2021-04-06
洪水で発見、イランの未知の文化2
新発見の古代都市文化
< 2003年2月、イランの考古学者ユーセフ・マジシザデー氏が率いるチームが、ジーロフト近郊の発掘調査を開始した。
発掘チームは、主要な共同墓地を特定し、マフトゥタバードと名付けた。
盗掘品の大半はここで見つかったと考えられている。
また発掘チームは、マフトゥタバードから西に1.5キロほど離れた平地にそびえる2つの人工的な塚も調べることにした。
どちらにも大規模な建築物の遺構が埋まっていることが判明し、
北の塚からは礼拝所が、南の塚からは城塞が発掘された。
さらに、塚のふもとの地下数メートルからは、小規模な建物の遺構も見つかった。
今では、この2つの塚は、数キロ四方に広がる1つの都市の一部であったと考えられている。
第1期の発掘調査は2007年まで続き、ジーロフト文化の存在がはっきりした。
マジシザデー氏はチームの調査結果を論文にまとめ、都市の中心部は紀元前5千年紀(紀元前5000年~前4001年)の終わりごろに建設されたと推測した。
氏は論文で、「紀元前3千年紀には、ジーロフトは多くの人が住む主要な都市であった。
その中心はハリル川の谷間にあり、堂々たる建築物、大規模な工芸品生産エリア、居住区に加え、城壁の外には広大な共同墓地があった」と主張している。
考古学者たちが発見した遺物の多くは、
方解石、緑泥石、黒曜石、ラピスラズリなどの半貴石に彫刻を施したもので装飾されていた。
後述するように、この都市の住民は、メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、
今日のイラクとほぼ一致する)の都市と密接な関係を持っていたことがうかがえる。
コナール・サンダル南にあった城塞は堂々たるレンガの壁に囲まれていたうえ、
いくつかの部屋があったことが、綿密な発掘調査からわかっている。
射性炭素年代測定からは、紀元前2500~前2200年に建てられたことも判明した。
ジーロフト遺跡の発掘は7年間中断されていたが、2014年に再開された。
発掘調査にはイランの考古学者のほかにイタリア、フランス、ドイツなどの学者も参加しており、
青銅器時代のジーロフトの人々に関する、より詳細な情報が明らかになってきている。>
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO69833220Q1A310C2000000/
< 2003年2月、イランの考古学者ユーセフ・マジシザデー氏が率いるチームが、ジーロフト近郊の発掘調査を開始した。
発掘チームは、主要な共同墓地を特定し、マフトゥタバードと名付けた。
盗掘品の大半はここで見つかったと考えられている。
また発掘チームは、マフトゥタバードから西に1.5キロほど離れた平地にそびえる2つの人工的な塚も調べることにした。
どちらにも大規模な建築物の遺構が埋まっていることが判明し、
北の塚からは礼拝所が、南の塚からは城塞が発掘された。
さらに、塚のふもとの地下数メートルからは、小規模な建物の遺構も見つかった。
今では、この2つの塚は、数キロ四方に広がる1つの都市の一部であったと考えられている。
第1期の発掘調査は2007年まで続き、ジーロフト文化の存在がはっきりした。
マジシザデー氏はチームの調査結果を論文にまとめ、都市の中心部は紀元前5千年紀(紀元前5000年~前4001年)の終わりごろに建設されたと推測した。
氏は論文で、「紀元前3千年紀には、ジーロフトは多くの人が住む主要な都市であった。
その中心はハリル川の谷間にあり、堂々たる建築物、大規模な工芸品生産エリア、居住区に加え、城壁の外には広大な共同墓地があった」と主張している。
考古学者たちが発見した遺物の多くは、
方解石、緑泥石、黒曜石、ラピスラズリなどの半貴石に彫刻を施したもので装飾されていた。
後述するように、この都市の住民は、メソポタミア(チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、
今日のイラクとほぼ一致する)の都市と密接な関係を持っていたことがうかがえる。
コナール・サンダル南にあった城塞は堂々たるレンガの壁に囲まれていたうえ、
いくつかの部屋があったことが、綿密な発掘調査からわかっている。
射性炭素年代測定からは、紀元前2500~前2200年に建てられたことも判明した。
ジーロフト遺跡の発掘は7年間中断されていたが、2014年に再開された。
発掘調査にはイランの考古学者のほかにイタリア、フランス、ドイツなどの学者も参加しており、
青銅器時代のジーロフトの人々に関する、より詳細な情報が明らかになってきている。>
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO69833220Q1A310C2000000/
スポンサーサイト