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2015-06-20

南アフリカの動物世界

読むのが追いついていないけど
とても気になっている
『ズーキーパー』を連想させた象の話『エレファントム』の作者。
ライアル・ワトソン
南アフリカの人で、ちょっと不思議な見方をする人らしい。
西洋世界では??らしいが、
アフリカから見ると、実は自然な視点かもしれないと思わせるものがあるような気がします。

最初にひっかかったのはこの本でした。
LWatson-LightningBird.jpg

アフリカの白い呪術師
(河出文庫) – 1996/11
ライアル ワトソン (著), Lyall Watson
<探検家の書き記した旧きアフリカに憧れ、
16歳で未開の奥地へと移り住んだイギリス人がいた。
エイドリアン・ボーシャというその青年は、
てんかん症とヘビ取りの才能が幸いして、
白人ながら霊媒・占い師の修行を受け、
アフリカの内なる伝統に迎え入れられた。
人類の300万年の進化を一人で再現することとなった男の驚異のドキュメント。 >

<ライアル・ワトソンはヨハネスブルグで生まれ、
幼少時より周囲の自然界に関心を抱き、ズールー人の老人に教えを受けた。

南アフリカ生まれのイギリスの植物学者・動物学者・生物学者・人類学者・動物行動学者。
ニューサイエンス(ニューエイジサイエンス)に類する書籍を多く上梓し、
中でも『スーパーネイチュア』は世界的なベストセラーとなった。
LWatson-Lifetide.jpg

ライアル・ワトソンは
動植物界、人間界における超常現象を含む科学の水際をフィールドワークとして
「新自然学」の確立を目指し、
自然的現象と超自然的現象を生物学的見地から解説しようと試みた。
「百匹目の猿」という言葉が最初に使用されたのは、
ワトソンが1979年に出版した『生命潮流』であった。
これは科学界において興味と同時に反駁を呼んだが、
現在では、ワトソンの単なる作り話であることがわかっている。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%BD%E3%83%B3

LWatson-Elephantoms.jpg

ライアル・ワトソンの遺作『エレファントム』 – 水のきらめき
www.tsunabuchi.com/waterinspiration/?p=915

<ライアル・ワトソンは動物行動学の博士として本を書くのではなく、
動物行動学博士の肩書きを持つ作家として本を発表すべきだったと思う。
『エレファントム』に出てくる創作と思える部分も、
あまりにも見事なので創作かどうかはっきりと断定できない。
科学的に考えるなら「あり得ない」話しだ。
しかし、現実としてそのようなことがあっても不思議ではないかもしれないと思えるように、
ライアル・ワトソンは本のはじめから伏線を張り、見事な物語に作り上げている。

たとえそれが僕の考えているように創作だったとしても、
僕はライアル・ワトソンの本が好きだ。
生命科学を背景にして見事な物語を書き上げている。
しかし、それを純粋な科学だと信じさせようとしていたなら、そこには問題があるだろう。

『エレファントム』の最後に出てくる逸話も創作だろうと思う。
だけど、その創作を僕はとても素敵なものだと思っている。
それがどんなものかは本を最初から読み味わわないとわからないだろうからここには書かない。
とにかく僕には大変響いた。>

『エレファントム』ライアル・ワトソン(木楽舎) - 紀伊國屋書店書評 ...
booklog.kinokuniya.co.jp/ohtake/archives/2009/07/post_47.html
大竹昭子
(おおたけ・あきこ)

<「絵を描く」ところとならんで斉藤が疑問視したのが、この「埋葬」の話である。
象が仲間の死を覆い隠したり、骨を分散させていたりする例を挙げ、
ワトソンは以下のように書くのだが、
このあたりの表現が行きすぎに感じられるのかもしれない。

「(埋葬の)行為には思いやりのようなものも含まれているように思える。
死を悼む気持ちにとても近いものだ。
象は仲間の死に出会うと、厳粛な態度になる。
黙り込み、ふるまいを正し、大切な儀式をおこなっているような様子を見せる。
別れの儀式、だろうか?」

これは彼の感じたことであって、証明不可能だ。
思い入れでしかない、とも言える。
感想は横に置いて事実だけを並べてもいいのだが、
つい筆がつつと走ってしまう。
そこにワトソンのワトソンたる所以があるように思えた。

禁欲できない人、気持ちが先へ、先へと動いてしまう人、
過去よりも未来に軸足を置きたい人! 人間を超えようとする願望の強い人!! 

こんな人物像が浮かんでくる。
「科学者」でいつづけるのは、体質的に合わない人だったのかもしれない。
「科学」と「非科学」のはざまに落っこちた人、飛躍に快感を感じて駆け抜けた人だった。
もしかしたらそれは、南アフリカの濃密な自然のなかで、
人間以外の生き物の気配を全身に感じつつ育った幼少期に運命づけられたものだったのかもしれない。>
<<<<
LWatson-Supernature.jpg

101夜『スーパーネイチュア』ライアル・ワトスン
| 松岡正剛の「千夜千冊」...
1000ya.isis.ne.jp/0101.html

「スーパーネイチュア」

「われわれの経験のなかで最も美しいものは神秘的なものである」
と言ったのはアルバート・アインシュタインだった。
 ライアル・ワトソンはその言葉を信じるかのようにして、
この本を書き、そしてこの手の本としては希有な世界的なベストセラーとなった。
かなり勇気のいる仕事だったろう。
なぜならワトソンはデズモンド・モリスの弟子でもあった正真正銘の動物学者であり、
生物学の博士でもあったからである。
それが科学と神秘の間に挑戦したわけなのだ。

科学で説明のつかなさそうなところから、
人間は自然現象に関心をもち、
おまけにその現象の近くに居合わせた者はとくに、
その神秘の理由を知りたがるからである。

 ワトソンはこの“知りたがり”の読者を満足させようとしたわけではない。
そうではなくて、そのようなスーパーネイチュアな現象の背後には、
何かメタシステムが動いていたり、
あるいは相互につながりあっているネットワークがあるのではないかということを示唆したかったのである。

ここに書いてあることの大半が、
その後いろいろな科学領域の深化や前進によって少しずつあきらかになり、
その叙述がかなり過去のものになってしまっている>

****
LWatson-WholeHog.jpg

[書評]『思考する豚』(ライアル・ワトソン著・福岡伸一訳)
: 極東ブログ
finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/05/post-946a.html

<ライアル・ワトソン(Lyall Watson)氏が亡くなったのは2008年6月25日。
一週間後、追悼記事がテレグラフに載っていた(参照)。69歳だった。
私は一時期彼の著作をよく読んだ。
集大成と言えるのは「生命潮流―来たるべきものの予感」(参照)だろうが、
今アマゾン読者評でも偽科学といった糾弾が目に付く。
今となってはそう見られてもしかたがないものだが、
当時は最先端の科学とイマジネーションで書かれた話題の書でもあった。

科学者として見ればうさんくさい、詩人として見れば美しいイマジネーション。
しかし、それだけではない奇妙なもどかしさがある。
彼が本当に伝えたかったことはなんだろうか。
最期の著作は何か。

なぜ豚なのか。
表面的に読み取れるのは、彼がアフリカで過ごした子供時代や青年時代の
豚との友情を語りたいということがあるだろう。
豚を愛した人間の思いというものが、まず根底にあり、
それから各種の知識や最新の研究が取り寄せられる。
いつもながら体験を通して生き生きとしたワトソン氏の感性が語られる。

私が面白かったのは、近代史と豚の関係だった。
特に米国史とは家畜豚の歴史でもあったのかと得心した。
考えてみれば、西洋史もまた豚の歴史である。

人間と豚が他の種とくらべて雑食であるという視点は本書では重視されている。
雑食というと、「雑」という言葉からしておおざっぱな印象を受けがちだが、実際には逆だ。
雑食の動物というのは、何が食えるのか、またどう食うのかということに、
感覚を研ぎ澄ませ、知性・知識を働かせなくてはならない>

******
アマゾンレビュー
LWatson-DarkNature.jpg

『ダーク・ネイチャー―悪の博物誌』
ライアル ワトソン (著), Lyall Watson (原著), 旦 敬介 (翻訳)

By mitsumata
<著者ライアル・ワトソンは動物行動学からスタートして
さまざまな学問を修め、つねに学問の枠を超える
斬新な視点を提供してくれる学者である。

アリストテレスは悪をバランスの崩れた状態であると考えた。
 アウグスティヌスは悪をそれ自体の存在するものというより
善の欠如であると定義した。
 著者は自然の姿、動物の姿、人間の姿をとおして
自然の中に潜在的にひそむ「悪」の本質を探り出そうとする。>

By 髪考房
<この本には興味深い事例がいっぱいでてくる。
さまざまな動物種の振舞いから、
現代の未開部族の多様なライフシステムなどの事例が多数紹介されている。
東南アジアの人食い部族の、
実はとてもエコロジカルで筋の通った「殺人・人食い」、
あるいは女性目的のために、無限連鎖的に殺戮・闘争を繰り返す
南米のある部族の話が対照的で印象に残った。
動物界では暴行・強姦・殺害・欺瞞などは日常茶飯事で、
それは遺伝子の利己性のためだと説明されるが、
著者も含む生物学者たちは知れば知るほどうんざりするほどの「悪」が自然には満ちているらしい。

とてもここでは紹介できないくらいのおびただしい事例や仮説が綾をなすように展開し、
基本的に悪の源泉である遺伝子の意図を超克する
人間の道徳性に希望を託す最後まで、思考の緊張感は緩むことはない。>

ホモサピエンスが生き残るために
By Tkawashima
<犯罪の低年齢化や社会倫理基盤の崩壊等々、
人間にとっての「善」が社会的に保証されない時代に生きるホモサピエンスが、
今世紀を生き残るために克服しなければならない課題を浮き彫りにした名著。
種の保存のための個の行動が様式化される様を解き明かし、
我々に人種や国のエゴの根源までをも暗示する。
メーテルリンクの「昆虫三部作」で提示された理性的社会モデルに対するワトソン流の答えとも言える。>
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4480860606/ref=cm_cr_dp_see_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending
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