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『八重の桜』10

<「会津はどこで間違った」という問いに対する回答>
感動です。
西島さんの覚馬が素晴らしい!

roseさんの解説:大変楽しませていただいてます。
以下、@Lazyrose_1999 さんのツイートより
めもメモ…

49「再び戦を学ばず」

<49話は会津編で提示された「会津はどこで間違った」という問いに対する回答だった。
実は5年前、自分は「戦をせずに済む道もあった」という覚馬の言葉に、
「偽勅で陥れられて無理押しの因縁つけられてどうしろっちゅうんじゃ!」と反発を覚えたw
(↓そのブログ)
http://lazyrose2007.blog115.fc2.com/blog-entry-425.html …>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065644495998337024

<→虜囚となって会津のために戦えなかった覚馬は、それゆえにその言葉を封印していたのだろう。
そして己の選択で会津を滅ぼした容保様も 贖罪の思いから口にしなかったのだろう。
しかし、会津の悲劇を止めることができず、
生涯かけて悔やんだふたりは同じ答えにたどり着いていたのだ。→>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065645174573813760

<→「悪いのは薩長だろ!」みたいな感情は自分だけでなく、多くの視聴者が感じたらしく、
放映後のTLは相当荒れまくった(笑)
あの悲惨な戦を戦い抜き、歯を食いしばって逆賊の汚名に耐えてきた、
山川様が、八重さんが、健次郎さんが
「会津が間違ったとは思えねえ!」と思うのも当然だ。→>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065644882239180801

<→覚馬「勤皇の志は薩長も持っていた」
容保様「会津と薩長、義はどちらにもあった」
そして共に「戦をせずにすんだ道があったはず」というのである。
まさか会津ドラマで元会津藩士と元会津藩主からこのセリフが出るとは夢にも思わんかった!
が、今になると腑に落ちるものがあった。→ >
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065645328295022592

<→御宸翰の発表は、「再び同じ道をたどらぬための戒めとせよ」という容保様。
そして「再び戦争を起こしてはならない」という覚馬。
逆賊と呼ばれ苦しむ藩士たちに必死に償いながら、
それでも容保様が逆賊でないことの証となる御宸翰を秘匿したのは、
勅を得さえすれば正義とされた→ #八重の桜>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065645602891939840

<→この国のあり方への懐疑からだろう。
彼らを通して出された答えは
「大義(正義)などという、どうにでも変わるものを戦の理由にしてはならない」という自戒だ。
そこにこそ、会津藩が滅びた理由と、
そこから得られる未来があるのだと、それがこのドラマの出した結論ではないだろうか。>
#八重の桜
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065645677198209024

<ご一新から24年経てなお、
「大君の義」ときけば姿勢を正し、御宸翰を前にすれば平伏する。
山川兄弟や八重さんの姿は、
司馬遼太郎が「封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作」
「藩士の秩序そのものが芸術品」と絶賛した、
会津藩士の品格を描いていたように思う。→ >
#八重の桜
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065645904345018369


<→だがそれはまさに「御家訓」に縛られた会津の呪いそのものの姿でもある。
「国家の危機には忠義を持って天皇に尽くすべし」
まるでかつての「大君の義」や「什の掟」を彷彿させる、
教育勅語のこの一文を知って、
忠義を持って藩に尽くした元会津藩士・山本覚馬はどう思っただろう。>
#八重の桜
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065646112063676416

<#八重の桜 の主人公は八重さんだ。
確かに会津編で話の中心にいたのは容保様と覚馬だったし、
京都編を率いていたのは覚馬と襄先生だった。
でも、それでも彼らが戦い、傷つき、掴み取った「答え」を
引き継いだのは主人公である八重さんだ。
だからこそこの回の最後を〆るのは彼女でなくてはならない。→>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065647963031035905

<→「苦しんでいる人に手を差し伸べるのが文明ではないのか」
赤十字の活動への理解を訴える八重の言葉こそ、
襄の、覚馬の、そして殿の出した答えの先だろう。
そして大山が「敵なればとて傷を受くるか、病にかかりたる者いたわり救うは人の常なり。
仁愛の心をもって対すべし」と返す。→ >
#八重の桜
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065648067251032064

<→ここでテーマ曲が流れたということは、
八重と大山のこの言葉が会津編を受けての京都編の答えだ、ということだろう。
「八重さん、行こかい」
腕相撲以来2度目となる「会津と薩摩の握手」に、
象山塾での覚馬と西郷の面影を感じた気がする。 #八重の桜>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065648123425447936

<「兄つぁまの目はいつも人より先をみて、誰に反対されようと蹴散らして進んでいた」
そう、あの佐久間象山のように。
そして吉田寅次郎のように
その身ひとつで立ち上がった。
会津にいた頃も、盲いてからも 
覚馬という男の目は、会津一藩ではなく日本を見ていた。→>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065780282358263808

<→「会津はもう雪だべか。やっと帰れんなあ」
最期の時を迎えて ようやく会津言葉に戻った覚馬の明るい表情に胸が詰まる。
戦を止められなかった自分、
会津を救えなかった自分をずっと責めていた覚馬が、
その贖罪の人生を終える時 
やっと会津藩士に、山本家の息子に、八重の兄に戻れたのだ。
#八重の桜>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065780668725026816

<そして「武士の忠義を貫き通したかわりに会津を死地へと追いやった」
と自らを断罪する容保様は、それでも
「あん時会津までが徳川を見捨てていたらこの国に誠の武士はいなかったことになる」
という大蔵様の言葉に、救われただろうか。 #八重の桜>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065780729882140672

<再放送始まった頃書いたけど、
さかのぼって諸悪の根源は土津公(保科正之)だったのではないかと思うのよ。
子孫の迷惑考えようよ。 …って思ったけど、
家中でもないくせに御家訓を持ち出して脅迫した慶喜公と春嶽公が一番悪い。 #八重の桜>
https://twitter.com/Lazyrose_1999/status/1065650751563677697
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