2014-04-12
『偉大なる帝王シャカ』
シャカについての話に戻ります。
シャカについて書かれた本があるそうです。
ソト語で書かれたトーマス・モコプ・モフォロの有名な小説『シャカ』や
マジシ・クネーネの叙事詩『偉大なる帝王シャカ』においては、
シャカの名はアフリカ文学と現代アフリカ人の意識の中で、
アフリカ人のヒロイズムと力の象徴として受け継がれているそうです。
モフォロの『シャカ』(1911)は、白人が好戦的な野蛮人としたシャカを英雄視し、
ズールーの古い生活様式や価値観を肯定したため、当初刊行を拒否されたという。
マジシ・クネーネはダーバン生まれのズールー人。
(トンプソン『南アフリカの歴史』 明石書店; 新版 (1998))

邦訳があるというので探してみました。(岩波書店)
マジシ・クネーネ, Mazisi Kunene.
『偉大なる帝王シャカ』 Emperor Shaka the Great. Two Volumes;
(翻訳)土屋哲(Tsuchiya Satoru)
(岩波現代選書)1979
シャカに関する伝記は口承以外にはフィンの日記(1950)しかなく、
毀誉褒貶の落差の激しい扱われ方しているという。
クネーネはズールー族の口誦伝承を文字化して、
シャカを戦国の乱世を統一して近代国家を造り上げ、
民に平和をもたらした英明な啓蒙君主、
家族共同体倫理を基盤とするアフリカ的価値観の権化、
部族の伝統的英知の忠実な体現者として描いたそうです。
モフォロの『シャカ』が大幅にカットされ、
修正を加えられて出版されたという経緯があり、
歪められたシャカの虚像を復元させるという使命感がクネーネを駆り立てた。
シャカを主題にした文学作品は17を数えるといいます。(解説・土屋哲)
****
白人がやってきて、シャカの暗殺が失敗してシャカの傷を治して、
その代わりに土地を要求する。
シャカは土地を与え、監視下におき、白人を研究する。
というエピソードはクネーネの叙事詩にもあります。
シャカの父は女性好きで、母は気性が激しく、不仲だったそう。
シャカの母の部族と父の部族とは、六代前に決裂して以来、
宿怨があり、婚姻はタブー視されていたらしい。
ズールーとは『天・空・稲妻』の意味。
さらに『雨・雷雨・無限の力・永遠』の意味もあるそう。
ズールー族の先祖は南部バンツー系のングニ族。
彼らは北方からトランスヴァール西北部に南下して、
それが二派に分かれ、トランスヴァール東南部と東部海岸へ移動した。
1400年頃、さらに分かれてズールーランドとナタール地方に移住。
ナタール・ングニ族、後のズールー族。
この大移動は1600年頃までに落ち着いたそう。
ズールーの始祖、ングニ族のマランデーラ(十六世紀)は
自分の息子にその名を付けた。
シャカの外交政策は
白人の脅威と危険にいかに対処するかに全力を注いでいた。
白人の監視役には「怪物どもの看視人たち」という名を付けていたという。
ジョージ四世に二度にわたって使節団を派遣したが、
ケープ植民地の白人行政官の妨害にあい、実をむすばなかったそうです。(土屋哲)
http://en.wikipedia.org/wiki/Mazisi_Kunene
http://en.wikipedia.org/wiki/Emperor_Shaka_the_Great
ズールーの英雄叙事詩
土屋 哲(つちや さとる、1923年9月19日 - 2007年3月25日)
アフリカ文学・カリブ海文学研究者、明治大学・ナイロビ大学名誉教授。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%93%B2
シャカについて書かれた本があるそうです。
ソト語で書かれたトーマス・モコプ・モフォロの有名な小説『シャカ』や
マジシ・クネーネの叙事詩『偉大なる帝王シャカ』においては、
シャカの名はアフリカ文学と現代アフリカ人の意識の中で、
アフリカ人のヒロイズムと力の象徴として受け継がれているそうです。
モフォロの『シャカ』(1911)は、白人が好戦的な野蛮人としたシャカを英雄視し、
ズールーの古い生活様式や価値観を肯定したため、当初刊行を拒否されたという。
マジシ・クネーネはダーバン生まれのズールー人。
(トンプソン『南アフリカの歴史』 明石書店; 新版 (1998))

邦訳があるというので探してみました。(岩波書店)
マジシ・クネーネ, Mazisi Kunene.
『偉大なる帝王シャカ』 Emperor Shaka the Great. Two Volumes;
(翻訳)土屋哲(Tsuchiya Satoru)
(岩波現代選書)1979
シャカに関する伝記は口承以外にはフィンの日記(1950)しかなく、
毀誉褒貶の落差の激しい扱われ方しているという。
クネーネはズールー族の口誦伝承を文字化して、
シャカを戦国の乱世を統一して近代国家を造り上げ、
民に平和をもたらした英明な啓蒙君主、
家族共同体倫理を基盤とするアフリカ的価値観の権化、
部族の伝統的英知の忠実な体現者として描いたそうです。
モフォロの『シャカ』が大幅にカットされ、
修正を加えられて出版されたという経緯があり、
歪められたシャカの虚像を復元させるという使命感がクネーネを駆り立てた。
シャカを主題にした文学作品は17を数えるといいます。(解説・土屋哲)
****
白人がやってきて、シャカの暗殺が失敗してシャカの傷を治して、
その代わりに土地を要求する。
シャカは土地を与え、監視下におき、白人を研究する。
というエピソードはクネーネの叙事詩にもあります。
シャカの父は女性好きで、母は気性が激しく、不仲だったそう。
シャカの母の部族と父の部族とは、六代前に決裂して以来、
宿怨があり、婚姻はタブー視されていたらしい。
ズールーとは『天・空・稲妻』の意味。
さらに『雨・雷雨・無限の力・永遠』の意味もあるそう。
ズールー族の先祖は南部バンツー系のングニ族。
彼らは北方からトランスヴァール西北部に南下して、
それが二派に分かれ、トランスヴァール東南部と東部海岸へ移動した。
1400年頃、さらに分かれてズールーランドとナタール地方に移住。
ナタール・ングニ族、後のズールー族。
この大移動は1600年頃までに落ち着いたそう。
ズールーの始祖、ングニ族のマランデーラ(十六世紀)は
自分の息子にその名を付けた。
シャカの外交政策は
白人の脅威と危険にいかに対処するかに全力を注いでいた。
白人の監視役には「怪物どもの看視人たち」という名を付けていたという。
ジョージ四世に二度にわたって使節団を派遣したが、
ケープ植民地の白人行政官の妨害にあい、実をむすばなかったそうです。(土屋哲)
http://en.wikipedia.org/wiki/Mazisi_Kunene
http://en.wikipedia.org/wiki/Emperor_Shaka_the_Great
ズールーの英雄叙事詩
土屋 哲(つちや さとる、1923年9月19日 - 2007年3月25日)
アフリカ文学・カリブ海文学研究者、明治大学・ナイロビ大学名誉教授。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%93%B2
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