2010-07-03
赤坂プリンスホテルの旧館
先日、ちょっと宴会に呼ばれて、
赤坂プリンスホテルまで、行きました。
赤坂プリンスは2度目なのですが、
以前は新館しか行かなかったので、知りませんでした。
(いや、今回も新館だったのですが、
たまたま早く着いて、間違えて旧館に行ってしまって
びっくりしました。)
多分、今更なのでしょうが、
赤坂プリンスホテルの旧館、
素敵でした~。

1930年(昭和5年)旧李王家邸
李氏朝鮮最後の王世子(皇太子)である
李垠(い・うん 1897-1970)氏の東京邸でした。

1910年(明治43年)の日韓併合により
李氏朝鮮・李王家は日本の皇室に組み込まれたそうです。
明治40年、九歳の朝鮮王朝皇太子・李垠殿下は
留学という形で日本に連れて来られ
伊藤博文のもとで育てられたといいます。
そして大正9年に皇族の梨本宮方子様と結婚、
2人が住んだのがこの建物だったそうです。

こんな歴史を背負っている建物が
こんなところにあったとは、
知りませんでした。
赤坂プリンスホテルまで、行きました。
赤坂プリンスは2度目なのですが、
以前は新館しか行かなかったので、知りませんでした。
(いや、今回も新館だったのですが、
たまたま早く着いて、間違えて旧館に行ってしまって
びっくりしました。)
多分、今更なのでしょうが、
赤坂プリンスホテルの旧館、
素敵でした~。

1930年(昭和5年)旧李王家邸
李氏朝鮮最後の王世子(皇太子)である
李垠(い・うん 1897-1970)氏の東京邸でした。

1910年(明治43年)の日韓併合により
李氏朝鮮・李王家は日本の皇室に組み込まれたそうです。
明治40年、九歳の朝鮮王朝皇太子・李垠殿下は
留学という形で日本に連れて来られ
伊藤博文のもとで育てられたといいます。
そして大正9年に皇族の梨本宮方子様と結婚、
2人が住んだのがこの建物だったそうです。

こんな歴史を背負っている建物が
こんなところにあったとは、
知りませんでした。
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