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2012-05-19

東インド会社とアジアの海(追記あり)

以前、シャルダンのところだけ、拾い読みをしたまま、
放置してあったのですが、
先日の講演を聴いて、気になって
読み出したら、一気に読んでしまいました。
すごく面白かったです!

東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史15)
羽田 正 講談社 (2007/12/18)

haneda_oesteindia_.jpg

ん~…、やはり色々と、目からウロコの本でした。
ポルトガルをはじめ、アジアに乗り出してきた
欧州の国家や商人たちは、
まさに傍若無人で野蛮で残酷な海賊の輩だったのは、知っていましたが、

東インド会社って、イギリスとオランダだけだと思っていたら、
フランス、デンマーク、スウエーデン、オステンド(オーストリー)もあった。
(これは先日の講演でも話がありました)

インド洋の国々と東アジアの国では、認識と対応が違う。
日本の鎖国は、国家の貿易支配体系だった。
オランダが、日本とそれ以外のアジアの国とでは、全く態度が違う。
当時の世界の中心は、実は東南アジアだった。
イギリスがインドに関わっていく過程とか。
東インド会社 が破綻しても、個人は巨万の冨を築いていくとか。
アダムスミスの国富論やフランス革命が、東インド会社を終わらせたとか。
東インド会社が運んだものが、結局はヨーロッパを近代にしていくとか。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2807157
http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/028bba7c47cbec95c99d9aa96b96f6f4

(追記)
17世紀はじめの北西ヨーロッパの人々の世界認識
西インド~ヨーロッパから船に乗って、西に向かうと出会う
     島や大陸、新大陸の南端マゼラン海峡に至るまですべて。
     カリブ海の島々、南北アメリカ大陸
東インド~アフリカ南端の喜望峰からマゼラン海峡に至る海岸沿いの諸地域すべて
     アラビア半島、ペルシア、インド亜大陸、東南アジア、中国、日本

17~18世紀、アジアの海が世界の中心だった。

ポルトガルの香辛料貿易独占の野望は、幻のままで終わった。

1637年のオランダ東インド会社全体の利益総額のうち、
平戸商館での利益が占める割合は7割以上!

中国や日本では、表面的にはおとなしく善良な商人の顔
アジアの他の地域での高圧的で不遜な態度とは大違いの低姿勢
同じ頃、同じ会社が東南アジアでは、
激しい暴力によって、香辛料の取引を独占しようとしていた。

最初、飲まれていたのは、緑茶だった。

インドの綿織物が北西ヨーロッパの人々の暮らしを変えた。

東インド会社の終焉
何故、膨大な負債、財政危機に陥ったか?
大量に輸入したため、珍しいものが珍しくなくなっていった。
値段が下がった。
株式配当比率の高さ
領土支配のための巨額の軍事費の支出

南アジアにおいて、イギリス東インド会社は
基本的な姿勢は商業的な利益を守ることで、
決して広大なインド亜大陸全体を征服し、
直接統治することを目指したわけではないが、
好むと好まざるとにかかわらず、
有力な政治・軍事勢力となり、
権力や領土の争いに関わらざるをえなくなっていく。

キリスト教は東アジアでは、
世界観と社会の秩序を根底から覆す
危険な存在と認識された。

東インド会社の多面性
南アジアや東南アジアでは、
植民地化の先兵であり、残虐な征服者。
中国では、アヘンを持ち込み、
アヘン戦争のきっかけを作った悪辣な商社。
しかし日本では、
ヨーロッパの進んだ文化をもたらした従順で親切な商人。
いずれも貿易によって利益を上げるために,
地域によって様々な手段を採用した。

興味深いことに
世界全体が貿易によって、一体性を強めていた17~18世紀に、
日本は対外貿易を縮小し、一種の自給自足社会を形成していた。
金銀銅の金属の輸出を押さえようとしていた。


<自由貿易や産業革命もまた、
東インド会社が生み出した子供だった。>


<現代の日本人が慣れ親しんでいる「洋風」の生活様式が
北西ヨーロッパにおいて形成されたのはかなり最近のことだが、
それらのほとんどは、本来アジア起源の物産をもとに成立したものである。
豊饒なアジアとは対照的に、魅力的な商品に欠けていたヨーロッパが
それらの物産を手に入れるには、アメリカで収奪した銀を支払うしかなく、
17~18世紀においては、インド洋(アラビア海・ベンガル湾)から
南・東シナ海にかけて広がる「アジアの海」こそが、世界の中心であった。

<西欧が貧しく、売るものが無かった。
アジアにやってきた西欧人はインドの綿織物や東南アジアの香辛料、
中国の茶、日本の銅・銀など欲しいものが山ほどあった。
にもかかわらず西欧人がアジアに売れるものは何もなかった。
西欧の特産品といえば毛織物や宝飾品くらいで、
どれもこれもアジアでは欲しくも無い代物だ。

それでも何故西欧人がやがてアジアに大規模な進出を果たし、
ごっそりアジアの品々を本国に持ち帰ることが出来たかというと、
それは南米を軍事的に侵略し虐殺を繰り返した上で彼の地の貴金属を強奪し、
それを以てアジア産品の買い付け資金に充てたから。


「東インド会社の行動は、例えて言えば、
ほとんど元手をかけずに、
他人の家から持ち出したお金を使って、
本来足を踏み入れることの出来ないはずの高級店で一流品を買い、
それを自分の家に持ち帰って利用したり、
売却して利益を得たりしていたということである。
このような行動を200年も続ければ、
北西ヨーロッパが全体として豊かになり、
世界をリードする経済力を身につけるのは当然だろう」

「近代ヨーロッパは、
決して地理的な意味でのヨーロッパと、
そこに住む人々が独力で生み出したものではない。

東インド会社が運んだ、アジアの産物と、アメリカの銀が
ヨーロッパに豊かさをもたらした。

優れたアジアの製品を目標として
技術革新が進んだ。

進出したアジア、アフリカ、アメリカ、アセアニアで、
はかり知れないほど多くの新しい知識を獲得し、活用し、
自らの政治機構や社会制度を見直し、刷新し、
新しい世界観と自己認識を見いだし、
科学技術や学術を飛躍的に発展させた。

ヨーロッパ以外の地域が存在しなければ
近代ヨーロッパは生まれなかった。

近代ヨーロッパは、
世界の人々の様々な活動が
総体として生み出した
世界全体の子供なのである」


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まとめtyaiました【東インド会社とアジアの海】

以前、シャルダンのところだけ、拾い読みをしたまま、放置してあったのですが、先日の講演を聴いて、気になって読み出したら、一気に読んでしまいました。すごく面白かったです!東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史15) 講談社 (2007/12/18)http://blog.goo.ne.jp/jch...

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