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2011-07-18

イラン考古学セミナー(2011年)3

3つ目。
「ペルシア湾岸考古学の視点」
 後藤 健(東京国立博物館特任研究員)

メソポタミア文明は最古の文明、
しかし、実は農産物以外、何もなかった。
他のものはすべて、イラン高原から取り寄せていた。
その集荷センターがスーサだった。
ラピスラズリロードと言われている交易路がそれ。
その代価が農産物。
プロトエラムと言われる時代。

もう一つの物資輸送路がディルムン~ペルシア湾

ある時キシュがスーサを攻撃して滅ぼした。
エラムは遠くに首都を移転。
それがケルマーン郊外のシャーハダート
トランスエラム文明期
いよいよインダス文明の誕生

さらにクロライトという鉱石の製品工場を、
ケルマーン郊外のテペ・ヤフヤ
とペルシア湾をはさんで対岸に設けた。
サウジのタールート島(カティーフ)

さらに対岸にどんどん拠点ができる。
交易路は次第に海に移って行き、陸路は衰退。
やがてマガン、そしてディルムンが起こる。

やがてネットワークの返還がおこる
陸から海へ
マガン-アブダビの島
トランスエラム文明の首都移転
ウンム・アン・ナール文明の成立
インダスからメソポタミアまで、海上のネットワークができる

マガンによる湾奥への植民
バハレーンに植民
バールバール文明の成立
よりイラク寄りに首都移転(バハレーン)-ディルムン

いやあ、大変面白かったです。
家島先生の海のネットワークの起源辺りの話ですよね。
海は偉大ですね。
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