fc2ブログ

もうひとつのシャカ・ズールー6

 ヨーロッパ人の侵略がようやく激しくなろうとする頃、
その危機に触発されるかのように、シャカは強大な一大帝国を築いた。
北はボンゴラ河・デラコア湾から南はトゥゲラ河まで、
東はインド洋沿岸から西はブラッド河に至るまで、ズールーランド全土を。

 1824年にポートナタールを経て二人の英国人が貿易交渉にやってきた時、
白人についても知っていた。
何の驚きも戸惑いもなく謁見したという。

 王専属の通訳はヤコブという英国人だった。
ヤコブは以前ソールズベリー号の乗組員だったが、
船が座礁してズールーの都辺やってきたという。
彼を通じてケープ植民地の情報も得ていた。

 この英国人の一人フィンも、
ヤコブと同様しばらく臨時助言者の役をやらされることになった。
白人の植民地と交易関係を結ぼうとして使節団を派遣したりした。

 シャカは異母弟に殺されが、白人の侵略を予言したという。

「おまえたちはこの国を支配したいのか。
私が死んだら、とても支配できはしまい。
そう『つばめ』はそこまできているのだから」

『つばめ』というのは泥を使った煉瓦の家を建てる白人のこと。

 シャカの死後、1838年ボーア人がナタールにも侵入、
有名な「血の川(ブラッドリバー)の戦い」でディンガネ軍は敗北した。
(山口昌男「世界の歴史6 黒い大陸の栄光と悲惨」(講談社、1977年))

 1824年にはポートナタール(現ダーバン)の英国人とは友好関係をむすび、
英国人を通して鉄砲を入手した。

 「ムフェカネ(衝突)」の時代は大きな波紋を投げかけた。
生き残ったものたちは四散して周辺の部族に合流し、または移動して新たな集団を形成した。

 シャカの死後、ディンガネはナタールの英国人とは友好関係をむすんだが、
新天地を求めて移動してきたボーア人とは衝突した。
(林晃史『アフリカ現代史1』山川出版社 1978年)

2012-09-18 黒い大陸の栄光と悲惨

2013-02-01 ズールー戦争2

山口 昌男wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%98%8C%E7%94%B7
文化人類学者
元・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長
アジア・アフリカ・南アメリカなど世界各地でフィールドワークを行い、
両性具有・トリックスターをテーマとした著作で
「中心と周縁の理論」を発表し評価が高い
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

sidetitleプロフィールsidetitle

アシーン

Author:アシーン
FC2ブログへようこそ!

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QRコード