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2021-04-29

古代ガーナ王国

ガーナ王国、ちょっと調べてみました
現在のガーナ共和国とは別です。
Ghana_reich_karte.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ghana_reich_karte.png

Ghana_Trans-Saharan_Trade_11c.JPG
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kingdam_of_Ghana_%26_Trans-Saharan_Trade_about_11th_century.JPG

<首都:クンビ=サレー
西アフリカの貿易国家群のなかで,9~12世紀にかけて最も繁栄した最初の黒人王国。
サハラ砂漠とセネガル,ニジェール両川の上流にはさまれた地域に位置し,現ガーナ共和国とは異なる場所にあった。

住民の主体はマンデ語を話すソニンケ族 (→マンデ諸族 ) で,
北方のアラブ人やベルベル人の交易商人と南方の金や象牙の産地とを結ぶ仲介者の地位を占めた。

16~17世紀頃の年代記によると
最初の王は黒人ではなく,建国は 300年頃であったとされている。

8世紀のアラブ人の地理学者がこの国に言及しているが,
最盛期については 1067~68年にアル・バクリーが詳しく記録している。
その頃にはすでに黒人が支配していた。
正式の国名はワガドゥー Wagaduであったが,通称のガーナは王の称号に由来する。
国は部族連合から成っており,その他いくつかのガーナの名をもつ都市もあった。
首都は一定せず,その1つとしてクンビ・サレーが知られる。
11世紀になると,サハラ砂漠のベルベル系イスラム諸部族の攻撃を受け,
1076年にはモロッコのムラービト朝により首都が陥落した。
その支配は数年で終ったが,交易活動と農業は大きな打撃を受け,帝国は衰退した。
1203年には反乱を起したスス族が首都を占領し,
さらに 40年マリンケ族のスンディアタによって首都は破壊され,マリ帝国に併合された。>
ブリタニカ国際大百科事典


<8~11世紀に栄えたガーナ王国は,現在のモーリタニアの南東部に都があったと推定される。
当時まだこの地方までひろがっていた内陸水系
(その後乾燥化に伴って縮小し,ニジェール川の一部として,大湾曲部を形成したと考えられる)
に接していたと推定されるが,
この地帯が砂漠化したこと,
1077年にムラービト朝の聖戦によって都が破壊されたことなどから王国は急速に衰微した。>
世界大百科事典

<3世紀ごろスーダン語系のサラコレ族が建てたワガドゥグー王朝に始まるといわれる。
鉄器を使用し,南方の金産地と北方の塩産地を結ぶ貿易路に当たり,
ある程度中央集権的国家体制をとっていたとみられる。
最盛期には西アフリカの大半を領有したが,
11世紀急速にイスラム化し,北方のベルベル人の侵入で衰退,マリ帝国に継承された。
王国末期の首都クンビ・サレー(マリのバマコ北方約330km)は
1939年以来の発掘により最盛期には約3万人の人口を擁したイスラム都市であったことが判明した。>
平凡社百科事典マイペディア

<現在のモーリタニア南東部を中心に,マリ,アルジェリアの一部にかけてがその版図だった。>
平凡社世界大百科事典 第2版

wikiによる参考文献
グレアム=コナー著、近藤義郎・河合信和訳 
『熱帯アフリカの都市化と国家形成』 河出書房新社、1993年。
(原著)Connah,Graham, African Civilization, Cambridge University Press, 1986,

Oliver,Roland&Brian M.Fagan,
Africa in the Iron Age -c.500B.C.to A.D.1400-,

Cambridge University Press, 1975 (reprinted by 1999)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E7%8E%8B%E5%9B%BD
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