2022-03-14
ブラタモリ 飛鳥
たまった録画をチェックしていて、やっと観ました~!
面白かった~!
昔行ったのが、学生時代なので、ずいぶん変わっている様子ですね。
色々とわかってきたことも多くて、また行きたいな~。
2020年4月18日、ブラタモリ162 飛鳥
<飛鳥は周りを山に囲まれた小さな盆地で、北側の入口部分に飛鳥寺が作られました。
盆地の中には、宮殿が作られ、飛鳥寺は守りの役割を負っていた
飛鳥水落遺跡… 飛鳥寺から北西に徒歩3分
日本で初めて時計が置かれた場所と分かります。水時計は、下の水槽にたまる水量で、
時間を計る仕組みです。水時計の保護は、非常に重要なため、屈強な建物が作られた
2つの石造物(須弥山石と石人像)が見つかった場所。
石造物が見つかった場所には、迎賓館があったとみられます。
石造物は、噴水を構成する一部でした
一列に並ぶ低い田んぼ
運河の跡です。
宮殿の東の山に石垣を作るための石を運びました。
日本書紀には、下のように記されていました。3万人を動員し、石を15キロも運んだ、世紀の大土木工事だった>
宮殿の東の山の石垣の痕跡
山の上に登ると酒船石遺跡
https://service-news.tokyo/buratamori-asuka-31217
https://ameblo.jp/elephant-dogfight/entry-12590652574.html
https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/1c6e3a217af82bcfbd6c0627dd9d1ec9
ブラタモリ 161 法隆寺
<周囲を一望できる明神山。
東側には奈良盆地が見え、左側には大阪平野が見え、百舌鳥・古市古墳群もあります。
百舌鳥・古市古墳群や、東西のルートの重要性は、ブラタモリ堺編で紹介されています。
大阪平野と奈良盆地をさえぎる、生駒山地と金剛山地の間を大和川が流れ、
海から奈良盆地の飛鳥の都へ行くには、必ず斑鳩を通ります。
隋からの使者も、大和川を上りました。
法隆寺を多くの人に見せたいというのが、聖徳太子が斑鳩を選んだ理由の1つ>
https://service-news.tokyo/buratamori-horyuji-31087
<明神山展望台も斑鳩も大和川の河流だからという解説されます。
今は堺が河口の大和川ですが、
古代では大阪市・東大阪市にわたってにあった“河内湖”という大きな内海が河口で、
そこから飛鳥の飛鳥川までの水運の大動脈がありました。
法隆寺のある斑鳩はその大和川の大和平野に入った場所に位置し、難波と飛鳥との交通の要所という場所だった>
https://ameblo.jp/elephant-dogfight/entry-12589066177.html
<堺は、内陸部にあった大和王権(日本統一前の政権のひとつ)の海の玄関口であり、
目立つ撓曲崖の上に、国力を誇示するように、古墳群が並べられていた
堺は、2つの古墳群を結ぶ長尾街道、竹内街道の西の端にあります。
両街道は、古墳時代(5世紀)には、存在したと考えられます。
両街道は、摂津国、和泉国の境目となり、堺は地政学的に重要な場所となりました。>
https://service-news.tokyo/buratamori-sakai-23234
面白かった~!
昔行ったのが、学生時代なので、ずいぶん変わっている様子ですね。
色々とわかってきたことも多くて、また行きたいな~。
2020年4月18日、ブラタモリ162 飛鳥
<飛鳥は周りを山に囲まれた小さな盆地で、北側の入口部分に飛鳥寺が作られました。
盆地の中には、宮殿が作られ、飛鳥寺は守りの役割を負っていた
飛鳥水落遺跡… 飛鳥寺から北西に徒歩3分
日本で初めて時計が置かれた場所と分かります。水時計は、下の水槽にたまる水量で、
時間を計る仕組みです。水時計の保護は、非常に重要なため、屈強な建物が作られた
2つの石造物(須弥山石と石人像)が見つかった場所。
石造物が見つかった場所には、迎賓館があったとみられます。
石造物は、噴水を構成する一部でした
一列に並ぶ低い田んぼ
運河の跡です。
宮殿の東の山に石垣を作るための石を運びました。
日本書紀には、下のように記されていました。3万人を動員し、石を15キロも運んだ、世紀の大土木工事だった>
宮殿の東の山の石垣の痕跡
山の上に登ると酒船石遺跡
https://service-news.tokyo/buratamori-asuka-31217
https://ameblo.jp/elephant-dogfight/entry-12590652574.html
https://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/1c6e3a217af82bcfbd6c0627dd9d1ec9
ブラタモリ 161 法隆寺
<周囲を一望できる明神山。
東側には奈良盆地が見え、左側には大阪平野が見え、百舌鳥・古市古墳群もあります。
百舌鳥・古市古墳群や、東西のルートの重要性は、ブラタモリ堺編で紹介されています。
大阪平野と奈良盆地をさえぎる、生駒山地と金剛山地の間を大和川が流れ、
海から奈良盆地の飛鳥の都へ行くには、必ず斑鳩を通ります。
隋からの使者も、大和川を上りました。
法隆寺を多くの人に見せたいというのが、聖徳太子が斑鳩を選んだ理由の1つ>
https://service-news.tokyo/buratamori-horyuji-31087
<明神山展望台も斑鳩も大和川の河流だからという解説されます。
今は堺が河口の大和川ですが、
古代では大阪市・東大阪市にわたってにあった“河内湖”という大きな内海が河口で、
そこから飛鳥の飛鳥川までの水運の大動脈がありました。
法隆寺のある斑鳩はその大和川の大和平野に入った場所に位置し、難波と飛鳥との交通の要所という場所だった>
https://ameblo.jp/elephant-dogfight/entry-12589066177.html
<堺は、内陸部にあった大和王権(日本統一前の政権のひとつ)の海の玄関口であり、
目立つ撓曲崖の上に、国力を誇示するように、古墳群が並べられていた
堺は、2つの古墳群を結ぶ長尾街道、竹内街道の西の端にあります。
両街道は、古墳時代(5世紀)には、存在したと考えられます。
両街道は、摂津国、和泉国の境目となり、堺は地政学的に重要な場所となりました。>
https://service-news.tokyo/buratamori-sakai-23234
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