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2012-04-22

「東インド会社とアジアの海賊」記念シンポジウム2

「カワーシム海賊とは誰か?―現実と想像力との混交―」
鈴木英明(日本学術振興会特別研究員)

18世紀末、インド洋西海域(アフリカ東岸~インド西岸)で活躍したカワーシム海賊
イギリスの文献のカワーシム海賊と実在のカワーシム海賊の違い。

<19世紀前半、湾岸の入り口を扼していた
ラスアルハイマ(Ras al Khaymah)を根拠地としていた
カワーシム(Qawasim)海賊等の湾岸の海賊の跳梁に、
英国等とインド等の間を行き来していた英国の商船が悩まされ、
英海軍が何度も出撃し、休戦条約(Truce)を締結し、
海賊行為の廃止と取り締まりを約束させる。>

これ以降、ペルシア湾はイギリスの間接的統治下に置かれる。
<しかし実のところ、
「ジョアスミー(カワーシム民族の英国側呼称)による海賊行為」として
イギリス側史料に記録された個々の事例は、
カワーシム民族による海賊行為として特定するには、
十分な証拠がないのがしばしばであったという。>

<①カワーシム民族の内部構造は、
多部族間の複雑で変わりやすい敵対・友好・保護/被保護関係の網から成り、
他民族との境界線があいまいであったこと、

②同民族は、イギリスにとって地政学的に重要な
ペルシア湾、特にホルムズ海峡周辺の沿岸部を
支配下に置いていたことから、イギリスにとって潜在的な敵対勢力であったこと、

③18・19世紀の転換期以降、
カワーシム民族がワッハーブ派の宗教・政治運動の勢力下に入ると、
イギリス側は「ジョアスミーの海賊行為」を
さらに宗教的狂信主義と結びつけて考えるようになり、一層敵対視するようになった>

実在のカワーシム
現在のアラブ首長国連邦の一つ。
シャルジャやラアス・アル・ハイマの首長家。
カワーシム家は60人ほど。
年に200件以上の海賊行為は不可能

イギリス資料によると、
オマーン西岸からやってくるすべてのアラブ人を指す
彼らは婚姻、同盟、保護によって、時代によって変化。
ペルシア湾は生存が過酷で、
資源をめぐる争い、小政権の割拠、
親族でも分裂、
イギリス側にとって、
不特定な海賊行為の責任を押しつける格好のターゲット
イギリスにとって地政学的に重要な
ペルシア湾、特にホルムズ海峡周辺の沿岸部を支配下に置いていた

ホルムズ海峡外側のオマーン(マスカット)のブーサイード朝との勢力争い
ブーサイード朝のイギリス接近、関係強化
アラビア半島の排他的なワッハーブ・サウド同盟の拡張
カワーシム家がワッハーブ・サウド同盟の傘下に入り、
海賊行為が宗教性を帯びていく。
手を焼くペルシア湾岸の人々とイギリスの利害が一致

イギリスの資料のみ、プラス雑誌、旅行記。
現実と想像力の混合の産物

http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901054235514398
http://indianoceanworldcentre.com/profile_suzuki
【報告】「海賊」国際ワークショップ~ユーラシアの近代と新しい世界史叙述~東京大学東洋文化研究所 羽田正研究室
http://haneda.ioc.u-tokyo.ac.jp/eurasia/1-6.html
19世紀インド洋海賊の遺産を考える 澁谷祐
ttp://nic.main.jp/doc/geopoli86.pdf
アラブ首長国連邦について
http://blog.ohtan.net/archives/50954726.html

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