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考古の鏡3@東博・平成館

「律令国家の幕開け」(6~8世紀)
(6世紀終わりに伝来した瓦、伝来当初の初期寺院出土瓦から各国の国分寺出土瓦まで)
この辺はノーチェックでスルーしようと思っていたのに、思わず目に飛び込んできた鬼瓦、かっこいい!鬼瓦大好き!:
鬼面文鬼瓦 (奈良市 中山瓦窯跡・奈良時代・8世紀・奈良文化財研究所蔵 )
鬼面文鬼瓦 (栃木県 下野国分寺出土 奈良時代・8世紀 )
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「祈りのかたち―山岳信仰と末法思想」(奈良時代の終わりから平安時代)
(山林で修行する僧によって広められた山岳信仰、
山岳信仰の代表的な霊場として著名な、奈良県大峯山頂や栃木県日光男体山の山頂の出土品)
こちらもノーチェックだったのに、目に飛び込んできた
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線刻蔵王権現鏡像(重要美術品/奈良県天川村 大峯山頂遺跡出土・平安時代・10~12世紀)
おお!こんなところにも!本館の国宝より見やすい
かっこいい!

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日光男体山頂遺跡出土品--平安~鎌倉時代・10~13世紀
重文 ・瑞花双鳥八稜鏡・4面 、
重文・瑞花八稜鏡、
重文・花枝飛鳥鏡


「経塚―56億7000万年のタイムカプセル」
(末法思想の影響の下で平安時代に造営されるようになった経塚
当時の工芸品がさながらタイムカプセルのように埋納)
和鏡 3面 (京都市 稲荷山経塚・平安時代・12世紀)
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「経塚出土の鏡 」
(経塚に納められたさまざまな鏡を展示、平安から鎌倉時代の金工技術)
瑞花双鳳八花鏡 (千葉県 谷津経塚・平安時代・12世紀 )
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平安時代になると、いきなり文様が普通になるのね。
面白い
*****
大峰山(おおみねさん)
修験道は役行者が大峯山に籠もり修行を重ね金剛蔵王大権現を感得したことが始まりと言われているらしい。
「吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来の自然信仰と渾然一体となった中国渡来の神仙思想や道教、仏教の修行のために、藤原京や平城京からこの地を訪れた僧侶(修験者)によって切り開かれたことに始まり、飛鳥時代の終わり頃の文部天皇の時期に役小角によって開山された」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B0%E5%B1%B1

日光修験(にっこうしゅげん)
「栃木県の日光山で行われてきた修験道をいう。
勝道上人が開山、役小角(役行者)を開祖と仰ぐ。」

「奈良時代に勝道上人が大剣峰で3年にわたる修行の後に、二荒(ふたら)山、現在の日光山を開基した。
日光山は勝道上人(奈良時代後期から平安時代初期の人物)が開いた現日光の山岳群(日光連山)特にその主峰である男体山を信仰対象とする山岳信仰の御神体ないし修験道の霊場であった。

男体山は奈良時代には補陀洛観音浄土に擬せられて「補陀洛山」と呼ばれていたが、後に「二荒山」という字が当てられたと言われる(『延喜式』には「二荒山」とある)。更にそれを音読して「日光山」と呼ぶようになり、男体山のみならず隣接する山々を含めた総称となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E4%B8%89%E5%B1%B1

経塚
「経典を供養し地下に埋納した場 所」のこと
「経典埋納の始源は、末法思想にあるといわれている。
釈迦入滅後を「正法」、「像法」、「末法」の三時期に区分し、末法の時代は釈迦の教えだけが残り、その教えを実践する人がいなく
なるため、混乱した世の中になると考えられていた。
そこで、当時の仏教徒は、釈尊入滅の 56 億 7000 万年後に末法の世の衆生を救済するために出現する弥勒菩薩に備え、
仏典を経筒に入れ地中に埋納して残そうとした。
これが、経塚の始まりであるとされている」(経塚の諸相- 立正大学)
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