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モンブラン~

今月の和菓子~
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『あんころもちの渋皮モンブラン』
(つぶ餡で大福生地を包んだおはぎタイプに、ホイップクリーム、モンブランクリームがたっぷり)

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『若桃大福』
(若桃の蜜煮をまるごとひと粒包んだ大福)

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一六タルト 柚子(四国・愛媛)
月見饅頭(黄身あん入り)
栗どら(刻み栗入り マロンクリーム餡)
くろどら(つぶ餡を黒糖香るふっくらしっとりと焼き上げた皮で挟んだ)

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芋ようかん
練切 里の色
雪平-すすきと雁
きんとん 実りの秋
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『どうする家康』38-41

足利義昭がかっこよかったです~
何より、秀吉の変化が凄味がありました。ムロさん本当に素晴らしかったです!
そして三成の頑なさ…残念でなりません。
要所要所で正信の活かし方が面白い

第38回「唐入り」 1008

「日ノ本の大名をひとつにするには、大きな夢を見させねばならぬ」
「狐に取り憑かれている…」

「父上様だと思って…お慕いしてもようございますか?」
「…殿下に取り憑いた狐がいると噂を耳にいたしました。我が殿にも取り憑いてはなりませぬゆえ…」
「狐を見つけたら退治しようと」

「目を覚ませ。惨めぞ、猿!」

「将軍だった頃はな…この世の一番高い山の天辺に立っているようでな。
下々の者がよく見えた。何もかもわかっておった!…そう、思い込んでおった」
「だが…実のところはまったく逆でな、霞がかって何も見えておらん。「てっぺんはひとりぼっちだ。」
「信用する者を間違えてはならんのう」

「あれにな~んも与えてやれんかったでよ。あれはもう、自分でもわからんようになっとるんだわ…
自分が本当は何が欲しかったんだか…」

第39話「太閤、くたばる」  1015

「世の安寧…など、知ったことか。天下なんぞどうでもええ。
秀頼が幸せ…なら、無事に暮らしていけるならそれでええ」
「どんな形でもええ…ひでえことだけはのう、しねえでやってくれ、のう、頼む…」
「ああ…天下はどうせおめえに取られるんだろう」

こんなめちゃくちゃにして放り出すのか!!」
「ああ、そうじゃ。なーんもかんも放り投げてわしはくたばる。
あとはおめえがどうにかせえ!」

「わしは…おめえさんが好きだったに…」

「天下を引き継いだのはそなたである」「まことに…見事であった」
「すまんのう…」
「うまくやりなされや」

何もかも欲しがるまま手に入れ、何が欲しかったかも分からなくなってしまった男が、その果てに、ぐちゃぐちゃになった天下ごと(愛息でなく)家康に全責任放り投げ死んでいく、ある種の勝ち逃げ。

40 「天下人家康」1022

「…あの子も真っ直ぐすぎる。世の中は歪んでおるものなのに」
「あの人がわやくちゃにして逝ってまったのがいかんのだわ。
最後までやりたい放題、勝手な人だったわ…」

第41話「逆襲の三成」1029

「…狸はつらいのう」
「気張れや、狸、ポンポコポーン」

ウィリアム・アダムス登場
「直江状」

「治部は損得では動かん。己の信念によって生きている。負けるとわかっていても立つかも知れん」

「うつして治る病なら…私にうつせ!!」

「わしは逆臣に仕立てられたか…」

ミネフリザワールドinたま

ミネフリたま、行ってまいりました~。天気も温かく、楽でした。
八王子
会場もすぐ近くで、のんびり開いてました。会場も通路が広くとってあって、歩きやすかったです。

最初にアイオライト500円!というのに引っかかって、ええ?安い!
タンザナイトも1,000円とか、超格安が並んでいまして。とりあえず一周してからとその場を離れました。
大体鉱物原石が半分くらいかな?
ぐるっと一回りして、ひっかかったのはビーズ屋さんとマクラメ編み。加工屋さんのところで青い翡翠の欠片。

いつもの翡翠屋さんのところで、翡翠を見ていたら、在庫処分で半額よって悪魔の囁きが(笑)
何故か話が盛り上がって話し込んでしまって。
最後にビーズ屋さんとマクラメ編みに戻って、やっぱり気になったのを買って帰ってきました。

東京国際ミネラルフェア秋@ 新宿

先週の東京国際ミネラルフェア秋@ 新宿、久しぶりに行ってきました~。
来年の干支が辰なので、龍が出てないかな~と
案の定、龍はいくつか出てました。
アクアマリンも出ていましたけど、高すぎて、目の保養

結局ひっかかったのは翡翠(笑)
けっこう翡翠屋さんが出ていて、その度にひっかかって(笑)、
黄翡翠の虎がかわいかった

でもとってもお手頃なのに最初に出会って、
青翡翠の九龍、麒麟、そして 色ものを混ぜたネックレス
そしてまた別の店で、龍と鳳凰の 翡翠のペントップ
そして 管玉のネックレス

『ラフィキ』と『Barkomo(洞窟)』

先の記事の続きに、また面白そうなアフリカ映画を紹介していたので。
『Rafiki』の監督さん、SF短編映画『Pumzi』(2009)を作った人だったんですね!
(以前、「シネマアフリカ」で公開していたけど、観られなくてyoutubeで予告観ました)
ブルギナ・ファソで、こんな映画祭が催されていたんですね。

越境するアフリカ映画 ――新たな連携をめざして(vol.3)
FESPACO2019往訪記
アフリカ最大の映画祭であるワガドゥグ全アフリカ映画祭(FESPACO)
(Festival panafricain du cinéma et de la télévision de Ouagadougou)
1969年に産声を上げたFESPACOは、2019年で26回目を数え、創設から半世紀を迎えた。
世界最貧国のひとつに数えられるブルキナファソにおいて、50年にわたり映画祭が定期的に開催されつづけてきたという事実は、かつて白石顕二が述べたように、ほとんど奇跡といっていいのかもしれない。
2019年のFESPACOには、アフリカ大陸の全土――さらにはアフリカに出自をもつディアスポラの作家たち――から寄せられた、およそ160もの作品が集まっていた。いくつか印象的な瞬間を記しておきたい。

ケニアの都市で暮らすレズビアンの恋模様を鮮やかな色彩で描いたワヌリ・カヒウ監督の『Rafiki(友だち)』*(2018年)を観ていたときのこと。会場は大入りの満員で、その半分近くは地元の観衆のようだった。ところが、女たちのセックスシーンがはじまった瞬間、彼らの多くが悪態をつきながら席を立ったのである。わたしの隣に座っていた中年の男性も「これはアフリカじゃない」と首を振りながら会場をあとにしていった。
本作はケニアで上映禁止の憂き目に遭ったと聞いていたが、映画祭でさえもこうなのか、と。同性愛をめぐる当地の状況がいかに厳しいか改めて痛感することとなった。」

「一方で、『Rafiki』と対照的に肯定的な反応を得た作品として、たとえばマリの二人の若い監督の手による『Barkomo(洞窟)』(2019年)が挙げられる。
全篇がドゴン語で撮られた世界初の長篇作品で、17世紀末のドゴン族の村を舞台に、夫の子どもを身籠もることができなかった女と、はぐれ者として暮らす男とが愛し合うに至るまでを描く。ラストシーンは、共同体からの逃避行を余儀なくされた二人が、果てしなくつづくサバンナの地平線へとあてどなく歩き出す姿を収めていた。とはいえ彼らは排斥の失意に肩を落とすのでなく、「二人で新たな村をつくろう」と未来への希望を静かにささやきあい幕切れとなる。
客席からは割れんばかりの拍手と歓声が響き渡った。」
https://www.wochikochi.jp/serialessay/2019/12/african-film-across-borders-vol3.php
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映画『Rafiki』は、日本でも『ラフィキ:ふたりの夢』として2019年11月に一般公開
https://senlis.co.jp/rafiki/
DVDが出ていて、ツタヤでレンタル可能、FOD、アマプラでも配信中

人を好きになること、幸せになること、それはこの世に生まれてきたすべてのひとに与えられたギフト。その天からの贈りものを奪うことは、誰にもできないはず。音楽、ダンス、ファッション、アート──ポップでカラフルなアフリカンカルチャーにのせて、国境もジェンダーも肌の色も、すべてのボーダーを超えて、人生を豊かにする人と人との出会いと絆を描く感動作。

ワヌリ・カヒウ 監督
ケニア、ナイロビ生まれ。 2009年、M-Net のTVシリーズ「Great Africans」の一部として、ノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイの生涯を追ったドキュメンタリー「For Our Land」(09)を制作。
同年、SF短編映画『Pumzi』(09)を、2010年にサンダンス映画祭で上映。2010年5月にカンヌ・インディペンデント映画祭で最優秀短編賞、2010年にカルタゴ映画祭で短編部門銀賞を受賞。
2008年に初監督長編映画『From A Whisper』を完成させた。
この作品は、1998年にナイロビとダル・エス・サラームで起きた、アメリカ大使館爆破事件に基づいた作品で、アフリカ映画のアカデミー賞の最優秀監督賞と最優秀作品賞、ザンジバル国際映画祭のゴールデン・ダウ賞、Kalasha映画&テレビ賞の最優秀作品賞などを受賞した。
https://senlisfilms.jp/rafiki/
https://en.wikipedia.org/wiki/Wanuri_Kahiu

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『Barkomo(洞窟)』(2019年
ブバカール・バブレ・ドラバとブカリー・オンボティンベ監督
BARKOMO (LA GROTTE) 2019
Boucary Ombotimbé,Aboubacar Bablé Draba
https://cmca-med.org/film/barkomo-la-grotte/
https://www.themoviedb.org/movie/674444-la-grotte

2019年のフェスパコで選出された、マリの若手監督アブーバカール・バブレ・ドラバとブーカリー・オンボティンベによる映画『バルコモ』は、同年、マルセイユ(フランス)のシネマ・ブリュット・フェスティバルの審査員から特別長編作品に選出された。
https://www.maliweb.net/art-culture/cinema-barkomo-le-prix-de-la-delivrance-2912268.html

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『Pumzi』(2009)
第三次世界大戦、水戦争から35年後の未来のアフリカを描いたSF映画。
カンヌ・インディペンデント映画祭で最優秀短編賞
カルタゴ映画祭で短編部門銀賞
https://en.wikipedia.org/wiki/Pumzi
https://www.imdb.com/title/tt1508328/
2010年、2013年開催のシネマ・アフリカにて上映。
2013-05-30 シネマアフリカ

さよならを言いたくて / FROM A WHISPER
★2009年アフリカ映画アカデミー賞最優秀作品賞
(ドラマ/79分/ケニア/2009年/監督ワヌリ・カヒウ)
98年ケニアの米大使館テロで行方不明になった母を探し続け心を閉ざした少女タマニと、寡黙なテロ捜査員のアブー、そしてアブーの親友でありテロ実行犯として死んでいったファリード、3人の運命が事件を中心に交錯する。
http://www.cinemaafrica.com/?p=611
https://www.imdb.com/title/tt1517185/
https://filamu.org/movie/from-a-whisper/
日本では2010年開催のシネマ・アフリカにて上映。

ジャドヴィル包囲戦

びっくりしました。

ザンビアの世界遺産からンドラを調べて、カッパーベルトを調べていたら、リカシ Likasi が出てきて、
聞いたことあるよな。と改めて調べてみたら、

2023-10-06 ザンビアの世界遺産 2
2023-10-07 ンドラ(ヌドラ)
2023-10-09 カッパーベルト

リカシ Likasi
リカシ (当時はジャドットビル(Jadotville)と呼ばれていました)の西 20 km にあるシンコロブエ鉱山 は、1943 年のマンハッタン計画情報報告書によって、これまで世界で発見された中で最も重要なウラン鉱床であると記載されていました。この鉱山からのウランは、1945 年に広島と長崎で使用された原子爆弾の製造に使用されました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Likasi

最初、シンコロブエ鉱山の旧地名と思ってしまった。なぜなら、グーグル翻訳さんがこう訳したから。
「リカシの西 20 km にあるシンコロブエ鉱山 (当時はジャドットビルと呼ばれていました) 」
でも原文を確認したら、こうなっていた。
Shinkolobwe mine, 20 km west of Likasi (then called Jadotville),

そして項目の最初にちゃんと書かれていた
「リカシ(以前の正式名: Jadotville (フランス語) およびJadotstad (オランダ語)) は、コンゴ民主共和国の南東にあるオー カタンガ州の都市」
https://en.wikipedia.org/wiki/Likasi

で、Jadotvilleを検索かけたら、
こんなものが出てきたのですよ。
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『ジャドヴィル包囲戦 6日間の戦い』2016

1960年代初頭のコンゴ動乱を背景に、圧倒的な数の敵に囲まれた国連平和維持軍アイルランド部隊の兵士たちの戦いを実話に基づいて描いた戦争ドラマ。1961年。国連はコンゴからの独立を宣言したカタンガ州に、実戦経験のないアイルランド兵150人で構成された平和維持部隊を送り込む。しかし想定外の事件が発生し、フランス人傭兵率いる現地部隊が彼らの拠点を急襲。約20倍の兵力を持つ敵に包囲されたアイルランド兵たちは、生き残りを懸けて戦い続けるが……。
「フィフティ・シェイズ」シリーズのジェイミー・ドーナンが主演を務め、「疑惑のチャンピオン」のギョーム・カネ、「キングスマン」シリーズのマーク・ストロングが共演。Netflixで2016年10月7日から配信。

2016年製作/108分/アイルランド・南アフリカ合作
原題:The Siege of Jadotville
https://eiga.com/movie/86046/

アフリカ大陸、コンゴ。圧倒的な数の敵に包囲されても、国連平和維持軍アイルランド部隊の兵士たちは、戦い抜くことを選んだ。歴史に埋もれた実話を映画化。
出演:ジェイミー・ドーナン、ギョーム・カネ、エマニュエル・セニエ
https://www.netflix.com/jp/title/80041653

リッチー・スマイス監督、ケヴィン・ブロドビン脚本による2016年のアクション戦争映画。アイルランドと南アフリカで制作された。
デクラン・パワーの著書『The Siege at Jadotville: The Irish Army's Forgotten Battle』『ジャドヴィルの包囲戦:アイルランド軍の忘れられた戦い』(2005年)に基づき、1961年9月のコンゴで行われた国連平和維持活動におけるアイルランド陸軍部隊の役割について描いたものである。

2016年ゴールウェイ映画祭(英語版)で初上映され、2016年9月にアイルランドで限定的に映画館で公開された 。2016年10月中に、Netflixで世界同時配信され、米国のいくつかのiPicシアターでも上映された。最優秀監督賞を含む3つの賞を第14回アイルランド映画&テレビ賞で受賞した。

映画は、コンゴのパトリス・ルムンバ首相が暗殺され、内戦が勃発するところから始まる。鉱物資源に恵まれたカタンガ州がモイーズ・チョンベの指揮の下で分離独立する中、国連事務総長ダグ・ハマーショルドコナー・クルーズ・オブライエンを国連平和維持活動の責任者に任命する。ハマーショルドは、私的な意見としてカタンガの危機が潜在的に第三次世界大戦の引き金になる可能性があることをオブライエンに伝え、アイルランド人外交官に攻撃行動を取るよう命じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E5%8C%85%E5%9B%B2%E6%88%A6_-6%E6%97%A5%E9%96%93%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84-

アイルランドの制作会社パラレル・フィルムズがNetflix向けに制作
撮影は 2015 年に南アフリカとアイルランドで行われた
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Siege_of_Jadotville_(film)

ジャドットヴィル包囲戦
https://en.wikipedia.org/wiki/Siege_of_Jadotville
https://gsvgws.militaryblog.jp/e1067245.html

デクラン・パワー( Declan Power)
アイルランド陸軍(アイルランド語版、英語版)の退役軍人、軍事アナリスト、作家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC

ケビン・ブロドビン Kevin Brodbin
アイルランドの脚本家
https://en.wikipedia.org/wiki/Kevin_Brodbin

『密林の慈悲』2018

それからもう一つ、紹介されていたのがコンゴの映画
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『密林の慈悲』
The Mercy of the Jungle(フランス語: La Miséricorde de la Jungle )

2019年「越境するアフリカ――新たな連携をめざして」という名のシンポジウム(主催:国際交流基金、外務省、ユネスコ)で上映

「『密林の慈悲』(2018年)は、驚くべき映画であった。
今年のFESPACOでグランプリを受賞した作品で、1998年、第二次コンゴ戦争を背景に、ジャングルに迷い込んだルワンダ軍の兵士2人が必死に原隊へ復帰しようとする苦闘のさまが、右往左往する彼らの極限の心理状態とともに綿密に描かれている。画面からほとばしるエネルギーや熱量に圧倒される90分であった。」
越境するアフリカ映画 ――新たな連携をめざして(vol.1)
映画とアフリカと日本の「私」2019.12.20 岡島 尚志
https://www.wochikochi.jp/serialessay/2019/12/african-film-across-borders-vol1.php

「1998年、第二次コンゴ戦争の争いが激しくなるなか、ルワンダ軍のグザヴィエ軍曹と若い兵隊のフォスティンは本隊からはぐれてしまい、アフリカ大陸でもっとも深いとまでいわれるコンゴのジャングルをさまようこととなる。
敵に襲われる恐怖、疲労、空腹、孤独と戦いながら、ふたりは危険なジャングルを抜け出し、本隊に合流することができるのか。極限状態における、ふたりの心の葛藤を描いたドラマ。

2019年、50周年を迎えたアフリカ最大の国際映画祭「ワガドゥグ全アフリカ映画祭(フェスパコ)」でエタロン・ドール(グランプリ)を受賞。2018年トロント国際映画祭、2018年シカゴ国際映画祭で上映。日本では初上映となる。」

2018年、フランス・ベルギー・ルワンダ、91分、フランス語・スワヒリ語
監督:ジョエル・カレケジ、プロデューサー:オーレリアン・ボディノー
キャスト:マルク・ジンガ、ステファン・バク

「2012年、この映画の脚本はダーバン・フィルム・マーケットでカナル・フランス国際(CFI)の「最も有望な」プロジェクト賞を受賞し、ルクソール映画祭では脚本賞を受賞した。そして 2013 年、ジョエル・カレケジはカンヌの「La Fabrique des Cinémas du Monde」に選出
この映画はルワンダとウガンダ(ヴィルンガ山脈)で撮影され、アクションで言及された場所と同様の風景を持つ地域で撮影されました。」
https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/media/other/2019/ticad.html
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Mercy_of_the_Jungle
https://fr.wikipedia.org/wiki/La_Mis%C3%A9ricorde_de_la_jungle

ジョエル・カレケジ Joël Karekezi 1985-
ルワンダの脚本家、映画監督、映画プロデューサー。
1994年のツチ族に対するルワンダ虐殺後の和解を描いた短編映画 『The Pardon』は、ウガンダのアマクラ映画祭でゴールデン・インパラ賞を受賞した。
2011 年に長編版『Imbabazi: The Pardon』 が制作され 、ヨーテボリ国際映画祭で上映され、その後シアトル国際映画祭(2013)、シカゴ国際映画祭、FESPACOなどの他の国際映画祭でも上映されました。
2014年ルクソール・アフリカ映画祭、ナイル川グランプリ受賞
https://en.wikipedia.org/wiki/Jo%C3%ABl_Karekezi
https://en.wikipedia.org/wiki/Imbabazi:_The_Pardon

「Imbabazi」は慈悲という意味らしい

オーレリアン・ボディノーAurélien Bodinaux(『密林の慈悲』プロデューサー/ベルギー)
ベルギー生まれ。国立舞台芸術高等学院(Superior National Institute of Performing Arts)を卒業後、米国のニューオーリンズ大学で映画専攻の修士号を取得。2002年に独立プロダクション、ネオン・ルージュ・プロダクションを設立し、ドキュメンタリーや劇映画の製作を行う。アフリカ映画には特に造詣が深い。アフリカドキュメンタリー協会(AFRICADOC)等の会員であるほか、ベルギー・フィルム・コミッションの理事を務め、世界各国の映画学校やトレーニングプログラムの講師としても活躍している。
https://www.jpf.go.jp/j/project/culture/media/other/2019/ticad.html

イドリッサ・ウエドラオゴ

そしてもう一人のアフリカのブルキナファソの監督さん
こちらは知らなかったです

「あの頃の公開作でいえば、岩波ホールではないが、
昨年亡くなったブルキナファソのイドリッサ・ウエドラオゴ監督による『ヤーバ』(1989年)や『掟』(1990年)も印象的であった。」
越境するアフリカ映画 ――新たな連携をめざして(vol.1)
映画とアフリカと日本の「私」2019.12.20 岡島 尚志
https://www.wochikochi.jp/serialessay/2019/12/african-film-across-borders-vol1.php

イドリッサ・ウエドラオゴ (Idrissa Ouedraogo, 1954年1月21日 - 2018年2月18日) は、ブルキナファソの映画監督。

1954年1月21日、オートボルタ (現ブルキナファソ) のバンフォラで生まれる。ワガドゥグーのAfrican Institute for Cinema Studiesを卒業後、1981年から映画製作を始め、1985年までに6本の短編映画を製作。同時期、キエフとパリの高等映画学院で映画製作を学んだ。
1987年、初の長編『祖国アフリカ』を発表。タオルミナ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。
1989年に発表した2作目の『ヤーバ』は第42回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品され、国際映画批評家連盟賞とエキュメニカル審査員賞を受賞した。
翌1990年には3作目の『掟』が第43回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員特別グランプリを受賞した。
1992年の『Samba Traoré』は写実的な作風が評価され、翌1993年の第43回ベルリン国際映画祭で特別表彰を受賞した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AA%E3%82%B4
https://en.wikipedia.org/wiki/Idrissa_Ou%C3%A9draogo

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『ヤーバ』Yaaba
1989年製作/フランス・ブルキナファソ・スイス合作
配給:シネセゾン
劇場公開日:1990年4月7日
「“ヤーバ”と呼ばれる老婆とひとりの少年の心の交流を描くドラマ。
ブルキナファソの小さな村に住む少年のビラは、ある日ガールフレンドのノポコと一緒にいる時に、皆から村八分にされ魔女と呼ばれているサナおばあさんと出会う。
また別の日、ビラは悪友たちがサナに石を投げつけているのを見て、父親のクグリの鶏を盗んで、慰めに出かける。そこでサナと親しくなったビラはそれ以来、彼女をヤーバ(=おばあちゃん)と呼ぶようになる。
ビラに復讐しようと機会をうかがっていた悪友たちは、ナイフで彼を脅かそうとするが、はずみでノポコの腕に突き刺さってしまい、以来ノポコは正体不明の高熱にうなされる。ビラはヤーバに助けを求め、彼女は岸の向こうに住む治療師を連れてノポコの病気を治そうとするが、クグリに止められてしまう。しかし母親のポコの機転で、ヤーバに病気を見てもらえたノポコの熱は途端に治まり、一命をとりとめる。こうしてビラとヤーバの努力は実を結ぶのだった。」
https://eiga.com/movie/50207/
https://natalie.mu/eiga/film/808984
VHSが出ていた模様。(シネセゾン) 渋谷ツタヤにあったらしい

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『掟 Tilaï』(1990)
81分 ブルキナファソ/スイス/フランス 
製作・監督/脚本:イドリッサ・ウエドラオゴ
キャスト サガ:ラスマネ・ウエドラオゴ、ノグマ:イナ・シセ、クルガ:ルキエトゥー・バリー 他

「掟に背くことは、死を意味した。それでも彼らは愛し合った」牛の角笛がデザインされたジャケットには印象的な映画のキャッチコピーが踊る。1990年にカンヌ映画祭で審査員特別グランプリを受賞したブルキナファソの巨匠イドリッサ・ウエドラオゴ監督の名作。
http://www.cinemaafrica.com/?page_id=1072
青年サガ【ラスマネ・ウェドラオゴ】が2年振りに村に戻ると、彼のフィアンセのノグマ【イナ・シセ】はサガの父の第二夫人となっていました。失意のサガは、村のはずれで一人で暮らすことに。彼を忘れられないノグマは密かにサガの元へ通うようになります。
http://moviepamphletlabo.blog120.fc2.com/blog-entry-583.html
https://eiga.com/movie/43018/
https://natalie.mu/eiga/film/800365
<日本語字幕版VHS>La collection CINE SAISON 発売元:(株)シネセゾン (株)東北新社 キングレコード(株)
これも渋谷ツタヤにあったらしい
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祖国アフリカ 1986
YAM DAABO (The Choice)
ブルキナファソ 80分
公開情報:劇場未公開・TBSで放映
「物語の舞台はブルキナファソです。サヘル国境に位置するグルガ村では、貧困が年々深刻化しています。住民は選択を迫られている。国際援助を待つか、ブルキナのより豊かな地域へ去る決断をするかのどちらかである。」
https://www.allcinema.net/cinema/13183
https://en.wikipedia.org/wiki/Yam_Daabo
https://fr.wikipedia.org/wiki/Yam_Daabo

『Samba Traoré』(1993)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Samba_Traor%C3%A9
https://en.wikipedia.org/wiki/Samba_Traor%C3%A9

センベーヌ・ウスマン監督

ではいよいよ『「本物」のアフリカ映画』という
アフリカ人の制作した映画
センベーヌ・ウスマン監督のセネガル映画『エミタイ』は名前は知っていました。
前から気になっていて観たいと思っていました。

「「本物」のアフリカ映画に出会うことはむしろ稀。
1970年代、80年代を中心にアフリカ映画を一番熱心に興行してきたのは岩波ホールだろう。
とりわけセンベーヌ・ウスマン監督のセネガル映画『エミタイ』(1971年)、『チェド』(1976年)、『母たちの村』(2004年)といった優れた作品を上映した功績は大きい。」
越境するアフリカ映画 ――新たな連携をめざして(vol.1)
映画とアフリカと日本の「私」2019.12.20 岡島 尚志
https://www.wochikochi.jp/serialessay/2019/12/african-film-across-borders-vol1.php

センベーヌ・ウスマン(セネガルの姓名は日本と同じ順序となり、センベーヌが姓。 Sembène Ousmane, 1923年1月1日 - 2007年6月9日)は、セネガルの映画監督、作家。「アフリカ映画の父」とも呼ばれた。

近代化と伝統文化の関係、抑圧に対する抵抗を主題とする。
『セネガルの息子』では農村、
『神の森の木々』では鉄道労働者とストライキ、
『ハラ(不能者)』ではエリートの腐敗、
Guelwaar(『グエルワール』) ではムスリムとキリスト教徒の対立と葛藤、
Camp de Thiaroye(『キャンプ・デ・ティアロエ』) ではフランス軍によるセネガル兵士虐殺事件、
『エミタイ』では植民地軍に抵抗するディオラ族、
『帝国の最後の男』では支配者の没落が描かれている。

女性による抵抗にも注目し、『タアウ』Taaw (1970)では一夫多妻の家庭から自立しようとする第1夫人と、その息子と恋人が登場する。
ムスリムや奴隷貿易による伝統社会の崩壊を取り上げた『チェド』では、部族の王女を中心に抵抗の精神を描いている。
『母たちの村』では女性器切除(Female Genital Mutilation)に反対する女性を主人公とし、カンヌ国際映画祭をはじめ国際的に高く評価された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Ousmane_Semb%C3%A8ne
https://fr.wikipedia.org/wiki/Ousmane_Semb%C3%A8ne
Emitai1971.jpg

『エミタイ』Emitai 1971年
配給:岩波ホール 劇場公開日:1984年3月31日
「1940年代初期、フランス支配下のセネガル南部カザマンス地方。第2次世界大戦中でフランスはドイツと戦っており、この村からも若い男性は強制的に徴兵されてしまった。
村に残っているのは長老、女性、子どもだけとなり、長老たちは祭壇に生贄を捧げ神に祈り続ける日々を送っていた。
しかし、神へ祈りは届かず、フランスから来ていた大佐から兵員用の米までも徴収すると新たに言い渡される。
ディオラ族にとって米は主食であるだけでなく、神聖なものであり、命令を拒んだ。
その結果、妻や子どもたちが人質に取られてしまう…。
「エミタイ」とは“雷神”のことであり、雷神信仰のある村を舞台にしている。」
Movies that make me think
http://kmot.blog9.fc2.com/blog-entry-631.html?sp
https://eiga.com/movie/65008/
https://en.wikipedia.org/wiki/Emita%C3%AF
https://www.imdb.com/title/tt0067048/

Ceddo1976.jpg

『チェド』:Ceddo(1976年)
配給:岩波ホール 劇場公開日:1989年8月12日
17世紀の西アフリカを舞台に、イスラム教支配に抵抗する民衆の姿を描く。
17世紀頃、西アフリカのある王国では、政治的陰謀を持つイスラム教導師(アリウンヌ・ファル)により、人々は次々と改宗させられ王国の伝統は失墜していた。そんなある日王国を憂い、イスラム化に反対し伝統を守ろうとするチェド(非改宗者)の若者(ママドゥ・ンディアイユ・ディアニュ)が、王国のディオル姫(タバラ・ンディアイユ)を誘拐する事件が起きた。
https://eiga.com/movie/46679/
https://en.wikipedia.org/wiki/Ceddo
【 #死ぬまでに観たい映画1001本】
「『黒人女…』、『MANDABI』、『エミタイ』と作品を重ねるごとにドンドンセネガルの部族間問題に近づいていった彼の集大成的な作品である。センベーヌ・ウスマンは識字率の低いセネガルにおいて、視覚メディアである映画の方が効果的であると、小説家から映画監督へキャリアを切り替えた。それ故に、この部族間闘争の話ではサイレント映画に近い技法が使われている。」
https://france-chebunbun.com/2021/07/25/ceddo/
これはなんと国会図書館にある模様。近所の図書館にもあるらしい
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010015832-00

Moolaade2004.jpg

『母たちの村』:Moolaade (2004年)
フランス・セネガル合作
配給:アルシネテラン 劇場公開日:2006年6月17日
古くから伝わるお清めの儀式として女の子は割礼を受けることが決まりとなっている西アフリカの小さな村で、この風習を廃止しようと立ち上がる母たちの戦いを描いたヒューマン・ドラマ。
第57回カンヌ国際映画祭ある視点部門・グランプリ受賞、2005年全米批評家協会賞・最優秀外国語映画賞受賞。
https://eiga.com/movie/53026/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%9D%91
https://en.wikipedia.org/wiki/Moolaad%C3%A9

【アフリカ映画研究】「母たちの村」意外とバレるかバレないかサスペンスの傑作だった件
https://france-chebunbun.com/2017/07/16/post-11709/
これはDVDが出ていて、アマゾンでも売っていて、ツタヤでレンタルやっていますね。
https://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8D%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%9D%91-DVD-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%AA/dp/B000K0YH9U

『キャプテン・フィリップス』

近年の映画で知らなかったもの。2つめ。
ちょっと探してみます~

CpPhillips2013.jpg

トム・ハンクス主演の『キャプテン・フィリップス』(2013年)(Captain Phillips)

2009年にソマリア海域で起こった海賊船による貨物船人質事件を、トム・ハンクス主演、「ボーン・アルティメイタム」「ユナイテッド93」のポール・グリーングラス監督で映画化したサスペンスドラマ。09年4月、援助物資として5000トン以上の食糧を積み、ケニアに向かって航行していたコンテナ船マースク・アラバマ号は、ソマリア海域で海賊に襲われ、瞬く間に占拠されてしまう。53歳のベテラン船長リチャード・フィリップスは、20人の乗組員を解放することと引き換えに自ら拘束され、たった1人でソマリア人の海賊と命がけの駆け引きを始める。米海軍特殊部隊の救出作戦とともに、緊迫した4日間を描く。脚本は「ニュースの天才」「アメリカを売った男」のビリー・レイ。
https://eiga.com/movie/58257/

。2009年に発生したマースク・アラバマ号乗っ取り事件でソマリア海賊の人質となったリチャード・フィリップス(英語版)を描く伝記映画であり、フィリップスとステファン・タルティによる書籍『キャプテンの責務(英語版)』を基にビリー・レイが脚本を執筆した。製作はスコット・ルーディン、マイケル・デ・ルカ、デイナ・ブルネッティである[5]。

撮影は地中海のマルタ沖で行われた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9

共演はソマリア出身で14歳の時に家族と共に米国に移住したバーカッド・アブディ。これが俳優デビューとなる。
https://filmarks.com/movies/55072

『マサイの恋人』

近年の作品の中で、知らなかったのは2つ。
ひとつはこれ
WhiteMasai2005.jpg

コリンヌ・ホフマン原作のドイツ映画『マサイの恋人』(2005年)
「Die Weisse Massai(ホワイトマサイ)」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_White_Masai

Der weiße Massai(The White Massai)
スイスのCorinne Hofmann(コリンヌ・ホフマン)原作のミリオンセラーの自伝的小説「マサイの恋人(ヴァイスマサイ )」を映画化ではスイス人女性のカローラをドイツ人女優のNina Hoss(ニーナ・ホス)が、サンブルの戦士を西アフリカ出身で当時27歳のフランス人俳優のJacky Ido(ジャッキー・イド)が演じています。
「ホワイトマサイ」のトレーラーはDie Weisse Massai trailer - youtube

Die weiße Massai by Corinne Hofmann
映画「Die Weisse Massai(ホワイトマサイ)」は日本で劇場未公開でDVDが販売されていませんが、書籍としては、映画の原作となった小説はコリーヌ・ホフマン著の「Die weisse Massai. Sonderausgabe.」のペーパーバックが日本でも販売されています。
1986年に実際に恋人とケニヤを旅行したスイスの女性が現地の男性と結婚し女児を儲けるも諸事情により1990年に帰国して書いた実話的小説だそうです。続編2冊を出版しトリロジーとしたそうですが、その後の2004年にサンブルの家族と再会を果たしたそうです。
https://zenigeba.exblog.jp/16006990/

http://www.rin-5.net/251-500/417-masai_koibito.htm

マサイの恋人
コリンヌ ホフマン (著), Corinne Hofmann (原名), 平野 卿子 (翻訳) 講談社 (2002/
生まれてからこれほど美しい男を見たことがなかった。濡れたような黒い瞳。褐色の肌。すらりと伸びた躯―二十七歳の著者は旅行先のケニアで運命的な恋に落ちる。マサイ族の戦士ルケティンガ、彼こそが生涯の恋人。すべてを捨てて再びケニアへ赴いた彼女を待っていたものは…。国境を越え、文化や言葉の壁を越え、育まれた奇跡の純愛。出会いから胸引き裂かれる別れに至る、冒険に満ちた四年間を描いた傑作ノンフィクション。

永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社 2006年
http://www.rin-5.net/251-500/416-otto_masai.htm

『コイサンマン』

『ミラクル・ワールド ブッシュマン』も聞いたことあります。
ニカウさん、覚えています
ずいぶん、続編が作られたんですね

Bushman1980.jpg

『ミラクル・ワールド ブッシュマン』(1980)
Bush Man 南アフリカ
The Gods Must Be Crazy 現在は『コイサンマン』に改題

南アフリカ・ボツワナ共和国の砂漠に居住する、当時ブッシュメンと呼ばれていたサン人の生活をコメディタッチで描いた作品。1989年には続編の「The Gods Must Be Crazy II」が制作されている。主演のニカウは日本でも人気者となり1983年に来日している。
日本での配給収入は23億7000万円で1982年の年間1位である
ボツワナのほか、ナミビアのツムクウェでも撮影された
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89_%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%B3
https://eiga.com/movie/49968/
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Gods_Must_Be_Crazy
[DVD]出てますね。
https://www.allcinema.net/cinema/23050
ポンコツ映画愛護協会
http://www1.kcn.ne.jp/~pop/spcpm/f07m/gods_must_crazy.html

『The Gods Must Be Crazy』は、ナミビアのサン農場主で俳優のナシャウ・トーマが主演する映画シリーズ

コイサンマン(ブッシュマン) 2
THE GODS MUST BE CRAZY II
1989年製作/ボツワナ
カラハリ砂漠に住むコイサンマン(ブッシュマン)の活躍を描くコメディ・シリーズの第二弾。製作はボート・トロスキー、監督・原案・脚本は「ブッシュマン」のジャミー・ユイス、撮影はバスター・レイノルズが担当。出演はニカウ、レナ・ファルジアほか。
カラハリ砂漠。ニカウと共に食べ物の収穫に出かけた彼のふたりの子供、キサとキリは、象牙の密猟者のトラックを見つけそれに乗り込むが、その時車はふたりを乗せて走り出すのだった。
https://eiga.com/movie/49969/
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Gods_Must_Be_Crazy_II

非公式映画

1990年代初頭、ナシャウは最初の2本の映画の水を得た魚のような側面を引き継いだ低予算の非公式続編3本に出演した。これらは香港で制作され、広東語で撮影され、その後他の言語に吹き替えられました。

2007 年の時点で、これら 3 つの香港映画は米国では公開されていませんが、中国ではVCD形式でリリースされています。『The Gods Must Be Funny in China』は最近、南アフリカでDVDとしてリリースされました。

コイサンマン、キョンシーアフリカへ行く
Crazy Safari (The Gods Must Be Crazy III) (1991)
クレイジー・サファリ
アフリカを舞台に、コイサイマンとキョンシーという東西のキャラクターが出会って繰り広げる騒動を描いたコメディ。
ミスマッチな設定と、ブルース・リー(本物のリーの主演映画「ドラゴン危機一髪」などのフィルムを流用している)まで飛び出すパロディ感覚が抱腹絶倒。
監督はキン・フー監督「侠女」やブルース・リーの一連の作品で武術指導を務めた後に監督に転じ、これが5作目のビリー・チャン。

イギリスに住む中国人のサム(クリストファー・チャン)は、ロンドンで御先祖様のミイラがオークションに出されるという噂を聞き、これを入手する。安らかに故郷の香港で眠ってもらおうと考えた彼は、道士(ラム・チェンイン)を呼び、ミイラをキョンシーにしてロンドンを飛び立つ。
だが飛行機がアフリカに不時着して、ニカウたちの部族とご対面することに……。
あの「コイサンマン」のニカウがキョンシーと出会うというだけでも凄いが、キョンシーとブードゥー教(ハイチの宗教なのに)呪術師のゾンビが戦うというのも凄すぎる。あとの見どころは、ブルース・リーの霊が乗り移ったニカウの演技だろうか。
撮影は全編南アフリカのヨハネスブルクで行われた
日本では「92年東京国際ファンタスティック映画祭」で上映
https://www.allcinema.net/cinema/54937
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=29927
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%81%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%8F
https://en.wikipedia.org/wiki/Crazy_Safari

Crazy Hong Kong (The Gods Must Be Crazy IV) (1993)
N!xau は誤って中国人実業家とヒッチハイクでアフリカの平原から香港の自宅まで車で向かいました。持ち前の本能と砂漠で磨かれたサバイバルスキルだけを武器に、勇敢なブッシュマンはダイヤモンド泥棒の一団を回避し、家に帰る方法を見つけようとして、次々と滑稽な事故に遭遇する。

ミラクルワールド ブッシュマン3
(ブッシュマン ニカウさん中国へ行く)
The Gods Must Be Funny in China (The Gods Must Be Crazy V)(1994) 香港
中国では神はおかしい
80年代「ブッシュマン」シリーズで人気を博したニカウ主演による、マラソン大会に出場したニカウとパンダ泥棒騒動を描いたコメディ。
ひょんな事から世界耐久スーパー・マラソンに挑戦することになったニカウさん。100メートルを10秒台で走るその脚力とバネをもってすればレースは楽勝かと思われたが、そのレースにはある秘密の陰謀が隠されていた……。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=30039
https://eiga.com/movie/49970/
https://www.allcinema.net/cinema/28602

関連映画
Jewel of the Gods (1989)
マリウス・ウェアーズとサンドラ・プリンスルーも主演した南アフリカの映画。公式には無関係ですが、最初の映画(1980年)の続編として販売されています。

There's a Zulu on My Stoep (1993)
私の踏み台にはズールー族がいる
シリーズとは無関係ですが、この映画は一部の市場でビデオで「Gods Must Be Crazy (Part IV)」として販売されました。

『There's a Zulu On My Stoep』は、国際的にはヤンキー・ズールーとして知られており、グレイ・ホフマイヤー監督による南アフリカのコメディ映画です。1993年に公開されたこの映画は、同国の興行収入史上最高の南アフリカ映画となった。[1]この映画は、レオン・シュスター(ホフマイヤーと脚本も共作)とジョン・マチキザが、アパルトヘイト時代に一緒に育った白人と黒人の二人の元友人を演じ、宝くじの当たりをきっかけに大人になって再会するが、人種差別組織に追われている。
https://en.wikipedia.org/wiki/There%27s_a_Zulu_On_My_Stoep
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Gods_Must_Be_Crazy_(film_series)

ジェイミー・ウイス Jamie Uys として知られるヤコブス・ヨハネス・ウイス( Jacobus Johannes Uys、1921 – 1996)
南アフリカの映画監督で、1980年のコメディ映画 『神々はクレイジー』とその続編である1989年の『神々』の監督で最もよく知られている。マスト・ビー・クレイジー II。ウイスは 1974 年のドキュメンタリー映画『 Animals Are Beautiful People』も監督しました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jamie_Uys

ビューティフル・ピープル ゆかいな仲間(1974)
『アニマルズ・アー・ビューティフル・ピープル』 (『ビューティフル・ピープル』とも呼ばれる)
『Animal Are Beautiful People』
ジェイミー・ウイズが脚本、製作、監督、撮影、編集した1974年の南アフリカの自然ドキュメンタリーで、アフリカ南部の野生動物についてコメディー要素を交えて描かれている。ナミブ砂漠、カラハリ砂漠、オカバンゴ川とオカバンゴデルタで撮影されました。この作品は 1974 年のゴールデングローブ賞最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞
https://eiga.com/movie/48457/
https://www.kinejun.com/cinema/view/7584

「砂漠の冒険」Lost in the Desert,LOST IN THE DESERT DIRKIE
ロスト・イン・ザ・デザート(:1969年
砂漠にひとり残された少年と愛犬の、想像をこえた冒険旅行。製作総指揮はアンドレ・ピーターセ、製作・監督・脚本はジャミー・ヘイズ、出演は実の親子でもあるジャミー・ヘイズとダーキー・ヘイズ
https://eiga.com/movie/65183/
https://en.wikipedia.org/wiki/Lost_in_the_Desert

ディンガカ Dingaka 1965
ジャミー・ユイスが脚本・監督・製作を担当した、アフリカを舞台に白人の恋と原住民の悲劇を描いたドラマ。
出演は「ナバロンの要塞」のスタンリー・ベイカー、「カンカン」のジュリエット・プライス、南アフリカ出身のケン・ガムツーほか。
ディンガカは、伝統的な部族の法律に従って娘の殺害に復讐する部族民、ヌトゥク・マクウェナの物語を語ります。彼の復讐行為により、彼は黒人に対する正義が存在しない政府の法律に基づいて裁判を受けることになる。
https://eiga.com/movie/62431/
https://en.wikipedia.org/wiki/Dingaka

ならず者一家 The Hellions 1961
ケン・アナキン監督、リチャード・トッド、アン・オーブリー、ライオネル・ジェフリーズ、ロナルド・フレイザー、コリン・ブレイクリー主演
ジャミー・ユイス出演
ハロルド・スワントンの小説を映画化したアクションドラマ。英国で作られた西部劇とでもいうべき活劇篇
南アフリカにオール・ロケ
十九世紀初頭、南アフリカの開拓地は無法者の天下であった。中でも親父のルークに率いられたマシュウ、マーク、ジョン(マーティ・ワイルド)、ジュバル(ジェームズ・ブース)達ならず者一家は開拓民たちみんなから恐れられていた。彼ら無法の一家は、力をたのんで近隣を荒しまわっては人を傷つける、手のつけられぬ連中だった。
https://eiga.com/movie/65751/
https://www.kinejun.com/cinema/view/13132
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Hellions

『アフリカ物語』

日本でもあったんですね。
羽仁進さんもお名前は聞いたことありましたがこの映画は知りませんでした。
寅さんを演じる前の渥美清さんの作品なんですね。

Bushman

羽仁進監督の『ブワナ・トシの歌』(1965年)、

片寄俊彦の同名の原作を「不良少年(1961)」以来コンビの羽仁進と清水邦夫がシナリオ化し、羽仁進が監督した、オール・アフリカ・ロケ作品。撮影もコンビの金宇満司。渥美清
東アフリカのケニアとタンガニーカの国境に、一人の日本人・片岡俊男がやってきた。日本の学術調査隊が、総合研究をするための施設を造るためにやって来たのだ。
建築技師の大岡俊男は、東アフリカのタンガニーカに学術調査用のプレハブ小屋を建てることになっていた。しかし現地で待っているはずの先輩技師は、置き手紙を残してその場を去っていた。
俊男は仕方なく、現地の青年たちを集めて作業を始めることにする。だが言葉が通じず、生活習慣もまったく異なるため、なかなか作業が進まない。困り果てた俊男は、現地でマウンテンゴリラを研究する大西博士に相談するのだったが…。
https://eiga.com/movie/39286/
https://www.allcinema.net/cinema/141639

寅さんを演じる前に、渥美清さんがタンザニアで、映画撮影のため6ヶ月過ごし、
その後、何度もタンザニア に訪れるほどタンザニアが好きだったことを、つい最近知りました。
『ブワナ・トシの歌』という、羽生進さん監督の1965年の映画です。
この作品の後、羽生さんはアフリカで動物を撮影するようになり、
渥美さんは映画、寅さんで忙しくなった。
https://5miki.jp/archives/11832
africa1980.jpg

『アフリカ物語』(1980年)
アフリカの大自然を背景に、奥地の森林地帯に不時着した小型機の青年パイロットと、森の番をする老人の孫娘との恋を描く。ストーリーよりも、生き生きと捉えられた動物たちの生態の方が見もので、動物映画の専門家S・トレバーが、監督と撮影に参加している。
https://natalie.mu/eiga/film/136026
https://eiga.com/movie/34608/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%89%A9%E8%AA%9E

『ハタリ!』(1961年)

ちょっと調べてみました。
『ハタリ!』はタイトルは聞いたことあるけど、アフリカの映画だったのですね。
『ザンジバルの西』はおどろおどろしい感じなのでしょうか?. 「ホラー」・「ミステリー」に分類されていますね。
『僕は黒人』はドキュメンタリーなのかな?
hatari1961.jpg

ハワード・ホークス監督の『ハタリ!』(1961年)Hatari!
『ハタリ!』(Hatari!、「危ない!」という意味のスワヒリ語)は、1962年に公開されたアメリカ合衆国の冒険アクション映画。
ハワード・ホークス監督、ジョン・ウェイン、ハーディ・クリューガー、エルザ・マルティネッリ出演。
アフリカを舞台に、猛獣を生け捕って動物園やサーカスに売るプロフェッショナル集団と野生動物たちとの駆け引きを、雄大なメルー山を背景に描く。
本作はテクニカラー方式で撮影され、現在の北タンザニアであるタンガニーカでロケが行われた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%BF%E3%83%AA!
https://natalie.mu/eiga/film/141100
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=7037
[DVD]が出ているらしい。
https://paramount.jp/search/detail.php?id=6905
Hatari! - Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=twlWGH9jmjc
暗闇の中に世界がある ーこの映画を観ずして死ねるか!ー
http://blog.livedoor.jp/sinumadeni-mitaieiga/archives/15731540.html
WestZanzibar1928 .jpg

無声映画トッド・ブラウニング監督の『ザンジバルの西』(1928年)、West of Zanzibar
ロン・チェイニーライオネル・バリモアメアリー・ノーラン
ロンドン、ライムハウス街のボードビル小屋に魔術師を演ずるフロスにはアンナという美しい妻があった。ところがある日アフリカから来た象牙商人クレーンが彼女を見初めてからアンナはいつかクレーンと懇ろになり駆け落ちをするに至った。その後フロソは愛妻を奪った男と顔を合わせ激しく争い、ひどく傷つきそれ以来彼は障害者の身となってしまった。何年かの後アンナは飄然トフロソのもとに帰って来た。妻の腕には幼子が抱かれていた。間もなくアンナは幼子を残してこの世を去った。
https://moviewalker.jp/mv3854/
脚本は、シャルル・ド・ボンドとキルボーン・ゴードンによる『コンゴウ』という戯曲に基づいて、エリオット・クローソンによって書かれました。ウォルター・ヒューストンは舞台で主演し、後にコンゴとも呼ばれる同じ物語の1932年のサウンド映画リメイクで再びフロソを演じた。
アフリカのジャングルの奥地。フロソは魔法のトリックを通じて、彼を「白いブードゥー教」と呼ぶ地元の原住民を支配している。
後半はタンザニアが舞台になるようです。
https://en.wikipedia.org/wiki/West_of_Zanzibar_(1928_film)
ある魔術師は、自分を麻痺させた男と、魔術師の妻との間に作った隠し子への復讐を求めている。
https://www.imdb.com/title/tt0019563/
トッド・ブラウニング「見世物」>トランプマンのマジックワールド | マジック・ラビリンス
http://www.tokyomagic.jp/labyrinth/hase/hase-07.htm
英語のDVDは出ている模様。アマプラにも
https://www.silentera.com/PSFL/data/W/WestOfZanzibar1928.html
https://www.silentera.com/video/westOfZanzibarHV.html
https://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B007XTDWS8/ref=nosim/silenerafilmsond
Preview Clip | West of Zanzibar | Warner Archive
https://www.youtube.com/watch?v=hKy_Q_Qpu7I

『コンゴ』の方では文字通りコンゴが舞台になっているようです。
「コンゴに住む四肢麻痺の「デッドレッグス」フリントは、地元原住民に少量の砂糖と酒(時には灯油の代わりに)を与えることで住民を支配している。」
ウィリアム・J・コーウェン監督、ウォルター・ヒューストン、ルーペ・ベレス、コンラッド・ネーゲル、ヴァージニア・ブルース主演
https://en.wikipedia.org/wiki/Kongo_(1932_film)
Moi_un_noir1958.jpg

フランス映画ジャン・ルーシュ監督の『僕は黒人』(1958年)、Moi, un noir
ジャン・ルーシュ監督の1958 年のフランスの民族映画。この映画の舞台はコートジボワールのアビジャン
首都アビジャンのトレイヒビル地区で仕事を見つけるために母国を出たコートジボワールの若いナイジェリア移民を描いている。
移民たちの一週間の生活を追跡し、登場人物たちの日常と彼ら自身の日常との境界線を曖昧にしている。
撮影プロセスはかなり独特でした。ジャン・ルーシュは民族誌的な主題に9 か月間[2]費やし、彼らが非常に個人的な方法で自分の物語を語れるようにし、本質的にこの分野のルールに挑戦しました。

この映画はナイジェリアの脱植民地化運動の真っ只中に公開され、おそらく西洋文化の象徴がアフリカ人の精神に浸透している性質を強く告発している。映画の編集では、トレイチヴィル周辺の西洋の特徴をアフリカで描いたものと、被験者の夢の生活に広く影響を与えているものを並行させている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Moi,_un_noir

ジャン・ルーシュ
(1917 - 2004) フランスの映画監督、人類学者。ヌーヴェルヴァーグの映画作家として知られる。
彼はフランスにおけるシネマ・ヴェリテの創設者の一人とみなされています。アフリカで 60 年以上にわたって映画製作者として活動してきたルーシュの活動は、人類学の共有という考え方によって特徴づけられました。
20 代前半のシュルレアリスム の発見の影響を受け、彼の映画の多くはフィクションとドキュメンタリーの境界線を曖昧にし、エスノフィクションという新しいスタイルを生み出しました。フランスのニューウェーブ映画製作者たちはルーシュを自分たちの映画製作者として称賛した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5
https://en.wikipedia.org/wiki/Jean_Rouch

こちらのDVDに収録されているらしい。
Eight Films By Jean Rouch [DVD]
THE MAD MASTERS (28 min) MAMMY WATER (18 min) MOI, UN NOIR (70 min)
Disc two: THE HUMAN PYRAMID (90 min) THE LION HUNTERS (77 min)
Disc three: JAGUAR (88 min) LITTLE BY LITTLE (92 min)
Disc four: THE PUNISHMENT (58 min)

アフリカ映画とは呼べない?

まだまだ知らない映画があるんですね。
この中で観たのは『ズール戦争』だけです。『エミタイ』は有名で、ずっと観てみたいと思っているのですが…
また探してみようっと

越境するアフリカ映画 ――新たな連携をめざして(vol.1)
映画とアフリカと日本の「私」2019.12.20 岡島 尚志(国立映画アーカイブ館長)

「「アフリカと映画の関係で思い浮かぶのは?」と問われて、映画好きな60代くらいの日本人――つまり「私」の世代の平均的な映画ファン――はどう答えるだろうか。
残念なことに、ごくわずかな知識や記憶しかないのが普通である。案外、最初にアフリカ映画とは呼べない作品を挙げてしまう人が多いのかもしれない。
アメリカ製娯楽映画なら、まずハワード・ホークス監督の『ハタリ!』(1961年)
無声映画ならトッド・ブラウニング監督の『ザンジバルの西』(1928年)
フランス映画ならジャン・ルーシュ監督の『僕は黒人』(1958年)といった作品、

日本なら羽仁進監督の『ブワナ・トシの歌』(1965年)、『アフリカ物語』(1980年)といったところが、まず脳裏をよぎるのである。
つまり「私」たちは、40年近く前に大ヒットした、ナミビア人俳優ニカウさん主演の『ミラクル・ワールド ブッシュマン』(1980年作品で、現在は邦題を『コイサンマン』に改めている)を懐かしく思い出したり、

比較的近年ならクリント・イーストウッド監督の『インビクタス/負けざる者たち』(2009年)に感動したり、あるいは、ロケ地に選ばれてはるか遠くの惑星の風景になる、いわば無名性を担わされたアフリカを知っている程度なのである。
もちろん「私」たちは、例えば、DVDを手にして、スタンリー・ベイカー主演の英国映画『ズール戦争』(1964年)
、コリンヌ・ホフマン原作のドイツ映画『マサイの恋人』(2005年)と、
1994年のルワンダ虐殺を描く二作『ホテル・ルワンダ』(2004年)、『ルワンダの涙』(2005年)と、
トム・ハンクス主演の『キャプテン・フィリップス』(2013年)などの間を簡単に行き来できる時代に生きてはいるが、「本物」のアフリカ映画に出会うことはむしろ稀なのである。

1970年代、80年代を中心にアフリカ映画を一番熱心に興行してきたのは岩波ホールだろう。
とりわけセンベーヌ・ウスマン監督のセネガル映画『エミタイ』(1971年)、『チェド』(1976年)、『母たちの村』(2004年)といった優れた作品を上映した功績は大きい。
あの頃の公開作でいえば、岩波ホールではないが、昨年亡くなったブルキナファソのイドリッサ・ウエドラオゴ監督による『ヤーバ』(1989年)や『掟』(1990年)も印象的であった。それらには、今思い出しても、主人公や風景の向こう側に、物語を超えた高貴で超越的な何物かが宿っていたような気がする。

そうした小さな、しかし重要なアフリカ映画ブームの後、「本物」のアフリカ映画にたくさん出会える機会を作ったのは、なんといっても関係者のただならぬ努力によってこれまで実現されてきたいくつもの草の根的なアフリカ映画祭であった。その歴史や業績については、今回のイベントのために編集・出版された冊子『アフリカ映画の世紀』(国際交流基金刊)に詳しい。ちなみに国立映画アーカイブの前身である東京国立近代美術館フィルムセンターでは、シネマアフリカ実行委員会との共催により、2010年11月に日本=南アフリカ交流100周年を記念して「シネマアフリカ2010」が開催された。1984年の「国際交流基金アフリカ映画祭」から数えて26年のその年、19番組、30作品(短篇を含む)のアフリカ映画が上映された意味は大きい。

今回のシンポジウムに先立って上映された『密林の慈悲』(2018年)は、驚くべき映画であった。」
https://www.wochikochi.jp/serialessay/2019/12/african-film-across-borders-vol1.php

岡島 尚志(おかじま ひさし)
専門分野は映画史、映画保存、フィルムアーカイブ研究。東京国立近代美術館フィルムセンターにて研究員(1979年~)、同主任研究官(1992年~)、同主幹(2005年~)を務め、2009~2011年には国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)第12代会長に就任。ジャン・ミトリ賞受賞(2016年)。2018年4月より国立映画アーカイブ館長。

ぶよお堂

輸入地図が充実していたマップハウス。
いつの間にか神田三省堂本店からなくなって、困っていたら、
いつの間にか日本橋に!マップショップが。

武揚堂って懐かしい!
地図の 専門出版社だよね。
外国の地図も扱うようになったんだ。

アフリカの地図、まとめて買いに行きました~!
ギニアとリベリアがなかった~
ナミビアとケニア買い忘れた~

グッズも色々ありました~

地図専門店「ぶよお堂」
https://www.mapshop.co.jp/


「明治30年(1897年)に創業した株式会社武揚堂の出版・書店販売部門を継承し、平成19年(2007年)に設立された会社です。
戦後より国土地理院発行の地形図の元売として全国の販売店様へ取次業務を行っております。
また、自社出版物として道路地図、地図に関する書籍や地図カレンダー、
江戸時代の地図制作者伊能忠敬が作成した『伊能図』などを刊行。」
https://www.mapshop.co.jp/user_data/about_buyodo.php

「武揚堂はもともと軍用図書出版社。
創業の際、旧幕臣で明治政府にも重用された榎本武揚(たけあき)が存命中で、社名が同じ字のため、わざわざ了承を得たと伝えられている。 」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/189055

『ターザン:REBORN』

ジョージ・ワシントン・ウィリアムズを調べていたら、『ターザン:REBORN』にぶちあたった。
え?
ジョージ・ワシントン・ウィリアムズが出てくるの?
ええ?
レオポルド2世がラスボスなの?
レオポルド国王のコンゴを舞台にしたのは面白かったですね。
最初と最後に出てくる銀行家がレオポルド2世に似ていた…
ウィリアムズさんも登場して、頑張ってターザンについて行くのもすごい。
ヌーの大群が港に押し寄せるシーンがすごかった。
空撮したという風景が素晴らしかった。
ライオンとすりすりするのもかわいかった。
敵のボスが格好よかった。『サハラに舞う羽根』のスーパーお助けマンの人ですよね。
超人的なターザンの動きもすごかった。
Tarzanreborn2016.jpg

The Legend of Tarzan 2016年
「「ハリー・ポッター」シリーズのデビッド・イェーツ監督が、エドガー・ライス・バローズの古典小説「ターザン」シリーズを原作に、ジャングル育ちの英国貴族ターザンの新たな冒険を描くアクションアドベンチャー。」

「1884年、ベルリン会議においてベルギー国王レオポルド2世がコンゴ盆地の領有権を確保し、コンゴ自由国が成立する。
しかし、コンゴの経営に行き詰まり莫大な負債を抱えたレオポルド2世は、事態を打開するため側近のレオン・ロムをコンゴに派遣し、ダイヤモンドの採掘を命じる。
ロムはコンゴ奥地の部族と接触し、族長ムボンガと「ターザンと引き換えにダイヤを渡す」という契約を交わす。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3:REBORN

ジョージ・ワシントン・ウィリアムズ--サミュエル・L・ジャクソン
首長ムボンガ --ジャイモン・フンスー

2014年6月30日からイギリス・ハートフォードシャーで撮影が開始され、10月3日に終了した。
アフリカのシーンはガボンの映像を合成し、滝と桟橋はハートフォードシャーのスタジオ内で作られた

ジョージ・ワシントン・ウィリアムズ
当時のコンゴの実態を暴露した人物。

『コンゴを支配したレオポルド2世とは「ベルギー国王レオポルド2世支配下のコンゴでは、ホロコーストのようなことが起きていた。彼は、現地人に対して天然ゴム、象牙、ダイヤモンドの過酷な採取労働を課して貿易を行った。
当時の米国は彼が行っていた現地人への残虐な行為を理解せずに、彼に資金を送っていた。
だが彼の鉄道建設の資金が底をつき、彼個人の部隊は持てなかったことから、金目当ての傭兵(ようへい)を使った。
傭兵たちは銃弾を渡されるが、動物を撃つことはできず、人(現地人)だけを撃つことが許され、その殺した人の腕を持ち帰って金を得て、また銃弾を渡されていた」
殺した人の腕を持ち帰って金稼ぎ…『ターザン』の基になった残酷な歴史
サミュエル・L・ジャクソンのインタビュー 2016年7月19日
https://www.cinematoday.jp/news/N0084339

『ホワイトハンター ブラックハート 』(1990)

『アフリカの女王』(1951)の監督さんが、映画の撮影をほっぽり出して狩りに夢中になったという実話を映画にしたというもの。
興味津々で観てみましたよ。
いやあ、味わい深い映画でした。面白かったです。
どんなにわがままで厭味な監督かと思いきや、いや、確かにわがままなんですけど、芸術家肌で、
でも憎めない、愛すべき人として描かれています。
アフリカの風景がやはり素晴らしく、象に対峙して動けなくなる様子とか、迫力でした。
地元の案内人ギブ役のBoy Mathias Chumaさんが印象的でした。
WhiteHunterBlackHeart1990.jpg

『ホワイトハンター ブラックハート 』(1990)
WHITE HUNTER, BLACK HEART
クリント・イーストウッド (監督), ジェフ・フェイヒー (出演), クリント・イーストウッド |
「映画「アフリカの女王」とその監督ジョン・ヒューストンをモデルに、“象狩り”に憑かれた映画監督を描いたイーストウッドの力作。
1950年代、黄金期のハリウッド。多くの負債を抱えながらも、自分の気に入った作品しか撮らない映画監督ジョン・ウィルソン。
新作の撮影のために、若き脚本家ピート・ヴェリルと共にアフリカへと旅立つが、ウィルソンの本当の目的は野生の象を狩ることにあった。現地人ガイドを案内に早々と象撃ちを始めるウィルソンに、脚本を進めることが出来ないヴェリルは苛立ちを隠せない。
やがて脚本が完成しないまま、現地にはプロデューサーのランダースをはじめ多くのスタッフや俳優たちがやって来るが、ウィルソンは撮影を放棄してしまう…。
 映画は、天才肌の監督のわがままさや気骨のある行状を、美しく捉えたアフリカの自然を背景にエピソードで追うだけで、そこに明確なテーマも派手な見せ場も持ち込まないが、それでいて忘れ難い魅力を放ち続けている。
多分にそれは役者としてのイーストウッドの魅力が大きいのだろうが、それは、淡々として力強い演出で作品を支えた監督イーストウッドがあればこそである。
ラストの数分間はそのイーストウッドの二つの顔が最大限に効果を発揮した名シーンとなった。「アフリカの女王」の脚本家ピーター・ヴィアテルの原作をヴィアテルとジェームズ・ブリッジス(「チャイナ・シンドローム」の監督)とバート・ケネディ(「夕陽に立つ保安官」などの娯楽西部劇監督)が共同で脚色したのも興味深い。」
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=21789

「 1989 年の夏の 2 か月間にわたって、ジンバブエのカリバとその周辺のカリバ湖、ビクトリア滝、ワンゲで撮影されました。
一部のインテリアはイギリスのパインウッド スタジオ内とその周辺で撮影されました。
映画で使用されたボートはイギリスでグラスファイバーで製造され、撮影のためにアフリカに輸送されました。」
https://en.wikipedia.org/wiki/White_Hunter_Black_Heart

2023-10-01 『アフリカの女王』(1951)

ローデシア鉄道

ローデシア鉄道もすごいけど、ンドラを通っていたというものもすごいですね。

「1907年、ローデシア鉄道(略称: RR、英語: Rhodesia Railways)の本線がンドラまで開通した。
これによって南に向けての旅客輸送は、現在のジンバブエのブラワーヨまで達し、乗り換えることによって現在の南アフリカ共和国のケープタウンまで行くことができるようになった。
鉄道はコンゴ民主共和国まで延長され、最終的にはベンゲラ鉄道によって大西洋岸にある現在のアンゴラのロビトに通じることとなった」
https://en.wikipedia.org/wiki/Ndola
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9

ローデシア鉄道建設
Rhodesia Railway Construction
https://www.britishempire.co.uk/maproom/rhodesia/rhodesiamaprailways.htm

ローデシアの進歩
Progress in Rhodesia
https://www.railwaywondersoftheworld.com/rhodesia-railways.html

CapeCairo_Wikle.png
提案されたケープからカイロまでのルートと、ローデシアとベルギー・コンゴ間の完成した区間。
The proposed Cape-to-Cairo Route and completed sections in Rhodesia and the Belgian-Congo

Reimagining Zimbabwe’s Cape-to-Cairo Railroad
ジンバブエのケープ・ツー・カイロ鉄道の再考
Thomas Wikle 2018
https://www.researchgate.net/publication/323595827_Reimagining_Zimbabwe's_Cape-to-Cairo_Railroad

現在は…
ザンビア鉄道
Ferguson1999 .jpg
(James Ferguson,1999)
ベンゲラ鉄道
angola_railway_memim.jpg
(memim.com)
タンザン鉄道
tanzan_africaintelligence.jpg
(africaintelligence)

ザンビア今昔 2

カランボ滝やムウェラ岩絵の他にも、遺跡があるんですね。
知らない遺跡ばかり~…

ザンビアの考古学と初期の歴史

初期のタイプの人類に起因する石器は、ビクトリア滝の近くと極北東のカランボ滝近くで発見されています。
1921 年のカブウェでの発掘では、10 万年をはるかに超える可能性がある、

紀元前 30 万年から 12 万 5,000 年前のものとされるブロークン ヒル マン(カブウェ人としても知られる)の頭蓋骨の化石は、この地域に初期の人類が居住していたことをさらに示しています。ブロークン・ヒル・マンはザンビアのカブウェ地区で発見された。

現在のザンビアの地域には、移住するバンツー人がこれらの地域に定住し始めた西暦 300 年頃まで、コイサン族とバトワ族が住んでいたことが知られています。
コイサン族は東アフリカに起源を持ち、約 15 万年前に南に広がったと考えられています。トワ族は 2 つのグループに分かれていました。カフウェ・トゥワ族はカフエ平地周辺に住み、もう一方のルカンガ・トゥワ族はルカンガ湿地周辺に住んでいました。
ムウェラ岩絵、ムンブワ洞窟Mumbwa Caves、ナチクフ洞窟Nachikufuなどのザンビアの古代の岩絵の多くは、これらの初期の狩猟採集グループによるものであると考えられています。

バントゥー族はもともと、現在のカメルーンとナイジェリア周辺の西アフリカと中央アフリカに住んでいました。約5000年前、彼らは数千年に渡る大陸の大部分への拡大を開始した。

ザンビア中央部では、西暦 6 世紀までに、最初の食料生産者が鉄だけでなく銅も加工していました。西暦1000 年頃までに、カッパーベルトの西端にあるカンサンシで銅のインゴットが製造されていました。これは、銅が広範囲に取引され、おそらく通貨として使用されたことを示唆しています。

"Zambia > History > Archaelology and early history"Encyclopædia Britannica Online
「ザンビア > 歴史 > 考古学と初期の歴史」 . ブリタニカ百科事典オンライン
https://www.britannica.com/topic/history-of-Zambia
https://en.wikipedia.org/wiki/Zambia
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Zambia

Kabwe_ Wiki.jpg
(Wikiより)
カブウェKabwe はザンビア 中部州およびカブウェ地区の州都
1966 年まではブロークン ヒルと呼ばれていた
1902 年に鉛と亜鉛の鉱床が発見されて設立
https://en.wikipedia.org/wiki/Kabwe
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%96%E3%82%A6%E3%82%A7
Mumbwa_prjct.jpg
(The Mumbwa Caves Projectより)
ムンブワ洞窟 Mumbwa Caves
ムンブワ地。中石器時代、新石器時代、鉄器時代に遡る遺物が出土しています。洞窟は、動物や人間の遺体が堆積した層状の原位置堆積物の源です。ムンブワは、その内部構造とともに、中石器時代の人々の行動能力の複雑さを示しています。炉などの特徴に加えて原材料の選択は、マンブワ洞窟に住むために使用されていた行動において現代的な集団であることを示唆しています

主に 2 つのクラスの特徴があります。囲炉裏と防風林は、ムンブワ中石器時代の特徴的な 2 つの特徴です。エリア I と II で見つかった炉床には、洞窟のドロマイトブロックと、石英の丸石、千枚岩、砂岩、赤鉄鉱の丸石など、地元の景観から運ばれた材料で構成される石の境界があります。エリア I には、ムンブワ洞窟の敷地内で最も保存状態の良い防風林の 1 つが含まれています。灰、堆積物、石英のデビテージ、動物の骨からなる半円弧が特徴です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mumbwa_Caves
Barham, Lawrence S. The Mumbwa Caves Project 1993-94
Mpika_ Wiki.jpg
(Wikiより)
ナチクフ洞窟 nachikufu-cave
ザンビア北東のムピカにあるナチクフ洞窟は、サン ブッシュマンが描いた岩絵
ザンビアにある後期石器時代の痕跡を展示する屋外博物館です。1940 年代の発掘調査では、人類の居住の歴史は 15,000 年前にまで遡ると推定
https://wildernessexplorersafrica.com/african-safari-destinations/zambia-safaris-tours-holidays/nachikufu-cave-zambia/
https://www.atlasobscura.com/places/nachikufu-cave

Kansanshi _mindat.jpg
(mindatより)
カンサンシ鉱山 Kansanshi_mine, Solwezi
ザンビア北西部州のソルウェジSolwezi にある大規模な銅と金の鉱山です。この鉱山はソルウェジの町から北に約14キロのところにあります。カンサンシはザンビア最大の銅埋蔵量の 1 つで、推定埋蔵量は 7 億 2,700 万トンで、銅の等級が 0.86% の鉱石です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kansanshi_mine
https://www.mindat.org/loc-15998.html

ザンビア今昔

サ ンビアは旧ローデシアだった地域で、南アフリカを調べていた時に出てきました。
リヴィングストンの探検のせいで、この地が植民地化されていった。その後セシルローズが王国を築いた場所。
今度は北からのアプローチですね。北部はコンゴとの繋がりが強くて、
2023-08-30 コンゴ今昔
からの続きになるのね。
luba_Kazembe_wiki.jpg
(Wikiより)
ルバルンダ州
ベンバ族は、ランバ、ビサ、センガ、カオンデ、スワカ、ンコヤ、ソリなどの他の関連グループとともに、コンゴ民主共和国のウペンバにあるルバ王国の不可欠な部分を形成しており、バルバ族と強い関係を持っています。ルバ王国が占領していた地域には、西暦 300 年代から初期の農民や製鉄労働者が住んでいた
ルバ王国は、中央集権的な政府と小さな独立した首長国を持つ大きな王国でした。コンゴ盆地の森林と現在のカッパーベルト州の鉱物が豊富な高原を結び、大西洋岸からインド洋沿岸まで広がる大規模な貿易ネットワークを持っていました。王国では芸術も高く評価されており、職人も高く評価されていました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zambia

ランバ族は、主にザンビアの中央州、カッパーベルト州、および北西部の州に住むバントゥー族の民族言語グループです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lamba_people_(Zambia)

ルバ族またはバルバ族は、コンゴ民主共和国の中南部地域に先住民族の言語集団です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Luba_people


ルバ王国またはルバ帝国(1585 ~ 1889 年)は、現在のコンゴ民主共和国南部のウペンバ窪地の湿地帯の草原に興った、植民地化前の中央アフリカの国家でした。
地元経済はいくつかの小さなルバ王国の発展につながりました。ルバの商人たちは、北にあるコンゴの森と、カッパーベルトとして知られる現在のザンビアの中心部にある鉱物が豊富な地域を結びつけました。ルバの領土を通過する貿易ルートは、大西洋とインド洋の両方の海岸に広がるより広範なネットワークとも接続されていました。

ルバ王国の形成により、経済は複雑になり、貴族の間で農業、狩猟、鉱山資源を再分配する貢納システムに基づいていました。支配階級は、塩、銅、鉄鉱石などの貿易品目を事実上独占していました。これにより、彼らは中央アフリカの大部分で支配を続けることができました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Luba

ルバ族の王たちは、ルバ文化の多くを発明した神話上の文化的英雄、カララ・イルンガの子孫の権利によって統治されました。
https://epicworldhistory.blogspot.com/2012/06/luba-lunda.html

ルンダ国家( 1665 年頃 – 1887 年頃) は、現在のコンゴ民主共和国、アンゴラ北東部、ザンビア北西部の国家連合でした。その中心州はカタンガ州にありました。
カタンガ南西部を通ってアンゴラとザンビア北西部に王国を広げ、東にカタンガを越えて現在のザンビアのルア​​プラ州にまで王国を広げました
18 世紀には、タンガニーカ湖の南の地域まで多くの移住が行われました。ザンビア北部のベンバ族は、17 世紀を通じてザンビアに移住したルバ族の子孫です。同時に、ムワタ・カゼンベと呼ばれるルンダ族の首長で戦士がルアプラ川の渓谷に東ルンダ王国を設立しました。
植民地時代の始まり(1884年)、ルンダの中心地はポルトガル領アンゴラ、ベルギーコンゴ自由国のレオポルド2世、そして北西ローデシアのイギリス領に分割され、それぞれアンゴラ、コンゴ民主共和国、ザンビアとなった。北ローデシアのルンダグループはイシンディとカゼンベ・カゼンビという二人の著名な首長によって率いられ、イシンディは国の北西部に、カゼンベは北東部に王国を設立した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Lunda

「すべてのルバルンダ州の中で最大の州はカゼンベは、ルバルンダ複合施設の最後の大規模拡張が行われた 18 世紀初頭に設立されました。ルンダからの移民は南東に移動し、ムウェル湖(現在のザンビア)の南にあるルアプラ川渓谷に首都を設立しました。

当初からルバルンダ諸国はアンゴラのポルトガル人と間接的に結びついており、ポルトガル人は奴隷や象牙と引き換えに布地やその他の物品を供給していた。ポルトガルの武器の援助を受けて国家を設立したカゼンベ・ルンダ族は、すぐにザンベジ川沿いのポルトガルの交易所で象牙を交換するようになりました。カゼンベは、イギリスの植民地となる 19 世紀後半まで繁栄を続けました。」
https://www.britannica.com/place/Luba-Lunda-states

Kingdom of Luba / October 15, 2018
https://thinkafrica.net/kingdom-of-luba/

カッパーベルト

カッパーベルト
カッパーベルト(英語: Copperbelt, Copper Belt)は、アフリカ大陸南部・ザンビア中部のカッパーベルト州からコンゴ民主共和国(DRC)南部の上カタンガ州にかけて広がる銅山地帯の呼称。

その名の通り銅の世界的産地。銅鉱床は始生界の古海岸線沿いに堆積した銅鉱物からなる。鉱床規模はチリのポーフィリーカッパー鉱床に匹敵する2000万t級の埋蔵量ではあるが、ザンビア・DRC両国の政治経済的混乱により世界の銅生産におけるカッパーベルトの占有率は減り続けていた。2009年現在、DRC政府の許可がおり、いくつかの鉱山が再開予定であり、銅価の回復もあって生産割合は増えると考えられる。

また、銅生産の副産物であるコバルトも重要な産出品となっており、2005年時点で世界生産量の約50%を産する。キトウェ、ンドラ、ルブンバシなどが地域内の代表的な都市

Copperbelt-R_Taylor.jpg
The Copperbelt region (map by Rachel Taylor)

伝統的に、カッパーベルトという用語には、ザンビアのカッパーベルト州(特にンドラ、キトウェ、チンゴラ、ルアンシャ、ムフリラの町)とコンゴのオー・カタンガ州、ルアラバ州(特にルブンバシ、コルウェジ、リカシ)の鉱山地域が含まれます。
バントゥー族の拡大の時から、コンゴのカタンガ地域とザンビアのカッパーベルト地域は両方とも、ランバ族にちなんで「イランバ」または「ランバランド」と呼ばれてきました。どちらの州も鉱物資源が豊富です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
https://en.wikipedia.org/wiki/Copperbelt
Copperbelt_ Wiki.jpg
(Wikiより)
銅の鉱化は 20世紀初頭に初めて発見され、1930 年代にルヤンシャで大規模な生産が始まり、ンカナ (1932 年)、ムフリラ (1933 年)、そして 1939 年のンチャンガと急速に続きました。生産量は年間 400,000 トンに達し、1960 年代半ばには年間 600,000 トンの水準を超えました。1976 年から 1977 年にかけて減少期間が続き、1996 年の最低の年間 350,000 トンまで落ちました。CACB の銅埋蔵量は合計 1 億 6,600 万トンと推定されていますが、すでに生産されている銅はその 10% 未満です。
https://www.geologyforinvestors.com/deposits-central-african-copper-belt/

リカシ Likasi
リカシ (当時はジャドットビル(Jadotville)と呼ばれていました) の西 20 km にあるシンコロブエ鉱山は、1943 年のマンハッタン計画情報報告書によって、これまで世界で発見された中で最も重要なウラン鉱床であると記載されていました。この鉱山からのウランは、1945 年に広島と長崎で使用された原子爆弾の製造に使用されました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Likasi

ンドラ(ヌドラ) 2

水上交通が興味深いです
Congo_Pedicle_wiki.png
(Wikiより )
ザンビアの水上交通>川と湿地の水路の輸送>バンウェウル湿地帯
ルアプラ川のカパララからチャンベシ川のチャンデシまで、これが 1930 年までカッパーベルトと北部州の間の主要ルートでした。第一次世界大戦の後期には、900 隻のボート (主に丸木舟) からなる船団がこの道を通って物資を運びました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Water_transport_in_Zambia
ルアプラ川
https://de.wikipedia.org/wiki/Luapula_(Fluss)
Kapalala_zambia_ggl.png
(googleより)
ルアプラでの水上交通
1940 年代後半まで、カパララからバンウェウル湖、チャンベシ川までのルアプラ上流は、当時の北ローデシアの河川交通にとって最も重要な区間の 1 つでした。
商品はンドラ北10キロメートル(6.2マイル)のサカニアの鉄道始点からカパララまで陸路で運ばれ、丸木舟や小型ボートに積み込まれた。
第一次世界大戦中、1885 年のこのような船団が物資をチャンベシに輸送するために使用され、そこから東アフリカ遠征のためにムバラまで軍用道路を走行しました。
chandesi_ggl.png
(googleより)
ルアプラ川は、コンゴ川の一部分です。
この川は、ほぼ全長にわたってザンビアとコンゴ民主共和国との国境の一部を形成する国境を越えた川です。
バングウェウル湖(ザンビア) とムウェル湖(両国間で共有)を結ぶ
バングウェウル湖とその湿地を排水し、そこにコンゴ川の源流であるチャンベシ川が流れ込みます。
探検家のデビッド・リヴィングストンが犠牲を払って発見したように、2 つの川と湖を結ぶ単一の明確な水路はなく、移動する水路、ラグーン、沼地の塊が存在することを発見しました。(彼はその地域を探索中に亡くなった)
https://en.wikipedia.org/wiki/Luapula_River
Luapula_Chambeshi_wiki.jpg
(Wikiより )
チャンベシ川
コンゴ川の源流として (長さ的に)最も遠いため、コンゴ川の源流と考えられています。
タンガニーカ湖近くのザンビア北東部の山々を、海抜 1,760 メートル (5,770 フィート) の標高で小川として流れています。この川は、バンウェウル湖の一部であるバンウェウル湿地に 480 km にわたって流れ込みます。5 月の雨季の終わりまでに、川は洪水を引き起こし、湿地を涵養し、南東のザンベシアの草原を浸水させます。その後、水は湿地からルアプラ川として流れ出ます。
笠間市の東に流れる全長 100 km 以上にわたって、この川は幅約 2 km の湿地と最大幅 25 km の氾濫原にある迷路のような水路で構成されています。
https://de.wikipedia.org/wiki/Chambeshi
https://en.wikipedia.org/wiki/Chambeshi_River

ンドラ(ヌドラ)

実はここはけっこう重要な銅山地帯の真ん中なんですね。
ルバルンダ王国から移住…コンゴのカタンガ地方、近いですものね。国境すぐ近くだし。
ローデシア鉄道が通っていた? すごい!
でもまた知らない地名が…カパララってどこ? ルアプラ川? チャンベシ川? ブワナ・ムクブワ? カフブ川?

Copperbelt_ Wiki.jpg
(Wikiより)
ンドラ(ヌドラ)( Ndola)は、ザンビア中部のカッパーベルト州の州都。 首都ルサカ、キトウェに次いで3番目に人口が多い。
同国の銅の産地であるカッパーベルト州の工業、商業、行政、流通の中核都市

ンドラの起源は古く、かつてはアラブ人による奴隷交易の中心地であった

現在のヌドラには、上級酋長チワラ(Senior Chief Chiwala)が率いるランバ族(Lamba people)が最初に住んでいた。
ランバ族は 1600 年頃にルバルンダ王国から移住してきた。
ヌドラの町はしばらくムシリ酋長(Chief Mushili)の統治下にあったが、現在は来日したチワラ酋長(Chiwala)の指揮下にある。
かつてマラウイとの奴隷貿易中にランバランド(Lambaland)となった。

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(Wikiより)

ンドラの町は、リヴィングストンのわずか半年後の1904 年にジョン エドワード "チリプラ" スティーブンソンによって設立され、ザンビアで 2 番目に古い植民地時代の町となっています。
ボマ(Boma 囲い・小さな砦 )および交易所として始まり、今日の行政および貿易の中心地としての基礎を築きました。

1907年、ローデシア鉄道(略称: RR、英語: Rhodesia Railways)の本線がンドラまで開通した。これによって南に向けての旅客輸送は、現在のジンバブエのブラワーヨまで達し、乗り換えることによって現在の南アフリカ共和国のケープタウンまで行くことができるようになった。
鉄道はコンゴ民主共和国まで延長され、最終的にはベンゲラ鉄道によって大西洋岸にある現在のアンゴラのロビトに通じることとなった

1930 年代に道路網が構築されるまでは、ンドラからルアプラ川沿いのカパララまでの陸路と、そこからチャンベシ川までのボート輸送が北部州の主要な交易路であり、結果的に北部州はンドラの後背地の一部を形成していました。
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(googleより)
ンドラには鉱山は無いものの、市の中心部から南東に10km離れたBwana Mkubwa(ブワナ・ムクブワ)には、露天掘りの鉱山がある。また、カッパーベルト州全域から、銅と貴金属がその加工のためにンドラ銅精錬所やンドラ貴金属精錬所に運ばれてきていた。銅の輸出は、ザンビアの貿易収入の70~80%を占め、ンドラはザンビア経済にとって重要な町となった。

ンドラにはキトウェからカブウェ、ルサカを経由してリヴィングストンに達するザンビア国鉄が通っており、旅客と貨物の輸送が行われている。
また、カッパーベルト州の各都市とを結ぶ貨物線や、ンドラからコンゴ民主共和国のサカニアを通ってルブンバシまでの貨物線もある。
ンドラからコッパーベルト州第2の都市キトウェまでは片側2車線以上の道路が整備されており、ムフリラやルサカへの道路も舗装されている。
ンドラ空港からは、ルサカへの国内線のほか、ヨハネスブルグやダルエスサラームへの国際線が就航している。
ンドラにはダルエスサラームからのパイプラインが届いており、インデニ石油精製所が終着点となっている。
これらのインフラが、ンドラをカッパーベルト州あるいはザンビア北部における流通の拠点たらしめている。

この都市には、ケープからカイロまでの鉄道の運行区間が通っていた。
鉄道運営会社ザンビア鉄道はヌドラに鉄道駅を維持しており、北西のキトウェ市と南のカブウェ、ルサカ、リヴィングストンの都市への旅客と貨物のサービスを行っています。
貨物鉄道線 (ケープからカイロまでの鉄道) は、他のカッパーベルトの町と、ンドラからサカニアを経由してコンゴ民主共和国のルブンバシまで運行しています。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9
https://en.wikipedia.org/wiki/Ndola
ザンビアの鉄道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
ベンゲラ鉄道-アンゴラの大西洋岸にある港町ロビトとコンゴ民主共和国のルアラバ州を結ぶ鉄道。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%A9%E9%89%84%E9%81%93

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ブワナ・ムクブワ
https://www.mindat.org/loc-4346.html

ブワナ・ムクブワ(またはブワナ・ムクブワ、「大きな酋長」、または「偉大な達人」の意味) は、ザンビアのカッパーベルト州にある集落および鉱山です。これはザンビアのカッパーベルト地域で最も古い鉱山

ブワナ・ムクブワでの銅鉱石の生産は古代から行われています。ブワナ・ムクブワやカンサンシやキプシなどの他のカッパーベルト地域では、14 世紀か 15 世紀には採掘作業が行われ、その後の数世紀にも採掘作業が行われたという歴史的証拠があり、ヨーロッパからの鉱山探検家の興味を呼び起こしました。

1902 年に開坑されたブワナ ムクブワ鉱山は、ザンビアのカッパーベルト地域で最も古い鉱山です。ローデシア・カッパー社によって発見された。ロンドンに登記されたブワナ・ムクブワ銅鉱山会社は 1910 年に設立
https://en.wikipedia.org/wiki/Bwana_Mkubwa
8- D. W. Phillipson (1977). The later prehistory of eastern and southern Africa. Africana Pub. Co.

Bwana Mkubwa, Copperbelt Province, Zambia
https://www.mindat.org/feature-921133.html
Bwana M'Kubwa Mine (Bwana M'Kubina Mine), Ndola District, Copperbelt Province, Zambia
https://www.mindat.org/loc-4346.html


“ンドラ市の名前の由来”
ンドラという名前は、カロコ丘陵に源を発しカフブ川に注ぐ川に由来。
カ・ンドラ川 the Ka Ndola stream
https://paulshalala.blogspot.com/2016/11/how-city-of-ndola-got-its-name.html

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(Wikiより)
カフブ川は、ザンビアのカッパーベルト州にある川です。この川はンドラから始まり、市の主要エリアを西に貫いてレヴィ・ムワナワサ・スタジアムとマサラの間のエリアに入り、その後マサラの後で南に曲がり、ルアンシャ地区とマセイティ地区を通ってカフエ川に合流
https://en.wikipedia.org/wiki/Kafubu_River_(Zambia)

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(Wikiより)

カッパーベルト
カッパーベルト(英語: Copperbelt, Copper Belt)は、アフリカ大陸南部・ザンビア中部のカッパーベルト州からコンゴ民主共和国(DRC)南部の上カタンガ州にかけて広がる銅山地帯の呼称。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
https://en.wikipedia.org/wiki/Copperbelt

ザンビアの世界遺産 2

暫定リスト 続き
「ダグ・ハマーショルド記念碑(墜落現場)」がリストにあるのが驚きましたが、ちょっと興味深いです

ザンベジ水源 Zambezi Source 2009年
The Zambezi Source National Monument
ザンベジ 水源国定公園は、ザンビア北西部州のムウィニルンガ地区にあります。
ザンベジ川の源流自体は、ムカンガラ地域のムウィニルンガの北西約 53 キロメートルに位置
この場所は、世界で植物の固有性が高い地域の 1 つであるため、植物保護区に指定されています。この植物保護区は国際生物学計画のセクション CI に登録されており、ザンビアの主要な植生タイプの最も保存状態の良い 50 の植物保護区の 1 つに選ばれています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5427/

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(Wikiより)

バローツェの文化的景観 The Barotse Cultural Landscape 2009年
西部州。バロツェの風景は、10 月から 5 月の雨季の最盛期にザンベジ川の水が堤防を決壊させ、運河の網目によって切り取られた緩やかな起伏のある地形を持つ広大な開けた土地
ブロジ平原、リオンド、またはザンベジ氾濫原としても知られ、アフリカの偉大な湿地の 1 つ
ザンベジ川と北のカボンポ川およびルンウェブング川の合流点から、南約 230 km のセナンガ南のンゴニエ滝の上の地点まで広がっています。
洪水と高台地域の組み合わせにより、伝統的な人間の居住地と土地利用のための自然な基盤が提供され、その上で有名なクオンボカの儀式が長年にわたって維持されてきました。
クオンボカの儀式は、先祖代々の風景をテーマにした毎年恒例の行事です。クオンボカという用語は「水から現れる」を意味します。毎年雨季になると、平原が完全に水浸しになると、リトゥンガ (国王) とすべての平野住民は、伝統的な音楽と踊りのオーケストラに伴われて華やかな儀式を行い、伝統的なリールイと同様の首都であるリムルンガの高地まで航海します。平地にスタンドが設置されています。平野内に住んでいる人たちも、洪水のために高台に引っ越します。

1800 年代初頭から継続的に居住されてきました。リトゥンガ (王) の 2 つの宮殿、1 つは平原 (リールイ) に、もう 1 つはリムルンガとして知られる高地にあり、村、運河、野原、およびその神聖な埋葬地は、社会とその社会を驚くほど無傷で物理的に表現しています。精神的および物質的な文化。神話と華麗な儀式に彩られた世界的に有名なクオンボカの儀式は、ロジ族の毎年恒例の変容を特徴づけています。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5428/
バロツェランド
https://en.wikipedia.org/wiki/Barotseland
バロツェ氾濫原
https://en.wikipedia.org/wiki/Barotse_Floodplain
バローツェ氾濫原 Barotse Floodplain: 最新の百科事典
https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/barotse-floodplain
ザンベジ川上流 ・バロツェ氾濫原の土地資源とその利用
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arp1982/22/22-suppl/22_22-suppl_115/_pdf/-char/en
ンゴニエ滝
https://it.wikipedia.org/wiki/Cascate_Ngonye
クオンボカ
https://en.wikipedia.org/wiki/Kuomboka
リールイ (リアルイ)Lealui(Lialui)
https://en.wikipedia.org/wiki/Lealui
リムルンガ
https://en.wikipedia.org/wiki/Limulunga
Barotse_zmb_WikiGH.png
(Wikiより)

ダグ・ハマーショルド記念碑(墜落現場)1997年
Dag Hammarskjoeld Memorial (Crash site)
1961年9月17日にコンゴ共和国(現在のザイール)に平和をもたらす任務中に当時の国連事務総長(1953年~1961年)だったダグ2世が殺害された飛行機事故の現場を記念している。
現場はザンビアのカッパーベルト州のンドラから10kmに位置
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/867/
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(Wikiより)
元国連事務総長 ダグ・ハマーショルド
https://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/secretariat/secretary-general/list_sg/hammarskjold/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%89
https://en.wikipedia.org/wiki/Dag_Hammarskj%C3%B6ld

1961年国連チャーター機墜落事故
1961年9月、コンゴ動乱の最中において、戦闘目的ではなかった筈の国連部隊とモイーズ・チョンベを首相とするカタンガ共和国の兵力が交戦に陥ったことを受け、国連事務総長ダグ・ハマーショルドが停戦交渉に向かおうとしたところ、9月18日、ローデシア・ニヤサランド連邦のンドラ(2018年現在のザンビア)付近で乗機が墜落した。ハンマルフェルドを含む乗客乗員16名全員が死亡した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1961%E5%B9%B4%E5%9B%BD%E9%80%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

ザンビアの世界遺産

ザンビアの世界遺産といえば、有名な「ビクトリアの滝」だけだけど、
暫定リストには色々ありますね。

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(Wikiより)
モシオアトゥニャ / ビクトリアの滝(1989)
Mosi-oa-Tunya / Victoria Falls
the Mosi-oa-Tunya National Park (Zambia),
Victoria Falls National Park (Zimbabwe)
ザンベジ川中流部にある滝。幅2キロメートル、落差108メートルの大瀑布で、ジンバブエ共和国とザンビア共和国の国境に位置
かつて地元のバントゥー系民族はこの滝を Shungu na mutitima (「沸騰する水」)と呼んでいた。
その後にこの地にやって来たマタベレ族 (Matabele) は aManz' aThunqayo と呼んだ。
バツワナ人 (Batswana) とマコロロ人 (Makololo) は「雷鳴の轟く水煙」という意味の「Mosi-oa-Tunya」と呼んでいた。

滝の周囲では、300万年前のホモ・ハビリスの石器、5万年前(中石器時代)の道具、そして1万2000年前(新石器時代)の武器、装飾品、掘削用具が出土している。
やがて鉄器を使い狩猟採集生活をするコイサン語族が現れ、それはさらにバントゥー系民族に取って代わられた。
https://whc.unesco.org/en/list/509
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%BB%9D
https://en.wikipedia.org/wiki/Victoria_Falls
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(google mapより)

暫定リスト
https://whc.unesco.org/en/statesparties/zm

カランボ滝遺跡(先史時代の居住地)1997年
Kalambo falls archaeological site (prehistoric settlement site)
カランボ滝の先史時代の集落は、北部州ムバラ地区の北西約 30 キロメートルに位置しています。
この遺跡は 1956 年から 1959 年にかけてジョン デズモンド クラーク教授によって発掘されました。
湖底で行われた発掘調査により、初期石器時代から鉄器時代に至る一連の石器時代が露出し、そのほとんどが生きた床で層状になっていたことが明らかになった。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/868/

カランボ滝 Kalambo Falls 2009年
アフリカで 2 番目に深い滝として知られているだけでなく、考古学的資源が豊富な文化遺産としても知られています。
深さ 221 メートルの滝が途切れることなく続きます。
この滝はタンガニーカ湖の南東隅近くのタンガニーカ地溝帯断崖の端、標高1150メートルに位置し、ザンビア北部のムバラ地区から約35キロ北にあります。
カランボで長年にわたって行われた考古学的作業の結果、現在、南部アフリカのどの遺跡よりも最も完全で途切れることのない文化史の階層的な順序と、約 6 万年から現在に至るまでの継続的な記録が存在します。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5426/
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(Wikiより)

チルンドゥ化石の森Chirundu Fossil Forest 2009年
南部州 The Chirundu Fossil Forest National Monument
チルンドゥ化石の森国定記念物には、カルー時代の化石化または石化した木の幹が含まれています。
ザンビア南部州グウェンベ地区のシクオンゴ酋長の慣習地に位置し、ジンバブエとの国境を形成するチルンドゥ国境からは21キロメートルに位置する。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5424/
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(google mapより)

ムウェラの岩絵 Mwela Rock Paintings 2009年
ザンビア北部 ムウェラ岩壁画国定公園‘Mwela Rocks National Monument
ムウェラの岩絵は、カサマ市から約 5 km の場所にあり、ムワンコレ、スミナ、ムルンドゥ、フワンボ、チャンガ ムウィブウェの東方向の岩の露頭と、町から 10 km の西方向のルウィンボの岩の露頭を取り囲んでいます。絵画は後期石器時代に関連しています。
岩石の露頭には 1,000 点を超える絵画が記録されている。
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5425/
https://en.wikipedia.org/wiki/Mwela_Rock_Paintings
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(google mapより)

47.6万年前の木造構造物発見 ザンビア

おお~!
それなりに以前から調査されている遺跡なんですね。

47.6万年前の木造構造物発見 ザンビア
2023年9月21日
ザンビア・カランボ滝近く
「【9月21日 AFP】アフリカ南部ザンビアで、約47万6000年前につくられた世界最古の木造構造物が見つかった。化石人類がこれまで考えられていたよりも高度な知能を持っていた可能性があるという。

 論文は20日、科学誌「ネイチャー(Nature)」に掲載された。
見つかったのは大きな丸太2本で、北部のタンザニアとの国境近くにある落差235メートルのカランボ(Kalambo)滝のすぐ上流の川辺で出土した
 現生人類ホモサピエンスが出現するはるか前の少なくとも47万6000年前につくられたものだが、保存状態は極めて良いという。
 丸太には、これを組み合わせるために石器で付けられた切り込みがあった。ぬれないように作られた足場か通路、水上家屋の一部だったと考えられる。
 木で作られたくさびや穴を掘る道具なども周辺から見つかった。
 当時の人類の祖先は木を利用していたことは知られていたが、火をおこすときや狩猟など、用途は限られていたと考えられていた。
 英リバプール大学(University of Liverpool)の考古学者で論文の筆頭執筆者であるラリー・バーラム(Larry Barham)氏はAFPに、知る限りでは、これまで発見された最古の木造構造物は約9000年前のものだったと述べた。
 バーラム氏によると、今回発見された構造物は2019年にカランボ川の河原で発掘している際に「偶然」発見された。
 木は腐敗して痕跡が残りにくいため、これほど古い木材の発見は珍しい。
 川の水位が高かったため、何万年にもわたり保存されていたと考えられる。
 バーラム氏によると、この地域では70万~20万年前に生存していたとされる「ホモハイデルベルゲンシス」の化石が見つかっている。木造構造物の発見で、ホモハイデルベルゲンシスに対する見方が変わったとしている。
「川辺で雑用をするために座る場所を作っただけだとしても、生活を楽にするために身の回りの環境を変えた」ことが分かると述べた。
 これは理論的な思考と、おそらく「言語」もあったことを示唆しているという。(c)AFP/Juliette Collen」
https://www.afpbb.com/articles/-/3482576
https://www.nature.com/articles/s41586-023-06557-9

カランボ滝
「アフリカのザンビアとタンザニアの国境における滝で、タンガニーカ湖南端に位置する。
落差はヴィクトリアの滝の2倍の235メートルで、アフリカ第2位(第1位は南アフリカのTugela Falls)。 」
カランボ滝は、ザンビアとタンザニアの国境を形成するカランボ川の下流にある
滝の上には、カランボ滝先史遺跡として知られる遺跡があります。
「考古学的に、カランボ滝はアフリカで最も重要な遺跡の 1 つです。
それは、25 万年以上にわたる過去の人間の活動の連続を生み出し、初期石器時代後期から現代に至るまで継続的に居住していた証拠があります。
1953 年にジョン デズモンド (JD) クラークによって初めて発掘されました。彼は、滝の上流にある小さな盆地湖周辺の考古学的活動を認識しました。1953 年、1956 年、1959 年、1963 年の発掘調査により、クラークは数千年にわたってこの地域に生息する複数の異なる文化について結論を下すことができました。

1964 年、この遺跡はザンビア国家遺産保護委員会によって国定記念物として官報に掲載されました。それ以来、1989 年のザンビア国家遺産保護法に基づいて保護されています。

2009 年に、カランボ滝はユネスコの暫定世界遺産リストに登録されました。含まれる理由としては、カランボ滝がアフリカで 2 番目に高い滝であること、サハラ以南のアフリカで人類が最も長く居住していた例の 1 つであることの証拠であること、および収集された石器が世界最古の工具産業の 1 つである、アシューリアン。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Kalambo_Falls
https://whc.unesco.org/en/tentativelists/5426/
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(wikiより)
カランボ (遺跡)
「ザンビアのカランボ滝近くの遺跡。
滝の周囲には約 25 万年前から人が住んでおり、重要な考古学的遺跡となっている。
ジョン・デズモンド・クラークによって1953 年に開始された発掘では、アシューリアの石器や、木製のこん棒や掘削道具などのその他の道具が発見された。
炭素測定により、発見物は最長年齢制限の 50,000 年を超えていることが証明され、加工された木材の残骸は発光年代測定により約 476,000 年前であることが判明した。
同じ木の発見物には火を使った作業の痕跡が見られる。
最近の発見では、アシュラン技術の後にサンゴアン技術が引き継がれたことが示されている。
そしてコンゴ川流域に生息するものに関連するルペンバナ。マゴス文化(約 10,000 年前) とウィルトン文化が続いた。
バントゥー族がこの地域に定住したのは紀元前 4 世紀頃になってから。」
https://it.wikipedia.org/wiki/Kalambo_(sito_archeologico)
https://en.wikipedia.org/wiki/Kalambo_structure

『アフリカの女王』

原作本
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アフリカの女王 (ハヤカワ文庫 NV 191)
The African Queen (1935年)(Cecil Scott Forester、1899 - 1966)
セシル・スコット・フォレスター (著), 佐和 誠 (翻訳) – 1979
「いつ壊れてもおかしくない小型船による決死の川下り。それは、アフリカの奥地で布教に一身をささげていたローズの兄を死に追いやったドイツ軍への復讐の旅でもあった。」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2ZYC9HI7S46ZT/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4150401918

設定はドイツ領東アフリカ(現在のブルンジ、ルワンダ、タンザニア)になっていて、「アフリカの女王」号はベルギーの鉱山会社が所有し、航行しているのは、ウランガ川という。そしてボラ川という川はなさそう。
ウランガ川(キロンベロ川)はタンザニアのモロゴロ地方南西部の高地、東アフリカ地溝帯の東斜面に源を発しています。この川はリンディ地域の北東境界に沿って北東に流れ、その後ルフィジ川に流れ込む。ルフィジ川は最終的にプワニ地域の南海岸でインド洋に流れ込む。(https://en.wikipedia.org/wiki/Ulanga_River)
(https://de.wikipedia.org/wiki/Kilombero_(Fluss))
そしてドイツの砲艦が停泊していた湖はタンガニーカ湖。
マラガラシ川というのがタンガニーカ湖に流入する川の中で最大の流域を持っていて、モデルはここではないかと言う意見があるよう。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Malagarasi_River)
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B7%E5%B7%9D)
(https://qa.answers.com/movies-and-television/Is_the_Ulanga-Bora_River_in_The_African_Queen_real_and_where_are_the_Ulanga_and_Bora_Rivers)

セシル・スコット・フォレスター(Cecil Scott Forester、1899 - 1966)
「海軍をテーマとした冒険小説で有名なイギリスの小説家。ナポレオン・ボナパルトのころの海戦を描いた、11巻からなるホーンブロワーシリーズで最も知られている。また、『アフリカの女王』(1935年)はジョン・ヒューストンが1951年に映画化した。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC

『アフリカの女王』(1951)

ベルギー領コンゴ時代にあの地に行って、後にピグミーを研究したターンブル氏が手伝ったという運命的なお仕事で、コンゴで撮影しているというので、観てみました。
おお~! これがコンゴ川か~!すごい!ホントにあちこちに急流やら滝がある!
沼沢地が見事!どこだろう?

復讐劇だというので期待していたら、え? なんか全然違う方向に…?
無理やり恋愛ものにしている?
何も食べなくても必ず紅茶を飲むのが面白い。
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『アフリカの女王』(1951)
THE AFRICAN QUEEN

「第一次大戦下の東アフリカ。船長チャーリーと宣教師の妹ローズを乗せた蒸気船“アフリカの女王”号は河を下っていくが、彼らの行く手には激流や大瀑布、そしてドイツの戦艦が待ち受けていた! 
C・S・フォレスターの冒険小説を、H・ボガートとK・ヘプバーンという見事なキャスティングでJ・ヒューストンが映画化した傑作ロマン活劇。
船上で繰り広げられる二人の芝居から、クライマックスの敵の砲艦襲撃シーン、そしてラストシーンの意表を突く展開まで、いろいろな意味で目を離させない面白さだ。
後年、この作品と監督J・ヒューストンをモチーフにクリント・イーストウッドが手掛けたのが「ホワイトハンター ブラックハート」である。」
https://www.allcinema.net/cinema/1132

「1914年。ドイツ領コンゴのある村がドイツ軍に略奪される。村で宣教師をしていた兄を亡くしたローズは、蒸気船・アフリカの女王号の船長・チャーリーに助けられる。彼は戦争が終わるまで仕事を休もうと考えていたが、ローズはドイツ軍への復讐に燃えていた。」https://filmarks.com/movies/18959

『ホーンブロワー』シリーズでつとに有名な、海洋冒険小説の大家、セシル・スコット・フォレスター(C・S・フォレスター)の同名の原作を、ジョン・ヒューストンが映画化した。
ハンフリー・ボガートは、この作品で念願のアカデミー主演男優賞を受賞した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B

「ドイツ領東アフリカ。イギリス人宣教師ローズの兄がドイツ兵による略奪行為の際に命を落とす。妹ローズは飲んだくれの男チャーリーが操縦するオンボロ蒸気船“アフリカの女王”号に乗り込み、現地を脱出。川を下るチャーリーとローズは沿岸のドイツ砲艦を手製の魚雷で撃沈しようとたくらむ。しかしその途中、銃撃や急流といった数多の難関が待ち受けていた!」
https://eiga.com/movie/3650/

「映画の大部分はアフリカのウガンダとコンゴでロケ撮影」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_African_Queen_(film)

「リアリズムを追求するべく、アフリカで本格的なロケを敢行したこの映画の撮影は困難を極めた。
天候不順でセットが流され、体調悪化や病気で倒れる出演者やスタッフが続出したため、撮影は長引いた。
しかし、監督のヒューストンは撮影を軽視してハンティングに入り浸るなど消極的な態度を見せた。
キャサリン・ヘプバーンはこの時の監督の態度を快く思わず、後年『アフリカの女王とわたし』という本を出版して彼を批判した。
また、ロケに同行した脚本家のピーター・ヴィアテルも、この時の体験を元に小説『ホワイトハンター ブラックハート』を書いている。
これはクリント・イーストウッドの監督、ヴィアテル本人も脚本に参加して映画化された。ヒューストンがモデルの映画監督ジョン・ウィルソンはイーストウッド自身が演じた。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B

実は前年に『キング・ソロモン』(1950)がアフリカ・ロケ(ケニア、ウガンダ、コンゴなど)で
「この後も「キリマンジャロの雪」(1952)(ケニア)、
「モガンボ」(1953)(ベルギー領コンゴ・タンガニーカ・英領ケニア・ウガンダ)等の
アフリカが舞台となる映画が続々と製作されるようになった」そうなのだ
ちょっとしたアフリカロケブームだった?

2013-03-03 キング・ソロモン(1950)

2023-05-14 コリン・マクミラン・ターンブル
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アシーン

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