド・バトラー。共演にミシェル・モナハン、マイケル・シャノン。
どうしようもない屑だった主人公が牧師となり、内戦止まぬスーダンで少年兵を救おうと奮闘する実話を映画化。』
https://cinema-rank.net/movie/815

ソマリアのモスク

知らなかったけど、ジブチの隣にアフリカ現存最古のモスクが残っているんだって?

アダル・スルタン国
イスラム教は、ヒジュラの直後、アラビア半島からこの地域に早い段階で導入されました。ゼイラの 2 つのミフラーブであるマスジド アルキブラタインは 7 世紀に建てられ、市内最古のモスクです。

マスジド・アル・キブラタイン(ソマリア語: masjidka labada qibla、直訳: 「2 つのキブラのモスク」
西部にあるゼイラのモスクである[1] [2] 。ソマリアのダル地域

このモスクは、ムハンマドの初期の信者がアビシニアに移住したヒジュラの直後、西暦7 世紀に建てられました。[3]現在はほとんどが廃墟となっているが、アフリカおよび世界最古のモスクの1 つであり、シェイク・バブ・デナの墓がある。モスクの名前は「2 つのキブラのモスク」を意味し、2 つのミフラーブを指します。1 つはメッカに向かって北に、もう 1 つはエルサレムに向かって北西にあります。
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Djibouti
https://en.wikipedia.org/wiki/Zeila
https://en.wikipedia.org/wiki/Masjid_al-Qiblatayn_(Somaliland)

ジブチの遺跡と自然保護区

なんか、暫定リストがむちゃくちゃ充実している~

古墳 (アウェロス) 2015/05/01
Les Tumulus (Awellos)

古墳 (現地の言葉で「アウェロス」) は、紀元前約 3,000 年にまで遡る古代の葬儀施設です。
貴重な品物で飾られた堂々とした古墳には、重要人物が埋葬されました。
古墳は火山岩でできており、直径は30メートル。それらは多数残っています。
古墳の大部分はタジュラ地方のランダの町、特にアリ・サビエ地方のダスビョの近くにあり、領土全体に均等に分布しています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5956/

アオウェロは、数キロメートル離れた岩塩の採取によって発展したであろう文化が残した痕跡である可能性があります。
ブノワ・ポワブラウはこの文明を「アスゴームハティ文明」と名付け、紀元前千年紀まで遡ることができると推定しています。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Aowelo

アブルマの岩石彫刻 05/01/2015
Les Gravures Rupestre d’Abourma

アブルマの岩刻遺跡は、ジブチ共和国北部、タジュラ地方のマカラスー山塊にあります。国内最大規模です。
アブルマのこの非常に豊かな遺跡には、先史時代の岩絵が隠されています。約 3 km にわたる岩の彫刻、失われつつある牧畜生活の行動、社会階層、組織を表現するさまざまなテーマが展示されています。これらの表現されたイメージは、社会環境における人間、人間と自然の相互作用、人間と動物の共生、時には好戦的な行動など、さまざまなメッセージを伝えます。何千もの野生動物や家畜の場面、特に狩猟や戦闘を練習する男性の行動場面が非常に詳細に表現されています。この多様なテーマとスタイルは、数千年にわたる彫刻を明らかにし、1500 メートル以上の玄武岩の壁に広がっています。
この広大な玄武岩の岩石に刻まれた野生動物 (ゾウ、キリン、カバ、サイ、アンテロープなど) と家畜 (牛、ヤギ、ラクダ科など) の顕著な存在は、気候が森林の多い平原で湿潤であったことを証明しています。 . そして同時に緑豊かです。
この豊かな財産は、3 km に及ぶ岩の彫刻を通じて、何世紀にもわたる先史時代の人類の生活様式と活動を表しています。また、紀元前 3 万 8,000 年から頭頂部芸術が制作されたことを証明する、数千点の彫刻が収められた例外的なスクラップブックも公開されています。この場所の占拠は、後期旧石器時代から現在まで遡ります。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5957/
アブルマは約 930 枚の彫刻が施されたパネルで構成
https://fr.wikipedia.org/wiki/Abourma
https://www.lonelyplanet.com/djibouti/attractions/abourma-rock-art-site/a/poi-sig/1543606/355220
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/5957

ジブチ市の歴史的な都市景観とその特有の建物05/01/2015
Le paysage urbain historique de la ville de Djibouti et ses bâtiments spécifiques
ジブチ市の歴史的な街並みは、植民地時代のあらゆる影響を反映しています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5958/

アサル湖 05/01/2015
Le Lac Assal

ジブチ中西部にある火口湖です。アルタ地方とタジュラ地方の間のタジュラ湾の西端に位置し、ジブチ市の西約 120 km (75 マイル)の大地溝帯の頂上、ディキル地方に接しています。
アッサル湖は、アファール三角地帯の海抜155 m (509 フィート) にある塩湖で、アフリカの陸地で最も低い地点となっています。
ガリラヤ湖と死海に次いで地球上で3番目に低い地点です。
湖からの流出はなく、蒸発量が多いため、その水の塩分濃度は海の10倍で、ガラボガスコル、レトバ湖、ゲーターレに次いで世界で4番目に塩分濃度の高い水域となっています。

ラクダ使いやイッサ族のアファール遊牧民部族によるアサル湖の塩岸からの塩の採取により、古代のキャラバンルートが確立されました。
これらは、ソルガム、石炭、その他の商品などの物々交換のために、湖とエチオピアの山々を結び付けました。
塩はまた、サウスアビシニアとコーヒー、象牙、ムスク、そして(歴史的には)奴隷などと物々交換されていました。
それは地元の部族にとって富の源でした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Assal_(Djibouti)
Encylopeadeia Britannica

湖の畔は塩原に囲まれている。主に北西部に広がり、西部にもその一部が延びる。その岩塩は採掘され、キャラバンを組織してエチオピアまで運ばれる商品となっている。
アッサル湖は塩湖であり、湖水は、地球上で最も塩濃度が高い。34.8%と、死海よりも塩を多く含んでいる(水深20mで、39.8%の塩濃度が測定された)。
湖の水源は、10km南東にあるアデン湾の西端であるタジュラ湾 (Golfe de Tadjoura) からの海水で潤される地下水脈である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%AB%E6%B9%96

標高は海抜1.2メートル下155 メートルで、アフリカで最も低い地点であり、地球上ではティベリア湖と死海に次いで3 番目 に低い地点です。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Lac_Assal
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5959/

ムーシャ島とマスカリ島 05/01/2015
Les îles Moucha et Maskali

タジュラ湾の開口部に位置するムーチャ島とマスカリ島は、マレポラ礁として出現しました。
これらのサンゴ礁の出現は上部更新世 (紀元前 14 万年から 10 万年前) に遡り、亀裂の開口に伴う隆起を示しています。
これらの小さな無人島には、マングローブが生い茂る湿地があります。
彼らの非常に美しい水中の風景は、とりわけ、色とりどりの藻類とサンゴの庭園で構成されています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5960/
https://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%8Ele_Moucha

オボック地域の自然景観 05/01/2015
Les paysages naturels de la région d’Obock

オボック地域は国の北東部、バブ・エル・マンデブ海峡の海岸に位置しています。
バブ・エル・マンデブ(「嘆きの門」)地域は、東アフリカから南および東南アジア に向かう南海岸ルートをたどる初期のヒト族の主要な通過地点と考えられてきました。
バブ・エル・マンデブ海峡
アラビア半島のイエメンとの間の海峡です。そしてアフリカの角のジブチとエリトリア。紅海とアデン湾を結びます。


ジブチの旧首都オボック市は、標高 1,780 メートルの港湾都市であり、マングローブ、マブラ山脈、小さな火山島などの優れた自然景観が特徴の地域です。 「七兄弟の島」と呼ばれる紅海の海岸に位置し、陸生種と水生種が豊富な海底があります。
a)ゴドリア、ラスシャン、コールアンガルのマングローブ林
b) マブラ山脈の山脈
c)七人兄弟の島々
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5961/
https://en.wikipedia.org/wiki/Obock_Region
https://en.wikipedia.org/wiki/Mabla_Mountains
https://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%8Eles_des_Sept_Fr%C3%A8res

ザ・デイ・フォレスト国立公園 05/01/2015
Le Parc National de la forêt du Day

タジュラ湾の西30 kmに位置します。標高1,782mに頂上があり、原生林
ゴーダ山塊の標高 1,500 m にある残存ジュニパー林を含んでいます。ここはジブチで唯一の森林であり、国内で最も湿った微気候を持っています。ここでは、ジブチ固有種のツバメなどの哺乳類や鳥類も生息しています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5962/
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/5962
https://en.wikipedia.org/wiki/Day_Forest_National_Park

山の頂上にあるデイの森は、砂漠化前のサハラ原生林の最後のアフリカの名残です。巨大なジュニパー、野生のオリーブの木、アカシア、ナツメの木、印象的なストラングラー イチジクの木、その他の地表の縞模様の植生標本が、フランコリン、ジェネット、サルなど、さまざまな動物相の生息地を構成しています。
https://guide.visitdjibouti.dj/la-foret-du-day/

アサモの陸生保護自然地域 05/01/2015
Aire naturelle terrestre protégée d’Assamo

アサモの自然陸域はアリ・サビエ地域(ジブチ共和国南東)に位置し、面積は15km²です。ここは、 「 Dorcatragus megalotis (ベイラ)」属の唯一の代表であり、 ソマリア原産のベイラ アンテロープの自然の生息地です。
この特定のアンテロープの特徴は、アフリカの角のこの地域(ジブチ、ソマリア、エチオピア)の乾燥した山岳地帯にのみ生息していることです。アッサモの自然の陸域は、ベイラ アンテロープの維持に不可欠なビオトープを構成しています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5963/
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Dorcatragus_megalotis.jpg

ジャレロの自然保護区05/01/2015
Aire naturelle protégée de Djalélo

ジブチ南東部のアルタ地域
首の長いガゼル (ジェレヌク) (キリン ガゼル) が生息しています。他の固有動物としては、ベイラ アンテロープ、ゼメリング ガゼル、ペルツェルン ガゼル、ソルト ディクディク、ドルカス ガゼルなどがあります。
ジャレロという名前は、谷の底を流れる (ほとんどが干上がった) 川にちなんで付けられました。
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/5964
https://de.wikipedia.org/wiki/Naturschutzgebiet_Djal%C3%A9lo
https://archiqoo-com.translate.goog/unesco/unesco_natural_sub_lists.php?uw_country=djibouti&subsite=protected_natural_area_of_djalelo&_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

アッベ湖: その文化的景観、天然記念物、その生態系05/01/2015
Lac Abbeh : son paysage culturel, ses monuments naturels et son écosystème

エチオピアとジブチの国境にある塩湖です。これは 6 つのつながった湖の 1 つで、北から南にガルゴリ湖、ライタリ湖、グンマーレ湖、バリオ湖、アファンボ湖も含まれます
アッベ湖は、内海塩湖を囲む文化的景観です。石灰岩の煙突は高さ 50 メートルに達し、蒸気を吐き出します。この景観には、アサ コマとバロガリの遺跡も含まれています。その湿地には渡り鳥が集まります。
湖岸近くにはアファール人が集落を作っている。湖岸のあちこちからは温泉の蒸気が吹き上がり、それによって形成された噴気孔の石灰華の奇岩群が湖畔に立ち並び、独特の風景となっている[3][4]。湖にはフラミンゴが多く生息している。アッベ湖はその特異な光景から、映画「猿の惑星」のロケ地ともなった。

アサ コマの遺跡はアッベ湖から約 30 キロメートルのところにあります。それは紀元前2千年紀のものとされています。生息地の機能に関連する品物、当時の生活様式、信仰、葬儀に関係する古代の墓が大量にあります。

バロガリの遺跡は、ゴバードの西、アス・エイラの隣にあります。アッベ湖から 30 キロメートルの場所にあります。この遺跡では大型哺乳類の化石化した遺体が発見されており、特に豊富な石石産業に関連するゾウ、エレファス・レッキの化石化した遺体が発見されている。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5965/
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/5965
https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Abbe
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%99%E6%B9%96

https://whc.unesco.org/en/tentativelists/?action=listtentative&state=dj&order=states

ジブチの遺跡

世界遺産に登録されている遺跡はないけど、
ちょっとまとまらないけど

Prehistoric_Djibouti.jpg
Wikiより

ジブチ地域には新石器時代から人が住んでいます。
アッベ湖の地域では、約 300 万年前の切り石が収集されています。
アンテロープとキリンのように見えるものの岩絵も、ドーラとバルホで発見されています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Djibouti

バルホでは 10,000 年前の岩壁画が発見されています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Balho

ドーラでは岩絵が発見されています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Dorra

アサ コマ(「赤い丘」)
この地域で 知られている最古の新石器時代の遺跡である 2 つの小さな遺跡があります。
隣接するワクリタとアサ コマは、ゴバード平原の内陸湖地域にあります。
炭素 14により紀元前2千年紀初頭のもの と 推定される陶器。2005 年に両方の場所で発見されました 。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Asa_Koma

アサ コマは、ゴバード平原のワディにある地域です。ワクリタは近くにある新石器時代の小さな集落です。2005 年にそこで行われた発掘調査では大量の土器が発掘され、この地域の新石器時代の文化的境界が明らかになりました。この動物の遺体は、アッベ湖近くの石器時代の集落における漁業の重要性を物語っています。さらに、家畜、特に牛やヤギの飼育がこの地域で初めて具体的になりつつある。放射性炭素年代測定この集落は紀元前 2 千年紀に遡ります。この 2 つの遺跡は、この地域で牧畜が行われていたことを示す最古の証拠です。この陶器は2千年紀のものである可能性もあります。点描と幾何学的なカット装飾が特徴で、アラビア南部マライバのサビール文化第 1 期の陶器を彷彿とさせます。[1]サウジアラビア海岸のシヒやイエメン海岸のスブルの破片を思わせる陶器も発見されている。[2]

厚狭駒では長角のこぶ牛の骨も発見されている。これは、家畜化された牛が 3,500 年前には存在していたことを示唆しています。[3]
https://de.wikipedia.org/wiki/Asa_Koma_(Dschibuti)
Steffen Wenig Walter Raunig: Afrikas Horn. Otto Harrassowitz Verlag, 2005,
Annali, Volume 58. Edizione universitarie, 1998, S. 527
Graham Connah: Forgotten Africa: An Introduction to Its Archaeology. Routledge, 2004,

中央アフリカの世界遺産

中央アフリカにも世界遺産ありますね。自然遺産ですが。
しかも1つはTBSの世界遺産の番組で紹介されていたんですね。
https://www.tbs.co.jp/heritage/list/110.html
https://whc.unesco.org/en/statesparties/cf

1マノヴォ-グンダ・サン・フローリス国立公園 自然遺産(危機遺産) (ix)(x) 1988

『この公園の重要性は、その豊富な動植物に由来しています。その広大なサバンナには、クロサイ、ゾウ、チーター、ヒョウ、ヤマイヌ、アカガゼル、バッファローなど、さまざまな種が生息しており、北部の氾濫原ではさまざまな種類の水鳥が見つかります。

この公園は、東アフリカと西アフリカのサバンナ群落の種と、南部の森林群落の種が交差する「交差点」の興味深い例』
https://whc.unesco.org/en/list/475

2サンガ川流域の3カ国保護地域 自然遺産 (ix)(x) 2012

『この場所は、カメルーン、中央アフリカ共和国、コンゴが接するコンゴ盆地の北西部に位置し、合計約 750,000 ヘクタールの連続する 3 つの国立公園を含んでいます。敷地の大部分は人間の活動の影響を受けておらず、ナイルワニや大型捕食者のゴリアテタイガーフィッシュなど、豊かな動植物が生息する湿潤な熱帯林の生態系が広範囲に広がっています。森林伐採により草本の種が育ち、サンガにはマルミミゾウ、絶滅危惧種のニシローランドゴリラ、絶滅危惧種のチンパンジーが多数生息しています。この場所の環境は、大規模な生態学的および進化のプロセスの継続と、多くの絶滅危惧種の動物を含む素晴らしい生物多様性を保存してきました。』https://whc.unesco.org/en/list/1380

2013年3月31日放送 サンガ川流域の森林地帯
https://www.tbs.co.jp/heritage/2nd/archive/20130331/

『ゾウが作った森にゴリラが暮らす~ディレクターインタビュー
「Sangha Trinational」と言い、カメルーン共和国、コンゴ共和国、中央アフリカ共和国の3カ国がそれぞれ有する3つの国立公園の総称です。合計面積75万ヘクタール以上にもなる、この地域はいまだに人間の営みの影響をほとんど受けていません。3カ国に渡っているといっても国境は人間が引いたものですから、森自体はサンガ川流域にあり、1つにつながっています。今回は3つの国のうちコンゴ共和国で取材しました。

小澤:森のいたる所に存在する「バイ」と呼ばれる湿地が特徴的です。その湿地には動物が集まるのですが、彼らの目的は水だけではありません。バイの土には塩分が含まれていて、海から離れた内陸部では貴重な塩分の補給源になっています。このバイの成り立ちが実にユニークで、どうやってできたかというと、長い年月をかけてゾウが作ったということなのです。

ゾウはミネラルを求めて森の中の土を掘り、土ごと塩分を摂取します。そうすると木の根元とかも掘り返してしまうので、木が枯れて、倒れます。それを何百年と繰り返し、そこをゾウが踏み固めたり、水が流れ込んだりしてできたのがバイなのです。私たちが今回取材したバイの中で最も大きなものは長さが600m、幅が200m位もありました。 』
https://www.tbs.co.jp/heritage/2nd/feature/2013/201303_01.html
hertageTBS_ca.jpg

暫定リストは9つ
うち古代遺跡は3つ、自然遺産保護区が2つ、先住民の保護区?が1つ、奴隷貿易時代の遺物が1つ、植民地時代の遺物が2つ
ここでは古代遺跡を紹介
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/?action=listtentative&state=cf&order=states

ブアールの巨石11/04/2006
Les mégalithes de Bouar

北西部に位置するブアール地域は、考古学的観点から見て、科学的に非常に豊かな地域。
チャド盆地とコンゴ盆地の分水嶺に位置するこの巨石記念碑は、詳細な研究の対象となってきた。
巨石地帯は長さ 130 km、幅 30 km で、面積は約 7500 km²

北アフリカでは、マグレブ諸国(これらの国だけを挙げると、チュニジア、アルジェリア、モロッコ)全体で重要な巨石群が知られている。
サハラ以南のアフリカにも巨石が存在し、特にガンビア川右岸のセネガル、モーリタニア、マリ(ニアフンケ地域のトゥンディダロ遺跡には 150 個の立石がある)にも存在する。
また、ニジェール、トーゴ、チャドでは墓を表す他のセットが知られており、ブアールのように立石で埋葬を保護している。
エチオピアでは、最終的にハラールの山脈で発見され、アディスアベバの東では、彫刻された巨石の文明が発展した。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/4003/

ブワルの北と東には70のメガリスが点在
新石器時代後期 (紀元前 3500 ~ 2700 年頃) に遡る
町の名前は、グバヤ語で豆を意味するhbouarに由来
ブアール周辺の何百もの花崗岩の巨石は、石器時代後期に古代の農業社会によって建てられました。これらの石の巨石は現在、グバヤではタンズヌとして知られています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AF%E3%83%AB
https://en.wikipedia.org/wiki/Bouar
David, Nicholas (1982). "Tazunu: Megalithic Monuments of Central Africa". Azania: Archaeological Research in Africa. 17 (1)

それらの共通の特徴には、同心円状であることとほぼ同じ厚さが含まれます。
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/4003


バンギの古冶金遺跡04/11/2006
Les sites paléo-métallurgiques de Bangui

コンゴ川の支流であるウバンギ川河畔に位置する。バンギよりも上流は急流のため、大型商船の通行ができない。そのため、重要な港町でもある
バンギとその周辺の考古学研究により、多くの冶金器具や物品を含む少なくとも 26 か所の古代鉄器時代の遺跡が発見され
バンギに最も近い遺跡は、インデペンデンス通りから 800 メートル (2,600 フィート) 離れたペンデレ セングエで、考古学者と自然保護団体が調査を行っています。ここは、数千個の陶器、鉄の道具、土器、重さ 9 キログラム (20 ポンド) の鉄のへらの破片が発掘された古冶金遺跡です。ナイジェリアやスーダンの同様の遺跡と比較すると、その年代は紀元前 9 世紀に近い可能性があります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bangui
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/4005/

レンゴの岩彫刻04/11/2006
Les gravures rupestres de Lengo

レンゴ村はムボモウ県バコウマから 3 km、ヤリンガの道沿いにあります。
レンゴの岩刻は長さ200メートルのスラブで発見された。そこには、動物(アンチロープ、鳥、ネコ科の動物)、武器を持った戦争のような人物、さまざまな標識を描いた 500 点以上の画像が収められています。
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/4006
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/4006/
https://en.wikipedia.org/wiki/Lengo_Petroglyphs

ムバエレ・ボンディンゲ総合保護区11/04/2006
La Réserve intégrale de la Mbaéré-Bondingué
南西部サンガ・ムバレ県
半落葉樹林の真ん中、ムバエレ川とボディンゲ川の合流点に位置しています。ゾウ、ボンゴ、ニシローランドゴリラ、チンパンジーなどの大型哺乳類が生息しています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/4009/
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/4009

ムビ の滝04/11/2006
Les chutes de la Mbi
南西部オンベラ・ムポコ州
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/4010/
https://www.centrafriqueledefi.com/pages/artisanat-patrimoine-tourisme/centrafrique-les-chutes-de-la-mbi-mbeko-et-toutoubou.html

ピグミー・アカ族の居住地と森 04/11/2006
La forêt et les campements résidentiels de référence pygmée AKA de la République Centrafricaine
南西部ロバイエ県
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/4012/

ブルキナファソの世界遺産

「ブルキナファソの世界遺産」
かつて出版されていた講談社の世界遺産本には載っていなかったけど、
ちゃんとここにもあるんですね。

ロロペニの遺跡群 Loropéni 2009年
南部のポニ県/主に巨大な石の壁-黄金の採掘と交易に関連して建てられた施設

『ブルキナファソ初の世界遺産。堂々たる石壁をもち、1万1130㎡の広さがある。
サハラ黄金交易による富のあかしといわれる100カ所にもおよぶ石積みの囲いのうち、
ロビ地域にある10の要塞の中で最も保存状態のよいものが世界遺産として登録された。
これらは、コートジボワール、ガーナ、トーゴの国境付近に位置し、少なくとも1000年は経過していると見られる。
この地を占有したのはローロンあるいはコーランゴの人びとで、彼らは金の採掘と精錬を取りしきり、
14~17世紀に最盛期を迎えた。まだ発掘されていない部分も多く、いまだ解明されていない。』
https://whc.unesco.org/en/list/1225/

ブルキナファソの古代製鉄遺跡群-2019年
『北および中部北地域の 5 か所にまたがる/最も古いものは、紀元前 800 年頃
ドゥルーラ、ティウェガ、ヤマネ、キンディボ、ベクイ』
https://whc.unesco.org/en/list/1602/

W・アルリ・パンジャリ自然公園群(うち「アルリ国立公園」「ブルキナファソのW国立公園」ほか) 東部 1996年
https://whc.unesco.org/en/list/749/

W=アルリ=ペンジャリ国立公園複合体
ブルキナファソ南東部にあるアルリ国立公園。
『アルリ川とペンジャリ川が流れ、湿地、森林やサバンナが広がり、
アフリカゾウ、ライオン、アフリカスイギュウなどが生息する。』
https://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage1295
hertageTBS_burkina.jpg
TBS世界遺産HPより

それから『暫定リスト』というものもあるんですね。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/?action=listtentative&state=bf&order=states

ティエベレ王宮 Cour royale de Tiébélé 2012/01/24
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5653/

『16 世紀からの地域の建築様式と伝統を代表。
女性たちによって伝統的に装飾されたペイントされた家々の大きな複合体で構成されている。
建物は土、木、わらでできている。』
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/5653#

南部『ティエベレ村はブルキナファソ南部、ガーナとの国境から数キロのところにある。
そこには、ティエベレ王宮と呼ばれる「カッセナ国」最大の首長国も含まれている。

カッセナ民族はグルンセ族の一部です。ブルキナで最も古い民族の一つであり、
その領土は隣のガーナにまで広がっていた。
カッセナ族は主にアニミストであり、占い、供物、犠牲が行われる伝統的な宗教。
村と王宮は現在でも、社会秩序の保証人であり慣習的な儀式を主宰する伝統的な首長であるペーの権限下にある。』
https://www.afrikatiss.org/Articles/cour-royale-tiebele/

バラのヒポポタムス デ ラ マーレの生物圏保護区
La réserve de Biosphère de la Mare aux Hippopotames de Bala 24/01/2012
西部『バラ生物圏保護区 (カバの池) は、サティリ県とパデマ県にまたがるボボ ディウラッソの北東約 60 キロメートルに位置』
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5655/
『マーレ(淡水湖) オ ヒポポタメス国立公園は、1987 年にユネスコによって生物圏保護区に指定され、
1990 年にラムサール条約登録湿地に指定された。
ここは、自然の生息地であり、自然の生息地であり、自然保護区のおかげでほぼ無傷のまま残されている。』
https://eros.usgs.gov/westafrica/case-study/mare-aux-hippopotames-national-park-and-biosphere-reserve

ブルキナファソ・サヘルの岩石彫​​刻:ポベ・メンガオ、アルビンダ、マルコエ
Les gravures rupestres du Sahel burkinabè : Pobé-Mengao, Arbinda et Markoye
2012/01/24

『これらの一連の遺跡は、マリとニジェールとの国境地帯であるブルキナベ・サヘルに位置している。
北部と南部の 2 つの地域グループを形成している。
北に位置する最初のセットにはポベメンガオ、アルビンダ、マルコエの遺跡が含まれ、
2 セットはブルキナファソの西に位置し、ボロドゥグー、ウィンペア、ドラマンドグーの遺跡に代表される。
最初のセットのレベルでは、主要なテーマは動物と野菜の領域に言及するものであり、
抽象的な幾何学的図形への侵入も含まれている。
一方、第 2 セットのレベルでは、花や動物のモチーフよりも抽象的な表現が多く、
連続または不連続な線でパンチによって作成されている。
ポベメンガオは12 世紀以前
マルコエは西暦 620 年から 1212 年』
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5657/
https://es.wikipedia.org/wiki/Aribinda,_Markoye_y_Pob%C3%A9-Mengao

シャ、ボボ・ディウラッソ の歴史的中心部24/01/2012
Sya, centre historique de Bobo-Dioulasso
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5658/

西部『ボボは15世紀に「シャ」として建てられた。19世紀末には北のジェンネと南のコンをつなぐ南北交易ルートの要衝
町の名前は、「ボボ族とジュラ族の郷」を意味している。 ブルキナファソの、経済的、文化的要所のひとつ
ボボ・ディウラッソは、歴史的にサハラ交易の中継地点に位置していたため、民族、言語の面において非常に多様であり、ジュラ語を話す人々の多くは、実際にはジュラ族ではない。
ボボ・ディウラッソには1880年に建てられた古いモスク、15世紀のコンサの家、神聖な魚(DAFRA)の池がある。
また、博物館、動物園、陶器市もある。 』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BD

ブルザンガの墓地09/04/1996
Les nécropoles de Bourzanga
北部『ブルザンガの一連の墓地には、ドゴンの壺の墓地とクルンバの石碑のある王立の墓地という、
2 つの遺跡グループが含まれている』
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/56/
https://www.worldheritagesite.org/tentative/id/56

ブルギナファソのニジェール川流域

ブルギナ・ファソ
ヴォルタ川だけじゃないんですね。
3つの河川の流域があるんですね。

BurkinaFaso_wiki02 .jpg
Wikiより

いやあそれにしても、ニジェール川流域、凄い!
こんなに広範囲に支流があるなんて
ブルギナ・ファソなんて、本流が流れていないのに、支流がいくつもあるんですね
しかももう一つ、別の河川の流域が西部にあるなんて
https://de.wikipedia.org/wiki/Liste_der_Fl%C3%BCsse_in_Burkina_Faso

ニジェール川流域は国の北東部と東部を流れている。
最北端のブルキナファソ支流は、大部分が内流性であり (ベリ川、ゴルオル川、グデボ川、ダルゴル川)、
大規模な洪水の原因となっている。(le Béli, le Gorouol, le Goudébo et le Dargol)
一方、スダノ・サヘルの支流(ファガ川、シルバ川、ボンソアガ川、ディアマングー川、タポア川)は
それほど不規則ではなく、9月にニジェールで発生するいわゆるスーダン危機の一因となっている。
(la Faga, la Sirba, la Bonsoaga, le Diamangou et la Tapoa)
これらの流量の少ない水路は、一連の池だけを形成することがよくある。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Burkina_Faso
さらにメクル川、ゴロウビ川など (le Mékrou, le Goroubi)
https://fr.wikipedia.org/wiki/G%C3%A9ographie_du_Burkina_Faso

Burkina_RNiger02.jpg
Wikiより

Burkina_RNiger01.jpg
Niger River Basin Sustainable Development Action Plan Niger River Basin Climate Risk Assessment Final Report
Published 2015
http://www.abn.ne/images/documents/PDREGDE/volume1_english_summary_report_niger_cra.pdf
https://www.bgr.bund.de/EN/Themen/Wasser/Projekte/laufend/TZ/Niger/Was_tz_niger_fig01_g_en.html?nn=1542272

Comoe_River_wiki.jpg
Wikiより
そしてもう一つの河川コモエ川Comoé は、多くの支流を含む 18,000 km2の流域面積にわたって国の南西端を流れており 、
その水源はバンフォラ周辺の崖、特にタカレドゥグー ココ村
南東流してコートジボアールとの国境の一部を形成,のちほぼ南流してアビジャン南東約 35kmの地点でギニア湾に注ぐ。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Burkina_Faso
https://fr.wikipedia.org/wiki/Como%C3%A9_(fleuve)
https://en.wikipedia.org/wiki/Komo%C3%A9_River

さらにヴォルタ川のもう一つの支流ペンジャリ川 Pendjariまたはオティ川はブルキナファソの南東部とベナンの国境を形成。
その名前はグルマンチェ族の言語であるグルマンチェマンに由来しており、「大きな川」を意味する。実際、それはこの民族が占める地域で最大の川
ペンジャリの水源は、同じ名前のベナン県のアタコラ山塊にある。
トーゴでオーティ川と合流し、ガーナ国境を越える。ここはかつてトーゴ (その後ドイツ領、その後英国領) と英国のゴールドコーストとの国境を構成していた。
ガーナでは川は南に向きを変え、最終的にはボルタ湖でヴォルタ川に注ぐ。
この川はベニンのペンジャリ国立公園の北の自然境界を形成。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Pendjari

<参照>
2023-04-22 ブルキナファソ情勢
2023-04-23 ブルキナファソ今昔
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