2013-04-01
「アルジェの戦い」

以前から、薦められて、気になっていたのですが、
なかなか観る機会もなく、入手できる機会もなく、
レンタルにもなく、図書館には閲覧のみで、
なかなか入手困難で有名でもあるこの映画。
やっと廉価版を発見。
アフリカシリーズ、再開です。
話には聞いていましたが、
本当に静かに、迫力のある、密度の濃い映画でした。
覚悟していた残虐シーンもさほどひどくなく、
静かな怒りがひしひしと伝わってきました。
あっと言う間の2時間でした。
無駄のない、しかも密度の濃い、テンポのいい、
すごい映画でした。
「アルジェの戦い」
La battaglia di Algeri
1966・イタリア/アルジェリア 116分
監督はジッロ・ポンテコルヴォ。
アルジェリアのフランスからの独立までのアルジェリア戦争を描いている。
1966年のヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を受賞した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
<民族の激しい怒りと憎しみと執念に殺気立つ
アルジェリアの独立運動を生々しい迫力でとらえる、
ニュース映像のように緊迫したドキュメンタリー・タッチで
見るものの感情と感覚を奮い立たせる。
1950年、フランス政府は北アフリカのアルジェリアで
沸きあがった独立運動を阻止するために、大軍を投入した。
民衆は怒りに燃え上がり、テロ活動に火がついて
首都アルジェは騒然、双方が目には目、
歯には歯で復讐する憎しみの非人道的テロをくり返し、多くの血が流れた。
フランス側はテロの巣カスバ地区を包囲して住民に残酷な拷問を加えた末に殺し、家を爆破した。
独立運動の指導者アリ・ラ・ポワンは若い生涯を閉じ、テロは根絶されたと見えた。
1960年2月、突如、アルジェの街は群衆に埋めつくされた。もはや独立の火を消すことはできない。
出演者の大部分は現地の素人、実際に独立運動に加わった者も少なくない。
日野康一
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84-DVD-%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A9/dp/product-description/B001O4J9TY/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=561958&s=dvd
<今から十年ばかり前を中心に、
北アフリカのアルジェリアで激しい民族独立の戦争がくりひろげられた。
日本人にとっては、はるかかなたの火事であったかもしれなかったが、
いまここに徹底したドキュメンタリー精神で、戦争の全貌を伝える映画がもたらされた。
こうした分野では記録映画のすさまじい迫力に及ぶものはないと考えられてきたが、
数千人におよぶ目撃者の証言、記録、写真から、あらゆる努力を重ねて、
ニュース映画のただ一コマも使わず、実写もはるかにおよばぬくらいリアルに再現した。
1966年度ベネチア(ベニス)映画祭でも、数ある名画をおしのけて、栄えあるグラン・プリを獲得した。
監督のシロ・ポンテコルボは前作「ゼロ地帯」
(1960年、ベネチア、マル・デル・プラタ両映画祭参加、1961年アカデミー外国語映画賞ノミネート)
いらい五年間この映画にかかりきりになった。
脚本家のフランコ・ソリナスと現実におこったさまざまなエピソードをまとめて、
まさに“事実は小説よりも劇的だ”といわれる見本みたいにドラマチックなシナリオを完成した。
これは独立後のアルジェリアで作られた最初の長篇劇映画であり、
イタリアとアルジェリア両国映画人の五年にわたる協力の成果であった。
映画の中でジャファルを演じているヤセフ・サーディは
現実にカスバで地下組織を指導した斗士の一人で、
同志をフランス落下傘部隊に殺害された。
現在はカスバ・フィルムの社長として
全財産をなげうちこの映画のプロデューサーをつとめている。
『私は機関銃をカメラにとりかえたのです。
当時を再現し、あの感動を再びよびさますことによって、
ある国家や国民を審判するのではなく
戦争や暴力のおそろしさを伝える
客観的な映画を作りたいと念願していたのです』と語っている。
戦車、大砲、トラック、ヘリコプター、小火器など
すべての武器はアルジェリア軍当局から提供をうけ、
すべてを忠実に再現するため衣裳などは全部新らしく作られた。
またアルジェリア、フランス、イタリアの軍事専門家のアドバイスもうけた。
建物も完全なものが新築され、
数キロメートルの電線と数トンの爆薬を使って爆破され、石の山になった。
138人におよぶ主要人物も、ほんの2、3人をのぞいてまったくの素人。
主役の英雄アリ・ラ・ポアントを演じるブラヒム・ハジャックは、
アルジェ郊外に住む漁民で、アリとそっくりの容貌の持主であり、
しかもよく似た経験の持主であった。
撮影の舞台はほとんどがジャン・ギャバンの「望郷」で名高いカスバでおこなわれ、
八万に及ぶ全住民がエキストラとして感動的なクライマックス・シーンに出演した。
音楽はイタリア映画界の第一人者で、「夕陽のガンマン」のエンニオ・モリコーネが担当している。
なお、ベニス映画祭では
フランス大使館が反仏映画として上映中止を申し入れたが
事務局がうけつけず、
上映日には短篇がおわると代表団が退席、
受賞式でもグラン・プリときまった瞬間、全員席をたつという騒ぎもあった。
[プロダクション・ノート]
撮影参加人数のこと
この映画はアルジェ全市民が主演者だともいえるが
実際に撮影に参加したのは8万人といわれている。
この中で端役のエキストラが135名で殆ど素人である。
女性は重要な役柄を与えられたものが4人で
アルジェリアでは特に女性が撮影に参加するまでには
両親を始め近親者の許可が必要とされており、非常に厳しいものがあるそうである。
http://www.warmovie.com/museum/pamphlet/body/094.html
<第一次インドシナ戦争の敗北により、
フランスがインドシナ諸国(ベトナム・カンボジア・ラオス)の
独立をジュネーブ協定で承認したことに刺激を受けて、
130年間フランスの支配下にあったアルジェリアで
FLN(国民解放戦線)が結成されて、
1954年にアルジェリアの独立戦争が勃発します。
アルジェリア戦争は、
コロンと呼ばれるアルジェリアのフランス人入植者と
アラブ系先住民との民族紛争に加えて、
アルジェリアの独立を承認しようとしたド・ゴール新大統領と
それに反発したフランス軍部との対立の側面を持ちますが、
本作では、前者の対立が描かれています。
フランス軍部は、テロリスト掃討作戦を展開するため40万人の
大量の兵士を投入しますが、それを指揮する将軍が、
反ナチスのレジスタンス運動の英雄であったという皮肉に、
戦争の不条理が込められています。
100万人の犠牲者を出して、
アルジェリアはフランスから独立しますが、
その後FLN内部での主導権争いによる内戦の危機や
社会主義経済政策の失敗に陥るなど不安定な社会に
国民の不満が募り、政情の混迷が今も続いています。
そして、映画の中の同じ光景が、イラクやアフガニスタンなど
世界中で繰り返されている事実。
40年前の公開当時は力強く映し出されていた、
映画の終わりを告げるFineのタイトルが、
今では虚しく見えるのです。
http://movie.goo.ne.jp/review/movie/MOVCSTD14232/1_1/index.html
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