2016-06-12
伊東忠太 オスマン帝国をゆく
友達のつぶやきで知りました。
いつのまにか、こんな本が出ていました。

明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく
ジラルデッリ青木美由紀
ウェッジ 2015
<日本最初の「建築史家」でもある忠太が、
1902(明治35)年3月から1905(明治38)年6月まで、
足掛け3年3 ヶ月にわたる世界一周旅行を単身敢行し、
トルコに8 ヶ月半を過ごしたことはあまり知られていない。
「法隆寺建築の源流はギリシャだ! 」という自説を証明するため、
中国から西方へ進むその途上で、日露戦争が勃発するも、
敵国・ロシア船に乗って地中海を渡る。
時にスパイと疑われたりもするが、トルコ・イスタンブルでは、
時のスルタンから勲章を拝領するのだ。
世界旅行の途上、東西文化の要衝地・オスマン帝国で、
建築のみならず様々な文物を見聞し、何度も挫けそうになりながらも、
明治の建築家が獲得しようとしたものとは何か――。>
いつのまにか、こんな本が出ていました。

明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく
ジラルデッリ青木美由紀
ウェッジ 2015
<日本最初の「建築史家」でもある忠太が、
1902(明治35)年3月から1905(明治38)年6月まで、
足掛け3年3 ヶ月にわたる世界一周旅行を単身敢行し、
トルコに8 ヶ月半を過ごしたことはあまり知られていない。
「法隆寺建築の源流はギリシャだ! 」という自説を証明するため、
中国から西方へ進むその途上で、日露戦争が勃発するも、
敵国・ロシア船に乗って地中海を渡る。
時にスパイと疑われたりもするが、トルコ・イスタンブルでは、
時のスルタンから勲章を拝領するのだ。
世界旅行の途上、東西文化の要衝地・オスマン帝国で、
建築のみならず様々な文物を見聞し、何度も挫けそうになりながらも、
明治の建築家が獲得しようとしたものとは何か――。>
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