2017-07-01

北日本航路

友人から戦前?の樺太航路の資料をいただいた。
色々と興味深いです。
あれ?ロシア?中国?から日本海を経て、京都の裏当たりに航路が延びている?
もしかして、ウラジオストクから敦賀?
なにこれ?

ちょっと調べてみたら、
やっぱり!

1912年 ウラジオストク(ロシア)航路に接続する欧亜国際連絡列車が
新橋(1914年からは東京) - 金ヶ崎(後に敦賀港に改称)で運行
される。>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E8%B3%80%E5%B8%82

<1899年に開港場に指定され1902年にはウラジオストクとの間に定期船が開かれた。
1907年に第一種重要港湾に指定され、敦賀郵便局が外国郵便交換局に指定されたことから
日本からの国際郵便の大半が敦賀港を経由することになった。
1912年にはウラジオストク航路に接続する国際列車が
新橋駅(1914年からは東京駅)と金ヶ崎駅(1919年に敦賀港駅と改称)との間に走りだした。

1918年にはロシアの作曲家プロコフィエフが米への亡命途上、敦賀港より日本に上陸した。

1940年8月から翌1941年6月までの間、リトアニア領事代理杉原千畝の発給した「命のビザ」によって、
多くのユダヤ人難民がシベリア鉄道からウラジオストク経由で敦賀へ上陸した。

敦賀港は以前以後の幾度も難民を受け入れてきたことから「人道の港」と呼ばれた。>
http://www.tsuruga-port.co.jp/010_port/history.php

<敦賀港-ウラジオストク間において新たに定期便が開設され、
7月31日に第一便が敦賀港へ入港しました。同航路の定期運航は65年ぶりとなります。>
http://www.tsuruga.pa.hrr.mlit.go.jp/1/112/

<日露戦争の勝利で
大陸の権益を得た日本は大陸への定期航路(敦賀~ウラジオストック)の拡充、
やがて明治45年東京~敦賀~ウラジオストック~ペテルブルグ大陸縦断連絡列車ラインが確立した。

日本で初めてのボートトレインであった。

敦賀の町は国際色を豊かになり、
熊谷ホテルなど和洋折衷のホテルが建ち、ロシア語の看板を掲げる店も多くなった。

明治38年(1095)、日露戦争後の講和条約によって、
ロシアは遼東半島と南満州鉄道を放棄し、
翌39年開通したシベリア鉄道を開放し、
ウラジオストク港を「東亜の門戸」として日露貿易の回復に注力した。
よって、敦賀は大陸経営の拠点港として繁栄していった。 >
http://historia.justhpbs.jp/minato1.html
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T5/T5-4a5-02-03-03-01.htm
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