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2023-08-31

コンゴの世界遺産

すべて自然遺産、危機遺産。
絶滅危惧種保護地域がほとんどなんですね。

ヴィルンガ国立公園 Virunga National Park
カフジ=ビエガ国立公園 Kahuzi-Biega National Park
サロンガ国立公園 Salonga National Park
オカピ野生生物保護区 Okapi Wildlife Reserve
ガランバ国立公園 Garamba National Park

congo heritage - Wiki.jpg
(Wikiより)
ヴィルンガ国立公園は「北東部、ルワンダとウガンダの国境付近にある国立公園(旧称アルベール国立公園)。
国境をはさんでウガンダの世界遺産であるルウェンゾリ山地国立公園と隣接。
標高4507mのカリシンビ山をはじめとするヴィルンガ火山群を中心とした南北約300km、東西約40kmのエリアを有し、熱帯雨林地帯から標高5110mのルウェンゾリ山にいたる多彩な自然環境を持っています。
もともとはゴリラの保護を目的とした国立公園で、ヴィルンガ国立公園にはマウンテンゴリラの全世界の生息数(約650頭)の半数ほどが棲んでいる。
また、エドワード湖周辺にはカバが多く生息しており、世界最大のカバ繁殖地とされている。
ほかの哺乳類にはアフリカゾウ、アフリカスイギュウ、ウォーターバック、オカピ、ライオン、ヒョウ、ボンゴ、チンパンジーなどがおり、ラムサール条約に登録されているように、カンムリヅル、コウノトリ、ペリカンをはじめ、絶滅危惧種や危急種も含む706種以上の鳥類も確認されている」
https://worldheritagesite.xyz/virunga/

ガランバ国立公園は「東部州に位置する面積5000km2の国立公園。
1938年に設定された国立公園で、アフリカスイギュウ、コーブ、ウォーターバック、アヌビスヒヒ、サバンナモンキー、アフリカゴールデンキャットなど多様な動物たちが暮らしている。また、危急種のアフリカゾウの生息地でもある。
しかし、それらよりも重要なのがシロサイの亜種であり絶滅寸前となっているキタシロサイの存在」

カフジ=ビエガ国立公園は南キブ州とマニエマ州にまたがる面積6,000km2の国立公園
「アカコロブス、アビシニアコロブス、チンパンジー、フクロウグエノンといった霊長類や、アフリカミドリヒロハシ、オオアフリカスゲヨシキリ、コンゴゴシキタイヨウチョウなどの貴重な鳥類も生息するが[53]、この国立公園で特筆されているのは、絶滅危惧種のヒガシローランドゴリラの存在であり、もともとこの国立公園はヒガシローランドゴリラの棲息地域を守るために設定された」

サロンガ国立公園は「赤道州、バンドゥンドゥ州、東カサイ州、西カサイ州にまたがる面積36,000km2の国立公園で、その面積はアフリカ第2位とされる。また、熱帯雨林保護区としては世界第2位
研究者以外の立ち入りが禁じられている。彼らの主たる研究対象は絶滅危惧種のボノボである。
ほかの生物としては、準絶滅危惧のオカピやボンゴ、絶滅危惧種のマルミミゾウをはじめ、ミズジャコウネコ、アカコロブス、アンゴラコロブス、オオセンザンコウ、オナガセンザンコウ、キノボリセンザンコウ、ヨウムなどが生息している」

オカピ野生生物保護区は「東部州に位置する面積13,726.25km2の野生生物保護区。
その名の通り、世界三大珍獣にも挙げられる準絶滅危惧のオカピが群棲している地域
ほかの生物としては、哺乳類52種(うち霊長類13種)、鳥類376種などが確認されており、稀少なものとしては絶滅危惧種のケナガチンパンジーやコンゴモリシャコ、危急種のマルミミゾウなどが挙げられる」

過去に登録が見送られた物件
Maiko NP_ Wiki.jpg
(Wikiより)
マイコ国立公園 Parc national de la Maiko
「オリエンタル州と北キブ州、マニエマ州に位置する
この国の素晴らしい固有動物のうち、グラウアー ゴリラ、オカピ、コンゴクジャクの 3 つがここに生息。アフリカマルミミゾウ、ヒガシチンパンジー、そして固有種の動物・水生ジュネットの保護にとって重要な場所でもあります。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Maiko_National_Park

Kundelungu NP_ Wiki.jpg
(Wikiより)
クンデルング国立公園 Parc national des Kundelungu
「カタンガ州の国立公園で、サバナが広がる高原地帯に多くの草食動物や肉食動物が棲息している。また、国立公園内のロフォイ滝はアフリカ中央部では最大級」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B4%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3

https://whc.unesco.org/en/statesparties/cd
https://www.tbs.co.jp/heritage/list/103.html
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2023-08-30

コンゴ今昔

断片的ですが…
植民地化以前の歴史

コンゴ王国
「14世紀末から1914年までの間、中部アフリカ大西洋岸にあった王国である。現在のコンゴ共和国・コンゴ民主共和国・北アンゴラ・ガボンに相当する地域を支配していた。
首都はンバンザ・コンゴ
ヨーロッパ人がアフリカに来航する以前、コンゴ王国は、稠密な貿易網の上になりたつきわめて高度に整備された国家であった 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B4%E7%8E%8B%E5%9B%BD
小田英郎『世界現代史15─アフリカ現代史III 中部アフリカ第2版』山川出版社、1991年。
川田順造 編『新版世界各国史10─アフリカ史』山川出版社、2009年

「その最大の広がりは、西の大西洋から東のクワンゴ川、そして北のコンゴ川から南にはクワンザ川。
この王国は、 「コンゴ王国の領主または統治者」を意味するコンゴの称号ムウェネ・コンゴのポルトガル語版であるマニコンゴが統治するいくつかの中核州で構成されていましたが、その影響範囲はンゴヨ、カコンゴ、ロアンゴなどの近隣の王国に広がりました。、ンドンゴ、マタンバ、後の 2 つは現在のアンゴラに位置します。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Kongo

African-precolonial_wiki.jpg

ウペンバ文化
「15 世紀、カタンガ州のルアラバ川沿いのウペンバの窪地で社会が発展し始めました。
ウペンバとして知られるこの文化は、最終的にはルンダ王国と同様に、より重要なルバ帝国へと発展します。

これらの文化が出現した地域は特に鉱石が豊富であり、これらの文明は象牙やその他の商品の取引に加えて、鉄と銅の技術を開発および導入し始めました。
ウペンバ族は金属技術に対する強力な商業需要を確立し、長距離商業網を確立することができました
(長距離貿易ネットワークは 1500 キロメートルを超え、インド洋にまで及んでいました)。
さらに、この地域は良好な農業条件と豊富な魚や狩猟動物にも恵まれていました。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Pre-colonial_history_of_the_Democratic_Republic_of_the_Congo

ウペンバ窪地(またはカマロンド窪地)
「コンゴ民主共和国にある大きな湿地帯 (窪地)で、ウペンバ湖(530 km 2 ) やキサレ湖(300 km 2 )などの比較的大きな湖 22 を含む、約50 の湖で構成されています。 )。初期の時代、この地域はおそらく 1 つの大きな湖によって占められていました。

この地域は湿地帯に覆われており、一部はオー ロマミ地区のウペンバ国立公園内にあります。
ウペンバ窪地には、西暦 5 世紀以来、ほぼ継続的に人が住み続けており、ルバ王国(1585 ~ 1889 年)の起源と考えられています。
この地域にはキサリアンの墓などの多くの考古学的な遺跡があり、ユネスコの世界遺産の暫定リストに登録されています。

この大きな窪地により、サハラ以南のアフリカで既知最大の墓地が誕生しました。
40 を超える遺跡が確認されていますが、これまでに部分的に発掘されたのは 6 つだけです。
彼らの研究により、2000年にわたるこの地域の占領の完全な順序を追跡することができ、中央アフリカの主要な民族グループであるルバ族の歴​​史を再構築することができます。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Upemba_Depression
https://en.wikipedia.org/wiki/Kisalian_Graves
Upemba _ Wiki.jpg

ルバ王国 1585–1889
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Luba

ルンダ王国 c. 1600–1887
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Lunda

イエケ王国 (1856–1891)
https://en.wikipedia.org/wiki/Yeke_Kingdom

クバ王国1625–1884
https://en.wikipedia.org/wiki/Kuba_Kingdom
Lunda_Empire_wiki.jpg

サバンナの王国: ルバ帝国とルンダ帝国
https://www.metmuseum.org/toah/hd/luba/hd_luba.htm

中南アフリカの王国: 資料、歴史学、および歴史
Kingdoms of South-Central Africa: Sources, Historiography, and History
デビッド・M・ゴードン David M. Gordon
https://oxfordre.com/africanhistory/display/10.1093/acrefore/9780190277734.001.0001/acrefore-9780190277734-e-146

いやあ、実はこの辺は、ハガードがソロモン王の秘宝の在り処として推定していた土地ではないかと
思っていた所です。

2014-04-03 ハガードの世界2
2014-04-09 ハガードの世界3
2014-04-10 ハガードの世界4
2014-04-23 ハガードの世界5
2014-04-24 ハガードの世界6
2014-04-26 ハガードの世界7

2012-09-18 黒い大陸の栄光と悲惨
世界の歴史 6-黒い大陸の栄光と悲惨 山口昌男 講談社 1977
→『アフリカ史』(山口 昌男 - 講談社学術文庫 2013

2012-09-07 アフリカの民族と社会
世界の歴史〈24〉―アフリカの民族と社会
福井 勝義 (著), 大塚 和夫 (著), 赤阪 賢 (著) 中央公論社 (1999 (中公文庫)(2010)

2018-05-25 多彩なアフリカ本
『新書アフリカ史』  (講談社現代新書) (1997
(コンゴ川世界-杉村和彦)

『熱帯アフリカの都市化と国家形成 』 グレアム コナー
近藤 義郎 (翻訳), 河合 信和 (翻訳) 河出書房新社 (1993
African Civilization,Graham Connah,1986
(熱帯アフリカの植民地以前のその他の都市と国家)
2021-04-25 マリのいにしえの記憶

2023-08-29

『コンゴ動乱と国際連合の危機 』

コンゴについて、ようやく日本人の本を見つけました。

congo2017misu.jpg

三須 拓也
『コンゴ動乱と国際連合の危機

米国と国連の協働介入史 1960~1963年』
ミネルヴァ書房 (2017

「米国と国連の関係に焦点をあて、国連の自律性の限界、さらには親米独裁政権に対する国連の責任を浮き彫りにする。
コンゴ動乱は、武力行使権限を持つ冷戦期最大の国連平和維持軍が組織され、また第2代国連事務総長ハマーショルドが謎の「事故死」を遂げるなど、国連史上最も重要な事件の一つである。
本書では、米国と国連の関係に焦点を当て、国連事務局の自律性の可能性と限界、また国連平和維持活動が今日の姿となった政治過程、さらには親米独裁コンゴ誕生に対する国連の介入の影響と責任の問題を浮き彫りにする。
[ここがポイント]
◎ コンゴ動乱の全容を解明する、初の研究成果。
◎ 国連平和維持活動はいかにして生まれたのか。」
https://www.minervashobo.co.jp/book/b281339.html

三須 拓也
東北学院大学, 国際学部, 教授
国際政治史・国際政治学
https://researchmap.jp/misucom
http://misucom.air-nifty.com/about.html

資料紹介 『アフリカレポート』武内 進一 2018年 No.56、p.12
「米国、英国、国連など10を超える文書館、図書館で渉猟した史料を用いた論述には、強い説得力がある。 」
https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2018_02.html

武内進一
(日本のアフリカ研究者、国際政治学者・東京外国語大学現代アフリカ地域研究センター教授)
コンゴとガボンに滞在経験
『現代アフリカの紛争と国家―ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』、明石書店、2009年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E9%80%B2%E4%B8%80
http://www.tufs.ac.jp/asc/about/staff/takeuchishinichi.html

書評-井上実佳(東洋学園大学)アフリカ研究 92(2017)
「アフリカの紛争はなぜなくならないのか。国連平和維持活動(PKO)が機能しないのはなぜか。
本書は,これらに歴史的アプローチで挑んだ労作である。
20 年の歳月と,クロスアーカイブの史料分析に基づいている。

アフリカ諸国は,コンゴ動乱の顛末を目の当たりにして,アフリカ統一機構(OAU)設立に至った。
コンゴ動乱が,冷戦期の国連 PKO による武力行使の唯一の例

コンゴ動乱が,同国にとってはもちろん,宗主国のベルギー,英米,国連にとっても,いかに死活問題だったか,臨場感があるという点で本書はミステリー小説のようである。」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/africa/2017/92/2017_169/_pdf/-char/ja
井上実佳
東洋学園大学 准教授 国際関係論・国際政治学。
著作に、『国際平和活動の理論と実践―南スーダンにおける試練』(2020年:共著)、
『国際平和協力入門』(2018年:分担)、
「アフリカの安全保障と国連―国連平和維持活動(PKO)における地域機構との関係を中心に」(『国連研究』、2011年)
『映画で学ぶ国際関係II』法律文化社 2013(:共著)
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901086695465726
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901086695465726&e=publication/book
https://www.spf.org/iina/author/mika_inoue.html

冒険小説ですが、コンゴ動乱を扱ったものも出てきました。
congo98tuge.jpg

前進か死か〈4〉コンゴ動乱 (C・NOVELS) 新書 – 1998
柘植 久慶 (著)

この人の経歴もすごいですよね。
「1961年、大学1年の夏期休暇で単身欧州へ渡航中、ベルギーの首都ブリュッセルのホテル近くのバーでスカウトされ、カタンガ国の傭兵隊の一員としてコンゴ動乱に参加した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%98%E6%A4%8D%E4%B9%85%E6%85%B6

2023-08-28

スタンレー 2

コンゴ川を踏破して、ベルギーに協力して、後の植民地への道を開いてしまった
ヘンリー・モートン・スタンリー氏
Sir Henry Morton Stanley, GCB、1841年 – 1904年

それにしてもスタンリー氏はめちゃくちゃタフな人ですね。
何この経歴!

軍務・調査
「スタンリーはおそらく南軍、北軍、アメリカ海軍の 3 つすべてに勤務した唯一の人物であった(1862-65?)
イギリスのアビシニア遠征 (1867 - 1868)
1870年、スタンリーはヘラルド紙で中東と黒海地域のいくつかの任務を引き受けた。
エジプト、エルサレム、コンスタンティノープル、クリミア、コーカサス、ペルシャ、インドを訪れた
この間、彼はペルシャのペルセポリスにある古代宮殿の石に自分の名前を刻んだらしい」

遠征歴
デビッド・リヴィングストン探検隊の発見 (1871 - 1872)
第三次アシャンティ戦争遠征 1873年 - 1873年
最初のアフリカ横断遠征(1874年 - 1877年)
国際コンゴ上流遠征 (1879 - 1884)
エミン・パシャ救援遠征 (1887 - 1890)
Stanleyroutes_wiki.jpg

著作
『How I Found Livingstone: Travels, Adventures and Discoveries in Central Africa: Including an Account of Four Months' Residence with Dr. Livingstone』 1872
『リヴィングストンを見つけた経緯: 中央アフリカの旅、冒険、発見: リヴィングストン博士との 4 か月間の滞在の記録を含む』

『Through the Dark Continent; Or, The Sources of the Nile: Around the Great Lakes of Equatorial Africa and Down the Livingstone River to the Atlantic Ocean』 1878
『暗黒大陸を抜けて。または、ナイル川の源流: 赤道アフリカの五大湖周辺とリヴィングストン川を下って大西洋に至る』

『The Congo and the Founding of Its Free State: A Story of Work and Exploration』,1885
『コンゴとその自由国家の建国: 仕事と探検の物語』

『In Darkest Africa; Or, The Quest, Rescue, and Retreat of Emin, Governor of Equatoria』,1890
『最も暗いアフリカで。または、エクアトリア総督エミンの探索、救出、および撤退』
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Morton_Stanley

翻訳としては主に児童書で残っているのかな?
でもほとんどリヴィングストン発見記なのですね。
『リヴィングストン発見記』村上光彦,三輪秀彦訳 世界ノンフィクション全集 第6 筑摩書房 1960
『暗黒大陸』宮西豊逸訳 世界教養全集 平凡社 1961
『緑の魔界の探検者 リビングストン発見記』仙名紀訳 小学館 地球人ライブラリー 1995
『リビングストン発見隊』山口進訳 小沼直人絵 講談社青い鳥文庫 1997

他にも
「豊島与志雄 アフリカのスタンレー」
というのが出てきて、『青空文庫』で公開されているんですね。
豊島与志雄集「日本児童文学大系 16」ほるぷ出版
   1977(昭和52)年11月20日初刷発行
底本「世界探検物語」新潮社    1941(昭和16)年10月
https://www.aozora.gr.jp/cards/000906/files/45067_50161.html
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN04108977

豊島 与志雄(とよしま よしお)
1890年〈明治23年〉11月27日 - 1955年〈昭和30年〉6月18日)
日本の小説家・翻訳家・仏文学者・児童文学者。法政大学名誉教授。
数多くの児童文学作品を書いた。
翻訳には、『レ・ミゼラブル』や『ジャン・クリストフ』などがある。名訳者として名を残した。
『レ・ミゼラブル』の翻訳がベストセラーになり、この訳は、何度か改訂を経て岩波文庫で読み継がれている名訳
『レ・ミゼラブル』全4巻(ユーゴー、新潮社) 1918 - 1919、のち岩波文庫
『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロオラン、新潮社)1921、、のち岩波文庫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E4%B8%8E%E5%BF%97%E9%9B%84

<参考>
こんな記事もありました。スタンレーの冒険を分かりやすく紹介
よくわかる科学史 北山敏和
Ⅳ スタンレー(アフリカ内陸探検2)>中央アジアとアフリカ内陸探検
(『秘境を探検した人々』岩村忍著 さ・え・ら伝記ライブラリー4 1987 から紹介)
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/kouro/land4.htm

2014-05-25 スタンレー
以前、スタンレーの本を探した時の話
やっと見つけた宮西 豊逸さん訳版
Stanley Dark Continent.jpg
暗黒大陸 H・M・スタンレー 世界教養全集 第23 平凡社 1961
宮西 豊逸/訳

映画としては
スタンレー探検記 Stanley and Livingstone 1939年
ヘンリー・スタンリーの第1回アフリカ探検を映画化したもの
https://moviewalker.jp/mv4754/

1971 年、BBC 「ナイルを探せ」というタイトルの 6 部構成のドラマ化されたドキュメンタリー シリーズ
Search for the Nile.

2009 年のヒストリー チャンネルシリーズ「エクスペディション アフリカ」Expedition Africa
リヴィングストンを求めてスタンリーの遠征ルートを横断しようとする探検家グループの様子が記録
https://en.wikipedia.org/wiki/Expedition_Africa
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Morton_Stanley

2023-08-27

植民地責任をめぐるベルギーの動き

なるほど…BLM運動の影響もあるかもしれないですね。

植民地責任をめぐるベルギーおよび旧ベルギー領アフリカ諸国の動き
鶴田 綾

「2020年、アメリカ合衆国から世界中に広まったBlack Lives Matter(BLM)運動は、ヨーロッパ大陸では、植民地支配を行った過去とどのように向きあうのか、という要素を帯びるものとなっている。

ベルギー国内では、21世紀に入ってから植民地支配を行った過去と向き合うさまざまな動きが登場し、2010年代後半以降にさらに活発になった。まず、21世紀初頭、ベルギー議会は、ルムンバ(Patrice Lumumba)初代コンゴ首相の暗殺に関する調査委員会を設置し、その殺害に関与していたことを公に認め、2002年に謝罪した[The Brussels Times 2020g]。
2018年6月末には、コンゴ人ディアスポラが多く住むブリュッセルの一広場が「パトリス・ルムンバ広場」という名称に変わり、ルムンバの名誉回復が進んでいる[The New York Times 2018]。

また、レオポルド2世(Léopold II)の功績をたたえる展示や植民地からの略奪品の展示が主であったベルギーの王立中央アフリカ博物館が5年間のリノベーションを経て2018年末に再開した際、展示内容や方法に多少の修正が図られた。
しかし、依然として、展示をどのように「脱植民地化」させるか、議論が今も続いている[Mathys et al. 2019; Hassett 2020]。

2020年、コンゴの独立記念日である6月末日には、フィリップ(Philippe)国王が、コンゴ自由国時代からベルギー領コンゴ時代の植民地支配に対する「深い遺憾(deepest regrets/plus profonds regrets)」を表明した[The Brussels Times 2020b; La Libre 2020a]。
これまでベルギー王室は、「コンゴに文明をもたらした」として植民地化を正当化することが多かったため、この表明は、ベルギー初の黒人市長(コンゴ出身)を含む政治家たちやベルギー人歴史家たちによって、おおむね好意的に受け止められたという[The Brussels Times 2020c]。

9月に入ってからは、ルムンバの遺族から求められていたルムンバの遺物の返還について、歯を返還するという判断が裁判所によって下されている[The Brussels Times 2020g]
(1961年にルムンバの遺体を解体し、酸で溶かしたベルギー人警察官が、歯を2本ベルギーに持ち帰ったと証言していた。)

ベルギーには、サブ・サハラ・アフリカにルーツがある人々が約20万人住んでおり、その中でコンゴ系住民は約8万人だと報じられている[The New York Times 2018]。
彼らを中心とするロビー活動などがBLM運動によって支持を拡大し、機運が到来したのであろう。」
アフリカレポート 2020 年 No.58 時事解説
https://www.jstage.jst.go.jp/article/africareport/58/0/58_96/_html/-char/ja

永原陽子編 『「植民地責任」論―脱植民地化の比較史』青木書店.2009.

現代アフリカ地域研究センター 2019. 今日のアフリカ「ベルギー首相が混血児の処遇について謝罪」4月6日
( http://www.tufs.ac.jp/asc/information/post-573.html )
現代アフリカ地域研究センター 2020. 今日のアフリカ「ベルギー国王がコンゴの植民地支配を謝罪」7月4日
( http://www.tufs.ac.jp/asc/information/post-685.html )

2023-08-26

地下資源が煽るコンゴの内戦

色々出てきます~
ルワンダとウガンダとの関係がこんなことに なっていたなんて、
知りませんでした…

「田中宇の国際ニュース解説」

「コンゴはアフリカ最大の鉱物資源国で、ダイヤモンド、銅、コバルト、それから電子部品(コンデンサー)の材料として使われているコルタンという鉱石が世界有数の規模で採掘されるほか、金、石油、亜鉛なども採れる。
だが、国民一人あたりの平均収入(一人あたりGDP)は約100ドルで、隣国コンゴ共和国の7分の1しかない。

 コンゴは国土が日本の6倍以上あり、西ヨーロッパ全部と同じぐらいに広い。人口も約5000万人いる。
それに対して隣のルワンダは面積がコンゴの30分の1しかなく、人口も700万人しかいないのだが、ルワンダ軍はコンゴ東部の奥深くまで侵攻し、一時はコンゴの国土の約3分の1を占領した。

ルワンダ内戦(1990年~94年)で、ルワンダのツチ人政権の軍隊がフツ人勢力を追いかけてコンゴに侵攻し、
コンゴ東部のダイヤモンド鉱山などを占拠して軍資金を稼ぎ始めると、
それを見たウガンダの軍隊も、自分らにも金儲けさせろとばかり、
自国の反政府勢力がコンゴ東部を拠点にしていることを理由に、コンゴの北東部に攻め入った。
コンゴ政府が統治している地域は、国土の西側の半分以下の地域にすぎなくなった。

コンゴは1960年代の動乱以来、いくつかの武装勢力が割拠して中央政府を奪い合う状態が続き、国土は広いが国家としての統一力が弱い。そのため、1996年にルワンダ軍がコンゴに進撃すると、コンゴ国内に傀儡のゲリラ組織を作って間もなく首都キンシャサを陥落させ、当時のコンゴのモブツ政権を倒してしまった。 (第一次コンゴ戦争1996-97)

モブツを追い出した後、ルワンダはコンゴに傀儡政権を置き、ゲリラの頭目だったローラン・カビラを大統領に据えた。
ルワンダはカビラを使ってフツ人系のゲリラ勢力を掃討させようとしたが、
カビラは逆にルワンダの傀儡から脱することを目指し、フツ人系のゲリラを支援した。
このためルワンダ側は怒り、カビラの政権を潰そうと再び進軍した。(第二次コンゴ戦争1998-2003)

 窮地に立ったカビラは、周辺国であるアンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャドに援軍を頼んだ。
援軍派遣の見返りにカビラが周辺諸国に提示したのは、自国の地下資源を採掘する権利だった。
アンゴラは石油を、ジンバブエとナミビアはダイヤモンドを採掘させてもらう約束でコンゴの内戦に介入した。

 コンゴ国内に居座り続けたルワンダとウガンダも、ダイヤモンドやコルタン、木材、象牙などを漁った。
ルワンダは軍事費の半分をコンゴ領内からの盗掘や略奪によって補っていたとされ、経済的にもコンゴ東部から撤退しにくくなった。
ルワンダとウガンダはもともと力を合わせてコンゴを支配下に置く目論見だったのに、
鉱山をどちらが支配するかで対立し、コンゴ領内で両国の武装勢力が戦闘したりした。

 鉱山地帯を誰が抑えるかによって、コンゴで戦う各派閥の資金力のバランスが変化し、
そのたびに中小の地元の武装勢力の間に寝返りが頻発し、内戦に決着がつかない状態が続いた。
武装諸派は盗掘だけでなく、無政府状態が続いているコンゴ各地の村々で略奪を繰り返し、無抵抗の村人たちが虐殺されることが相次ぎ、死者が激増した。

 この内戦には、欧米や南アフリカの企業も関与していた。
カビラ大統領は、欧米系鉱山会社などと話をつけ、
鉱山地帯を占拠するための軍資金を欧米系鉱山会社が出す代わりに、
コンゴ軍やその配下のゲリラが敵方を追い出して鉱山地帯を支配した後には、
欧米系鉱山会社が独占的な採掘権を得る、という契約を結んだ。

 カビラだけでなく、ルワンダなどの周辺国の政府も同様の契約を、他の欧米系鉱山会社などと締結した結果、
コンゴ内戦に介入する各勢力には、欧米からも軍資金が流れ込み、内戦をさらに長引かせることになった。
国連は昨年10月、世界的なダイヤモンドの企業であるデビアスや、南アフリカの鉱山会社アングロアメリカン(デビアスの親会社)、イギリスのバークレイズ銀行など欧米と南アフリカの85社が、コンゴの略奪を煽る行為を行ったと批判する報告書を発表している。 」
2003年6月2日   田中 宇
https://tanakanews.com/d0602congo.htm

rebelcongo_bbc.jpg
コンゴ内戦の勢力分布図(RCDはルワンダ系、MLCはウガンダ系)
(BBCより)

RCD-コンゴ民主連合
MLC-コンゴ解放運動

DR Congo's road to peace
アフリカ _ コンゴ民主共和国の平和への道
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/2296687.stm

UN and US back French intervention in Ivory Coast
国連と米国はフランスのコートジボワール介入を支持
https://www.wsws.org/en/articles/2003/02/ivor-f12.html

第一次コンゴ戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B4%E6%88%A6%E4%BA%89

第二次コンゴ戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B4%E6%88%A6%E4%BA%89

2023-08-25

『 「コンゴ」というアフリカの悲劇』

元ベルギー国駐箚特命全権大使のコラムが見つかりました。
全体的な状況が説明されていますね。

「コンゴ」というアフリカの悲劇
「ベルギーの首都ブリュッセルの南東郊外に「王立中央アフリカ博物館」という巨大な建造物がある。
かつてベルギーがコンゴを植民地化した時代(1885~1960)の様相を説明したもので、象牙やゴムの強制的な採集のためノルマを達成できない多くの現地住民の手足を切断するような過酷な植民地統治が行われた実情が分かるようになっている。
ベルギーの歴史における暗黒面を象徴的に示す展示がある

ベルギーによるコンゴの植民地化は困難を極めた。
英仏などに遅れて帝国主義的競争に参入したベルギーは広大なアフリカの大地の中でも最も生活条件・環境の厳しい中央アフリカに足を踏み入れることになった。
国土面積がわずかに3万㎢しかないベルギーが自国の80倍もある瘴癘(しょうれい)の地を植民地にしようというのである。
土台うまく行くはずがなかった。「ベルギー領コンゴ」はアフリカで最悪の植民地だった。
 さて、1960年に独立したコンゴはその後どうなったか。
一言でいえば、「アフリカ最悪の植民地」が「アフリカ最悪の独立国家」に変貌しただけである。

実際、独立後のコンゴは内戦・外戦に明け暮れ、第二次大戦後としては朝鮮半島やベトナムを上回る最大の戦争犠牲者(死者だけで約3百万人?)を出している。
2013年には国連の後援を受け近隣11ヵ国の間で「安全保障・協力枠組み」が調印されたが、紛争は散発的に継続しており、平和が訪れる気配はない。国連は今も18000人を超える世界最大規模のPKO部隊を派遣している。
 「豊かであることは幸福を保証しない」というが、コンゴほどこの言葉が当てはまる国はない。
金とコバルトの生産量が世界第1位、ダイヤモンドも第2位で、アフリカ第一の鉱物資源量を誇り、これに銅、原油やコーヒーの生産も加わる。
しかし、これらの富は政治指導者や武装勢力を含む極く一部の人間によって収奪され、国民は世界で最も貧しい状況(一人当たりGDP約400ドル)に置かれている。
欧米諸国や中国はODAを梃に熾烈な資源獲得競争を展開している。最大の貿易相手国は中国である。

もう一つ、この国を不幸にしている事情がある。
それは国内各地に散らばる250以上と言われる異なる民族・部族間の歴史的な対立である。
特に、東部ウガンダやルワンダ、ブルンディとの国境地域には広大な山岳地帯や熱帯雨林が広がり、完全な「無法地帯」になっている。
ルワンダのツチ族武装勢力やイスラム過激派勢力の浸透もある。
村人たちは生き残るために部族の武装組織に入るか難民になって逃げるかの選択しかない。
昨年だけで2百万人が新たに難民となり、国内避難民の総数は430万人に膨れ上がっている。
 コンゴ民主共和国は、西の隣に「コンゴ共和国」という(日本とほぼ同じ面積の)別の国があるため、略称で「コンゴ民」と呼ばれて区別される。
アフリカ大陸のほぼ中央に位置し最大の面積(日本の6.2倍)を誇る。
人口も約8千万人でサハラ砂漠以南では3番目に多い。
資源豊かな国であり、紛争のない民主的な統治によって経済がきちんと発展すれば「アフリカの大国」の一つに数えられてもおかしくない国である。
コンゴの「最貧国」としての現状はアフリカの悲しい現実を象徴しているように思われてならない。」

坂場三男の《大使のよもやま話》2018年04月05日 >日本戦略研究フォーラム
顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男
https://www.jfss.gr.jp/article/625
https://www.jfss.gr.jp/professor/32?page=3

坂場 三男
フランス、ベルギー、インド、エジプトなどの各大使館での職務を歴任
シカゴ総領事を経て2006年、中南米局長より外務省外務報道官へ就任、
その後2008年にベトナム大使へ転出。
2010年に特命全権大使(イラク復興支援等調整担当兼気候変動枠組条約第16回締約国会議担当)、
2012年に駐ベルギー特命全権大使に就任。
退官後は、母校横浜市立大学特別契約教授を務める。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%A0%B4%E4%B8%89%E7%94%B7

新・遣欧使節回覧実記 ~日本大使のベルギー奔走記~ ‎ 幻冬舎 (2018
『大使が見た世界一親日な国・ベトナムの素顔』(2015年5月、宝島社刊)
今すぐ国際派になるための ベトナム・アジア新論 星雲社 (2019

2023-08-24

『ウラン』

もう一冊。
アマゾンの紹介とアルジャジーラの記事から

uran2009zllr.jpg
Tom Zoellner
Uranium: War, Energy and the Rock That Shaped the World

ウラン:戦争とエネルギーと、世界を変えた岩石
2009

「ウランは地殻に存在する一般的な元素であり、地球上のすべての生命を終わらせる力を持つ唯一の天然鉱物です。
第二次世界大戦後、ウランを使いこなすことができる者は世界を制することができるという世界秩序が再形成されました。

キュリー夫人はウランが奇跡の万能薬になるという希望を私たちに与えてくれましたが、マンハッタン計画は文明が黙示録で終わると信じる理由を私たちに与えてくれました。
アフリカや東ヨーロッパの奴隷労働収容所は坑道の周囲に建設され、アメリカは国家安全保障の名目で故意に600人以上のウラン鉱山労働者を墓場に送り込んだ。

この黄色い土から幸運がもたらされました。大規模なエネルギー網がそこから運営されています。
それに対する恐怖からアメリカ国民はパニックに陥り、イラクとの疑わしい戦争を支持するようになり、その亡霊がイランで新たな紛争を引き起こす恐れがある」
https://www.amazon.co.jp/Uranium-Energy-Rock-Shaped-World/dp/0670020648

In Congo, Silence Surrounds Forgotten Uranium Mine that fueled first atom bombs
コンゴでは、最初の原子爆弾の燃料となった忘れ去られた鉱山を静寂が包み込む

July 23, 2015 5:00AM ET
by Tom Zoellner

「米国は日本に対して使用される兵器用のウランをシンコロブエから調達した。
サイトは閉鎖されているが、地元住民は違法に採掘している

シンコロブウェは、当時ベルギー領コンゴだったカタンガ州にある小さな集落でした。
その名前は、絞ると火傷が残る特定の種類の煮リンゴを指します。
1915 年、探鉱者のロバート リッチ シャープは銅の地質学的兆候を探しており、特定の種類のカラフルな泥を皮膚にこすり付けている人々の話を聞きました。
彼はそれが銅かもしれないと考えましたが、短い丘の頂上で見つけたのはウランでした。
ウランは他の鉱物と一緒に酸化するとさまざまな明るい色になります。

ベルギーの企業は現地の労働力を採用し、市場が悪化してピットが汚れた雑排水で満たされるまで、20年以上にわたってラジウムを掘り出し続ける階段状のピットを掘った。

1942 年 9 月 18 日、第二次世界大戦の最も重要な取引の 1 つがマンハッタンのミッドタウンにあるオフィスで行われました。

シンコロブエ鉱山は営業を再開した。
ソシエテ・ジェネラルは水をくみ出させ、コンゴ人労働者の小軍を再雇用して、マンハッタン計画のためのウラン採掘という汚くて危険で放射線まみれの秘密作業をさせた。

私は2007年にルブンバシ市から熱帯雨林の中の崩れかけた道路を越えて190マイル離れたシンコロブウェを訪れた。

シャープの丘は、地元のフリーランスの鉱山労働者によって数十年にわたって食い荒らされていた巨大な穴に取って代わられていました。
ベルギー人が建設し、コンクリートで埋められた坑道は、約100フィートの深さまで掘られ、倒れていた。」
http://america.aljazeera.com/articles/2015/7/23/in-congo-silence-surrounds-forgotten-mine-that-fueled-first-atomic-bombs.html

2023-08-23

『コンゴのスパイ』

翻訳はまだ出ていませんが
日本貿易振興機構アジア経済研究所が 出している「アフリカレポート」で紹介されていました。
それからアマゾンの紹介から

spiesCongo2016wllm.jpg
Susan Williams,
Spies in the Congo
――The Race for the Ore that Built the Atomic Bomb―― 
London Hurst & Company 2016年

「原爆が投下された当時、ウランがコンゴ産であるという事実を隠すためにアメリカとイギリスが巧みに情報を操作していたことを理解した。
核物理学者の能力や原爆開発に関する研究の面で、連合国と枢軸国の状況にはあまり差がなかったらしい。
だがウランがなければ原爆は製造できず、その入手状況は大きく異なっていた。
原爆開発に成功したアメリカは、酸化ウランの含有量がきわめて高いウラン鉱石がコンゴで産出されることを他国に知られないように、原料のウラン鉱石はカナダで産出されたものであるという偽りの情報を流布したのだった。

本書は、近年になって機密扱いが解除された公文書資料をもとに、第二次世界大戦期にベルギー領コンゴで諜報活動を行ったアメリカの諜報機関員の活動と生涯を歴史的に再構成したものである。
著者によれば、彼らの存在は70年以上もの間、隠されてきた。
その理由は、原爆開発のためのマンハッタン・プロジェクトが最重要機密として扱われていた上に、同プロジェクトの成否がコンゴ産ウランを独占的に入手できるか否かにかかっていたからである。
アメリカに向けて輸出されるはずのウラン鉱石が、密輸業者などを通じて敵国ドイツにわたることを阻止するため、ベルギー領コンゴで諜報員が活動していたなどということは、機密中の機密であった。

歴史書でありながらスパイ小説の趣もある本書の中で評者が特に興味深く感じたのは、諜報員たちが活動した第二次世界大戦期のアフリカの植民地における複雑な国際関係のあり様である。
たとえば、ドイツがベルギーを占領した後、ベルギー領コンゴ総督は反ドイツの姿勢を打ち出したが、コンゴで商売をするベルギー企業やカトリック教会関係者の中にはナチ・シンパがおり、敵味方の区別は容易ではなかった。
通信文書の面倒な暗号化を怠るような、諜報員失格の鳥類学者の諜報員の話も面白かった。

その一方で、諜報員による通信記録や報告書には記されないような、当時のコンゴ人の生活や状況について本書から知りえることは限られている。
ウラン鉱山では、現地の労働者が素手で鉱石の選別や梱包を行っていたことが記されており、著者は彼らの健康被害を懸念する。
だが、調査が行われていないため、被害状況を知るすべは今のところないのである。
コンゴのウラン鉱山をめぐって解き明かされるべき機密事項はいまだ多く残されている。」
佐藤 千鶴子 ( アフリカレポート 2018 年 56 巻 p. 13 )
https://www.jstage.jst.go.jp/article/africareport/56/0/56_13/_html/-char/ja

「1940年代、米国とナチス・ドイツの最も聡明な頭脳がただ一つの使命を持って西アフリカに急行した。
それは原爆の重要な材料を確保すること、そして原爆を使っているところを誰にも見られないようにすることだった、
とアルバート・アインシュタインはフランクリン・D・ケネディ大統領に語った。

ルーズベルト大統領は1939年、爆弾の重要な原料となる比類のない高品質のウラン鉱石が世界で唯一供給されるのはベルギー領コンゴのカタンガ州のシンコロブウェ鉱山で見つかると発表した。
米国のマンハッタン計画がドイツと日本との戦争のための核兵器の開発に着手すると、このウランの調達を急ぐことが「米国の福祉にとって不可欠」とみなされる最優先事項となった。

しかし、アフリカから秘密裏に輸出することは大きなリスクをもたらした。
鉱石はスパイが出没するアンゴラの港を経由するか、鉄道で1,500マイル離れたコンゴを経由し、その後ボートかパンナムクリッパーで安全な米国まで輸送しなければならなかった。
ナチスドイツの命令でいつでも密猟または密輸される可能性がある。
この脅威に対抗するため、米国戦略局はウィルバー・オーウィングズ・“ドック”・ホーグ率いる勇敢なスパイチームを送り込み、米国の目と耳となり、最も貴重で破壊的な積荷を保護した。

アメリカとイギリスのアーカイブから新たに発見された詳細が詰め込まれたこの本は、
植民地時代のアフリカでファシズムとの戦いに命を賭け、ファシズムとヒトラーの原爆の否定に貢献した一握りの善良な男性と一人の女性の知られざる英雄行為を描いた、感動的な実話である。」
https://www.amazon.co.jp/Spies-Congo-Americas-Atomic-Mission/dp/1610396545

2023-08-22

『ルムンバの叫び』

観ました。
(実は以前一度観ているはずなのに、あまり覚えていない)
これは事情を知らないと分かりにくい。
今回の情報公開で色々と歴史を振り返ったりして、ようやく分かりました。
ウランの存在を考えると、大変象徴的ですね

lumumba2000
『ルムンバの叫び』
監督】ラウル・ペック
【出演】エリック・エプアニー、アレックス・デスカスほか
【原題】LUMUMBA 2000年

「 今年(2001)1月16日にカビラ大統領が護衛官に射殺され、政治情勢にいっそう緊張感が増しているコンゴ民主共和国(旧ザイール)に、かつて志半ばにして命を奪われた一人の英雄がいた。
1960年にベルギーの植民地支配を脱し、独立を果たした後のコンゴ初代大統領パトリス・ルムンバである。
未だに謎に包まれているその暗殺の真相を、幼少時代をコンゴで過ごし、ハイチで文化大臣を務めたことのある実力派ラウル・ペック監督が、綿密な下調べを元に描いたドキュメンタリードラマ。

 わずかな在位にもかかわらず、その人気は今も衰えることなく、世界中に信奉者がいると言われるパトリス・ルムンバ。
本作品は彼の生涯を十分な下調べをもとに再現したものであり、2000年カンヌ国際映画祭監督週間にも正式出品された。
この未だに明らかにされていない歴史の真実を、あなた自身の目で確かめてください。」
(アルシネテラン 佐々木淳)
□OFFICIAL SITE
http://www.alcine-terran.com
https://www.watch.impress.co.jp/movie/minitheater/2001/07/04/153.htm

「撮影当時コンゴ民主共和国が社会的不安定であった為に、撮影はジンバブエ、ベイラ (モザンビーク)で行われた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%90%E3%81%AE%E5%8F%AB%E3%81%B3

「2010年は、コンゴ民主共和国が1960年に独立してから(当時はコンゴ共和国)50年の節目の年である。
本作は、このコンゴの初代首相パトリス・ルムンバを描いたもの。
ベルギーからの独立に大きな役割を果たし36歳の若さで首相に選ばれるも、就任二ヶ月で暗殺された伝説の首相。
理想主義的にすぎると批判も受けつつ、今なおカリスマ指導者として記憶されている。
ラウル・ペック監督からアフリカの潰えた理想に捧げられた渾身の一作。

ラウル・ペックは、以前にもルムンバのドキュメンタリーを作っている。
自身はハイチ出身だが、両親の転勤に伴い(独立直後、行政機構などではベルギー人の後任としてハイチなどから人材を登用した)コンゴで少年時代を過ごしている。
本作の次にはルワンダ虐殺を描いた『四月の残像』を製作しており、大湖地方を絶えず見つめてきた監督でもある
本作は、そんな監督のルムンバ熱があふれ出た作品で、コンゴの真の独立を実現させようとルムンバがもがき格闘する過程が描かれている。

物語は夕焼けの美しいサバンナで、屈強な白人傭兵たち白い大きな包みを燃やし、化学薬品で溶かしている場面ではじまる。
彼らがこの世からその痕跡を完全に消し去ってしまいたかったもの、それがこの物語の主人公ルムンバだ。
郵便局員であったルムンバ(エリック・アブアニー)は、弁舌の才を買われてビール会社のセールスマンになるが、
本業の傍ら政治家として頭角を表し、独立を求める勢力の中心的存在となっていく。
1960年6月30日、コンゴはついに独立を果たし、ルムンバは初代首相となる。
しかし、名ばかりの独立しか与える気のないベルギーは、圧力に屈しないルムンバを危険人物とみなし排除へと向かう。
ベルギーの後押しするカタンガ州の反体制派、鉱産資源を狙うアメリカ、その支援をうけたモブツ参謀総長(当時)、
そして外国勢力を恐れるカサブブ大統領などそれぞれの思惑が交錯する中、ルムンバは逮捕され、極秘裏に処刑されてしまう。

イントロでは植民地時代の白黒写真が次々に繰り出され、次第に現代のカラー写真がまじっていくが、写真の色は異なれど写された社会に大差はなく、上座に座っているのが白人からモブツに変わっただけ、という強烈な皮肉で物語の幕が開く。
本編でも皮肉に満ちたジャブが次々と繰り出されるが、ルムンバが最初に逮捕されるシーンも重い一撃だ。
“民主主義体制を欺瞞と圧政の道具としてはならぬ”とボードワン国王のラジオ演説が響く街角に、公安軍のジープが乗り付ける。民衆に独立を説いて回るルムンバを捕らえるためだ。
ラジオの声はいつしか消えて、代わりに人々の怒号が飛び交う中、ルムンバは連行されていく。

監督のルムンバ熱のあまりか、細部まで再現されているのも面白い。
リアルタイムを知る由もない私ですら見覚えのある愛用のメガネ、逮捕時の開襟シャツ、連行され口に詰め物をされる場面、それにカサブブ(マカ・コット)はおろか若き日のボードワン国王まで、よくも似せたものだと感心してしまう。
モブツ役(アレックス・デスカス)は少々格好良すぎるかもしれないが。

そして、監督がどうしても撮りたかったであろう(と私が勝手に推測する)シーンは、やはり独立記念式典だろう。
国王が「今日のコンゴは、祖父レオポルド二世とベルギーのおかげ」と述べると、
カサブブ大統領が「今まで保護して下さった陛下」と応える。
だが、次に登壇したルムンバは大胆にも「独立は闘いによって勝ち取られたことを忘れはしない」と語り始める。
会場はどよめき、青ざめる若き国王に、慌てる大統領。
「植民地下の圧政を耐え忍び、同胞の犠牲の上に独立を獲得した」という勝利宣言にも似た演説に、
会場の聴衆からだけでなく、ラジオ中継を聴くコンゴ国中の民衆から拍手喝采が送られた。
この演説のためにルムンバは生まれ、そして同時にこの演説のために命を落とすことになった。
その歴史的瞬間が期待を裏切らず鮮やかに描かれる。

政治家というよりは革命家のように生き、理想に向かって直進するあまり首相就任二ヶ月という異例の速さで闇に葬り去られたルムンバ。
劇中で彼自身「生まれるのが50年早かった」と述べている。彼の死からほぼ50年が経つ。」
by 吉田未穂 2010年1月 「シネマアフリカ 」
http://www.cinemaafrica.com/?page_id=1044

Lumumba, la mort d'un prophète
ルムンバ、預言者の死
1990年
https://en.wikipedia.org/wiki/Lumumba,_la_mort_d%27un_proph%C3%A8te

コンゴ動乱
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B4%E5%8B%95%E4%B9%B1

2023-08-21

忘れ去られた鉱山 2

2冊の本の反響のようです。
そして『ブラックパンサー』ですか
知りませんでした。

スーザン・ウィリアムズ『コンゴのスパイ:第二次世界大戦におけるアメリカの原子力任務』
Susan Williams, Spies in the Congo――The Race for the Ore that Built the Atomic Bomb―― London Hurst & Company 2016年

トム・ゼルナー『ウラニウム』
Tom Zoellner
Uranium: War, Energy and the Rock That Shaped the World
2009


The Legacy of the Involvement of the Democratic Republic of the Congo in the Bombs Dropped on Hiroshima and Nagasaki
広島と長崎に投下された原爆へのコンゴ民主共和国の関与の遺産

Jean Bele
「ウランを扱ったコンゴ人鉱山労働者への悲惨な健康への影響である。彼らは事実上、ベルギーの鉱山大手ユニオン・メニエール・デュ・オー・カタンガ(UMHK)の奴隷として働いていた。

核兵器を製造できる可能性のある十分なウランが存在する唯一の鉱山は、世界で最も豊富なウラン鉱山であるコンゴ民主共和国のシンコロブウェ遺跡
アメリカとベルギーのウラン取引は戦争の「最も厳重に守られた秘密の一つ」だったと述べている

コンゴは最終的に 1960 年 6 月 30 日にベルギーから政治的独立を獲得しました。新首相のパトリス・ルムンバは、ベルギーと同じコンゴのウラン管理の自由を米国に与えるつもりはないと明言しました。1960年7月11日、シンコロブエ鉱山があったカタンガ州が国から離脱した。UMHKは、誰が国を運営するかに関係なく、ウラン生産を確保するための動きを計画した。

1960 年 7 月 31 日、ルムンバ首相は、政府の要請が米国によって拒否された後、ソ連に支援を求めました。この動きは米国を懸念させ、ルムンバは 1961 年 1 月 4 日に暗殺されました。約200万人の死者を出した内戦。その人災のスパイラルは今も続いている。これは第二次世界大戦後、世界で最も血なまぐさい紛争であり、国中で残虐な殺人、飢餓、病気、女性の強姦によって1,000万人以上が死亡している。

戦後間もなく、広島と長崎の人々に対する原爆の影響を研究するためにいくつかの研究が行われました。しかし、驚くべきことに、コンゴの採掘現場での人間へのウラン摂取の長期的影響についての研究は行われていなかった。それでも、何世代にもわたって続くウラン採掘活動から国民を守る計画は今のところ存在しない。」
https://fnl.mit.edu/january-february-2021/the-legacy-of-the-involvement-of-the-democratic-republic-of-the-congo-in-the-bombs-dropped-on-hiroshima-and-nagasaki/

スーザン・ウィリアムズによる『コンゴのスパイ:第二次世界大戦におけるアメリカの原子力任務』
「『コンゴのスパイ』は、米国初の戦略諜報機関であり、CIA の前身である戦略局 (OSS) がコンゴおよび西アフリカに拠点を置くための取り組みについて、よく調査され詳細に記録されています。OSS の物語を語る中で、ウィリアムズ博士は他の 2 つの物語も明らかにしています。彼女は、核兵器を開発するための米国、英国、カナダの共同計画の戦略的概要を説明しています。そしてコンゴの人々の物語が展開されます。この鉱山での生産は戦争中ずっと続き、コンゴ人労働者が秘密の、汚くて、危険で、放射線まみれの作業に従事することになった。」

A (Radioactive) Cut in the Earth That Will Not Stay Closed
閉じたままにならない地球の(放射性)切れ目

2009 年
トム・ゼルナーの著書『ウラニウム』では、アフリカの歴史的な鉱山がどのように存続の脅威をもたらしているか

シンコロブウェは現在、公式の非場所とみなされている。州知事は2004年に兵士の部隊に村から避難させ、すべての小屋を焼き払い、切り株とゴミだけを残した。陸軍要員の分遣隊が残され、端を警備し、誰も立ち入らないようにした。

コンゴが40年以上前に独立国家になったとき、この坑は閉鎖され、坑道はコンクリート栓でしっかりと密閉されていたが、地元の鉱山労働者が坑内に忍び込んで放射性物質を掘り出し、闇市場で販売していた。原爆発祥の地では今もウランが放出されており、それがどこへ行くのか誰も確信が持てない。

かつて大西洋に向かうほとんどの鉱石列車の主要な終点であったルブンバシ市
ルブンバシはかつてエリザベスビルと呼ばれていました。市の経済は今でも合法と密造の両方の鉱物で繁栄しています。中国企業は露天掘りで掘り出された銅とコバルトの買い手として強い存在感を確立している。

過去10年間にかなりの量のウランがコンゴから密輸されており、その出所はほぼ確実にシンコロブエである。
通常のルートはザンビア経由」
https://www.scientificamerican.com/article/a-radioactive-cut-that-will-not-stay-closed/

François Kazadi Kabuya - Congo Atomic Energy Commission
https://unece.org/fileadmin/DAM/energy/se/pdfs/UNFC/ws_IAEA_CYTED_UNECE_Oct12_Lisbon/24_Kazadi.pdf

Secret DRC mine helped end World War II – and inspire ‘Wakanda’
DRC の秘密鉱山は第二次世界大戦の終結に貢献し、「ワカンダ」にインスピレーションを与えた

By Roger Peet ロジャー・ピート

「ナチスによるシンコロブウェ鉱石の使用を否定していた戦時中のスパイネットワークは、鉱山の場所とその名前さえも隠すことに注意を向け、「シンコロブウェ」という言葉は数十年にわたって地図から抹消された。

計り知れない力を持つ鉱石を所有する秘密鉱山の物語は、1977 年に米国の漫画家スタン リーとジャック カービーにインスピレーションを与え、魔法の金属を動力源とする技術的に進歩した秘密の王国を統治し、それを悪用しようとする貪欲な外の世界に 対して熱心に防衛するアフリカの王であるブラックパンサーのキャラクターを考案しました。。」
https://mg.co.za/africa/2023-03-26-secret-drc-mine-helped-end-world-war-ii-and-inspire-wakanda/

ワカンダ(Wakanda)は、マーベル・コミックより出版されているアメリカン・コミックスに登場する、アフリカの架空の国。
アフリカ先住民の国々の中でも主要とされ、スーパーヒーローのブラックパンサーの本拠地およびヴィブラニウムの原産国」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%80

ブラックパンサー(マーベル・コミック)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC_(%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF)

2023-08-20

忘れ去られた鉱山

いくつか記事が引っかかってきました。

In Congo, Silence Surrounds Forgotten Uranium Mine that fueled first atom bombs
コンゴでは、最初の原子爆弾の燃料となった忘れ去られた鉱山を静寂が包み込む

July 23, 2015 5:00AM ET
by Tom Zoellner
http://america.aljazeera.com/articles/2015/7/23/in-congo-silence-surrounds-forgotten-mine-that-fueled-first-atomic-bombs.html

The forgotten mine that built the atomic bomb
原爆を製造した忘れ去られた鉱山

By Frank Swain
4th August 2020

「「広島と長崎の原爆投下について話すとき、シンコロブウェについては決して話さない」と南アフリカコンゴ市民協会(CCSSA)会長のイザイア・モンビロは言う。「第二次世界大戦の一部は忘れられ、失われた。」

シンコロブウェの物語は、コンゴがベルギーによる植民地支配下にあった1915年に、そこで豊富なウランの鉱脈が発見されたときに始まった。

「他の鉱山では、これほど純粋な濃度のウランを見ることはできません。これに似たものはこれまで見つかっていません。」

米国とカナダの鉱山は、0.03%のウランを含む鉱石を産出できれば「良い」見通しであると考えられていた。
シンコロブウェでは、鉱石から通常 65% のウランが得られました。処理するには品質が低すぎると考えられた廃石の山(尾鉱として知られる)には、20%のウランが含まれていた。

「米国はシンコロブウェのウランを必要としなかったが、ソ連が鉱山にアクセスすることを望まなかった」
「ウランが必要になって以来、米国と強国はコンゴに誰も触れないようにしてきました」とモンビロ氏は言う。
「コンゴを指導したい者は誰でも彼らの支配下に置かれなければならなかった。」

1960年にコンゴがベルギーから独立したとき、鉱山は閉鎖され、入り口はコンクリートで埋められた。しかし西側諸国は、シンコロブウェを統治するどの政府も自国の利益に友好的であり続けることを保証したいと考えた。

共産主義の脅威を阻止することが非常に重要だったため、これらの勢力は民主的に選出されたパトリス・ルムンバ政権を打倒し、1965年に独裁者モブツ・セセ・セコを設置し、数十年にわたる破滅的な金権政治の統治を支援することに積極的だったとゼルナー氏は言う。

コンゴ国民が自分たちのためにより良い条件を交渉しようとする試みは、共産主義者による扇動として攻撃された。
「外部勢力による占領のないコンゴに対するコンゴ人の理想主義、希望、ビジョンは、西側諸国の軍事的・政治的利益によって打ち砕かれた」とウィリアムズ氏は言う。

モブツは最終的に 1997 年に打倒されましたが、シンコロブウェの亡霊は今もコンゴ民主共和国を悩ませ続けています。
銅とコバルトが豊富に埋蔵されているため、コンゴ人の鉱山労働者はその場所で非公式に採掘を開始し、封鎖された坑道の周囲で作業を行いました。
世紀末までに、推定15,000 人の鉱山労働者とその家族がシンコロブウェに存在し、放射性鉱石から何の防御も受けずに秘密の坑を操業していました。

事故は頻繁に発生しており、2004 年には通路の崩落により 8 人の鉱山労働者が死亡、12 人以上が負傷しました。
ウランが現場からテロ組織や敵対国家に密輸されているのではないかという懸念が西側諸国を悩ませ、同年コンゴ軍が鉱山労働者の村を壊滅させた。

シンコロブエには豊富な鉱物が存在するにもかかわらず、1960年代初頭にユニオン・ミニエールが撤退して以来、安全かつ効率的に鉱石を採取し、その収益をコンゴ国民に還元できる工業鉱山は存在しなかった。
2011 年の福島原発事故の後、民生用のウラン抽出への関心はしぼんでしまいました。
「ウランは、たとえ自然の状態であっても、制御には抵抗します」とゼルナー氏は言う。
「現在、シンコロブウェは宙ぶらりんの状態にあり、ウラン固有の地政学的不安定性の象徴となっている。」

シンコロブエをめぐる現在も続く秘密主義(この問題に関する米国、英国、ベルギーの公式記録の多くは依然として機密扱いである)により、連合軍の勝利に対するコンゴ人の貢献を認識する取り組みが妨げられ、また鉱山の環境や健康への影響に関する調査も妨げられている。

ゴムやコバルトの場合と同様、ウラン採掘のためにも、鉱山からのウランの金銭的報酬はコンゴ人ではなく、ユニオン・ミニエールの株主に渡った。

シンコロブウェの被害を受けた人々の多くは現在、認知と賠償を求めて運動を行っているが、鉱山とそこで何が起こったのかについて公開されている情報が不足しているため、誰が受け取るべきか、誰が支払うべきかを知ることはさらに困難になっている。

「シンコロブエはコンゴにとって呪いだ」とモンビロは言う。

しかし、1世紀以上にわたり、この国の豊富な資源が次から次へと世界革命を可能にしてきたとも付け加えた。
タイヤ用のゴムが自動車を可能にし、ウランを燃料とする原子炉、コルタンが情報時代のコンピューターを作り、コバルトが携帯電話のバッテリーに電力を供給する電話と電気自動車。」
https://www.bbc.com/future/article/20200803-the-forgotten-mine-that-built-the-atomic-bomb

2023-08-19

『燃えつきた橋』

オクロの天然原子炉のWIKIにフィクションへの登場として取り上げられていた作品

ロジャー・ゼラズニイのSF小説『燃えつきた橋』(1976年)で言及されており、この天然原子炉は放射線による突然変異の増加によって地球生物の進化を加速させ、人類の出現を早めるためにある異星種族が意図的に設置したとの設定が説明されている。

豊田有恒のSF小説『進化の鎮魂曲』(1987)において、オクロの天然原子炉が生物進化の初期段階で重要な役割を果たしたことが示唆されている。

星野之宣のSF漫画『ベムハンター・ソード』(1986-)のエピソードにおいて、天然原子炉の熱に依存した生態圏「原子力生命圏」が登場する。作中では、地球にも天然原子炉が存在したことが言及されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%84%B6%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89

なかなか面白そうです。
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ロジャー・ゼラズニイ『燃えつきた橋』
Roger Zelazny, Bridge of Ashes 1976
早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1982年
「遥かな昔、地球に大挙して飛来した異星生命体は、自らの操り人形として人類を想像した。
この酸素に満ちた惑星を、彼らに適した環境、亜硫酸ガスの充満する世界に造り替えるために。
目論見どおり、人類は環境を破壊し、大気を汚染しながら、自らの破滅を目指して運命の道を歩み続けていく…。
しかし、歴史 の陰にこの異星生命体の野望に挑む、永遠の命をもつ謎の男の姿があった。
幾度も傷つき、苦しい戦いを強いられてきた男が、ついに宿敵に対して見いだした恐るべき武器は…! ?」
(裏表紙紹介文)

Bridge_of_Ashes
https://en.wikipedia.org/wiki/Bridge_of_Ashes

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豊田有恒『進化の鎮魂曲』
トクマ・ノベルズ 徳間書店(1987)
「藻類化石専門の古生物学者・桜田は、政情不安定な西アフリカ・ガボン共和国に飛んだ。
17億年前の太古の昔に自然に出来上った天然の原子炉の調査のためである。
原子物理学者たちによる調査は既に進行していたが、化石に関する調査は、全く手つかずの状態だったのである。
日に日に悪くなる政情の中、なんとか調査を開始した桜田だったが、怪し気な記者につきまとわれ…。
進化の謎に挑む科学者を描いた「進化の引金」他、著者得意の進化テーマによる連作7篇を収録。
「大破局」は、本書のための特別書下し。」
https://www.amazon.co.jp/%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%81%AE%E9%8E%AE%E9%AD%82%E6%9B%B2-%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0-%E3%83%88%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BA-%E8%B1%8A%E7%94%B0-%E6%9C%89%E6%81%92/dp/4191535706

レビュー
金原瑞人 朝日新聞 ヤングアダルト招待席 1988
https://www.hico.jp/sakuhinn/3sa/sinnkano.htm
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星野之宣『ベムハンター・ソード』(1986-2015年?)
(FILE 5:HOT SPOT)惑星ロスアラモスに天然の原子炉をエネルギー源とする「原子力生命圏」が発見される。
サンゴがウランの濃縮工場の役割を果たし、体重10トンの『ヘビーメタル・クラブ』が
制御棒の役割を果たすことで安定が保たれていたが・・・。
http://chikyu-to-umi.com/sf/hoshino.htm

二重惑星を巡る長円軌道の惑星。長い寒暖期を繰り返す。核分裂反応によるホットスポット。
天然ウランが堆積で筑西濃縮されて臨界を突破し核反応を起こす。原子力生命圏。大蟹ヘビーメタル・クラブ。
https://honto.jp/ebook/pd-review_0626620705.html

2023-08-18

『17億年前の原子炉』

オクロの天然原子炉についての本
これですね。
凄い人だ~
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黒田和夫
『17億年前の原子炉―核宇宙化学の最前線』

講談社〈ブルーバックス〉、1988年。

「ポール・カズオ・クロダ(1917年4月1日 - 2001年4月16日)は、日系アメリカ人の化学者、核科学者。

彼はアーカンソー大学の名誉教授という尊敬される称号を保持しており、日本から米国に帰化した最初の人物となるという功績を残した先駆的な科学者として広く知られています。

彼は、エンリコ・フェルミが最近発表した原子炉理論を利用して、ウラン235とウラン238の比率が現在値よりも高かった古代のウラン鉱床において、適切な条件下で天然原子炉が形成される可能性を提案した。

さらに、プルトニウム244の核分裂中に放出されたと考えられる隕石から放出されるキセノン含有量を分析することにより、初期太陽系にプルトニウム244が存在することを実証した。彼は64人の博士号を監督しました。学生として活動し、約 400 冊の出版物を執筆または共著しました。

東京帝国大学で学士号と博士号を取得。木村健次郎教授に師事。

彼の最初の論文は 1935 年に発表されました。彼は主に電波と宇宙化学に焦点を当てており、1944 年以前に発表された 40 の論文のほとんどは温泉の化学に関するものでした。
1944 年に最年少で東京帝国大学の教員に就任し、第二次世界大戦後、日本では 放射化学が禁止されていたにもかかわらず、1949 年まで放射化学の研究を続けました。

1949 年に米国に到着すると、彼は核化学者のグレン・シーボーグと会いました。彼は 1952 年にアーカンソー大学の化学助教授となり、1955 年に米国市民になりました。

1956 年に黒田は、自然に自立した核連鎖反応が可能であると初めて提唱しました。
このような原子炉は 1972 年 9 月にガボンのオクロ鉱山で発見されました。

彼は 1979 年に初代エドガー ヴェルトハイム化学特別教授に就任し、1987 年にアーカンソー大学を正式に退職しました。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Kuroda
http://www.omatumr.com/abstracts2005/KurodasWriteupGeochem.pdf
https://news.uark.edu/articles/9632/dr-paul-kazuo-kuroda

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藤井 勲:天然原子炉
(UPアース・サイエンス) 東京大学出版部(1985年)

こちらの記事の人ですね。
日本燃料技術開発(株)の人のようです。

オクロ天然原子炉とその現状 藤井 勲 1985 日本原子力学会誌、27(4),304
「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesj1959/27/4/27_4_304/_pdf/-char/ja

20億年前の天然原子炉 (オクロ鉱床)を訪ねて 藤井 勲 1991
GSJ (地質調査総合センター) 地質ニュース439 1991年3月号
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/91_03_03.pdf

2023-08-17

オクロの天然原子炉

コンゴのウランの話をしていたら、
世の中には、天然原子炉というものもあるという話を教えてもらいました。
これですね。なんとコンゴのお隣です。

オクロの天然原子炉

「ガボン共和国オートオゴウェ州オクロに存在する天然原子炉である。

天然原子炉とは、過去に自律的な核分裂反応が起こっていたことが同位体比からわかるウラン鉱床のことである。
このような現象の実例は、フランスの物理学者のフランシス・ペラン(英語版)が1972年に発見した。
天然原子炉が形成される可能性は、1956年にアーカンソー大学の助教授だった黒田和夫が予想している。
オクロで発見された条件は、予想された条件に極めて近かった。

天然原子炉の知られている唯一の場所はオクロに存在する3つの鉱床で、
自律的な核分裂反応のあった場所が16か所見つかっている。
20億年ほど前、数十万年にわたって平均で100 kW相当の出力の反応が起きていた。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%84%B6%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89
https://en.wikipedia.org/wiki/Oklo_Mine
https://fr.wikipedia.org/wiki/R%C3%A9acteur_nucl%C3%A9aire_naturel_d%27Oklo

黒田和夫『17億年前の原子炉―核宇宙化学の最前線』
講談社〈ブルーバックス〉、1988年

藤井 勲:天然原子炉
(UPアース・サイエンス) 東京大学出版部(1985年7月)

Oklo Mine, Léboumbi-Leyou Department, Haut-Ogooué Province, Gabon
オクロ鉱山、レブンビ・レユ県、オー・オグエ県、ガボン

「モウナナ鉱山の近くにあるこの鉱山には、十数基の先カンブリア時代の天然原子炉が設置されています。
特に「オクロ現象」として知られています。
地下水によって緩和されたセンチメートルからメートルサイズの鉱脈でのウラン酸化物の二次濃縮では、
6トンのウラン235が消費され、温度は摂氏数百度まで上昇した。
このウラン同位体は、通常はウラン鉱石の 1% 未満に相当しますが、
オクロでは当初3%レベルにあると予測されています(現在は比較的激しく減少しています)。
驚くべきことに、不揮発性核分裂生成物は、過去 15 億年間に静脈内をわずか数センチメートルしか移動しませんでした。

Gillberg-Wickmann (1983) は、U-235 と U-238 間の重要な同位体分別の唯一の自然な例として Oklo を指摘しています。

Meshik (2005) は、(1) 鉱床からの U を含まないリン酸アルミニウム鉱物には、天然物質に含まれる最大量のキセノンが集中していると述べています。
(2) かつて、2トンを超えるプルトニウム239が鉱床内で生成されました。同じ地域にある別の天然原子炉である」
https://www.mindat.org/loc-1749.html

Oklo ปฏิกรณ์ธรรมชาติ Natural Nuclear Reaactors
オクロ天然原子炉
https://pantip.com/topic/31367517

第43号・天然原子炉 鳥養 祐二>環境科学技術研究所
https://www.ies.or.jp/publicity_j/mini_hyakka/43/mini43.html

天然原子炉(オクロ原子炉) (04-02-01-10) - ATOMICA 原子力百科事典
https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_04-02-01-10.html

オクロ天然原子炉とその現状 藤井 勲 1985 日本原子力学会誌、27(4),304
「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesj1959/27/4/27_4_304/_pdf/-char/ja

20億年前の天然原子炉 (オクロ鉱床)を訪ねて 藤井 勲 1991
GSJ (地質調査総合センター) 地質ニュース439 1991年3月号
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/91_03_03.pdf

オクロ天然原子炉 吉田英一 (『原子力文化』2018年1月号
日本原子力文化財団
https://www.jaero.or.jp/data/03syuppan/chikatabi/pdf/01.pdf

自然が生み出した原子炉 - その誕生から消滅まで&地層処分へ ..地層処分へのヒント .2005
原子力環境整備促進・資金管理センター
https://www.rwmc.or.jp/library/file/sizen_gensiro.pdf

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(ATOMICAより)

面白かったのは、フィクションへの登場 としてゼラズニィや豊田さん、星野さんの作品を紹介しているんですよね。
ロジャー・ゼラズニイのSF小説『燃えつきた橋』(1976年)で言及されており、この天然原子炉は放射線による突然変異の増加によって地球生物の進化を加速させ、人類の出現を早めるためにある異星種族が意図的に設置したとの設定が説明されている。
豊田有恒のSF小説『進化の鎮魂曲』(1987)において、オクロの天然原子炉が生物進化の初期段階で重要な役割を果たしたことが示唆されている。
星野之宣のSF漫画『ベムハンター・ソード』(1986-2014年)のエピソードにおいて、天然原子炉の熱に依存した生態圏「原子力生命圏」が登場する。作中では、地球にも天然原子炉が存在したことが言及されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%84%B6%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%82%89

2023-08-16

コンゴのウラン鉱山

これみたいですね。コンゴのウラン

シンコロブエ鉱山

「コンゴ民主共和国カタンガ州に存在したウランの鉱山。
シンコロブエ鉱山はユニオン・ミニエール社によって開発され、1960年代までは世界有数のウラン鉱山だった。
マンハッタン計画時にはここで採掘されたウランがアメリカ合衆国へと提供され、原子爆弾が製造された。
1948年時点、アメリカ合衆国は国内のウラン鉱床を約100万トン分しか見つけられていなかったので、
需要量の90%をベルギー領コンゴに頼っていた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%96%E3%82%A8%E9%89%B1%E5%B1%B1
https://en.wikipedia.org/wiki/Shinkolobwe

シンコロブエ鉱山、シンコロブエ、カンボヴェ準州、オー・カタンガ州、コンゴ民主共和国
Shinkolobwe Mine, Shinkolobwe, Kambove Territory, Haut-Katanga, DR Congo
「銅、コバルト、ニッケル鉱石を含むウラン鉱山、1921 ~ 1960 年。
656年ほど前に、最初の重要な量のウラン、コバルト、ニッケル、鉄、銅が堆積されました。
602年前、ウラン、コバルト、銅の形成の第二時代が起こりましたが、奇妙なことにニッケルは存在しませんでした。
以来現在に至るまで、一次鉱物は二次鉱物に変化していきます。
この鉱山は 2004 年に正式に閉鎖されましたが、職人による採掘は続けられています。
この鉱山は、マンハッタン計画に、広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」の製造に必要なウランを提供しました。
Mindat アイコンは、古い浸水した露天掘りを示しています。」
https://www.mindat.org/loc-4328.html

コンゴは
「銅、コバルト、ダイヤモンド、カドミウム、金、銀、亜鉛、マンガン(世界1位)、スズ、ゲルマニウム、ウラン、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱石、石炭、プラチナ(世界1位)などを産する世界トップクラスの鉱産資源国であり、
輸出の約9割を鉱産資源が占める。
コバルトの埋蔵量は世界の約65%。
かつてはウランの採掘も行われており、ベルギー資本のユニオン・ミニエール社が一手に事業を仕切っていた。
1945年に広島市に投下された原子爆弾の原料はベルギー領コンゴ国産であった。

一方、錫石(スズの鉱石)・鉄マンガン重石(タングステンの鉱石)・コルタン(タンタルの鉱石)・金は、
北キヴ州で展開する紛争(キヴ紛争及びM23 rebellion)の反政府武装組織(人民防衛国民会議、3月23日運動)の資金源とされている紛争鉱物であり、国内が不安定化する要因の一つとなっている。

また、ギニア湾沖に海底油田を擁しており、原油の輸出も盛んでコンゴ民主共和国の経済を支える重要な財源となっている。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B4%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

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(西日本新聞より)

2023-08-15

原子爆弾・秘録 〜謎の商人とウラン争奪戦〜

またウランの話。
なんか続きますね。
番組は観そびれたんだけど、ネットで話題になっていて、アーカイブも上がっていたおかげで
内容は把握しました。
知りませんでした。
そんなにコンゴのウランが凄いとは。
いまも昔もアフリカのウラン頼みなんですね。

以前、コンゴの『闇の奥』(コンラッド)の解説本?
『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷 藤永 茂 (著)
の中で、最後にちらりと取り上げていたコンゴのウランと原爆の話

当時は調べる余裕もなく、そのままになっていた話のネタが
突然降ってきました

そういうことだったのか

「銅の産地であったコンゴから異常にウランの含有量が高い鉱石が偶然に見つかった。」

「良質とされるアメリカやカナダの鉱石でも、0.2~0.3%の酸化ウランしか含まれていない。
しかし、ここの鉱石の含有率は、65%に上る」(サンジエの手記)

「サンジエは当時、ベルギーの植民地だったコンゴ、現在のコンゴ民主共和国に派遣され、
会社の収益の柱となる銅の生産を任されていた。
そこで偶然出会ったのが、異常なほど純度の高いウラン鉱石だった。」

ベルギーの鉱山会社ユニオン・ミニエール
ウラン商人エドガー・サンジェ
商人なのに外交官用スタンプ

ドイツがベルギーに侵攻しベルギー本国に送られていたウランがドイツに押収された

サンジェは会社に対してさえ秘密裏にニューヨークに運び出した
その量はドラム缶2000本、およそ1200トン

高値で取り引きされる軍事目的にこだわったサンジェ。

アメリカとイギリスがベルギーにウランの99年間の専売権を要求

戦時中、ドイツに押収され隠されていたコンゴ産ウランが、ソ連の手に。そして、ソ連の原子爆弾開発へ。
ソ連が大戦中に占領したドイツにあった100トンのウラン
それがソ連の核兵器開発の元に

ビジネスとしてのウラン取引が、巡りめぐって米ソ核開発競争の扉を開けてしまった。

ウラン採掘で多くのコンゴ人が命を落とした。
コンゴのウラン鉱山の労働者達は過酷な環境で働き、肺の病気で大勢の人が亡くなった

「コンゴがベルギーから独立する1960年まで、
サンジエがアメリカとイギリスに渡したウランは、広島型原爆を3500発作り出せる量に上った。
その間、アメリカは他にもウランの入手先を増やしながら、194回の核実験を繰り返した。」

CongoFreeState_wiki.jpg

#NHKスペシャル
原子爆弾・秘録
~謎の商人とウラン争奪戦~


『78年前、広島・長崎に投下された原子爆弾。
その開発に重要な役割を果たした“謎の商人”がいる。
原爆の原料となるウランをアフリカから密(ひそ)かにアメリカに運び込んだ人物。
今回、彼が残した3万ページに及ぶ未公開資料が見つかった。
そこには会社の利益のために奔走した男が、はからずも世界を大きく変えてしまう様子が記されていた。
今につながる核の時代はどのようにして始まったのか、原爆開発の知られざる真実に迫る。』
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/Y3ZWPNNN7L/
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pGRqPPg6mQ/

2014-05-08 『闇の奥』の奥

2023-08-13

英雄たちの選択~浅間山大噴火

浅間山大噴火 天明3年

根岸九郎左衛門、のちに南町奉行
ほぼ一番下から一番上まで全部経験した人
父親も御家人株を買って武士になった
本人も別の家の養子に入ってのし上がっていく
実務官僚として大変優秀

江戸時代長く続いた秘密、5大要因の一つは勘定所
ここだけは世襲・身分制じゃない
道徳的に正しくて。事業が上手な人たちを集めた
ここが財務省と国土交通省と裁判所の機能を持った役所
面白かったです~!
噴火の災害から復興までと思いきや、その背景
の深堀がいつも凄い
スタッフさん、磯田先生の考察にいつも感服

当時、災害に関わる役人へはご進物が当然のようにあった
根岸はその一切を断る
閉鎖的な武士の社会だから知られている
こういう時にはそういう人を送る

記録魔

記録適切で無私無欲、知識欲が強くて金銭欲が低い人間を分かって送っている

役所の初動対応で重要なのは『適材適所』
普段から災害が起きた時は誰を遣わすか

災害復興を考える時に、誰かが損得抜きで引き受ける人がいないとどうしても無理
災害復興は市場原理だけでは無理
地方名望家が手弁当でやってくれる
名誉ある家格が高い家として位置づけられたい
次世代も親のように刀が差せるように地域に貢献せねばと思う
村人を守ることに自分が責任を持っている意識が非常に強い
関東の地元のエリート層の姿

こういう人たちが明治になったら小学校や銀行を作ったり、殖産興業をやるために奔走する人々

今日本の地方か駄目になっているというのは
地方の名望家層を農地解放以降、破壊してしまった

それを引き受けるリーダーが必ずしも優遇されていない
 
もともとのその土地のリーダー
戦国期まで武士団とか東国武士がやっていた役割を、江戸時代を通じて維持したのは名主層

二人の名主はお金では損したように見えたけど、道を歩いても皆が尊敬の目で見たはず
彼らはお金では買えないものを得た

幕府から褒美状
一代刀差免
苗字名乗可申

3年後、利根川の大洪水
浅間山大噴火によって火山灰が北西の風が吹いていたので、南東方向に広がり、関東地方全域に降灰
噴火の泥流と火山灰によって、川底が上昇、そこに大雨が降り大洪水になった

浅間山大噴火
天明の大飢饉
疫病の流行
大洪水
麦の大凶作
天明期連続複合災害
打ち壊し

田沼意次失脚

「連鎖災害」
火山灰が太陽の日光を妨げるため、雨が多くなり冷涼化が進む
その結果雨が多くなり洪水が起きる
洪水と冷涼化で飢饉が起きると防災工事ができない
因果関係が連鎖していくことで永続災害、持続災害になっていく

時の田沼政権はコントロールを失って退場

当時の川、江戸時代の堤防、あってないようなもの

河川の堤防工事、誰かがやろうと10万両くらいかかる
今10万両出せる藩はいるのか?

ここで登場したのが熊本藩

浅間山大噴火の復興費10万両
改革に成功した熊本藩が拠出した
6代藩主細川重賢

学校で役人を養成して徹底的な改革をして能力主義にして、
大阪の蔵屋敷で米が蔵の入りきらずに、垣根を結って露天もさらすくらい年貢米が取れつつある状態

一番に真似したのが薩摩、東北で真似したのが会津、近所で真似したのが佐賀。

幕末の幕府を潰すプレーヤー
幕府を守るプレーヤー
この災害の対応の中で「熊本型改革」を学んだ
一番学んだ徳川家の親戚、松平定信
幕府も学校を作る
昌平坂学問所
もっと拡張、そして東京大学につながっていく

浅間山が分解したら、日本は変わった

もし浅間山大噴火がなかったら、
市場経済と自由化を軸にした路線が強化されていた可能性がある
徳川期後期の統治のあり方が大きく変わっていたのではないか
幕末の対応も大きく変わってくるだろう
商業中心の政府だったら、開国要求の対応も違っていたかもしれない

日本が地球上でもかなり異常な空間だという自覚が必要
一億も人口がいて、こんな火山が集中した所に住むって世界中ない
火山学研究やるしかない

飯田泰之 明治大学教授
『これからの地域再生』

関俊明 嬬恋郷土資料館館長
『浅間山大噴火の爪痕』

安井真也 日本大学教授
『浅間山の噴火の歴史と最近の調査・研究』

浅間山大噴火 〜天明3年・驚きの復興再生プロジェクト〜
「今年は、天明3年(1783年)に浅間山が大噴火を起こしてから240年目。
甚大な被害を受けた群馬県嬬恋村の驚きの復興再生計画にスポットを当てる。
嬬恋村鎌原地区では30年ぶりに発掘調査も再開され、
「日本のポンペイ」と呼ばれるその甚大な被害に新たな光が当てられようとしている。
いま注目されているのは、鎌原地区にとどまらず、吾妻川から利根川に流れ込んだ“天明泥流”が、
関東各地に、多大な被害を及ぼしたことだ。
復興の最前線にいた幕府勘定吟味役・根岸九郎左衛門の報告から、その驚きの復興再生計画の全貌を明らかにする。」
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/K2J26RZ414/

2023-08-12

英雄たちの選択~海の縄文人

面白かったです~!
丸木舟の復元作業、凄い!
回転式銛頭凄い!

丸木舟
飛鳥山博物館
縄文時代中~後期、中里遺跡
舟の全景が分かる状態で出土、珍しい
ムクの木、全長5、8メートル、最大幅72センチ、最大内深42センチ

丸木舟は全国で170隻出土

復元実験
直径1メートルの木を切り倒すのに石斧のみ、2万回
1叟の丸木舟、完成には男手20人、ひと月 

焦がして木を締まらせる、防水、防腐効果も?

舟底が平らなもの
舟底を深いU字型
櫂も様々な型

男手20人というと、女性も20人、子供は大人の数倍いるから100人規模の集団?


貝輪
入手しやすいベンケイガイ
貴重なオオツタノハ


回転式銛頭
現在のものも構造としては全く同じ
縄文時代にすでに完成させていた

非常に特殊な漁具
これが発達する背景には、その土地ならではの海洋生物を考える

縄文時代、こういった漁具が発達するのは仙台湾とか三陸沿岸
この地域だと想定される大物のマグロに代表される回遊魚  

銛の他にも、釣り針も非常に様々な形態のものがあり、試行錯誤して経験を積んで
今存在する釣り針は仙台湾の縄文中期~後期の時代には、ほぼラインナップが揃っている

追跡!古代ミステリー 海の縄文人
『近年、日本列島を取り囲む「海」と古代人の関わりを示す新発見が相次ぎ、「海」を通して古代人のこころの解明に注目が集まっている。今回は、海の縄文人の世界に迫る。
1万年以上続いた縄文時代の後期、突如、貝で作ったアクセサリー「貝輪」の一大ブームがあった。
なかでも、美しい輝きを発するオオツタノハの貝輪は珍重され、東日本一円から出土している。
この謎に包まれた貝の生息地を求めて各地を探し回っている考古学者がいる。
このほか、全国各地から多数出土した縄文人の丸木舟、さらに技術的に現代のものに負けない骨格製の漁労具などから、知られざる海の縄文人の実像に迫る。』
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/GGV2XN52Y6/

2023-08-11

中東で熱波

0809
イラン南部で、70℃を観測。
え、70℃…!?
ドバイの対岸のケシュム島の辺りですよね。
https://twitter.com/mokosamurai777/status/1689105791561998336

The temperature in Bandar-Abbas, Iran, on August 8, 2023, was recorded as a daytime high of 39°C (102°F).
https://www.timeanddate.com/weather/iran/bandar-abbas/historic?hd=20230808

These temperatures have produced heat index ("feels like") temperatures in Bandar-Abbas of up to 54°C (129°F).
https://www.theweathernetwork.com/ir/last-24-hours/hormozgan/bandar-abbas

こちら、観測温度ではなく、heat index=暑さ指数=体感温度ですね。
https://twitter.com/mokosamurai777/status/1689129605557587969

Bandar AbbasのWether recordを参照してみましたところ、気温40度以上に加えて
『湿度50〜60%』

実際にNOAAウェブサイトのHeat Index計算機に8/7付近の最高気温42度、湿度60%を入れてみたところ、確かにHeat Indexが70℃相当となりました。非常に厳しい環境です‥
https://twitter.com/SHIMASHObio/status/1689258441657769984
https://www.wpc.ncep.noaa.gov/html/heatindex.shtml

0810
中東で熱波が発生してるのは確かなようです。
イラクの北部、キルクークでは、最低気温37℃、最高気温51度という状況。
最低気温37℃、熱帯夜とか言うレベルではない…。
トルコでも48.4℃を観測。
コーカサスから中東が真っ赤になっています。
https://twitter.com/mokosamurai777/status/1689379035154153475


2023-08-10

エアコンが壊れた?

先日夕方、出掛けにふと、窓ガラスに水滴が点いていて、
え?と思ったら、床にもポタポタ落ちていて、
見上げたら、エアコンの下のカーテンレールにも水滴が!
ヤバイと思って、解説書を観たら、ドレンホースが詰まっている可能性があって、
排水が逆流していると
すぐに運転を停止して、販売店に連絡しろと。

すぐにエアコンを止めて、またまた大工さん(経由のエアコン屋さん)に連絡。
その夜はエアコンなしで寝た。
幸い少し涼しくなっていたので、扇風機でギリギリ何とか。
個人的には、冷気がなくて,ちょうどいい気温。蒸すけどそこはギリギリ許容範囲。
でも色々気になって、なかなか寝つけなかった。

朝、連絡ないなあ~、今日は無理かなあ~とうとうとしていたら、
10時に大工さんから電話。
来てくれた。エアコン屋さんが忙しくて来られないので、様子を見てくれと頼まれたとのこと。
いや毎度すみません。

ドレンホースの先端に虫よけのパーツをはめていたせいかと思ったけど、
汚れがちょっと点いていたけど、特に詰まってはいなかった。
運転してみて、様子を観てくださいと。
また水が出たら連絡してって。お帰りになった。

とりあえず今のところ水漏れはなし。
ちゃんと動いている
何だったんだろう?
停止した時に自動で内部クリーンで、乾いて、
問題解決したのだろうか?
謎だ。



2023-08-08

台所の灯が消える

実は2~3日前から時々台所の灯が消えることがあって、蛍光灯が寿命かなと

それで蛍光灯を取り替えようとしたら、傘に引っかかって、うまくできない。
仕方なく電気屋さんを呼ぼうと大工さんに電話

翌日見に来てくれて、
実は照明器具ごと取り外せることがわかり、
でも蛍光灯を取り替えても、灯が点かない
これは器具の方がイカレたということで
納戸の照明と取り替えてもらって、一段落

でも灯が足りないことには変わらないので、急遽照明器具を買いに行く

ついでに回転が不安定になっていた壁掛け扇風機
タイマーがダメになっていた炊飯器も

2023-08-06

『アーリット 第二のパリ』

映画も作られていたようです。
「ベナンの映画監督、イドリス・モラ=クパイ (Idrissou Mora Kpai)は、映画『Arlit: deuxième Paris』 (フランス/ベナン、2005 年、78分) を捧げました。『アーリット 第二のパリ』

ニジェール出身のアミナ・ウェイラ Amina Weira は、2016年にオラノ(元アレバ)が搾取したウラン鉱床によるアーリット市の汚染に関するドキュメンタリーを制作した。
タイトルは「La Colère dans le vent (en)」(ニジェール/ベナン/フランス、54 分)(風に吹かれての怒り) 21、22 。 _」

21« La Colère dans le vent » [archive], sur film-documentaire.fr, 2016
http://www.film-documentaire.fr/4DACTION/w_fiche_film/48563_0

22 Matteo Maillard, « Niger : « A Arlit, les gens boivent de l’eau contaminée par la radioactivité » » [archive], lemonde.fr, 27 février 2018 (consulté le 4 mars 2018).マテオ・メイラード、「 ニジェール:「アルリットでは、人々は放射能に汚染された水を飲んでいる」
https://fr.wikipedia.org/wiki/Arlit
https://en.wikipedia.org/wiki/Arlit

arlit2005.jpg

Arlit, deuxième Paris
「ウラン採掘と移民で生まれたアーリットは、砂漠の国境にあるニジェールの都市です。かつてのエルドラドであり、1970 年代には COGEMA (現AREVA )によるウラン開発によりこの地域の中心地となったアーリットは、冒険と成功を体現しました。しかし、ウラン価格の下落と1980 年代初頭のトゥアレグ族の反乱により、この町はゴーストタウンと化しました。経済緩和への期待は裏切られ、アーリットの住民は放射性鉱石の開発によって引き起こされる人体、健康、環境への被害にも気づき始めている。
アーリットは現在、ヨーロッパに向けて出国する不法移民の中継地として利用されている。」
https://fr.wikipedia.org/wiki/Arlit,_deuxi%C3%A8me_Paris

「『Arlit』は、ニジェールのサハラ砂漠にあるウラン鉱山の町を舞台にした環境人種差別の事例研究です。
ここではヨーロッパ企業が原発を搾り取り、病気や汚染、失業を残して利益を上げている。
皮肉なことに、今日のアーリットの主な活動は、放射線関連の病気で死ぬか、ヨーロッパ自体で仕事を見つけるために移住するのを待つことです。

アーリットかつてはブームの街でした。
70 年代初頭の石油危機の間、そのウラン鉱山は繁栄し、最終的には世界中から 25,000 人の労働者を高賃金の仕事に雇用しました。
アルリットは 24 時間活動しており、頻繁に国際線が運航され、ナイトライフが楽しめるため、「ドゥーズィエム パリ」というあだ名が付けられました。
その後、ウラン価格の暴落と、南西500マイル以上離れたニアメで中央政府に対するトゥアレグ族の反乱が起きた。
アーリットはかつての面影を失った。
ヨーロッパ人が望むものがもう何もなくなったとき、彼らは砂漠に放置された機械を残して街を放棄しました。

繰り返し取り上げられるテーマの一つは、珪肺、喘息、肺癌、肝臓癌といった鉱山関連の病気で何人が亡くなったかということです。
この国とまったく同じように、企業の医師は劣悪な労働安全衛生条件と労働者の病気との関連性を平気で否定する。
彼らは死亡の99%を喫煙とエイズのせいだとしている。
しかし、従業員たちは騙されず、ヨーロッパとアフリカの従業員に与えられる医療レベルの違いにも気づいています。

さらに懸念されるのは、放射線が継続していることだ。一部の鉱山は今も稼働しています。
スラグの山と露天掘り鉱山は危険なほど町の近くにあります。放射性機械はいたるところに放置されています。
企業は従業員にボーナスとして汚染された部品を渡し、それを調理器具や水道管としてリサイクルした。
こうして被害は世代から世代へと受け継がれていきます。」
https://newsreel.org/video/arlit-deuxieme-paris

Colere vent 2016.jpg

La Colère dans le vent
https://en.wikipedia.org/wiki/La_Col%C3%A8re_dans_le_vent

「「私の故郷であるニジェール北部のアーリットでは、アレバ社が1976年からウラン採掘を行っている。現在、砂嵐に見舞われたこの地域の大部分が汚染されている。放射能は目に見えず、住民は自らが被っているリスクについて知らされていない」 1 年の一部の間、激しい砂嵐が街を完全に包みます。この砂塵の風が放射性物質をまき散らします。誰もが避難所を求めます。街は静まり返り、すべての活動が停止します。元ウラン鉱山労働者である私の父は、この街の中心人物です。この映画。彼は鉱山で過ごした35年間の記憶を消し去った。彼のおかげで、私は確かに発言権を持つ他の元労働者や若い人たちに会いに行くことができる。」
(アミナ・ウェイラ)」
http://www.film-documentaire.fr/4DACTION/w_fiche_film/48563_0

2023-08-05

ニジェールの鉱業

ウランが関係するというので、調べてみましたが…

「ニジェールの経済は、自給自足のための作物、家畜、そして世界最大級のウラン鉱床を中心に成り立っています。2021年、EUへのウランの主要供給国はニジェールで、カザフスタン、ロシアが続いた。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Niger

独立時は上記のわずかな農牧業に頼っていたが、1971年に北部のアーリットでウラン鉱の生産が開始され[41]、以後ウランの輸出が経済の柱となった。ウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇っている。
ニジェールのウラン鉱山はアーリット鉱山とアクータ鉱山の2つの鉱山からなり、アーリット鉱山はフランス原子力庁(のちにアレヴァ社)とニジェール政府が、アクータ鉱山はニジェール政府・フランス原子力庁(のちにアレヴァ社)・日本の海外ウラン資源開発社・スペインの資本がそれぞれ出資している[41]。

ウラン関連産業は全雇用の約20 %を占める。2014年にはウランが総輸出額の45.6 %を占め、ニジェール最大の輸出品となっている[42]が、あまりにウランの経済に占める割合が高いため、ウランの市場価格の上下がそのまま経済に直撃する構造となっており、経済成長率はウラン価格の動静に左右されている。

一方、東部では油田が発見され、2014年には石油製品が総輸出額の25.9 %を占めて第2位の輸出品となった[42]。またブルキナファソの国境に近いリプタコ地方においては金が産出され、これも輸出される[43]。

41^ a b 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p452、朝倉書店 ISBN 4254166621
42^ a b 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p300 二宮書店 平成28年1月10日発行
43^ a b c 「ニジェール 独立50年の全体像」p143 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB
Arlit_Wiki.jpg
( wiki)
アーリット (Arlit) は、ニジェール北部、アガデス州の都市、アーリット県の県都。 2011年の人口は約11.2万人。 ニジェールにおけるウラン採掘の中心都市として、ニジェール経済において重要な位置を占める。
アーリットはサハラ砂漠の中央部に位置する。 アイル山地の西麓に位置し、 200km北に行くとアルジェリア国境である。

アーリットにおいてウラン鉱が発見されたのは1969年である。 これといって重要な輸出品のなかったニジェールにとって、アーリットのウラン鉱は経済発展の糸口となるものであった。 近郊にはアーリット鉱山・アクータ鉱山の二つのウラン鉱山があり、露天掘りでウランが採掘されている。

最盛期だった1980年代には、世界のウラン需要の40%をこの2鉱山で賄っており、ニジェールの輸出額の90%を占めていた。
しかし、1980年代に冷戦終結などの理由でウラン価格が暴落、さらに周囲の砂漠化が進行し、アーリットにはスラム街が生まれた。
砂漠化とウラン暴落はこの地域の経済を逼迫させ、さらに政治経済の実権を握る南部ニジェールへの反感が募り、周辺のトゥアレグ人が1990年代に反乱(トゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年))を起こした。

アーリットで産出されるウラン鉱はベナンのコトヌー港まで運ばれ、そこから世界各地に運ばれる。
ウラン鉱の輸出はアーリット以南の道路を整備させ、更にアーリットの町自体がアルジェリアのタマンラセットと南のアガデスを結ぶサハラ縦断ルートの沿線に位置するため、サハラ越えの重要拠点となっている。
ただし舗装は南からアーリットまでであり、そこからアルジェリア国境方面への道路は未舗装のままとなっている」
(「ニジェール 独立50年の全体像」p143 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88

「ミシシッピ紀から白亜紀までの砂岩には 25 を超えるウラン鉱床が存在します。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Arlit

「2010 年 9 月 16 日午前3時頃、イスラム・マグレブ諸国のアルカイダの一団(AQIM)がトーゴ人、マダガスカル人、フランス人5人の7人を人質に捕らえた。その後、人質のほとんどは核開発グループアレバで働いている。」
https://fr.wikipedia.org/wiki/Arlit

ニジェールの経済
「ニジェールの経済は主に自給用の作物、家畜、そして世界最大級のウラン鉱床に基づいています。干ばつサイクル、砂漠化、3.4%の人口増加率、世界のウラン需要の減少により、すでに限界に達していた経済が打撃を受けています。伝統的な自給自足農業、牧畜、小規模取引、非公式市場が経済を支配しており、正規部門の雇用はほとんど生み出されていない。

採掘
ウラン価格の持続的な低迷はニジェールのウラン部門の収入減をもたらしているが、依然としてウランは国の輸出収入の72%を占めている。
北部の町アーリット近くに 2 つの大規模なウラン鉱山が開採されて以降、1960 年代から 1970 年代にかけて、この国は多額の輸出収入と急速な経済成長を享受しました。
しかし、1980年代初頭にウラン主導のブームが終わると経済は停滞し、それ以降の新規投資は限られてきた。
ニジェールの 2 つのウラン鉱山 ( SOMAIRの露天掘り鉱山とCOMINAKの地下鉱山) は、フランス主導のコンソーシアムによって所有され、フランスの権益によって運営されています。

ニジェールのニジェール川とブルキナファソ国境の間の地域に、採掘可能な金鉱床が存在することが知られている。
リン酸塩、石炭、鉄、石灰石、石膏の大量の鉱床も発見されています。
アメリカ企業を含む多くの外国企業が、ニジェール西部の金鉱の鉱脈の探査ライセンスを取得しているが、そこには他の鉱物の鉱床も含まれている。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Economy_of_Niger

ニジェールの石油および鉱業
「鉱物採掘産業はニジェール経済の重要な部分です。鉱物の輸出は一貫して輸出の40%を占めています。
ニジェールで生産される鉱物商品には、セメント、石炭、金、石膏、石灰石、塩、銀、錫、ウランなどがあります。2006年、ニジェールは世界第4位のウラン生産国でした。

ウラン
ニジェールは世界のウラン生産量の約 5% を生産し、アフリカで最高級のウラン鉱石を供給しています。2022年のウラン生産量は2,020トンで、2020年の2,991トン、2012年の4,821トンから減少した。
1950 年代から、ニジェールでは、ニアメの北東約 1,000 キロメートル (620 マイル) に位置するアガデス地域の北の砂漠に大規模なウラン鉱床があることが知られていました。
1971 年に最初の鉱山がアーリット郊外に開設され、アレバとニジェール政府が株主である国営企業であるソメールによって運営されました。SOMAIRはアレバが 63.4%、ニジェール政府が 36.6% を 所有しており、約 600 人を雇用しています。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Oil_and_mining_industry_of_Niger

ニジェールのウラン採掘
「原子力委員会(CEA)によるニジェールのウラン開発は1968年にアルリットで始まり、その後1970 年代にアコカンで行われ、現在ではフランスのオラノ社、中国のCNNC社、ニジェール鉱山協会によって開発されています。そして韓国の会社KEPCO。

1976 年に、資本金 47 億フランで Compagnie Générale des Mines が設立されました。これは CEA の「生産部門」 (「DP」) を引き継ぎます1。これには、原子力委員会のすべてのウラン生産活動、すなわちフランスおよびフランス語圏アフリカ、特にニジェールにおける ウランの開発が含まれます。

ニジェールのウラン採掘場のリスト2021年2月 :
ニジェールのアーリット鉱山(Orano Cycleの子会社であるSomaïrが運営)。
ニジェールのアコウタ鉱山(オラノ・サイクルの子会社コミナックが運営):計画閉鎖2021年3月 ;
イモウラレン ウラン鉱山、ニジェール ( Orano Cycleによって計画された操業)。」
https://fr.wikipedia.org/wiki/Exploitation_de_l%27uranium_au_Niger

原子力代替エネルギー委員会( CEA )は、エネルギー、防衛、情報技術と通信、材料科学、生命科学、健康の分野におけるフランスの科学研究の多様な中央管理機関(ODAC)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Commissariat_%C3%A0_l%27%C3%A9nergie_atomique_et_aux_%C3%A9nergies_alternatives

「アーリットと近くのアコウタにある 2 つの大きなウラン鉱山は、露天掘りのストリップマイニングによって開発されています。」
https://www.mindat.org/loc-8480.html

2023-08-04

ニジェール今昔 2

ここにはサハラ砂漠の先史時代の遺跡があるんですね。
Air Mountains_ Wiki.jpg

Tenere_Air_park_wiki.jpg

先史時代
「北部の砂漠と山々には、アイル山脈とテネレ砂漠で発見された古代の放棄された都市と先史時代の岩の彫刻がある」
「約6万年前、ニジェール北部の荒涼としたサハラ砂漠となった場所に人類が居住していたことを示している。
その後、当時は広大な肥沃な草原であった場所に、少なくとも紀元前 7,000 年からは牧畜、羊やヤギの放牧、大規模な集落、陶器が行われました。
牛は紀元前 4,000 年から 3,500 年にかけて中央サハラ (アハガル) に導入されました。
紀元前 3,500 年から紀元前 2,500 年のものの多くがアイル山脈で見つかった驚くべき岩絵には、現代の予想とはかなり異なる植生や動物の存在が描かれています。」
(ケビン・シリントン(1989、1995)。アフリカの歴史、第 2 版。セント・マーチンズ・プレス、ニューヨーク)
Shillington, Kevin . History of Africa
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Niger

「ニジェール北東部にあるジャドには貿易オアシスの遺跡がある」
https://en.wikipedia.org/wiki/Djado

Djado
「ジャドはニジェールのビルマにあるゴーストタウンです。この集落は同じ名前の台地にあります。この入植地はおそらく、その存在中にジャドと呼ばれていなかったでしょう。現場はかなり離れたところにあります。発掘調査は行われていないため、集落の本当の名前は不明です。

かつてのジャドは、テネレ砂漠の北東部のオアシスに位置しています。テネレ砂漠はサハラ砂漠の一部と考えられています。ジャド高原の南東端に位置します。」

Djado Plateau
「ジャド高原はニジェール北東部のサハラ砂漠にあります。洞窟芸術(その地域には長い間姿を消していた大型哺乳類が描かれていることが多い)で知られていますが、現在はほとんど無人で、廃墟となった町や砦が今も残っており、目にすることができます。」

Massif de Termit Wiki.jpg

「新石器時代には、エア山脈、テルミット山塊、ジャド高原、イウェレン、アラカオ、タマコン、ツェルザイト、イフェルアン、マンマネ、ダブースなどでサハラの岩絵が隆盛を極めた。この芸術は紀元前 10,000 年から紀元 100 年までの期間に及び、風景の多様な動物相から「リビアの戦士」と呼ばれる槍を携えた人物の描写に至るまで、幅広い主題を描いています。[38] [39][40]」
Iwelene, Arakao, Tamakon, Tzerzait, Iferouane, Mammanet and Dabous
https://en.wikipedia.org/wiki/Niger

Bura_ niger_google.jpg

ブラ遺跡は、ニジェール南西部、ティラベリー地方のテラ県」
「ブラ文化 は、ニジェールとブルキナファソのニジェール川下流域にある一連の遺跡を指します。より具体的には、ブラ文化に代表される鉄器時代の文明は、現在のニジェールの南西部と現代のブルキナファソの南東部に中心がありました。」
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Niger
https://en.wikipedia.org/wiki/Bura_culture

more...

2023-08-03

ニジェール今昔 1

ニジェールの歴史 メモめも…
マリとチャドの間だから、ソンガイ帝国、マリ帝国、カネム王国の影響があったと思うけど…

Niger_saharan_wiki.jpg
The main trans-Saharan caravan routes, c. 1400(wiki)

植民地化前のニジェールの帝国と王国
少なくとも紀元前 5 世紀までには、現在のニジェールの領土はサハラ横断貿易の地域となっていました。
北から来たトゥアレグ族に率いられ、ラクダは後に砂漠となる地域を移動する手段として使用されました。[41] [42]
この移動は何世紀にもわたって波のように続き、南へのさらなる移住、サハラ以南のアフリカ人と北アフリカの人口の混合、そしてイスラム教の普及を伴った。[43]
それは、南への人口移動をもたらした3回のアラブ侵略の結果、7世紀のイスラム教徒のマグレブ征服によって助けられた。[28]
この時代、サヘルには帝国や王国が存在しました。
[28] ラルース百科事典
[41] Lewicki、T. (1994)。「南北関係におけるサハラとサハラ人の役割」。ユネスコのアフリカ一般史: 第 3 巻。
カリフォルニア大学出版局、 "The Role of the Sahara and Saharians in Relationships between North and South"
UNESCO General History of Africa: Volume 3.
[42] Masonen、P: 「サハラ横断貿易と地中海世界の西アフリカの発見。2006年 10 月 8 日 Wayback Machine」
"Trans-Saharan Trade and the West African Discovery of the Mediterranean World.
https://en.wikipedia.org/wiki/Niger

SONGHAI_empire_wiki.jpg
The Songhai Empire at its greatest extent, c. 1500 (wiki)

植民地化以前
9世紀頃、ニジェール川流域に現在のマリ東部のガオを首都とするソンガイ帝国が興り、ニジェール川流域地方を支配した。
ソンガイは早くから北アフリカとの交易があり、イスラム化が進んでいた。
東部のチャド湖周辺はカネム王国(c.700–1380)が支配していた。
ソンガイ帝国は14世紀にはマリ帝国の属国となったものの14世紀後半には再独立し、15世紀には最盛期を迎えた。
このころにはソンガイの勢力圏は中部にまで及んでいたが、16世紀末には帝国がモロッコのサアド朝に敗れたためこの支配は崩壊した。東部はカネム王国が南遷したボルヌ帝国の支配下にあった。
19世紀にはダマガラム(現ザンデール)に小王朝があり、その他いくつかの小勢力が割拠していたが、ニジェール全体を支配する勢力は存在しなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB
https://en.wikipedia.org/wiki/Sultanate_of_Damagaram
https://en.wikipedia.org/wiki/Zinder

エア・スルタン国 (1400 年代 – 1906 年)(テネレ)(アガデス スルタン国)
1449年頃、現在のニジェール北部に、アガデスを本拠地とするスルタン・イリサワンによってアイル・スルタン国が設立されました。
以前はハウサ族とトゥアレグ族の混血が住む交易所だったが、サハラ横断交易路の戦略的拠点として成長した。
1515年にアイルはソンガイによって征服され、1591年に崩壊するまでその帝国の一部であった[24] [43]
その後数世紀にわたり、内戦や氏族紛争を特徴とする「スルタン国は衰退に入ったようだ」。[43]
19世紀にヨーロッパ人がこの地域を探索し始めたとき、アガデスのほとんどは廃墟となっており、フランス人によって接収された
[24] Geels, Jolijn, (2006) Bradt Travel Guide - Niger
[43] Decalo, Sameul; Idrissa, Abdourahmane (1 June 2012). Historical Dictionary of Niger. Scarecrow Press.

Songai_hausa_wiki.jpg
ソンガイ帝国時代のハウサの都市(wiki)

ハウサ諸国とその他の小王国(1400 年代~1800 年代)
ニジェール川とチャド湖の間にはハウサ王国があり、後にニジェールとナイジェリアの国境となる地域にまたがるハウサランドとして知られる文化言語地域を取り囲んでいました。[56]

フラニ族(ペウル、フルベなどとも呼ばれる)は、サヘル全域で見られる牧畜民で、1200 年代から 1500 年代にかけてハウサランドに移住し始めました。[48] [56]
18世紀後半、一部のフラニ族はそこで実践されているイスラム教の混合形態に不満を抱いていた。
フラニ学者ウスマン・ダン・フォディオ(ゴビール出身)は1804年にジハードを宣言した。 [43] [24] [58]
ハウサランドの大部分を征服した後(ボルヌ王国は除く)、独立を保った)、彼は1809年にソコト・カリフ制を宣言した。 [56]
(ソコト・スルタン国-西アフリカのスンニ派イスラム教徒のカリフ制 1804 ~ 1903 )
Africa_Oest_en_1875_wiki.jpg
1875年頃(wiki)

この時代の他の小さな王国としては、ハウサ州とソコト州の支配に抵抗した 1750 年に設立されたザルマの国であるドッソ王国が挙げられます。[43]

[48]Metz, Helen Chapin, ed. (1991). Nigeria: A Country Study. Washington, DC: GPO for the Library of Congress
[56] Cartwright, Mark (9 May 2019). "Hausaland". World History Encyclopedia.
[58] H. J. Fisher. The Sahara and Central Sudan. in The Cambridge History of Africa: From C 1600 to C 1790. Richard Gray, J. D. Fage, Roland Anthony Oliver, eds. Cambridge University Press, (1975)
https://en.wikipedia.org/wiki/Niger
https://en.wikipedia.org/wiki/Sultanate_of_Agadez
https://en.wikipedia.org/wiki/Hausa_Kingdoms
https://www.worldhistory.org/Hausaland/

Dosso_Niger_wiki.jpg
ドッソ地方(wiki)
ドッソ王国 Dossoは、現在のニジェール南西部にある植民地時代以前の国家であり、儀式的な役割を果たしながら現代まで生き残っています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Dosso_Kingdom

フランス植民地時代
19世紀末にはイギリスとフランスが進出し、1898年両国の協定によってフランスが20世紀までに全土を領有(フランス領西アフリカ)。フランスはジェルマ人を優遇し、最大民族のハウサ人などを支配させる政策を採った。
1900年にはen:Sultanate of Agadez(1449年-1900年)も併合された。
1916年、トゥアレグ族の貴族Kaocen Ag Mohammedがアガデスで蜂起した(en:Kaocen Revolt)。
翌年、反乱はフランス軍に鎮圧された。1922年にフランス領西アフリカの一部に再編された。
1926年、ハウサ人が多数派のザンデールからジェルマ人が多いニアメに行政機能が移され、遷都した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB

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2023-08-02

ニジェール情勢

ニジェールでもクーデター?
あそこはマリとチャドの間ですよね
Niger_ymur.jpg
(読売新聞)

0730
ニジェールのクーデターで「西側のとりで」崩壊? 親欧米国で何が
「15~16世紀には、サハラでの交易で栄えたソンガイ帝国の一部でした。
のちにフランスの植民地となり、1960年に独立しました。
 独立後は、原発のエネルギー源となる>ウラン鉱山の開発を進めました。
70年代には輸出額の7割程度を占めたほどです。
日本でも、2011年に東京電力福島第一原子力発電所で事故が起きるまで、ニジェールはウランの主要な輸入元のひとつでした。
 現在も、旧宗主国のフランスや、日本と入れ替わるように入ってきた中国などがウランを輸入しています。」
https://www.asahi.com/articles/ASR7Y5SNBR7XUHBI02G.html

0727
ニジェールで兵士らがクーデターを宣言 大統領を拘束
「ニジェールは、イスラム主義者らによる反乱に2カ所で手を焼いている。2015年にマリから押し寄せた勢力がいる南西部と、ナイジェリア北東部を拠点とするジハード主義者らが関わっている南東部だ。
また、武装勢力アルカイダとイスラム国(IS)に関係する武装集団の動きも活発だ。
2021年に選挙で民主的に選ばれたバズム大統領は、フランスなど西側諸国と密接な関係にある。
ニジェールでは1960年のフランスからの独立以来、クーデターが4度起きている。クーデター未遂も数多く発生している。」
https://www.bbc.com/japanese/66321267

0729
ニジェール、クーデター主導の将軍が国家元首を宣言
https://www.bbc.com/japanese/66346952

0803
なぜ一部のニジェール国民はフランスを追い出し、ロシアを歓迎したいのか
「ニジェールにはフランス軍の基地がある。また、世界第7位のウラン産出国でもある。
ウランは原子力に不可欠で、産出量の4分の1が欧州に、とりわけ旧宗主国フランスに輸出されている。
だが、クーデターを主導したアブドゥラフマン・チアニ将軍がバズム氏を失脚させて以降、街中でいきなりロシア国旗の色が見られるようになった。」

「フランスはウランやガソリン、金といったこの国の富を全て搾取してきた。
最も貧しいニジェール人が1日3食食べられないのは、フランスのせいだ」

「ニジェールの人口は2440万人。5人に2人が、1日に2.15ドル(約308円)以下で暮らす極度の貧困状態にある。
バズム大統領は、2021年に就任。1960年の独立以来初の民主的な選挙で選ばれ、平和的な権力移譲が実現した。
しかしバズム政権は、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」や「アルカイダ」につながる武装組織の標的となった。
こうした組織は、サハラ砂漠の一部や、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域「サヘル」で活動している。

イスラム主義者の圧力を受け、隣国のマリとブルキナファソでは近年、ジハーディスト(イスラム教聖戦主義者)との戦いを助けるとして軍部が政権を握った。両国ともかつてフランスの植民地で、フランスと大きな利害関係がある国だ。
「M62」は、バズム大統領が拘束・失脚させられた後、勢いを取り戻したようだ。」
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-66381430

0731
西アフリカのニジェールでクーデター 背景を解説
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pg6aY909pB/

0801
ニジェール 「テロとの戦い」で欧米の軍事基地が置かれている国
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pqYoX9Y2o3/

0802
ニジェールからフランス人など退避へ ウラン産業への影響は
「ニジェールは、EU諸国に対して、2番目に大きいウランの供給国」
https://www.nhk.jp/p/catchsekai/ts/KQ2GPZPJWM/blog/bl/pK4Agvr4d1/bp/pvxVYzb623/

「アフリカの中央部のニジェールで反フランスの軍事クーデターが勃発して紛争中ですが、
ここがフランスの主要なウラン鉱石の供給源であることが問題の中核にあります」
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru

2023-08-01

桃フェア♪ 2

まだまだあった桃フェア!

whip2308mmt.jpg
まる桃タルト

whip2308mmc.jpg
ふんわり生チーズ~桃いっぱい
マスカルポーネとフロマージュブラン

これでもまだコンプリートならず
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