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2021-02-03

ニジェール川の探検話

すみません。
前回いきなりニジェール川の書誌情報のみ
垂れ流してしまったので、
頭の整理も含めて
探検史をちょっと。
とはいえ、ウィキがよくまとまっているので
コピペします。
Niger_river.jpg
<wikiより>
<アフリカ大陸内陸部にニジェール川という川が流れていることは、古くからアフリカ以外の人々にも知られていた。
アラブ人の中にはこの地域まで足を伸ばすものもおり、

1352年にはイブン・バットゥータが当時マリ王国領だったニジェール河畔を訪れ、
1355年に出版された彼の著書『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』にもニジェール川の記載がある
[「三大陸周遊記」p316 イブン・バットゥータ 前嶋信次訳]。

しかし、彼らが行くことができたのは中流域のみで、
その川がどこに流れ込んでいるのかは、外部の誰にも知られていなかった。
イブン・バットゥータも、ニジェール川をナイルと記し、ニジェール川はナイル川の支流であると考えていた。

大航海時代が到来すると、ヨーロッパ人たちが海岸部に拠点を作るようになるが、
彼らもレオ・アフリカヌスやアラブ圏のから書物の知識によってニジェール川の存在は知っていたものの、流路については謎のままだった。

ナイル川、セネガル川、コンゴ川などとつながっていると考えるものも多かった。
また、当時はヨーロッパの勢力は海岸部に限定されており、内陸部に行くことも難しかった。
そんな中、1788年にロンドンにおいてアフリカ協会が設立され、アフリカ内陸部の探険に力が入れられるようになった。

ヨーロッパ人で最初にニジェール川流域にたどりついたのはムンゴ・パークである。
1795年に出発した彼は、ガンビア川をさかのぼって東へ向かい、1796年7月20日にニジェール川に到達
[「週刊朝日百科世界の地理99 アフリカ西部諸国」朝日新聞社]。
その後も東進し、ニジェール内陸デルタの端のセグーまで到達した。
1805年、2度目の探険に彼は出発し、中流を制覇してニジェール川の河口まで残り3分の1の地点までたどりついたが、
現在のカインジ・ダム付近にあるブサで現地住民に襲撃され死亡した。
この探険によってニジェール川の情報はかなり蓄積されたが、下流の流路および河口は未だ不明であった。

Mungo_Parks_Route.jpg
<wikiより>
1822年にはディクソン・デンハムとヒュー・クラッパートン、ウォルター・ウドニーが
サハラの北にあるリビアのトリポリから出発し、フェザーンやチャド湖を通ってカノへ、
さらにソコト帝国の首都ソコトまでたどりついたが、そこから南下することはできなかった
[「世界の歴史6 黒い大陸の栄光と悲惨」第1版(山口昌男)]。

一方、1824年にはフランス人のルネ・カイエがセネガル川から東へ向かい、
ニジェール本流から外れているためパークが発見できなかったトンブクトゥにたどりついた。

1825年にはヒュー・クラッパートンが2度目の探険にベニン湾から北上し、パークの死んだ地を確認した。
ここでクラッパートンは熱病にかかり死去したものの、
彼の従者であったリチャード・ランダーがそこからニジェール川を下り、
スペイン領フェルナンド・ポー島(現ビオコ島)にたどりついたことで、
ニジェール川はギニア湾のニジェール・デルタへと注いでいることが確認された。 >
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B7%9D
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