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2023-09-06

ナイル川の源流を求めて

さて、ナイルの水源は見つかったのか?
ヴィクトリア湖の水源は?
諸説あるらしい

nile_yosimura.jpg
(吉村和就)

ヴィクトリア湖
原地名は湖を意味するニャンジャ
半スワヒリ語ではヴィクトリア・ニャンザ (Victoria Nyanza)とも呼ばれ、タンザニアではウケレウェ (Ukerewe)、ウガンダではナルバーレ (Nalubaale)として知られていた。
世界大百科事典

ヨーロッパ人が初めてこの湖の存在を確認したのは、1858年、イギリス人の探検家 ジョン・ハニング・スピークによってである。彼は、リチャード・フランシス・バートンとともにナイル川の水源を探す探検を行い、タンガニーカ中央部のカゼ(現在のタボラ)にたどり着く。
ここで二人は、北にニアンザ湖、西にウジジ湖と呼ばれる大きな湖があることを聞いた。
二人はまず西から探検を進めることとし、1858年2月13日にウジジ湖(タンガニーカ湖)を発見した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%B9%96

「文明発祥の地の一つであるエジプト、その大地に恵みをもたらすナイル川は古代より知られていたが、その上流地域に関しては長らく謎であった。
大航海時代初期にアフリカ大陸の海岸線は明らかになったものの、内陸部に関しては未だ未知の世界であり、諸河川の上流部は誤解や空想に基づいて描かれていた。
「ナイル川の水源」もその一つであり、本格的な調査が行われ始めてからも、この謎は多くの探検家たちに試練を与え続けたのだった。

 「エジプトはナイルのたまもの」と評したヘロドトスは、ナイル川とニジェール川(実際はギニア湾に注いでいる)を同一視していた。つまりナイルは西アフリカに源を発し、チャド盆地を横断してエジプトに入ると考えていたのである。
またプトレマイオスは、ナイルの水源は中央アフリカにあるとした。
「月の山」の北にある湖から発し、メロエでもう一つの支流(青ナイル)と合流するというものである。
彼は実際にその目で見て確かめたわけではないが、かなり正確に推測している。
しかし数多くの急流に阻まれ、ナイルを遡行することは不可能であった。

 そして時代は下り、次なる探検は東から行われた。17世紀にはポルトガルのイエズス会士パエスとアルバレスの、1770年のスコットランド貴族ジェームズ・ブルースの探検により、エティオピアのタナ湖から川が流れ出しているのが発見された。
しかしこの川は支流の一つ青ナイルであった。
1820~22年にはエジプト太守ムハンマド・アリーの命によりフランス人カイヨーを含むエジプト人探検隊がナイルの遡行を行ったが、青ナイルが支流であることを確認したにとどまった。

 19世紀半ばには帝国主義列強諸国のアフリカ進出に伴って、イギリスが探検を主導した。
軍人のバートンとスピークの探検隊は1857年6月に東アフリカ、ザンジバル島の対岸バガモヨを出発、翌年2月には西洋人として初めてタンガニーカ湖に到達した。
スピークは単独で周辺を調査したが、ナイルの水源ではないと結論を出した。
後に二人は仲違いし、スピークは再び単独で探検を続け、同年8月ニアンザ(ウケレウェ)湖を発見、女王にちなんでヴィクトリア湖と命名した。
帰国後スピークはこの発見を公表し、キリマンジャロに水源を求めるバートンと対立した。
スピークは1860年今度は単独で再探検を行い、1862年7月ヴィクトリア湖北岸から流れ出る滝を発見、論争に決着をつけようとしたが、討論会の前日にピストル事故で死亡してしまう。ナイル水源の謎は完全に解けたわけではなかった。

 さらに、1864年3月にはやはり英国軍人ベーカーとその妻によってルタ・ヌジゲ湖が発見され、ヴィクトリア女王の夫の名を取ってアルバート湖と名付けられた。
この湖もまた、ナイル水源である可能性があったのだ。また、かのリヴィングストンもこの地に赴くが、ザイール川上流のルアラバ川の調査に手間取るうちに病死してしまう。
そして、行方不明とされた彼の消息を尋ねたスタンレーの探検によって、ナイル水源の謎に一応の決着がついた。

 彼は1875~76年にヴィクトリア湖の正確な地図を作成し、スピークの発見を確認した。さらに、アルバート湖の南にエドワード湖、ジョン湖(いずれもイギリス王室にちなんだ命名)を発見、そして頂上に雪を戴く伝説の「月の山」、ルーウェンゾリ山を発見した。「月の山の麓に広がる三つの湖がナイルの水源となる」というプトレマイオスの推測は正しかったのだ。

 そして20世紀に入ってついにナイル水源の謎が完全に解明された。
ナイルは複数の水源を持ち、最も厳密にいえば最上流はルヴヴ川、カーガラ川を経てヴィクトリア湖に注ぐブルンジ共和国のルヴィロンザ川であった。ここからナイルの河口までは6700kmにも及ぶ。ヘロドトス以来さまざまな障壁に遮られ、この謎が解明されるのには実に二千数百年を要したのだった」
」R・A・スケルトン『図説探検地図の歴史 大航海時代から極地探検まで』原書房 
アンヌ・ユゴン『アフリカ大陸探検史』「知の再発見」双書29 創元社
初出:『Romancing History'97』前期研究レポート、1997年7月5日発行
 http://www.geocities.jp/rekiroken/yuichi-t/tanken/stanley.htm

「リフトバレーの隆起に伴い間接的に陥没した中間部分に水がたまったものであるためである。
周囲の降水量が多いため、ブルンジから流れるルヴィロンザ川を合わせたルワンダから流れてくるカゲラ川などの多数の河川が流入するが、流出河川は北部のジンジャから流れ出すナイル川しかない。
このため、ヴィクトリア湖はナイル川水系としてナイル川の長さに計上され、ヴィクトリア湖に流れ込む河川のうちで最大最長のものであるカゲラ川の、その最長の支流であるルヴィロンザ川の源流がそのままナイル川の源流とされている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%B9%96
victoria_kobayasi.jpg
(小林 三樹)


吉村和就
国際河川を巡る争い “ナイル川は誰のものか”
http://gwaterjapan.com/writings/171010-gesui.pdf

小林 三樹
国際河川ナイル川の水資源(1)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/47/5/47_23/_article/-char/ja/
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