2012-10-04
ハルツームのゴードン4(追記)
それから、『ヴィクトリア朝偉人伝』
( リットン・ストレイチー 中野康司訳 みすず書房 2008)
これが一番詳しく、
スーダン撤退派と帝国主義派とが画策し、
帝国主義派と新聞が画策した可能性と、
アフガニスタン情勢との絡みもあったとか…。

(Lytton Strachey、 Eminent Victorians
: Cardinal Manning, Florence Nightingale, Dr. Arnold, General Gordon (1918)
これは初の完訳だそうで、
マニング枢機卿、ナイチンゲール、
トーマス・アーノルド、チャールズ・ゴードン将軍の4人。
今まで、以下のものが出ていたのみと。
平田禿木訳 『ゴルドン将軍の死』 アルス 1940年
堀大司訳 『ゴードン将軍の最期』 白水社、1941年、詳細な訳注。
日高直矢訳 『ヴィクトリア朝時代の秀れた人々』 福村書店、1950年
※ゴードン将軍、ナイチンゲールのみ邦訳。
ゴードン将軍、人気ものなんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B
<本書『ヴィクトリア朝偉人伝』は〈伝記を変えた伝記〉と絶賛され、
久しく伝記文学の古典の位置を占めてきた。
それぞれヴィクトリア朝を代表する偉人たち
――行動的な女性・教育者・軍人・聖職者の人生の軌跡を簡潔かつ辛辣に描いた本書>
(追記)
リットン・ストレイチーによると、
ゴードンの母は,地球の果てまで何度も渡海した貿易商人の末裔。
ゴードンを突然、国民的英雄に押し上げた原動力となったのは、
「ペル・メル紙」だった。
不思議なことに、派遣の前、突然、「ペル・メル紙」の社説と記事が、
ゴードンのハルトゥーム派遣を呼びかけ、
ロンドンの他の新聞も地方紙も、一斉に大合唱を続けたという。
新聞に載ったゴードンのインタビューと手紙は、
スーダン撤退ではなく、奪回を主張した政策だった。
外務大臣はその新聞記事の前後に、
ゴードンのハルトゥーム派遣を打診していた。
そして何故か、エジプト総領事の反対は無視された。
イギリス政府はすでにスーダン撤退の方針を決定していたが、
政府内に、スーダン撤退に反対する一派(帝国主義派)が存在し、
ゴードンとの交渉で、
政府の代理人として仲介役を勤めたのは、
この一派の人間(陸軍軍務局長)で、
ゴードンと会見し、任命を決定した閣僚
(陸軍大臣が率いる少数派)もそうだったという。
首相とエジプト総領事には、
「スーダン撤退に関する報告役」と伝えられたが、
ゴードンがカイロに到着する間に、
外務大臣の指示で、スーダン総督就任へ話がすすんでいた…。
…とまあ続いていき、大変面白いです。
( リットン・ストレイチー 中野康司訳 みすず書房 2008)
これが一番詳しく、
スーダン撤退派と帝国主義派とが画策し、
帝国主義派と新聞が画策した可能性と、
アフガニスタン情勢との絡みもあったとか…。

(Lytton Strachey、 Eminent Victorians
: Cardinal Manning, Florence Nightingale, Dr. Arnold, General Gordon (1918)
これは初の完訳だそうで、
マニング枢機卿、ナイチンゲール、
トーマス・アーノルド、チャールズ・ゴードン将軍の4人。
今まで、以下のものが出ていたのみと。
平田禿木訳 『ゴルドン将軍の死』 アルス 1940年
堀大司訳 『ゴードン将軍の最期』 白水社、1941年、詳細な訳注。
日高直矢訳 『ヴィクトリア朝時代の秀れた人々』 福村書店、1950年
※ゴードン将軍、ナイチンゲールのみ邦訳。
ゴードン将軍、人気ものなんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B
<本書『ヴィクトリア朝偉人伝』は〈伝記を変えた伝記〉と絶賛され、
久しく伝記文学の古典の位置を占めてきた。
それぞれヴィクトリア朝を代表する偉人たち
――行動的な女性・教育者・軍人・聖職者の人生の軌跡を簡潔かつ辛辣に描いた本書>
(追記)
リットン・ストレイチーによると、
ゴードンの母は,地球の果てまで何度も渡海した貿易商人の末裔。
ゴードンを突然、国民的英雄に押し上げた原動力となったのは、
「ペル・メル紙」だった。
不思議なことに、派遣の前、突然、「ペル・メル紙」の社説と記事が、
ゴードンのハルトゥーム派遣を呼びかけ、
ロンドンの他の新聞も地方紙も、一斉に大合唱を続けたという。
新聞に載ったゴードンのインタビューと手紙は、
スーダン撤退ではなく、奪回を主張した政策だった。
外務大臣はその新聞記事の前後に、
ゴードンのハルトゥーム派遣を打診していた。
そして何故か、エジプト総領事の反対は無視された。
イギリス政府はすでにスーダン撤退の方針を決定していたが、
政府内に、スーダン撤退に反対する一派(帝国主義派)が存在し、
ゴードンとの交渉で、
政府の代理人として仲介役を勤めたのは、
この一派の人間(陸軍軍務局長)で、
ゴードンと会見し、任命を決定した閣僚
(陸軍大臣が率いる少数派)もそうだったという。
首相とエジプト総領事には、
「スーダン撤退に関する報告役」と伝えられたが、
ゴードンがカイロに到着する間に、
外務大臣の指示で、スーダン総督就任へ話がすすんでいた…。
…とまあ続いていき、大変面白いです。
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